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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第十七幕「バイバイ。」

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二席


 職人街の片隅に佇むその工房は、入り口の無機質な印象とは裏腹に、内部は音楽の神殿のような厳格な美しさに満ちていました。


 高い天井まで伸びた陳列棚には、緻密な象嵌細工が施された楽器たちが、静謐な輝きを放ちながら並んでいます。装飾品としての完成度も極めて高く、メインを張るのは、飴色の輝きを放つ数多のバイオリンです。


 次いでチェロやヴィオラといった弦楽四重奏の面々が、王の随行員のように恭しく控えていました。


 ここまでで展示楽器の八割──。その圧倒的な正統の物量に、ギターという野卑な楽器は気圧されるしかありませんでした。


「このような数打ち、わざわざ修理する価値もなかろうに」


 ポメロが持ち込んだギターを一瞥したマイスターは、彼の愛器に手を伸ばすことすらしませんでした。


 数打ち── それはボディやネックを機械的に削り取った規格品を指し、職人が魂を込めて削り出す一点物ではなく、工房が効率的に生産する消耗品。


 誇りある職人の眼からすれば、それは音楽を奏でるための聖杯ではなく、唾棄すべき木屑の塊でしかありませんでした。


「すまん、ポメロ」


 エピタフが苦渋に満ちた声を漏らしました。これは彼の落ち度でした。


 いくら弱冠十五歳にして九番舞台に立つ俊英とて、職人という生き物との付き合い方までは、まだ学んではいなかったのでした。


「で、どうするんだ若造。新しいギターなら造ってやれる。既存品なら、ほれ。そこの棚に並べてある。試し弾きしたいならしてもいい。決まったらベルを鳴らせ。要らんなら出ていけ」


 ぶっきらぼうで礼を失した態度。尊大。伝統派としての誇りと仕草はどこへ行ったのか。ですが、【マイスター】とまで呼ばれる楽器職人はそうしたものなのです。


 己の腕と目に絶大な信頼を置き、常に創作に向き合っている。他者の顔色を伺う余裕など皆無。しかもポメロは、数打ちという大量生産品を、この偉大なる職人に直せないかと問いかけたのです。


 逆にこの行為こそが無礼であり、職人のプライドを逆撫でする行為でした。ケツを蹴り上げて「二度とツラを見せんな」と出禁にされてもおかしくありません。


 そう考えれば、このマイスターの言葉と態度は、職人としては非常に抑制の利いた、温和な対応であったとも言えるでしょう。


 ポメロは、棚に並ぶ数少ないギターへと視線を移しました。


 それは、音楽に詳しくない者が見たとしても一目でわかる名品揃いでした。


 おのぼりさんが担いでいるような、馬面を晒している左右対称な野暮なギターはここにはありません。


 右利き用に完璧に調整された重心に、なまめかしいボディのカーブが色を添えていました。


 使用されているトーンウッドは、そのきめ細かく歪みの少ない年輪から見るに、本邦の最高級品と謳われるエルプフィル=ローズウッドに相違ありません。


 添えられた値札は金貨数枚。ギターという楽器に付けられる価格としては、おそらく最高峰。


 手にした瞬間に至高の響きを約束された、選ばれし者のための名品です。


 ですが──そこに施された、伝統的なタペストリを模した細緻な装飾が。金粉を施した上でわざわざ艶消しを重ね、あえて反射を落ち着かせたボディの角が、どうにもポメロの感性にはマッチしませんでした。


