二席
ポメロが胃の中で転がし続けていた『淋しくて震える』が、木っ端みじんに砕けました。
視界が、ぐにゃりと歪みます。
あれほど思い尽くし、想像を巡らせ、共に楽曲を高めてくれた『淋しくて震える』が。
フォロワーという名の蟻どもに囓り取られ、しゃぶり尽くされて白骨を晒してなお、髄液を啜られている躯が。躯の躯が。
最初から血肉のない、精緻なマネキン人形だったとは!
それを成したのが【六歌仙】と詠われる表現界の最高峰の一角だとは!
ポメロの知る六歌仙は、表現のためにその身を削り、命を燃やしている先輩たちでした。逞しい背中でした。
パウ、ミューチャー、マンモス。エピタフの師匠であるモトロードも、演奏を極めんと日夜筋トレに励み、産みの苦しみには絶叫と狂乱を伴うというのです。それなのに。
「んー?」
見つめる先にある顔は、無表情な笑顔。
「まあ、ショックだよねえ。思い入れたっぷりだったワードに、最初から体温が無かったなんてさ」
「……アップルさんは、音楽を生み出したいと思っていないのですか?」
「そだね。逆に、想いに引きずられないように心がけてるかな」
「自分の中に、これを表現したいって想いはないんですか!?」
「そういうのはオーディエンスから聞き取れるからね。アタシはそっちに合わせるだけ」
噛み合いません。
「熱情は……ないんですか!?」
「あるよ」
「!?」
「あるよ、アタシにだって熱情。アタシはずっと抱いてる。それに気づいた時から、きっと死ぬ時までね」
「じゃあ、なんでそんな冷めた創作を!」
「そこがきっと、ポメロくんの勘違い。君は創作に情熱を傾けてる。己の魂をどうやって現出させるかに命を注いでる。そうでしょ?」
「そうです」
「それはきっと【表現者】としての業。クリエイターとしての渇望ね」
クリエイター。聞き慣れぬ言葉ですが、妙に耳に馴染みます。
「アタシは違う。中身は他人から貰えばいい。どう作るかより、どう見せるか。大事なのはそれだけ。【演出者】。他人の望みを吸い上げた舞台で、アタシは皆を躍らせる。アタシの熱情は、そこにあるの」
熱のない瞳が、一瞬、激しく燃え上がりました。
「ワカゾーの熱に当てられちゃったかー」
燃え上がった瞳が一瞬で鎮火されました。
「アタシもまだまだ子供ね」
くすりと笑います。もう瞳に熱は宿っていません。
ポメロは思います。この女の奥底には、きっと炎が燃えている。ずっと激しく燃え続けている。だが、それを「表現」しない。それを「創作」の糧にはしない。ただ、内燃機関として、己を動かす基としているのだ。
理解はし合えません。魂の形が違いすぎます。
表現者の魂が、演出者を本能的に恐れます。
──こいつは、捕食者だ。
「怒ってるんだか恐れてるんだか、よくわからない目をしてるけど……」
パン! と乾いた柏手が響きました。
「アタシもポメロくんも、楽壇に生きてる仲間同士だ。拒絶するより吸収しちゃえよ!」
屈託ない先輩風。
実力者としての圧倒的な自信。
ポメロには頷くほかにできることはありません。
「そう、ですね」
アップルは、強者の自信を湛えて笑みます。変わらず、無機質な笑顔で。
「アップル舞台の最前線、特等席で見せちゃうぜ! ひっくり返るぞーー♪」
───── ♬ ─────
アップルに促されるまま、ポメロは楽屋の奥に設けられた、関係者専用の地下通路を抜けました。
次第に大きく、重く響き始める重低音。それは、かつて九番舞台で聴いた秩序ある足音でも、十三番舞台を揺るがした暴動の咆哮でもありませんでした。
もっと、地響きに近い。巨大な何かが、一定の周期で脈動しているかのような、不気味なほど整った振動。
「ここが、アタシの最前線よ」
アップルが、分厚防音扉を開け放ちます。
──瞬間。
視界が、光と音の洪水に押しつぶされました。
そこは、七番舞台。
ポメロが今まで「自分には縁のないチャラついた世界だ」と食わず嫌いしていた、アイドルの聖域でした。
天井知らずの吹き抜けには、数千、数万もの照明が、計算され尽くしたシーケンスで瞬いています。
その光はオーディエンスを照らすのではなく、彼らの視覚を奪い、現実感を溶かすための、現実感を喪失させるための特殊なスペクトルを放っていました。
そして、ステージ中央。
七番舞台のトップアイドルグループ【ミューズちゃんかく語りき】が、計算され尽くした可愛さを武器に、眩い光の中でパフォーマンスを繰り広げています。
ですが、ポメロの予想に反して、彼女たちは決して無機質な人形ではありませんでした。血の通わぬ楽曲で立身を成したアップル。その支配下にあるグループであるにも関わらず。
ステージ上のミューズちゃんたちは、誰よりも激しく、誰よりも眩しい笑顔で、その場を心底から楽しんでいたのです!
