一席
早緑が芽吹き、冬の湿り気を帯びた風が、春の陽光に乾かされ始めた頃のことです。
奏鳴荘の一階、奥まった場所にある空室では、舞い上がる綿埃と男たちの悲鳴が交差していました。
そこは長らく物置と化しており、歴代の店子たちが「いつか引き取る」と言い残して放置していった、呪物に近い重厚な家具やガラクタが地層を成しています。
「あひー、あひー……っ! 重い、重いってこれ! 中身入ってんだろ絶対!」
ポメロが顔を真っ赤にして箪笥の角を支えれば、反対側ではデッカが白目を剥いて震えていました。
「アウチッ! 腰が、俺ちゃんの腰が悲鳴を上げてるぜ」
「げほげほっ! 埃、凄すぎですよ……っ! デッカ先輩、弱音吐いてないで押してください!」
「昨晩、ムーディーにランバダった大事な腰が……ギブ、ギブアップだっあ゛ーーッ!!」
「だから埃っ……デッカ先輩、悲鳴上げてないで押してください!」
「なんか今日冷たくね? ポメロちゃん」
堆積した数年分、あるいは十数年分の綿埃とカビの臭いがポメロकी鼻腔を容赦なく蹂躙します。二人がそんな無様な格好で格闘しているのを、入り口で腕を組んだドリーが冷ややかに眺めていました。
「情けないね。大の大人が二人して! そんな細っこい腕で、よくもまあ表現者なんて名乗れたもんだよ」
「一応これでも農民上がりなんで、ドリーさんの期待値がおかしいと思う」
「で、ドリーさん。急にこの部屋片付けるってことはさ、新人でも来るワケ?」
デッカが埃を払いながら、下卑た笑いを浮かべてドリーを覗き込みます。
「期待しちゃうよ? 女? 美人? それともワケアリの未亡人系?」
「ふん。女の子だよ。まあ、見た目だけなら可愛いんじゃないかい?」
ドリーは一度言葉を切ると、火掻き棒の先端でポメロの背中を小突きました。
「……ただし、特大のワケアリだ」
その言葉の響きに、ポメロとデッカの動きがぴたりと止まります。
「アウチ」
「それ、事前に周知しといた方がいい情報ですかね?」
「ああ。特にお前ら二人にはね。だからこの作業を頼んだっていう面もあるんだよ」
「俺ちゃんとポメロちゃん? 女の好みも音楽性も、共通点なんて一つも見えねーけど?」
「ですです。僕、デッカ先輩みたいに節操なくないですよ」
ポメロの失礼な同意をデッカが小突いて遮る中、ドリーは重々しく口を開きました。
「まず、簡単な方から説明してやるよ、デッカ。今度来るお嬢ちゃんは本物の貴族令嬢だ。しかもエルプフィルっていう地方領主の───」
「あ、僕の故郷だ」
ポメロが素っ頓狂な声を上げました。
「そうだね、ポメロ。アンタの故郷は地方都市エルプフィルの山の際、どんづまりのド田舎にあるらしいね」
「言い方!」
「済まないね。だがエルプフィルという領都は、田舎だとナメることはできんよ。豊富な山林資源を背景に、その経済規模は既に伯爵領以上だという話だ。金も、権力も、たんまり持ってる。そういう家の本物のお嬢様なんだよ」
「はえー。僕、村から出たことなかったから知らなかったですけど……わかりました。つまり、スーパーお嬢様。ですね?」
「まあ、その理解でよしか。だからデッカ! アンタは絶対! 必ず! 神に誓って! そのお嬢様に手を出すんじゃないよ。いいかい!」
ドリーの眼光に射抜かれ、デッカは両手を上げて肩をすくめました。
「そんなメンドーな物件にゃ手を出さねーよ。俺ちゃんはへらへらと、波風立てずに日々を生きていたいワケ。いくら逆玉願われても、責任とか義務とかが重そーなのはゴメンだね」
「よし。その言葉、違えるんじゃないよ。アンタの首が飛ぶだけじゃ済まないからね」
「でもドリーさん、そんなスーパーお嬢様が、なんでわざわざこんな庶民的な奏鳴荘に来るんですか? それこそ、領主様のゲストハウスとか豪華なホテルにでも入ればいいじゃないですか」
ポメロの純粋な疑問に、ドリーはニヤリと、どこか邪悪な笑みを浮かべました。
「そこがワケアリ。そして、そこがポメロ、アンタに絡んでくるんだよ」
