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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第十五幕『一人寝にスライム』

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二席


 夜半の居酒屋【銀の弦亭】。

 

 そこは音楽の都カーネギーが誇る、華やかな歌劇場の裏側に溜まった、さえないおっちゃん達の吹き溜まりのような場所でした。高級おもてなし志向の【ノフラージェ】とは何もかもが正反対。


 安酒の酸っぱい臭いと、煮込み鍋から立ち昇る獣脂の湯気。そして、人生のどこかで道を踏み外した、あるいは最初から道などなかった男ヤモメ共の、怒号に近い笑い声が渦巻いています。


「つまりフェルマータとは、隠語だ」


「もうやだーこの酔っ払い」


 いつまでもエロ講釈のネタが尽きぬデッカに、そろそろ帰りたいポメロ。


 そんな攻防をよそに、にわかに、周囲の酔漢共がざわめきだしました。


 その熱量は、単なる酒席の盛り上がりとは明らかに異質でした。


「……来る。来るのか?」


「今夜は静かだと思ってたが、やっぱりこの時間はヤツの独壇場か!」


「サプライズゲリラライブか!? おい、今のうちにジョッキを満タンにしておけ!」


 ポメロは、デッカに連れられて座った隅っこの席で、その異様な空気感に身を縮めていました。


 デッカはすべてを分かっているらしく、空になったジョッキをテーブルに叩きつけると、口角を吊り上げてイヒヒと心底楽しそうに笑いました。


「いいかポメロ……耳の穴かっぽじって待ってな。俺ちゃんの講義がシモネタの極北なら……今から現れるヤツのは赤道直下だぜ」


 その直後!


 居酒屋の年季の入った引き戸が、まるで爆風を受けたかのように乱暴に開け放たれた!

 

 ババーーーーン!


 冷たい夜風と共に、一人の男が躍り込んできます。その姿が店内の鈍い照明に照らされた瞬間、ポメロは自分の目を疑いました。


 全身、目に眩しいほどの白タイツ。


 一分の隙もないほどにぴっちりと肉体に張り付いたそれは、男のいびつな体輪郭を余すところなく強調しています。


「おゲフィンですんましぇ~~ん!!」


 あ、ダメだこいつ。ていうかダメだこの幕。


「ゲフィン来た!」

 

「ゲフィン来たぞおおお!」


「待ってたぜ、この変態野郎!」


 酔漢どもは椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、割れんばかりの拍手と口笛で彼を迎えました。


 それはもう、一種の信仰に近い熱狂でした。


「大将! 一番いい野菜をくれ!」


 全身白タイツの男──ゲフィンはカウンターへ突進すると、大将から差し出された、見事なまでに青々と茂った凝縮された森の如き密度を誇る野菜をひったくりました。


 あー、もう。もうもう。

 こうなったら私も開き直って情景描写しちゃいますよ!

 お銚子一本持ってきて!

 

 彼の顔には、もはや皮膚の一部と化したような鼻眼鏡が鎮座しています。その胸元には、首紐から無造作に下げられた木製の打楽器──マリンバが、彼の不規則な動きに合わせて不気味な音を立てていました。


 そして……ポメロは見てはならないものを見てしまいました。

 

 臍の下、白タイツのさらに外側に、ほどよいサイズの季節の野菜、一本と二個が、荒縄でほどよい位置にぶら下げられているではありませんか!

 

 まるで……いや、皆まで言うまい。

 

 男という生き物の業を象徴するメタファー。それで十分です。


「な、なな、なんですかこれは……!? 音楽の都の裏側って、こんなに恐ろしい場所なんですか!?」


 戦慄し、椅子から転げ落ちそうになるポメロの肩を、デッカが「まあまあ」となだめます。


 デッカを指さして、ゲフィンは鼻眼鏡をクイと上げ、不敵な笑みを浮かべました。


 「そこなる青年。おぢさんのことを赤道直下だと言ったね……惜しいな。おぢさんは【熱帯雨林ジャングル】だ!」


 ゲフィンは叫ぶが早いか、手に持っていた凝縮された森の如き密度を誇る野菜を、あろうことか、一本野菜の上に、まるでもさもさと茂る密林のごとく装着しました。


 凝縮した森のような野菜を指差して、繰り返します。

 