 これらは公園やストリートで、風に吹かれながら演奏されるべきものではありません。


 煌びやかなホールの上で、聴衆を見下ろしながら奏でられるための「鼻持ちならん顔」をしている。そう、ポメロには思えてならなかったのでした。


 ですから──。


「どうする、ポメロ」


 エピタフが横から声をかけますが、ポメロはただ、作業台の上に放置されたボロボロの相棒を、静かにケースへと収めました。


「出直すよ」



───── ♬ ─────



 それからのひと月近く、ポメロは折を見ては楽器店を訪ね歩きました。


 ですが、どの店を訪れても、返ってくるのは冷淡な拒絶の言葉ばかりでした。


 調査の末にようやく突き止めた愛器の製造元工房にさえも、「この形式はもはや製造中止されている。当方に修復する技術は無い」と門前払いされました。


 カーネギーの市街地に存在する名だたる修理工房、製造元はすべて回ったと言ってよいでしょう。


 今にして思えば、最初にエピタフが連れて行ってくれた伝統派の楽器工房が、最も誠実で、最も質の良い楽器を揃えていました。


 ですが、ポメロは半ば意地になっていました。都に見放された「数打ち」を抱え、彼はカーネギーの外──周辺の衛星村落にまで足を伸ばしました。


 『あの工房は、都の工房を引退した爺さんが趣味でやってる、採算度外視の店だよ。とにかく修理に情熱を傾けていて、どんな安楽器だって直してくれるって評判だ』


 そんな噂を聞きつけたからです。


 旅程は三日。秋の深まりとともに、風は鋭い冷気を帯び始めています。


 肩に食い込むギターの重みと、薄い外套を通り抜ける肌寒さに耐えながら、ようやく辿り着いたその場所で。


「……はるばるカーネギーから尋ねて来られたのに、ごめんなさいねぇ。お爺さんは春先に倒れて、それっきり……」


「…………失礼しました」


 無駄足でした。


 とぼとぼと帰途につくポメロの足取りは重いものでした。



───── ♬ ─────



 その日の晩、彼は街道沿いにある旅商人の停泊地に腰を下ろしました。管理者のいない野ざらしの広場で、他に利用客の姿もありません。


 完全な静寂。


 秋の虫たちの合唱も、日をまたぐ頃には寒さに凍えたようにぴたりと止まりました。


 見上げる空に星は無く、重たい雲が光を遮っています。


 森の奥からは時折、正体不明の獣の気配が漂い、ポメロの胸にじわじわと孤独な不安を広げていくのでした。


 都の喧騒が遠のくほど、自分という存在が暗闇に溶けて消えてしまいそうな、そんな錯覚に陥った時。


 「にゃあーーおぅーー」


 沈黙の底を割って、かすかな猫の声が届きました。


 ねこかわいい。


 ポメロの心には、かつて共に過ごしたリノの、あの猫を慈しむ気持ちが深く刻まれています。


 こんな人里離れた、光も届かぬ、冷え込む夜に、一匹で鳴いている猫を放置などできるはずもありません。


 ねこかわいいので。保護条例もあるのですから。


 ポメロは外套を固く合わせ、声のする方へと足を進めました。


「にゃごにゃご」


 近づくにつれ、声は機嫌の良さそうな響きに変わりました。


(よかった、怖がってはいないんだな)


