一席
モトロードは今日も元気に発狂していた。
「ポコアポコアポコアポコアポコォォ!!」
「また先生に発作が出たぞ! 楽器をどかせ! 楽譜をしまえ!」
養成所の門下生たちが蜂の巣をつついたような騒ぎになる中、初めて師匠の【産みの苦しみ】を目の当たりにしたエピタフもまた、連鎖するように発狂の兆しを見せます。
「師匠、お気を確かに! いかん音が乱れる! 乱れまくる! 乱れが蚊のカノンをををををを!?」
「エピタフ後輩しっかりしたまえ! 頭をかきむしるなァ! 師匠のような前頭部になってしまうぞォ!」
兄弟子の悲鳴に近い制止に、モトロードがぴたりと動きを止めて振り返りました。
「そういう言い方は傷つく」
「失礼」
一通りの混乱が落ち着いたのち。エピタフは、額の汗を拭いながら師へと向き直りました。
「師匠。産みの苦しみとは、これほどまでに辛いものなのですね」
「ええ。考えて考えて考え尽くしても、先人がすでにそこに音符を置いているのです。置いた途端に気づいたならまだましなものです。最悪なのは、譜面が完成してのち、批評家に『これは〇〇氏の借用だね』と指摘されることでしょう。ありがたいことではあるのですが……ああっ、アッチェラレンドォッ!?」
「師匠──ッ!」
再び加速しそうになった師の肩を掴み、エピタフは必死に現実へと繋ぎ止めます。
「……失礼。とまあ、取り乱してしまうものなのです」
「師匠は行き詰まったとき、どうなさるのです? ……若輩の分際でお恥ずかしながら、今の僕が、まさにそれなのです」
「スランプですか?」
「はい……」
モトロードは眉間の縦皺を深くし、マッチョな腕を組みました。
「そうですね。基本は考えぬく! 試行し続ける! ですが、本当に煮詰まるともはや楽譜は読み取れず、見るだけで吐き気を催すようになってしまいます。そうなったら……」
「そうなったら?」
「ほどよい休憩が必須でしょう。音楽からしばらく離れるか……あるいは」
「あるいは?」
「伝統派とは別アプローチの音楽に触れてみるか。まあ、あの九番舞台で『なかったこと』にされた演奏から考えて、我が弟子は私が言わずとも、とっくにそれをしているようですが……」
デビュー舞台で、鍵盤を最大音量でぶっ叩き続けた事件のことですね。
「ごほん! そのようなことを、師匠もされるのですか!?」
エピタフの驚愕に、モトロードは人差し指を立てて釘を刺しました。
「ほどよくですよ! ほどよく! 決して嵌ってはなりませんよ。お遊び程度で済ますのです」
「成程……ご指導、ありがたく!」
「いいかね我が弟子エピタフ。あくまで気分転換なのです。再び伝統と向き合う気力が湧くまでの、ほどよい余裕を得るための」
「ほどよい?」
「ほどよい!」
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公園ライブを長く続けていれば、その界隈というものが自然と出来上がるもので。
「ハーイ、マーエ、ヨーコ、ウシロッ、チョンチョンチョン♪」
ラフな民族衣装風のアクセサリーを四肢にじゃらじゃらとつけた褐色のお姉さんが、タンバリンをしゃんしゃん鳴らして踊る! 通称「フォーク姉」! 異民族なのでカタコトなのはご愛敬! ものすごいボディをお持ちだ!
パッパッ、プカフカ!
ホーナーのハーモニカを絶え間なく吹き続けるのは、無口な長身痩躯の「ハーモ兄」! 常に体を揺らしています! 不審者!
「ふぉっふぉっふぉ」
ボロボロのシルクハットに卵のような体。自前の折り畳み椅子に腰掛け、年季の入ったアコーディオンをぷかぷかと蛇腹を揺らして鳴らすのは「デオン夫妻」──の、夫のみ!