「熱帯雨林だ」


「イヒヒヒヒ!」


 デッカが大爆笑し、店内の酔漢共も涙を流して机を叩きます。


「はぁい酔っ払いのみんな、ワンバンコ! みんなの愛すべきバカ、ゲフィンおぢさんがやってきましたよ? この時間まで呑んでる酔っ払いは、ねー、ちゃんと、しけこむことに失敗した、ソロワンコどもばかりだろうから、おぢさんが取っておきの下品なソングをプレゼントしちゃうぜぇ!」


 ゲフィンはマリンバのバチ──マレットを構えました。


 その瞬間、彼の空気が変わりました。ふざけきった格好とは裏腹に、構えには一分の隙もありません。


「新曲です。『一人寝にスライム』。掛け声は『ほどよい』。お試しください」


 コーン、と乾いた音が店内に響きました。


 ♪── この腰つきがぁ~ 腰つきのぉ~


 ゲフィンが艶かしく、そして正確なリズムで腰を振り始めると、マリンバが木質の温かくも、どこか卑劣な音色を奏で始めました。


 ♪── 振るえぬ夜に~ むせび泣き~


 知らぬ同士が小皿を叩き、「シッチョコヤッチョコ、ドッコイサー!」と囃し立てます。……変なところまで広まってるゥ!?


 ♪── 指先濡れて~ 塵とたはむる~


 興が乗ってきたところで、パーカッションが電撃参戦しました。デッカです!

 

 華麗なる腰つきと、這いまわる蜘蛛の如きソフトな、それでいて力強い指先でコンガを情熱的に愛撫します。


 ツッテケポコテケ! ポッポンテッテ!

 

 鳥肌間違いなしのプロの技!


 「狂騒」!


 それは、十三番舞台で嫌というほど出てきた暴徒オーディエンスたちの定冠詞でした。そして今、この酔漢共の定冠詞にも相応しい。二冠達成!


 しかし待って欲しい。

 

 同じ物騒な文字を掛け合わせた定冠だが、意味はまるきり違います。


 片や十三番。

 あちらは、すべてを壊し尽くそうとする破壊と攻撃!

 

 片や居酒屋。

 こちらは、すべてを笑い飛ばそうとするエロスと下品!


 伝統派諸氏の目には、いずれ劣らぬ下劣極まりない光景と映るでしょう。

 ですがポメロはそう感じませんでした。


(楽しい!)


 その圧倒的なエネルギー、理屈を超えた生命の躍動。

 ポメロは、いつの間にかその雰囲気に親和していました。

 

 笑った。

 

 ポメロが、笑ったのです!


 伸ばした手がリノに届かなかった、あの大丈夫な振りをしていた絶望的な別れの日以来。心の奥底に重く沈殿していた澱を抱え、息をするのも苦しかったあの日々を超えて。

 

 彼はついに、本当の笑顔を取り戻したのです。


「あは……」


 ドリーの深い老婆心による説教でもなく、エピタフの不器用すぎる気遣いでもありませんでした。

 

 つい先ほど、デッカから聞いた「エレクトラがシッチョコヤッチョコと鼻歌を歌っていた」という話。あの時も確かに笑いました。

 

 けれど、それはあくまで想定外のギャップに対する「面白さ」であって、心が躍るような「楽しさ」ではありませんでした。


「「「ほどよい! ほどよい!」」」

 

 今、目の前で白タイツを穿き、野菜をほどよい地点にぶら下げて踊る、一見して救いようのないお下劣おぢさん。

 

 彼が演出した、サイテーなおっちゃんズフェスティバル。

 

 そこには、高尚な理念も、洗練された芸術性もありません。

 

 ただ、今この瞬間を「ほどよく」楽しく生きるための、泥にまみれた音楽がありました。

 

 面白いからではなく、ただ純粋に、楽しいから笑えたのです!