「え、僕に!?」
「そのお嬢様はね、ボウズが地元に残していった楽曲を聴いて、音楽に目覚めちまったそうなんだ」
「僕の歌が? お嬢様に?」
ポメロは自分の胸に手を当て、鼻の穴を膨らませました。
「へへー。あの頃の僕も、なかなかやるもんじゃないですか! 聞く耳があるお嬢様だなぁ」
「感心してる場合じゃないよ。お嬢様はね、尊敬するボウズに『弟子入り』したいんだそうだ。わざわざここに入るのも、その為だよ」
「……なんて?」
ポメロの思考が停止しました。デッカも横で口を半開きにしています。
「ボウズに弟子入り。しかも、その上で立派なアイドルになるんだとさ」
「……なんて?」
ポメロの口から、魂の抜けたような声が漏れます。
「アイドルに、弟子入り……えっ!?」
春の陽気とは裏腹に、奏鳴荘にはあまりに騒がしく、あまりに強烈な波乱の予感が、埃と共に舞い上がっていました。
───── ♬ ─────
その生き物は、奏鳴荘の玄関を「ドン!」という地響きのような音と共に、手にした丸太で突き拓きました。
「フォルテちゃんぷりちー♪」
奇妙な鳴き声を上げ、春の陽光を背負って踊り込んできた影に、住人たちは暴漢の襲撃か、あるいは新手の魔獣の類かと身を構えました。
いいえ、違います。
「ここがわたくしの第二の故郷、奏鳴荘ですわね!」
そこに立っていたのは、羽付き帽子を勝ち誇ったように戴き、外ハネしたライトパープルの髪を揺らす少女でした。シャープな顎のラインに、意志の強そうな大きなツリ目。ツンと尖った鼻の先からは、自信という名の熱気が放たれています。
そして何より目を引くのは、腰にぶら下げられた「¥」の記号が踊る、パンパンに膨らんだ革袋でした。
「今日からこちらでお世話になります、フォルテと申しますわ。ヤー!」
丸太を天高く掲げて気勢を上げる少女を前に、迎えに出た住人一同はポカンと口を開けて固まりました。ファーストインパクトは満点、ですがファーストインプレッションは赤点です。
「「「「……………。」」」」
家主の矜持か、あるいは数多の修羅場を越えた老婆の経験か。最初に我に返ったのはドリーでした。
「ようこそフォルテ。アタシが寮母のドリーだよ」
「ド、ドリーさん! 貴族様相手にその不遜な態度は───っ!」
顔を青くしたエピタフが慌てて割って入りますが、フォルテはそんな身分差など微塵も気にしていませんでした。
彼女は一堂に向き直ると、腹の底から元気に合言葉を叩きつけます。
「寮母は!?」
「「「「母親!」」」」
「同宿は!?」
「「「「兄弟!」」」」
条件反射とは恐ろしいものです。ドリーの教育が染み付いた住人たちは、思考より先に声を揃えて唱和してしまいました。
「おおーーーっほっほっほ! おおーーーっほっほっほ! 良くってよ、良くってよ! わたくしこのルール、ブチ気に入ってしまいましたの。ですので、失礼も無礼も問いません。わたくしの事を娘として、末妹として、どうか受け入れて欲しいのですわ!」
語尾のすべてに感嘆符がつくような、圧倒的な声の圧力。強い。
「……早速、部屋に案内しようかね。荷物はどうなってるんだい?」
「この銭袋と丸太、そしてリュックだけですの!」
「ほう。潔いというか、思い切りがいいねぇ」
「だって、せっかくの音楽の都デビューですもの! 生活用品はすべてこちらで揃えたいのですわ!」
フォルテは腰の銭袋から金貨を数枚、迷いなく掴み出すと──。
「銭まくどー♪」
妙に小慣れた節回しで、それを床へとバラまきました。
「村長最高!!」
反射的に吠えたのはポメロでした。その叫びと共に、住人一同は再び唖然として固まります。
「こちらのお金で、家具から衣装から生活必需品の一切を! お兄様、お姉様方に揃えていただきたいんですの! 一番いいのを頼む! おかわりもあるぞ!」
再び金貨が宙を舞い、石畳の床にチャリン、チャリンと、この世で最も即物的な「音楽」を響かせました。
───── ♬ ─────