奥さんはお孫さんの夕食の準備のために一足先に抜けてしまいました。実に緩い連携。ですが、今の彼らにとってはその位がちょうどいいのです。
「形になってきたね」
ポメロが額の汗を袖で拭いながら、満足げに言います。
「今日はこの辺でいいんじゃないかの? はよう帰らぬと、わしの晩飯が食いつくされてしまう」
デオン夫が苦笑いします。デオン妻は孫に甘い。はらぺこの孫がおかわりを重ねればいくらでも許してしまいます……夫の食べる分すら、情け容赦なく!
「ワタシ、モット、フリツケ、スル」
異国から来たこの健康美あふれるフォーク姉は、本職はベリーダンサー。しかし今は、子供たちでも単純かつ集団で踊れるダンスを考案中なのです。
ハーモ兄は、感情の読めない顔でぺこりと一礼して公園を後にします。本業不明。言葉も無し。ですが、なぜかいつもそこにいる。音楽の面では確かに多大な貢献をしている、謎の男でした。
そう、この集団は、公園でライブをしている楽壇の中でも、特に子供受けをするタイプの界隈でした。
これまでは緩く連携したり、たまに合同ライブをする仲でしたが、デオン夫妻から【フォークダンス】を新たに創作しようという提案があり、それに同心して、こうして時間の合うときに自主練や創作を行っていました。
ゆるく。あくまで余技の範囲で。
……そう、ほどよく!
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奏鳴荘の夜分、夕食明けの食堂。皿の重なる音と微かな酒の匂いの中で、エピタフがポメロに絡みました。
「今日も遅かったな、ポメロ。最近はいつも夕食ギリギリだ。貴様のライブは三時頃には終わるはず……それからどこで油を売っているのだ?」
「え? ああ、ちょっと練習の後にね」
ポメロが呑気に答える横から、デッカが鼻をくんくんと鳴らして割り込みます。
「おっほー! 女の匂いがする!」
ポメロは少しも悪びれず、自分の袖を嗅ぎました。
「あ、やっぱり? 匂い移っちゃってたかな」
「なっ、何だと……!?」
エピタフが驚愕し、椅子を鳴らして立ち上がります。問い詰めようとするその剣幕を見て、デッカがニヤニヤと肩を揺らしました。
「イヒヒヒ! なんだよエピタフ、なに焦ってんだエピタフ? お前はポメロちゃんの恋人か何かか? この束縛系彼氏め!」
「誰がそのような不名誉な! 僕はただ、こいつの不摂生が伝統派の僕にまで悪影響を及ぼさないか懸念しているだけで──」
噛みつくエピタフを他所に、ポメロが種明かしをします。
真相は、フォーク姉の創作ダンスのお手伝いでした。慣れない振り付けで手を取り合って踊ったため、彼女が身に纏う民族的なスパイシーな香水の移り香がついていたのです。
なお、彼女の体はベリーダンスのせいで腰回りがぎゅっと締まっており、お尻もキュッと切れ上がっています。
ゆえにポメロの安産型を尊ぶ性癖許容範囲外! 残念ながらヒロイン化はありません!
最近のフォークダンスサークルの取り組みを楽しげに話すポメロに、エピタフは真顔で問いかけました。
「……そんな寄り道をしている余裕はあるのか? お前はもっと創作に熱情を傾けていた筈だ。そんな、誰でも弾けるような緩い曲のために時間を割くなど、解釈不一致だぞ」
ポメロは、漆塗りのギターケースを傍らに置いて答えます。
「熱情や衝動は、何かをきっかけに突然現れるものだよ。それは外部からの刺激に対する反応なんだ。だから僕は、わざと新しいことをする。それにね、皆の力を合わせてゆるーく合作するっていうのも、案外楽しいんだよ」
「楽しいってのは大事だぜ、ポメロちゃん」
デッカが追従し、手近な瓶からグラスに注ぎます。
「俺ちゃんは楽しいだけで生きていけるからな。……楽しく、な!」
話は音楽の理論から創作の深淵へ、そしてデッカの持ち込む緩い冗談と下世話なエロ話をぐるぐると巡ります。
これもまた、一つの円環でしょうか。
安酒が入り、話も巡ります。奏鳴荘の夜は、ほどよい熱を帯びて更けていきました。
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