三席
「まあ、そちらの方のお相手ができそうな子は、このヤンチャな子ではないですわな。少々失礼」
ギター仙人は焚火の少し奥に張ってあるテントに這い入り、一本のアコースティックギターを持ち出しました。 木目を幾重にも艶消しした、落ち着いた暗い茶色のボディです。
「この方はホールの内側にまで漆を重ね塗りした誠にシブい方でしてな。お蔭で音の反響が、ほら」
仙人がボトリングを滑らせれば、夜露を吸い込んだような哀切な音が響き、ピッキングを加えれば、剃刀のようにキレの良い音が空気を切り裂きました。
「この様に、弾き様によって反応が変わってくる。扱いの難しさはあるが、工夫のし甲斐がある。まあ、個性的なお方ですわ。音に色気はだせないんですがな。高齢童貞? ほっほっほ!」
枯れて軽妙な洒脱。その笑い声には、数多の夜を楽器と共に越えてきた者だけが持つ、柔らかな強さがありました。
「楽しい宴にしようじゃありませんか」
仙人が緩いアルペジオを爪弾き始めます。A/C#-Bm7-G(add9)-Gm(onD)。一通り進行させると旋律を止め、ポメロを見て「どうぞ」とばかりにハンドサインを送りました。
ポメロもそれを受けます。
愛器のネックを握る手に、わずかな震えがありました。
「ああ、わかってることかも知れませんが、低音弦は強く弾かないでください。ボディに限界がきてますので」
仙人の忠告を胸に、ポメロは弦に触れました。A/C#-Bm7-G(add9)-Gm(onD)。使うのは、高音三弦のみ。もうこの時点では、セオリーなどどこかへ吹き飛んでいました。ポメロは繰り返します。祈るように、愛しむように。
すると、仙人が応えて奏で始めました。低音三弦。オクターブの低い、地の底を這うような音。ポメロは即座に察しました。ベースです。バリトンです。
仙人はギターという楽器一つで、アンサンブルの屋台骨を支える演奏をしてみせ、ポメロに無言のメッセージを伝えてきました。
高音三弦。ポメロは応えます。もう、ほかに決まりごとはありません。相棒の最後を看取るため、ポメロは奏でます。楽しい曲を。悲しい別れではなく、これまでの長い旅路、共にあることができた喜びを奏でました。
突如、仙人のフレットが跳ねました。
仙人は勢いよく立ち上がり、頭を縦に振ります。ノッて来ました!
決して乱痴気騒ぎのノリノリではありません。けれど、魂が楽しいと叫べば、身体は自然と動きます。
ポメロも立ち上がります。仙人の隣に並びました。互いに見つめ合い、ギターのボディ同士を近づけました。
共鳴。
音楽は続きます。老人の肝斑だらけの額には汗が滲み、丸眼鏡が上気で白く曇りました。
ポメロのエび髪は、主人の高揚を映し出すように、尻尾を振る犬のように激しく跳ねていました。
首の動きで返歌をつけ、音の粒を夜の森へと投げ込んでいきました。
音楽は続きます。それは二人だけの、あまりに贅沢なライブパフォーマンス。
パチッ、と焚火が大きく爆ぜました。夜の闇の中、ここにだけ存在する、純粋で濃密な熱源。
音楽は続きます。終わりの時を、今はまだ、誰も口にはしませんでした。
───── ♬ ─────
それなのに──
だからこそ──
ポメロの熱情が、目覚めてしまいました。
───── ♬ ─────
音楽は続いています。
「…………」
A/C#-Bm7-G(add9)-Gm(onD)
ポメロが奏でるのは高音三弦のみ。
「…………」
A/C#-Bm7-G(add9)-Gm(onD)
仙人が奏でるのは低音三弦のみ。それがルール。作法。壊れゆく愛器を労わるための、唯一の安全圏。そのはずだったのですが。
ポメロの指が、低音一弦に、伸びました。
走る不協和音。仙人は一瞬体の動きを止めたが、演奏に乱れはありません。
音楽は続いています。
ポメロは奏でました。Am。
ジャムのルールを逸脱するコード。エアクラッシュ。
自己愛の強い演奏者は時に心地よいジャムセッションを崩してまでも、おれのほうをみろ!とばかりに癇癪の如き主張をする者もいます。ポメロもその類でしょうか。
「主客一体」の精神は、五分のセッションをもすら我慢できないのでしょうか。
いいえ、違いました。
仙人が気づかわし気に見つめたポメロの顔には苦悩の色がありました。仙人は音をまばらにしはじめ……演奏を止め……同じく演奏を止めたポメロに、静かに尋ねました。
「お別れがつらくなりましたか?」
「そんな人がましい話じゃないんです」
「するとどういった?」
「熱情が……僕に背を向けようとしているんです。楽曲が僕を置いて行こうとしているんです。……作曲への衝動が、止められなくなりました」
ポメロの指先が動いています。産まれようとするポエジーとメロディーを一粒たりとも逃すまいと、五体を通して描いています。
仙人は尋ねます。
「それは、相棒の弔いよりも大切なことですか?」
「はい」
「ひとでなしですね」
「はい」
「自分勝手ですね」
「はい」
「これですべてぶちこわしですよ」
「はい」
「親友の死に目まで利用して、音楽にするんですか」
「はい」
「でも、とまらないんですよね」
「はい」
仙人は笑む。あまりにナチュラルで、ニュートラル。この深い森そのものの化身が、季節の移ろいを語るような自然さでした。
「君は演奏者ではなく表現者です」
「はい」
「使いつぶしなさい。そのギターを。あなたの創作衝動の焚火に、燃料として投げ入れなさい」
仙人はポメロの返答を待たず、自らのテントへと姿を消しました。
肩掛けカバンの中にはいつだって藁半紙とペンと白紙の五線譜があります。
ポメロはそれらを取り出しました。
ひとでなしの時間だ。
───── ♬ ─────




