三席
石畳を叩く金貨の残響と、鼓膜にこびりついた「ヤー!」という咆哮。
なんとかフォルテを連れて奏鳴荘まで辿り着くと、玄関先では既に魂が半分抜けたような先住住民たちが、温かい無言の肩ポンで迎えてくれました。
その連帯保証人めいた慈愛の視線に耐えきれず、ポメロは逃げるようにフォルテをドリーへと預け、自室の扉を閉めました。
ですが、静寂が訪れるはずの部屋の中に、そいつはいました。
「……なんだよ、この熱情は」
ポメロは漆塗りの相棒を抱える気力すらなく、ベッドの縁に腰を下ろしました。
視界の端で、形なき熱情が笑い、踊り、奇妙な角度で観察し、脈絡なく走り回っています。
いつもなら、もっと重厚で、あるいは鋭利で、僕の胸を抉るようにして現れるはずの熱情が、今日に限ってはただただ騒がしく、無秩序に部屋の壁を蹴り、天井を這いずり回っているのです。
その奇行種の動きは、フォルテそのものでした。
「はいはい、わかったから。汝の名は【フォルテ】ね。はい【フォルテ】。看破看破」
ポメロは投げやりに、これ以上ないほど雑にその名を呼びました。
すると熱情は、最後に一回だけ全力の「ヤー!」を繰り出すような動きを見せ、霧が晴れるようにすうっと消えていきました。
怒りと、呆れと、諦め。それらが泥水のように混ざり合い、切なくリミックスされた感情だけが部屋に残ります。
本来、熱情の正体を看破する作業は、己の深淵を覗き込むような苦痛を伴うはずでした。ですが、今回はどうでしょう。
かつて『ここらで一杯、茶が欲しい。』の時に【疲労感】が自ら肩ポンしてきた時よりも、なお早いです。
看破に時間を掛けたくありませんでした。一刻も早く、その名前を付けて部屋から叩き出してしまいたかったのです。
部屋の中を所狭しと駆け回る熱情を見て、扉を開ければそのまま外へ飛び出して行ってくれるかも、そうすれば締め出せちゃうかも、なんて淡い期待すら抱きましたが、それで寮友の誰かにあの「熱情奇行種」が取り憑いては申し訳ないと思い直して見送りました。
畜生。
看破しちゃったからには、一曲書き上げなくちゃいけないのがポメロの強迫観念であり作家性です。
「フォルテ……。くそっ、フォルテめ」
ポメロは独りごち、ペンを握ります。
悪気が無いのはわかっています。常識が無いのも、もう十分にわかりました。
ですが、なんであんな生き物に、あんな無尽蔵のバイタリティを与えてしまったのでしょうか。
ポメロは天を仰ぎ、神様だとか、エルプフィルの領主夫妻だとか、そのあたりのあらゆる権威を心の中で恨みました。
ですが、不思議なことに。
「ヤー!」と五月蠅く、「ヤー!」と馬鹿な生き物ですが。
被った迷惑の重みと比べると、湧き上がる怒りの度合いは、驚くほど低かったのです。
「ヤー!」「ヤーじゃないが!」というやり取りを反芻するたび、怒りの炎は湿り気を帯びて消えていきます。叱っちゃったらもういいや、的な、ある種の究極の諦念。
怒るだけ無駄。教育するだけ徒労。
ですが、いつもならそこから溜まるはずの「ブルーズの雫」が、一向に貯まりません。
なぜでしょうか。
そこにあるのは、呆れとおかしみ。つまりは、乾いた苦笑です。こちらの目線が、いつの間にか高くなっています。そう、まるで子供のやることを「しょうがないわね」と笑って許す大人のような。
ですが、それだけではありません。
(お貴族様なんだよな、あいつ……)
金持ちであるという属性は、本人の性質とは一切関係がありません。しかし、彼女が引き起こす「銭撒き」や「買い物要請」といった問題の半分以上は、その圧倒的な経済力に寄与しています。
末妹として接して欲しいと言われ、実際、フォルテは親しみやすいです。ポメロも既に敬語を捨ててぞんざいに扱っていますし、フォルテもそれを喜んでいる節があります。
ですが、そこには庶民としての「最低限の知恵」がブレーキをかけます。
誰が、遥かに格上の存在が口にした無礼講を真に受けて、マジの無礼を働くというのでしょうか。
十三番舞台の、明日をも捨てたオーディエンスどもならいざ知らず、この都で生きていくための常識があれば、無礼講という空気に逆らわず、かつ決定的な無礼は行わないのが正解です。
目をつけられたら、それこそポメロという物語がバッドエンドで完結してしまいます。
「……あー、なんで僕はあんな生き物のために、こんなに考え込んでいるんだろう」
ポメロはペンを机にぽいってしました。
時間を掛ける価値なんて、これっぽっちもありません。一ミリもないのです。
情熱を燃やす相手でもなければ、深淵を競うライバルではありません。ただの嵐です。通り過ぎるのを待つしかない、賑やかで迷惑な嵐。
「もう、いいや。……そういうことか。そういうことで、いいんだな」
そう呟いた瞬間、ポメロの中で何かがプツリと切れました。
それは、表現者としての矜持だったかもしれませんし、人間としての責任感の最後の一線だったのかもしれません。
「もう、どうにでもなーれ♪」
フォルテにこっちの思惑に乗せた行動を促すなんて、最初から放棄してしまえばいいのです。暴走を止めようとするから疲れるのです。
