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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十三幕『げに凄まじきは宮仕え』

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二席


 領主館、別邸。


 そのいくつかあるゲストルームの一つへと、即席の主従は通されました。お時間までしばらくこの部屋でお待ちくださいね、と。


 ポメロは、領主館の絢爛さや広さなどに感動しませんでした。フォルテは室内の誂えや庭の眺めを見て、ヤーヤー鳴いています。


 ここに来て、ポメロは悩みだしていました。


 リノに会うのはいい。会いたい一心で、なりふり構わずここまで来た。


 だが、会ったとしてどうする?


 無事が確認できれば満足か? 近況報告を和やかに済ませて散会か? もし彼女が泣いていたら、どうする。浚うのか?


 ──出来ないだろう、相手の本丸で。


 では、涙を拭うか。それは一時的な鎮痛に過ぎないのではないか。


 ならいっそ、リノの従者として名乗りを上げる?


 だが、それは僕がここまで築いてきたキャリアを棒に振り、これまで僕の歌を支えてくれた人々を裏切ることになる。


 リノに会うことが現実味を帯びてようやく、ポメロは如何に自分が考えなしであったかに気づき、愕然としました。


「あやや……。随分とお悩みなのですね。では、先ほど歌にて私の心を潤してくれたことへの御返歌に、私がティーをお淹れ致しましょう」


 ハルモニアが、ティーポットにお湯を注ぎます。


「アンドレック様は、ハルモニアさんのティーを不味いって言ってましたけど」


「それは、給仕なんて本職ではないのに押し付けられたから。宮廷詩人なのに。ちょっと仕事が出来る頑張る女なだけなのに。あれやらこれやら仕事をねじ込まれる……。精一杯頑張ってティーを淹れても所詮は付け焼刃……。お茶会を趣味にしてン十年の奥様とデキを比較されれば、そりゃ美味しくないって感想も出ようってもんですよ、ええ……つらい」


 ハルモニアの闇が、湯気と共に溢れ出します。


「わー、ハルモニアさんのティー、とっても楽しみだなあ!」


「はあ、そんな見え透いたお世辞にも心が潤う。温泉行きたい」


 ティーが淹れられました。


「雑味が強いですわ!」


 直球。フォルテの味覚に慈悲はありません。


「ぐはっ……」


「や、でも僕、この香り大好きです。優しい香りだ」


 ティーの温かみと香り。それから、庶民が味わったことのない隠し味の香辛料。


 ポメロの焦燥感が、ふわりと和らいでいきます。焦りすぎていました。成果を求めすぎていたのです。


 今はリノに会える。それだけでいいじゃないか。


 ティーの香りは、ポメロを深く癒やします。


 なんだろう、このふわふわした感覚は。あ、そうだ。リノの『おひるねがしたいうた』。あの時に覚えた、抗いようのない眠気。それを思い出して──


 ティーの香り。隠し味の香辛料。


「従者のポメロさん? わたくしのお話し聞いててままますすすすののののの」


 のののののの。


 フォルテの声がスローです。音程も、低く、遠いです。


 ティーの香り。隠し味の香辛料。


 もう、声が聞こえません。視界が歪みます。意識が、急速に遠のいていきます。


 隠し味の香辛料。


 ゴン、と鈍い音を立てて机に突っ伏し、高らかにいびきをかき始めるポメロ。


 ハルモニアは、無表情な微笑を湛えたまま、フォルテに告げました。


「あやや……。従者様は、よほどお疲れのご様子。このままここでお休み頂いては?」



───── ♬ ─────



「ようやくお目覚めになりましたの?」


 フォルテの呆れた声。背後には、夜の静寂を切り裂いて馬車が走り去る音が響いています。


「ここは……?」


 見覚えのある、奏鳴荘の玄関。


「リノ!?」


 がばりと立ち上がるポメロを、強烈な立ち眩みが襲います。


 思い出す。ゲストルームでの居眠り。お茶の香りに包まれ、意識を手放したあの瞬間を。


「今、何時ですか?」


「九時を回りましたわ。もうおねむの時間ですの」


「そんな……」


 領主館への到着は三時頃だったはずです。睡眠時間は六時間。あるのでしょうか。健康優良児を自負する自分が、大事な局面でそれほどの居眠りをするなど。


 だが、事実は残酷にそこにあります。自分は眠り続け、そして今、奏鳴荘にいるのです。


「ハルモニアに感謝なさいませ。かの者が、わざわざあなたを馬車からここまで運んでくれたのですから」


 ハルモニア。ハの字眉毛の、あの煤けた宮廷楽師。


 彼女の淹れたティー。記憶はそこで途絶えています。人生日向街道を真っ直ぐに歩いてきたポメロには、到底気づけませんでした。


 隠し味の香辛料。その秘密に。悪意に。


 ──あるいは、慈悲に。


「次の……次のリノとの約束は、ありませんか?」


 ポメロの問いに、フォルテが珍しくバツの悪い表情を浮かべました。


「それが……出禁にされちゃいましたの。ビクター家に」


「は?」


「わたくしは悪くない! 丸太が! この丸太がいけないんですの!」


「なんて?」


 フォルテは、晩餐会で何事かをやらかしたらしいです。


「リノ様にも結局会えず仕舞い! 踏んだり蹴ったりですわ!」


 破壊する時も一瞬。それが箱をブチ破った箱入り娘の真骨頂。


「ヤー!」


「ヤーじゃないが!」



───── ♬ ─────



 夜半、謁見の間。


 領主の高座に、男は座していました。


 窓から差し込む月光すら届かぬほどに日は落ち、闇の中に没した冷たく整った大理石の空間。男は肘掛けへ肘を突き、拳で片頬を支えたまま、石像のように動きません。


 その男の背に。


 高座の背もたれの裏、闇の深淵から、一つの気配が立ち上がりました。


 男は焦ることなく、その気配に向かって、低く掠れた声をかけます。


「終わったか?」


 ベベン!


 返答は、乾いた三弦の調べでした。


  〽 罠とも知らずに 夢の跡ォーー 花の都を 背に歩むゥーー


 女の声で節回すそれは、都々逸です。


 ベベン!


  〽 網にかかった 蝶の羽ェーー ア、己が嵐と 思い込みィーー


 洒脱。そして、あまりに無慈悲な報告。


 ベベン!


「……そうか。ならば、それで良い」


 高座の男、ゲッティング・ビクターは重い腰を上げました。


「大義であった、ハルモニア。お前も、今夜はもう休め。私も……冷えた心を、家族との時間で温め直すとしよう」


 男は、どこか救いを求めるような足取りで、闇の向こうにある私室へと退室していきました。リノを含めた「四人の家族」が待つ、穏やかな偽りの灯火の下へ。


 広大な謁見の間に、一人残されたハルモニア。


 彼女は闇の中で、ポメロを背負って運んだ肩の重みを思い出すように、独り言をこぼしました。





  〽 げに凄まじきは宮仕え


 ベベン。 


  ……つらい。


 

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