 暗い木々の隙間に、ゆらゆらと爆ぜるオレンジ色の光が見えました。焚火でした。


 人の気配に、ポメロの強張っていた肩の力がふっと抜けます。


 火の傍らに、猫背の老人が一人、背を向けて腰を下ろしていました。


 使い古された羽織を引っ掛けたその背中は、どこかこの森の古木の一部であるかのような、奇妙な静謐さを纏っています。


「なーーう」


 老人の膝の上から、また猫の声がしました。


「おや、こんな夜分にお客人ですかな?」


 老人がゆっくりと振り向きます。丸眼鏡の奥の瞳が、焚火の光を反射して怪しく光りました。


 そしてポメロは目を見開きます。老人の膝の上にいたのは、猫ではありませんでした。


 それは、血のように赤い、奇怪な形状をしたエレキギターでした。


「あの、猫は……?」


 ポメロの問いに、老人は言葉でなく、ギターで答えました。


 老人の自作らしき、奇妙な回路が剥き出しになったエフェクターが、膝で踏み込まれました。


 と同時に、老人が左手の指に差した真鍮製のボトルネックを弦の上で躍らせ、ワウペダルを絶妙な塩梅で煽った瞬間──。


「ふしゃ──! ミャアアァァァ──ッ!!」


 スピーカーからは、もはや電子音とは思えない、喉を震わせる生々しい猫の威嚇音が放たれました。


 それは、暗闇に潜む悪霊を追い払うまじないのような、鋭くもどこか生身の体温を感じさせる咆哮でした。



───── ♬ ─────



「ばうわう」


 老人の膝の上で、赤いギターが小さく喉を鳴らすように吠えました。


「そうですか。そのギターを修理したいと」


「ええ。どんなギターでも修理してくれる方だと聞いて、一縷の望みをかけてここまで来たんです。でも……」


「あの方は創作よりも修繕……そのことに熱意を注げる稀有な職人でした。また一人、戦友を失ってしまいましたなぁ」


 老人は寂しげに目を細め、静かに火を見つめました。


「きゅーん」


 ポメロの落胆と、老人の追悼に同調するように、ギターが今度は鼻を鳴らす子犬のような甘えた声を出します。


 老人は丸眼鏡を指で押し上げ、穏やかな笑みを浮かべました。


「一度見せてもらってもかまいませんかな? これでもギターには一家言ありまして」


「ええ、見て頂ければ」


 老人はポメロから手渡された傷だらけのギターを、まるで壊れ物を扱うように丁重に受け取りました。彼は懐からウォッチメーカーズ・ルーペを取り出して左目に装着すると、ギターを頭上に掲げ、焚火の明かりにかざしました。


 表、裏、側面──。何度も角度を変え、木目の微細な動きや、目に見えぬほどの塗装のクラックを、独り言を呟きながら丹念に追っていきます。


 その手つきには、先ほど訪ねた高級職人のような選別の冷酷さは微塵もありませんでした。そこにあるのは、一つの命に向き合う深い慈しみでした。


 ポメロはその所作の中に、言葉を超えた楽器への愛情を感じ取り、まだ何も始まっていないというのに、胸の奥で静かな感謝の念が芽生えるのを感じていたのでした。


 十五分ほどの沈黙の後、老人はゆっくりとルーペを外し、ギターをポメロへと返しました。


「まことに残念なお話ですが」


 老人は静かに、しかし明確な三つの死因を告げました。


「第一に、内部のブレーシング──力木の剥離が絶望的ですな。湿気を吸い、乾燥を繰り返したことで、木が自身の張力に耐えられず内側から弾けてしまっている。心臓の動脈が裂けているようなものです」


「第二に、ネック材の細胞崩壊。雨に晒されたことで木維に致命的な変質が起きています。もはやトラスロッドを回したところで、弦の張力を受け止める筋力は戻りますまい。どれほど調律を施しても、すぐに音は迷子になる」


「第三に、トップ板の疲労骨折。数打ちとはいえ、この六年の間に貴方が込めた熱量はあまりに大きすぎた。木が響くための許容量を使い果たし、振動を伝えるためのしなやかさが、灰のようになって失われています」


 老人は焚火を見つめ、どこか晴れやかな顔で言葉を括りました。


「いわば天寿を全うしつつある老人といったところですな。私と同じで」


 その笑いに、自嘲の響きはありません。あまりにナチュラルで、ニュートラル。この深い森そのものの化身が、季節の移ろいを語るような自然さでした。


「そうですか……」


 都の工房ではあんなに反発したのに、この老人に引導を渡されると、不思議とすとんと腹に落ちました。これほどの男がそう言うのなら、もう、仕方がない。


 ポメロが諦めの境地に達した、その時でした。


「でも、このギターはまだ歌いたがっている。音楽の楽しい響きを胸に旅立ちたがっているように見えましてね。お兄さん、こんな年寄りと混ざり合うのもお嫌でしょうが、これも縁」


 老人は赤いギターを再び構え、不敵に、そして悪戯っぽく微笑みました。


「ひとつこのギター仙人と、楽しいジャムセッション遊びでもしませんかな?」



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