二席
領主館、別邸。
そのいくつかあるゲストルームの一つへと、即席の主従は通されました。お時間までしばらくこの部屋でお待ちくださいね、と。
ポメロは、領主館の絢爛さや広さなどに感動しませんでした。フォルテは室内の誂えや庭の眺めを見て、ヤーヤー鳴いています。
ここに来て、ポメロは悩みだしていました。
リノに会うのはいい。会いたい一心で、なりふり構わずここまで来た。
だが、会ったとしてどうする?
無事が確認できれば満足か? 近況報告を和やかに済ませて散会か? もし彼女が泣いていたら、どうする。浚うのか?
──出来ないだろう、相手の本丸で。
では、涙を拭うか。それは一時的な鎮痛に過ぎないのではないか。
ならいっそ、リノの従者として名乗りを上げる?
だが、それは僕がここまで築いてきたキャリアを棒に振り、これまで僕の歌を支えてくれた人々を裏切ることになる。
リノに会うことが現実味を帯びてようやく、ポメロは如何に自分が考えなしであったかに気づき、愕然としました。
「あやや……。随分とお悩みなのですね。では、先ほど歌にて私の心を潤してくれたことへの御返歌に、私がティーをお淹れ致しましょう」
ハルモニアが、ティーポットにお湯を注ぎます。
「アンドレック様は、ハルモニアさんのティーを不味いって言ってましたけど」
「それは、給仕なんて本職ではないのに押し付けられたから。宮廷詩人なのに。ちょっと仕事が出来る頑張る女なだけなのに。あれやらこれやら仕事をねじ込まれる……。精一杯頑張ってティーを淹れても所詮は付け焼刃……。お茶会を趣味にしてン十年の奥様とデキを比較されれば、そりゃ美味しくないって感想も出ようってもんですよ、ええ……つらい」
ハルモニアの闇が、湯気と共に溢れ出します。
「わー、ハルモニアさんのティー、とっても楽しみだなあ!」
「はあ、そんな見え透いたお世辞にも心が潤う。温泉行きたい」
ティーが淹れられました。
「雑味が強いですわ!」
直球。フォルテの味覚に慈悲はありません。
「ぐはっ……」
「や、でも僕、この香り大好きです。優しい香りだ」
ティーの温かみと香り。それから、庶民が味わったことのない隠し味の香辛料。
ポメロの焦燥感が、ふわりと和らいでいきます。焦りすぎていました。成果を求めすぎていたのです。
今はリノに会える。それだけでいいじゃないか。
ティーの香りは、ポメロを深く癒やします。
なんだろう、このふわふわした感覚は。あ、そうだ。リノの『おひるねがしたいうた』。あの時に覚えた、抗いようのない眠気。それを思い出して──
ティーの香り。隠し味の香辛料。
「従者のポメロさん? わたくしのお話し聞いててままますすすすののののの」
のののののの。
フォルテの声がスローです。音程も、低く、遠いです。
ティーの香り。隠し味の香辛料。
もう、声が聞こえません。視界が歪みます。意識が、急速に遠のいていきます。
隠し味の香辛料。
ゴン、と鈍い音を立てて机に突っ伏し、高らかにいびきをかき始めるポメロ。
ハルモニアは、無表情な微笑を湛えたまま、フォルテに告げました。
「あやや……。従者様は、よほどお疲れのご様子。このままここでお休み頂いては?」
───── ♬ ─────
「ようやくお目覚めになりましたの?」
フォルテの呆れた声。背後には、夜の静寂を切り裂いて馬車が走り去る音が響いています。
「ここは……?」
見覚えのある、奏鳴荘の玄関。
「リノ!?」
がばりと立ち上がるポメロを、強烈な立ち眩みが襲います。
思い出す。ゲストルームでの居眠り。お茶の香りに包まれ、意識を手放したあの瞬間を。
「今、何時ですか?」
「九時を回りましたわ。もうおねむの時間ですの」
「そんな……」
領主館への到着は三時頃だったはずです。睡眠時間は六時間。あるのでしょうか。健康優良児を自負する自分が、大事な局面でそれほどの居眠りをするなど。
だが、事実は残酷にそこにあります。自分は眠り続け、そして今、奏鳴荘にいるのです。
「ハルモニアに感謝なさいませ。かの者が、わざわざあなたを馬車からここまで運んでくれたのですから」
ハルモニア。ハの字眉毛の、あの煤けた宮廷楽師。
彼女の淹れたティー。記憶はそこで途絶えています。人生日向街道を真っ直ぐに歩いてきたポメロには、到底気づけませんでした。
隠し味の香辛料。その秘密に。悪意に。
──あるいは、慈悲に。
「次の……次のリノとの約束は、ありませんか?」
ポメロの問いに、フォルテが珍しくバツの悪い表情を浮かべました。
「それが……出禁にされちゃいましたの。ビクター家に」
「は?」
「わたくしは悪くない! 丸太が! この丸太がいけないんですの!」
「なんて?」
フォルテは、晩餐会で何事かをやらかしたらしいです。
「リノ様にも結局会えず仕舞い! 踏んだり蹴ったりですわ!」
破壊する時も一瞬。それが箱をブチ破った箱入り娘の真骨頂。
「ヤー!」
「ヤーじゃないが!」
───── ♬ ─────
夜半、謁見の間。
領主の高座に、男は座していました。
窓から差し込む月光すら届かぬほどに日は落ち、闇の中に没した冷たく整った大理石の空間。男は肘掛けへ肘を突き、拳で片頬を支えたまま、石像のように動きません。
その男の背に。
高座の背もたれの裏、闇の深淵から、一つの気配が立ち上がりました。
男は焦ることなく、その気配に向かって、低く掠れた声をかけます。
「終わったか?」
ベベン!
返答は、乾いた三弦の調べでした。
〽 罠とも知らずに 夢の跡ォーー 花の都を 背に歩むゥーー
女の声で節回すそれは、都々逸です。
ベベン!
〽 網にかかった 蝶の羽ェーー ア、己が嵐と 思い込みィーー
洒脱。そして、あまりに無慈悲な報告。
ベベン!
「……そうか。ならば、それで良い」
高座の男、ゲッティング・ビクターは重い腰を上げました。
「大義であった、ハルモニア。お前も、今夜はもう休め。私も……冷えた心を、家族との時間で温め直すとしよう」
男は、どこか救いを求めるような足取りで、闇の向こうにある私室へと退室していきました。リノを含めた「四人の家族」が待つ、穏やかな偽りの灯火の下へ。
広大な謁見の間に、一人残されたハルモニア。
彼女は闇の中で、ポメロを背負って運んだ肩の重みを思い出すように、独り言をこぼしました。
〽 げに凄まじきは宮仕え
ベベン。
……つらい。




