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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十一幕「目を閉じて私を見て」

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二席


 弁護士がノフラージェ売買に関する契約書や書類の束を持って現れた為、エレクトラの地獄の圧迫面接は唐突に終了しました。

 

 いいえ、違います。

 

 終了してなどいません。中断しただけです。


 銭ゲバ翁がエレクトラに向ける執着心は本物です。本物を超えてホンマモンでした。

 

 縋る気持ち。

 欲情に濁る瞳。

 崇める心。

 支配したいという欲求。

 

 それら全てに嘘はなく、それら全てが絡みあってエレクトラを縛ろうとしています。


 エレクトラにはそれが分かりました。飢えている。乾いている。そうした者同士のシンパシーを確かに感じました。

 

 ですが……決定的にエレクトラと銭ゲバ翁を分かつ要素がありました。


 それは「諦め」。

 しょうがないという想いの蓄積。

 ブルーズの精神です。


 おそらく翁は、これまでの多くの問題を銭で乗り越えて来たのでしょう。それはもはや信仰心、銭は無敵だという信念です。

 

 だから彼には【諦め】の色が薄いのでしょう。銭にものを言わせ、多くを従え、多くを破滅に追い込んで来たはずです。

 

 その彼の牙が、今エレクトラを噛み破ろうとしてきました。


 エレクトラは思います。歌いたい。歌声を通じて表現したい。世界を。情景を。想いを。私を。


 これまで何度だって折れかけました。夢を抱いて足元が定まらなかった頃には甘い言葉で騙されてDV男に捕まりました。自分の実力の程を理解した頃、歌を続ける為に力ある男に身を委ねた事も幾度かあります。共に頑張ろうと誓いあった仲間を出し抜いて契約を取り付けたことも。支えてくれた演奏者が自分から去っていく背を見送ったことも。


 苦い思い出。取り返せぬ後悔。

 人魚姫は深い海へと沈んでいきました。


 その、光差さぬ水底で。少女は女性へと変貌を遂げ。

 水圧に歌声は変質して。

 ようやく見つけたのです。

 自分にしか歌えない歌を。表現を。


 そこは決して檜舞台ではありませんでした。

 万人受けするような性質でもありませんでした。

 ですが、通じました。

 同じ痛みを知る、脆弱な魂の持ち主の心に。

 彼女はその手で触れることができたのです。


 それが、今。

 

 『わかるぢゃろ?』


 銭ゲバ翁のあの濁った瞳。エレクトラに対する独占欲が滲み出ていました。今更純情ぶる年齢でもありません。翁が抱きたいというなら抱かせてやってもいい。歌えるなら。表現し続けられるのなら。


 ですがきっと違います。確信がありました。しばらくはノフラージェのディーバを続けられるでしょう。

 

 しかしその内、オーディエンスからエレクトラに向けられる情欲を含んだ眼差しを、翁は我慢できなくなるはずです。歌に一時の救いを得て涙を流す者を見て、翁は我慢できなくなるでしょう。

 

 自分の持ち物が、自分の聖女が、他者に救いを齎すことを。


 ですがそれまでは……。

 しばらくの間は……。


 長年に渡って固定ステージのみで歌って来た弊害で、彼女は音楽界に対する自分の位置が分かりません。

 

 ナンバーズで通用するのか?

 ニストの路上で立ちすくむに終わるのか?


 自信はありません。美貌が歌に下駄を履かせていることは理解しています。年齢を重ね、その美貌に陰りが見えだしたことも気が付いています。その衰えは如何様な努力も無駄になることを知っています。


 ノフラージェ。あの箱庭を。水槽を。飛び出した人魚が棲める淀んだ海はあるのでしょうか。


 エレクトラは重い足を引きずって奏鳴荘にたどり着きます。

 

 既に夜中。


 ですが月光に照らされてベランダで叫ぶ少年の姿。



 ♪── 俺で塗れ!!!!