「かしこみかしこみ」
魔法のチャントでミューズちゃんがノセます!
「「「「かし! こみ! かし! こみ!」」」」
客がノセ返します!
「かしこみかしこみ?」
ミューズちゃんがさらにノセます!
「「「「かし! こみ! ふっふ──!」」」」
客が限界を超えてノセ返します!
熱気は舞台と客席を往復するたびに、反響し、増幅し、さらに熱く、巨大な質量となって膨れ上がっていきます。ステージと客席が、互いの楽しさを食い合い、ぶつけ合い、肥大化していく永久機関。
「……楽しいっ!」
ポメロの心拍数が跳ね上がります。
そこには理屈を超えた【祭り】がありました。幼い頃に初めて村の謝肉祭を目の当たりにした時と同じ、魂が浮き立つような興奮。
暗がりのなかで肩を寄せ合う『ひみつきち』の後ろ暗い興奮とは違う、底抜けに明るく、楽しく、ハッピーな、日常という【ケ】を焼き尽くす【ハレ】の爆発。
数千人が同じ幻想を共有し、この瞬間を肯定し合う非日常の極致。
ポメロの体が、無意識にリズムを刻み始めました。
(……あ、ノッてきた)
その瞬間、隣に立つアップルが「ニヤーっ」と、すべてを見透かしたような邪悪で愉快な笑みを向けました。
あまりの気恥ずかしさと、演出の術中にハマった自覚に、楽しい気分は一瞬、霧消します。ですが、ステージから放たれる熱量は、そんな個人の抵抗など塵芥のように吹き飛ばしていきます。
(……くやしい。……でも、楽しんじゃう!)
またポメロの体が揺れます。アップルがまた「ニヤーっ」と見ます。今度は、もう視線を逸らしませんでした。抗えない。抗うことが不可能なほど、この「演出」は完璧にポメロのパトスをハッキングしていたのです。
「……もう、負けた! こんなの楽しすぎる!」
ポメロは叫んでいました。
かつて十三番舞台で見せた執念の判定勝ち──賛同一、反感二、混乱七という、薄氷を踏む比率でどうにか狂乱を鎮めた、あの孤独な勝利。そんなものは、この巨大な多幸感の前では砂の城に等しいです。
アップルは数万人全員を【主客一体】の渦に叩き込み、一人の脱落者も出さずに心中させています。
自我の強すぎるポメロさえも【客】として飲み込んで!
ポメロの右手は、いつの間にか高く掲げられていました。親指を立て、清々しく「グッドサイン」を突き出します。完全なる投了宣言。
「かし! こみ! かし! こみ!」
「「「「もうしそうろーー!」」」」
ポメロはオーディエンスと共にチャントを唱えます。それを見たアップルは、満足そうに顎を引き、気取った動作でポメロに優雅な一礼を返しました。
勝負あり。完敗でした。
「「「ぅおおおおおおおおおお!」」」
ポメロは、アップルが構築した主客一体のシステムに完全に飲み込まれ、なお楽しかったのです。
「楽しんでくれてなにより」
アップルが、興奮冷めやらぬポメロの肩を、親しみ深く叩きました。
「これらの楽曲は……全部、アップルさんが?」
「楽曲だけじゃないんだぜ? アタシは総合プロデューサーだ。ステージのセットも、照明も、音響も、ぜーんぶ口出してる。ここはアタシがゼロから作り上げた【楽園】さ!」
舞台を背景に、両手を広げ、ポメロに向き直りました。
ポメロは、その言葉に息を呑みました。
楽曲という小さなくくりの中でしか物事を考えられなかった自分と比べて、あまりにもスケールが違いすぎます。この巨大な空間の、光の一つ、音の跳ね返り一つに至るまでが、彼女の深謀の内にあるというのでしょうか。
アップルは、キラキラとした瞳で話を締めくくりました。
壮年の身に差し掛かりながらも、その瞳は、フォルテよりもずっと少女のように輝いています。そこにあるのは、混じりけのない憧れと熱情です。
「そだね。結局のところアタシは、お客さんに楽しかったって思ってもらえるために、できることはなんだってするのさ」
彼女は、最高に幸福そうな笑みを浮かべました。
「だって、アタシはそれが、自分にとって一番楽しいことだって、知ってるからね!」
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