二席
「よし、じゃ行こっかエピタフ」
「……なんて?」
室内で和音の論文を読んでいたエピタフは、当然のような顔をしたポメロに連れ出されました。
「どこに連れていく気だ、貴様」
「え? エピタフ、お前が昨日言ってたんじゃん。僕もフォークのサークルを見てみたいって」
「……言ったか?」
「言ってた。座った目で」
「座った目で」
エピタフにそんな記憶はありませんでした。ですがたしかにそう言ったのでしょう。なんならデッカ先輩が証人です!
深酒で飛んだ記憶! ちゃんぽんで緩んだ理性!
これだから飲酒は怖いのですよ。
新成人の皆さんにおかれましては、まず自分の酒量をしっかりと把握したうえで酒宴に臨んでいただきたい!
───── ♬ ─────
午前の公園。まずはデオン夫妻のライブを応援見学です。彼らは老後の人生の潤いのためにライブを開いています。生活に必要な金は十分。ゆえに演奏にも余裕があり、貫禄がありました。
「ほらほら、アメちゃんですよ」
わーっと子供たちが寄ってきます。
「今日はどんな曲が聴きたいかな?」
「煙突から入ってくる不審者のやつ!」
ファット・ポッサムの歌です!
♪── まっくろけのけのけのけ~~
♪── まっくろけ まっくろけ まっくろけ~~
煙突から落っこちて煤塗れになったポッサムを囃す『まっくろけ』です。これには子供たちが「まっくろけ! まっくろけ!」と大合唱でバカウケ! エピタフには何が良いのかさっぱり分かりませんが、隣のポメロも一緒になってバカウケしていました。
「……貴様、感性が子供すぎるだろう」
「お前も子供の頃を思い出して楽しめよ!」
「僕は……子供の頃は音叉脳に悩まされていたからな。楽しく音楽に触れたことなど、ない」
「……あ。なんかゴメン。僕、お前の過去を聴いてたのに、配慮が足りなかった」
「素直か」
素直だ! あざと味もあるがな!
しかし、あの頃と比べて──エピタフは思います。音のズレに対して耐性がついてきたのか。昔ほどは神経質にはなりません。
不快ですが……そう、硫黄を含む温泉のようです。はじめは鼻を摘まみたくなるような腐敗した卵の匂いを感じますが、温泉に浸かってしまえばその匂いは気にならなくなります。
このアコーディオンの響きのように、正確ではないテンポも、もう気になりません。
そこに被ってくるハーモニカの音色。
「ハーモ兄!」
デオン夫妻の背後に、痩せぎすの高身長が誰も気づかぬうちに立っていました。新手の都市伝説でしょうか。ですが、そのハーモニカの音色を聴いてエピタフは気づきます。
(──この音は、正しい音だ)
同門の匂い。見覚えのある容貌。エピタフは彼の本業を思い出しました。伝統派の管弦楽団に属する中堅クラリネッター。おそらくは彼も職務を離れて、ほどよい刺激を得るために吹いているのでしょう。
オー、パッキャドマオ!
(一流の管弦楽団員までもが、こんな土着の寄合所帯に……)
ハーモ兄の表情には、エピタフがかつて見たことのないリラックスが浮かんでいます。
(そうか、これが「ほどよく」か。外部の刺激か)
エピタフは拳を握ります。不遜な笑みが浮かび上がりました。
「なあ、ポメロ。いつでも参加できるとは限らないんだが……僕もこの会合に参加していいか?」
夕方、皆に快諾を得ました。
ですが。
「ドウシタノ? ネツアルカ?」
心配して、おでこにおでこを重ねてくるフォーク姉!
「あうあうあう」
エピタフもまた思春期坂を登り始めました。
───── ♬ ─────
「ジャンプ! シタイノ。ジャンプ!」
「済まんのう。年寄りはそれができんのだえ」
振り付けを巡って、フォーク姉とデオン妻の意見がぶつかりました。年齢の壁。確かに、このフォークダンスは子供が中心となるでしょう。フォーク姉の加えたいアレンジも、子供であれば難なく踊れるはずです。
ですが、足腰の弱ったお年寄りが体を捻ったタイミングで両足を地面から浮かせるなど──築かれるのは足首捻挫の山!
ぱんぱん、とポメロが手を叩きました。
「じゃあ、今日はこれまでってことで」
「うむ」
デオン夫が頷く頃には、ハーモ兄はすでに立ち去っていました。三々五々。
「時間、余っちゃったな」
「こういう日もあるさ」
ポメロとエピタフは、空いたベンチに腰掛けます。夕食の時間まで、あと三時間近くありました。
「ちょっとおさらいでもしようか」
「ああ。今のところ四曲が、ある程度纏まったな」
【輪になって踊ろう会】がライブを行うとするなら、あと一曲が必ず必要になります。五曲の縛り。女神ミューズが定めたとされるそれは、誰に罰せられずとも楽壇の人間は遵守します。それが音楽の都に生きる者の矜持でした。
「それなんだが」
エピタフは、温めていたアイデアをポメロに語り始めました。
「お前の初期の曲の中から、フォークソングにアレンジできないか?」
「初期作ね……」
『ヤコウ引水』。地元の英雄の偉業を称える叙事詩。
『麦刈るるぞ』。農夫の労働歌。
『風車が回った日』。風車の回転の力強さを奏でた曲。
『村長最高!』。作曲の報酬として村長に渡された銀貨の眩さに目がくらんだ曲。
「あ、村長は無しだな」
「なんで」
「そんな欲望塗れの歌、お子様にお出しできるか!」
「成金の太っ腹さを、十分表現しきれてると思うんだけど」
「なお悪いわ!」
エピタフはふん、と鼻を鳴らしました。
「まあ、ともかく。お前の許容できる全てのスコアを一度僕に回せ。ほどよくフォーク・アレンジメント出来そうな曲をピックしてやる」
いつもの尊大な態度。
編曲自体、この会合で初めて経験したというのに。まさに時代の驕児。その自信満々な態度が、ポメロの反骨心を煽ります。
「じゃあ──」
ポメロは、悪戯っぽく笑いながら一つのスコアを取り出しました。
『ムカつくあいつの歌』。
「お前、これは……」
エピタフは絶句しました。他者に対する【ムカつく】という感情と、ムカつき過ぎた自分への【羞恥心】が二分されている歪な構成。
この剥き出しのムカつきを、長閑なダンスメロディーにしろと言うのでしょうか? パートによって全く異なり、転調さえ含んでいる構成で、一体どう振り付けを合わせろと言うのです。
そして何より、極めつけは──ここに歌われる【ムカつくあいつ】が、エピタフ自身を指しているということ!
これは、ポメロからの挑戦状です。エピタフの胸に、冷徹な理論を超えた熱が灯りました。
「できるかな?」
「やってみせよう!」
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