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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十四幕「楽園」

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三席


 その晩の奏鳴荘、ポメロの部屋。


 窓から差し込む都会の月光は、七番舞台の魔導ランプの残像に比べれば、あまりにも弱々しく、頼りない。しかし、ポメロの網膜には、今もあの眩い多幸感の渦が焼き付いて離れませんでした。


 『かしこみかしこみ?』『もうしそーろーー!』


 ポメロは、ベッドの端に腰掛け、漆塗りのアコースティックギターを抱え直しました。指先が、無意識に弦を弾く。跳ねるような、けれどどこか切ないメジャーコードの調べ。


 それは、今日、あの巨大なアリーナで浴びた音の断片。数万人が同時に足を踏み鳴らし、同じタイミングで腕を振り、同じ笑顔で声を枯らした、あの圧倒的な【主客一体】の残響でした。


(出口は、ただ一つ。……『楽園』。タイトルは、これしかない)


 ポメロは、暗闇の中で一点を見つめ、直感に従ってゴールを定めました。


 かつての彼なら、あの光景を【閉じた円環】という恐怖の象徴として、冷徹に解体しようとしたかもしれません。ですが、今の彼の五体には、あの場所で浴びた熱気が、心地よい痺れとして残っています。


 ポメロは、自らの精神の深淵へと、ゆっくりと沈み込んでいきました。


 創作の儀式。


 内なる熱情を捕らえ、楽曲に閉じ込めるための、孤独な格闘が始まります。


 脳裏に、かつて居酒屋【銀の弦亭】で、白タイツの怪人ゲフィンをサポートし、さえないおっちゃん達と共に作り上げた、泥まみれの狂騒がフラッシュバックしました。


 あの日、パウがホワイトボードに書き連ねた単語の海──『一体感』『熱狂』『抑圧からの解放』、および『秘密の共有』。


 ゲフィンの音楽は、不純でした。下品で卑俗な、暗がりの楽しさ。それは、ポメロが『僕たちのひみつきち』と名付けた、限定的な、隠れ家のような楽しさでした。


(あの日、僕が笑えたのは……そこに後ろめたさという興奮のスパイスがあったからだ。でも、今日のこれは……なんだ?)


 ポメロは、今日の舞台で感じた楽しさと、あの夜の楽しさを慎重に比較し、その決定的な違いを考え抜きました。


 アイドルたちのステージには、秘密も、隠れ家のような閉鎖性も、後ろめたさすらも存在しませんでした。すべてはあの眩いスポットライトによって白日の下に晒され、完璧に管理された太陽の下にある多幸感として現出していたのです。


 ゲフィンがうらぶれたおっちゃんたちに与えた解放を、アップルは巨大なシステムとして、一切の不純物を取り除いた状態で健全な若者たちに与えていたのです。


 ……健全かなぁ?


(そうか……。隠れる必要なんて、どこにもないんだ。これは、もっと根源的な……)


 暗い胸の奥から、それが現れます。


 太陽でした。


 ポメロの精神宇宙の中央に居座る、巨大で、眩く、圧倒的な質量を持った恒星。


 突き抜けるような青空の下で、ただそこに在るだけで生を実感させる、圧倒的な──「陽気」!


「捉えたぞ。汝の名は──」


 【ハレ】とは、祭礼や年中行事といった非日常の「晴れ舞台」を指し、対する【ケ】とは、代わり映えのしない平穏な日常の生活を意味します。


 労働に明け暮れる「ケ」の日々で枯渇(ケが枯れる──ケガレ)した精神を、祝祭という「ハレ」の熱狂で焼き直し、活力を再生させます。それは、この大陸に古くから根付く、生存のための循環の知恵でした。


 そういった観念的な事象もまた、エピタフに「ハイクラスな基礎知識」として啓蒙されていたのです。


 ポメロの指先が、弦の上で止まりました。


 これまでの創作において、ポメロにとって熱情の名の喝破とは鎮圧でした。ですが、この圧倒的な陽気を、今、この瞬間に消化してしまっては、このハイな気分が減衰してしまいます。


(まだだ……。まだ正体を暴くな。まだ、僕の頭上で燃えていろ!)


 ポメロは、あえて喝破することを止めました。


 自分を焼き尽くさんばかりの太陽を、意図して野放しにします。


 この眩しすぎるハレそのものに肌を焼かれる道を選びました。


「熱情よ! 燦燦と降り注げ! この身を小麦色に焼き上げろ!」


 ギターの弦が、再び鳴り始めます。


 激しく、陽気に、および暴力的なまでに快楽を追及する南国のリズム。


 リズム。


 そう、リズムだ!


 ポメロは気づきました。

 メロディーだけでは、この『楽園』が完成しないということに。


 トルバドールとしての自分の技量をいかに高めようとも、この膨張し続ける熱量を支えきれないのです。ギター一本と喉一つ。そんなチープな構成では、誰の腰も揺らせません。誰も躍らせることなんてできません!


(リズムだ。この楽曲の根幹を、一分の隙もなく埋め尽くす十六ビートの躍動が必要だ!)


 それは伝統派のように正しく、行儀の良い拍子であってはいけません。もっと卑俗で、もっと感覚的で、人の心の襞をねっとりと【くすぐる】ような、そんな不純なグルーヴ。


「……デッカ先輩だ」


 ポメロの脳裏に、同じ宿のパーカッショニスト、あのへらへらと笑うチャラ男の顔が浮かびました。自称「今日を楽しむ俗物」。


 『石でも小皿でも叩けちゃうぜ』


 人の機微を知り尽くし、音楽を性行為のように語るあの男の、淫らで、かつ鋭敏な即応性。


 鋭い観察眼を無自覚に発揮し、それを創作よりもナンパに費やすという感性の無駄遣い。


 『音楽ってのは、心の服を一枚ずつ脱がせていくストリップショーなんだ』


 そして、その観察力と即応性が生み出す、どんな相手にも合わせられる【ノリ】。


 伝統派が軽蔑し、切り捨ててきたこの「ノリ」という名の武器こそが、この『楽園』の屋台骨を支える唯一のピース!


 『ツッタラカタタタ…… ポッポコポン♪』


(デッカ先輩のリズムに、僕の歌を乗せるんだ。そうすれば、この曲は僕という個体を超えて、もっと……もっと高く、もっと熱く、本当の『楽園』になれる!)


 ポメロのペンが、譜面に新たなパーカッションの譜割を叩きつけていきます。


 ギターが唸り、空想の中でデッカのミニコンガが火を吹きます。


 アップルが提示した管理された多幸感を、さらにその上から、デッカの不純なグルーヴで侵食し、解き放ちます。


(非日常。魔法が解ければ、また冷たい現実という日常に戻らなければならない。だが、その終わりを怯えることはない。日常という現実に帰る時、あなたはきっと「楽しかった」と最高の笑顔で、この門から立ち去ることができる)


 それは、真夏の正午の蜃気楼。


(君たちの本番ステージは、ここじゃなく現実にあるんだ。ここは、束の間のうたかたの夢。だからこそ──ここは『楽園』なんだ)


 窓の外が、白み始めます。都会の夜明け。


 その本物の朝日が昇ると同時に、太陽を模した熱情は消えました。水平線に没するように。


「ありがとう、熱情ハレ。 君は最高の太陽だった」


 ポメロは最後の一音を書き終えると、爆発しそうな高揚感に突き動かされ、明け行く空に向かって大きく手を広げました。


「……できた! デッカ先輩、こいつはスゴイですよ!」


 叫びと共に、彼はそのままベッドに倒れ込みました。


 ZZZ……。


 秒で寝た。



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