 ポメロ。



───── ♬ ─────



 主客一体の境地を手前勝手に歌い上げた『俺で塗れ!』。ポメロはやり場の無い憤りと行き詰まりを感じた時、この歌を歌い、熱を取り戻します。


 ブルーズでも良かったのでしょう。あれもまた明日を呼吸する為には必要な曲。ですが今日の気分は違いました。決して正せない力ある者たちの世界への浸食。声をあげるのにも力不足です。


 しょうがない。ですが「しょうがない」よりも遥かに「ちくしょう」の想いの方が強い。だから今夜は『俺で塗れ!』をセレクトしました。


 負け犬の遠吠え。リノが利用されていることを思い知らされてなお、行動のひとつも起こすことの出来ない尻尾を巻いた負け犬は、月に向かって吠えるがいい。


 そう思ってポメロは苛立ちの発散場所をベランダに選び……


「エレクトラさん……」


 自分を玄関口から見上げて透明な涙を流す、ベールを上げた喪服の彼女に気が付きました。


「お葬式だったんですか」


「四番舞台の晴れ姿。応援できないでごめんね」


 エレクトラは常に気配が薄い。それは彼女が自らの遺志で身を潜めているから。ですが今の彼女の気配の薄さには……らしからぬ儚さがありました。


 違和感。

 

 葬送した相手への悲しみや喪失感が、彼女を無防備にしているのかも知れません。ですが、ポメロの目にはそれだけではないと映りました。


 幼子が迷子になった自分に気づいて泣き出す寸前の様にも思えました。胸が締め付けられる思い。このままにしておけないという衝動。


 ポメロは一礼し、玄関を潜ろうとするエレクトラに声を掛けました。


「お話しできませんか」



───── ♬ ─────



 エレクトラの部屋は、どこか荒廃した風情がありました。

 

 全身の映る鏡に、化粧台。化粧品は膨大でした。化粧代の収納を超えて、キャビネットを一つ食いつぶすほど。


 反面、衣装の類は極端に少ないものと思われます。

 

 ステージ衣装は同じマーメイドドレスが三着。喪服。礼服。

 

 他の衣装はチープでした。添え付けのクローゼット一つで収まっています。

 

 彩のない部屋。

 

 装飾物はありません。

 

 あるのは三つほどの小さなトロフィーのみ。

 

 そのどれもが金色ではありませんでした。


「ふふっ……淋しい部屋でしょ?」


 カーキ色の芋ジャージの上下に着替えたエレクトラがいつもの笑み。彼女のパジャマはそれだと言います。


「なに? 話をしたいことって」


「したいというか…… 聞きたいなって」


「ふふっ……お姉さんの秘密を知りたいのね?」


 エレクトラが急に色気を醸しだします。ですが瞳が悪戯に弧を描いていました。


「からかわないでください」


「ごめんね。でも誰にだって秘密はあるし、美女なんだから猶更よ」


 ガードが固すぎます。自分が心配している、という気持ちを受け入れてくれない確信があります。大人と子供。工夫しても言い負かされる。情に訴えれば翻弄される。正面突破はいなされる。エレクトラとはそういう女性。一年近い付き合いでポメロには解っていました。


 だからこう、言ったのです。


「傷を舐め合いたいんです。僕も今日、エレクトラさんの好きな澱みを、沢山溜め込みましたよ」


 彼女の欲を、煽るために。


 エレクトラははっとなり、喜悦の色を瞳に宿しました。一瞬考え込んだ後、深く溜息をつきます。


「ずるいわね。もうそんな大人の手口を覚えたの? いずれはものすごい女泣かせになりそうね?」


「デッカ先輩みたいに?」


「は?」


 何かに触れた模様。軽口失敗!


「つまりはお互いの秘密を明かし合おうという交換条件ね?」


「ですです」


「ほんと君は、可愛くない子」


「ですかね」


「私の言葉に一喜一憂すらしてくれない」


「人間って慣れる生き物ですね」


 エレクトラの美人さは認めますが、性癖的には範囲外! これが匂い立つ極上の女のフェロモンからポメロの身を守る盾となっていました。


 エレクトラはため息をつきます。苦笑いと、少しの清々しさを伴って。



───── ♬ ─────



 ポメロは語りました。

 失望と怒りと諦めを、熱を入れて。

 主観的に。


 エレクトラは語りました。

 諦めと迷いと躊躇を、冷めた言葉で。

 客観的に。


 ポメロは受け止めました。

 エレクトラの話を、反発心と嫌悪感を以て。


 エレクトラは受け止めました。

 ポメロの話を、諦念と受容を以て。


 飲み下し、消化すること、しばし。

 二人はほぼ同時に頼みごとをしました。





「私に歌を作ってくれないかしら」


「八番舞台に挑戦して欲しいです」





 八番舞台。情念の吹き溜まり。

 演歌・涙歌・わかれうた。

 ドロドロとした情愛。乾いた諦観。

 人生の脱落者たちが集う一夜の宿り木。



 ブルーズの足が向かうところ、ポメロ。

 シャンソンの足が留まるところ、エレクトラ。



───── ♬ ─────




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