なら、僕はただの太鼓持ちになろう。
お嬢様が何かをやらかすたびに、「あーはいはい、お嬢様は最高ですね!」「さすがお嬢様、感服仕りました!」と、投げやりに褒めそやして、被害が自分に及ばないように、うまいこと周囲を言いくるめて回るのです。
保身。妥協。そして、諦念。
そんな、最低で最高に投げやりな気分を包み込んで、物語風の歌が産まれ始めました。
振り回される庶民の疲労感。
「あー、凄いですね(棒読み)」という、心のこもっていない賛辞。
お嬢様が「銭撒くどー!」と叫べば、遠い目でそれを「慈愛の雨」だと見ないふりをし、お嬢様が「ヤー!」と丸太を振れば、それを「革新的な舞踊」だと拍手で喝采。そんな、太鼓持ちのステップを刻むような、軽薄で、けれど妙にノリだけはいいメロディ。
(……あはは、なんだこれ。最低だ。でも、もうこれでいいや)
書き進めるうちに、ポメロの口角は勝手に吊り上がっていました。歌詞の中の太鼓持ち(僕ら)は、どんなに苦労して状況を整えても、最後にはフォルテの「ヤー!」という圧倒的なパワーに全てを台無しにされます。
その瞬間の、絶望と、そこから一周回って訪れる「たのしいきぶん」。
どうにでもなれ。
世界が壊れても、銭が舞っていればそれでいいじゃありませんか。
剣林弾雨に晒されようと、お嬢様が笑っていれば、それでいいじゃありませんか。
産みの苦しみなんてありませんでした。気づいたら、そこに産まれていたのです。
ポメロは完成した譜面を眺め、ふっと溜息を吐きました。
それは、これまでで一番力の抜けた、一番不誠実で、一番元気な歌でした。
「明日……聞かせてあげるよ、フォルテお嬢様。最高にたのしいきぶんになれる、太鼓持ちの歌をね」
ポメロは漆塗りのギターを抱き寄せ、一度だけ「ヤー!」の音を模した和音を鳴らしました。
部屋の外からは、まだフォルテが寝る間も惜しんで丸太を素振りしているような音が聞こえてきます。
ポメロは今度は苦笑することなく、ただ心地よい倦怠感に身を任せ、泥のような眠りへと落ちていきました。
───── ♬ ─────
「わたくし、【歌待ち女子】になりたいのですわ!」
開幕早々、朝の穏やかな空気を切り裂くぶっ飛んだ発言。一堂、口に含んでいたコーヒーやらスープやらを一斉にブー!
ここで解説!
良い子の皆にはあんまり知ってほしくない情報なのですが、歌待ち女子とは、ほら、あれです。特定都市の特定界隈でナンパ待ちのために立ち惚けてる女子たちで、気に入る歌を捧げてくれた男子とマッチング成功! 今夜はハッピーナイト!
そういう感じのアレです。
「誰だい、そんなイケナイ知識を教えた馬鹿は!」
返事も待たずに、ドリー婆さんの火掻き棒がデッカのケツにヒット! さらに無言のエレクトラさんのチョップが、正確無比な軌道でデッカの耳にヒット!
「冤罪ーっ!?」
「「却下!!」」
暗黒裁判、即日結審。
「いやいやいやいや! なんでそんなもんに憧れちゃったのさ!?」
ポメロは必死にフォルテの肩をゆすりました。
「このカーネギー観光裏情報誌に書かれていたのですわ! 何でも【歌待ち女子】になれば、殿方から沢山の歌を捧げていただけるのだとか……。わたくしも、歌を囁かれたいですわ!」
「それで?」
「それで?」
「そのあとは?」
「感想を言い合っておしまいでは?」
純情! 圧倒的なまでの無垢!
「ほらぁ……。だから俺ちゃん冤罪だって言ったのに! ……損害賠償を請求する!」
「「却下!!」」
控訴棄却! 差し戻しもなし!
「おいポメロ、どう説明するんだい、これ……」
「……ハードルが高い」
思春期坂を登り始めたばかりの二人にとって、夜の十四番舞台の深淵を説くのは説明難易度ヘルモード。
ですが、ここでデッカなどに任せたら、フォルテは余計な好奇心を最大限に発動させ、更なる阿鼻叫喚を巻き起こすのは確実です。あまりに危なすぎます。
そこへ、女神が降臨しました。
「フォルテちゃん、歌待ち女子になるためにはね、三年以上の居住と二十以上の年齢が必要なのよ。残念だけど、あなたにはまだ早いわ」
エレクトラの優しい嘘に、フォルテは丸太を抱えてジタバタと暴れだしました。
「ヤー! ヤーヤー! わたくしも歌を捧げられたいですのー! 殿方に跪かれたいですのー!」
ワガママ爆発。ですが、その瞬間。
ポメロの目が、チャンスを逃さない鋭い光を放ちました。
ポメロはスッとフォルテの前に歩み出ると、優雅に片膝をつきます。
「ではお嬢様、僭越ながら。このポメロめが。ランキング九位にまで登りつめた新進気鋭のトルバドールめが、お嬢様の為に歌を捧げましょう」
「よくってよ、よくってよ!」
一瞬で機嫌を直し、大興奮で身を乗り出すフォルテ。
「私めは、昨日のお嬢様との得難い思い出を、夜なべして歌に仕上げたのです」
「素晴らしいですわ!」
フォルテ、早くも大感動。
「聞いてください、タイトルは──」
『元気が有ってたいへんよろしい!』
───── ♬ ─────
なお、お嬢様はこの「投げやりな褒め殺し」の歌を字面通りに受け止めて、痛く感動されたのだとか。
しかたないね。
フォルテだし。