 リノの大好きだった、ポメロの向日葵のような笑顔。一点の曇りもない、純真な笑顔が、居酒屋の紫煙の中に咲きました。


 こまるなあ。こんなきったねえ復活しちゃうなんて。

 

 真顔でシリアスやってたエレクトラさんがかわいそう。


「あはははは!」


 ポメロは、足元に立てかけてあったギターケースを勢いよく開けました。


「コード進行は掴んだな、ポメロちゃん!」


 デッカがコンガを叩きながら叫びます。

 

 ゲフィンがギロリとポメロに大きく季節のお野菜の一本を突き出し、問いかけました。


「弾けるのか、お稚児さん?」


「ポメロ! ギ両刀ノリノリ!」


 ポメロは叫び、ギターを弾き鳴らし──ません!


 祭りの神輿はゲフィン!


 酔漢どもは、熱狂して神輿を担ぐ担ぎ手!

 

 ならばデッカとポメロは、その祭りを彩る囃し手です!


 マリンバの邪魔をせぬデッカ。ならばポメロは──歌を引き立てる演奏!

 

 ヘルプ時代のフロントマンを立てる脇役的立ち回りの経験が、今、最高に生きています。


 ♪── スライムを~ アツアツ湯船で温めて~♪


「ほどよい!(ほどよい!)」


「ほどよい!(ほどよい!)」


 ♪── 白い秋桜固めの45秒、しだれ桜はとろとろ20秒! ホイ!


「ほどよい!(ほどよい!)」


「ほどよい!(ほどよい!)」


 唐突だが諸君、花言葉って素敵だよね!


「ほどよい!(デッカ)」


「ほどよい!(ポメロ)」


 居酒屋の温度は最高潮に達しました。


 ポメロは、ギターの弦から伝わる振動を、指先ではなく魂で感じていました。


 ドロドロの欲望も、下品な笑いも、すべてを包み込んで、人を笑顔にすることができる。


 伝統派が切り捨てた「不正解」こそが、今、自分を救ってくれている。


「……ほどよい……本当に、ほどよいです……!」


 完璧なグルーヴ。

 絶えない笑い声。

 全身を突き抜けるような解放感。


 アンタらサイコーにサイテーだわ!


 やがて、祭りのピークが過ぎ、心地よい疲労感が潮のように押し寄せてきました。

 

 ポメロは、ギターを抱えたまま、カウンターの端で満足げな吐息を漏らしました。


(リノ……僕、また笑えるようになったよ……)


 その幸福な思考を最後に、ポメロの意識は深い闇へと沈んでいきました。

 

 安酒の匂いと、マリンバの余韻に包まれながら。


 ZZZ…… 寝落ち!



───── ♬ ─────



 翌朝、奏鳴荘の食堂。


 差し込む朝陽が白い湯気を照らし、いつものように穏やかな朝食の時間が流れているはずでした。

 

 しかし、そこには一人、魂をどこか遠くのドブ川に落としてきたような顔で、スプーンを止めたままのポメロがいました。


「……おい。何なんだ、その今すぐ聖歌隊にでも入って魂を浄化したいと言わんばかりの不審な顔は。不愉快だぞ、ポメロ」


 向かいに座るエピタフが、カリカリに焼かれたトーストを齧りながら、眼鏡越しに巨大化された真っ黒な瞳でポメロを射抜きます。


「あ、あはは。エピタフ……。伝統派の交響曲ってさ……最後の一音でイッちゃうためにあるのかな……」


「……死ぬか? 貴様、今すぐ聖域を汚した罪で絞首刑になりたいのか?」


 エピタフのフォークが、震えるほどの怒りで皿を叩きました。


 一方、その隣ではエレクトラが、どこか艶やかな雰囲気を纏って、細い指先でカップを傾けています。


 「おはよう、ポメロ君。……なんだか、昨日の夜は随分と賑やかだったみたいね。デッカと一緒に、どこへ行っていたのかしら?」


「ひ、ひえっ! エレクトラさん! あ、あの、違うんです! 『濡れ鼠のブルーズ』は、決して、その、エレクトラさんに子供を産んでほしいとか、そういう前戯とかでは……っ!」


「……あら?」


 エレクトラの動きが止まり、湛えた微笑みの裏側で、スッと温度が下がりました。


「……産んでほしい? 前戯? ……ポメロ君。誰が、そんな素敵な解釈を君に教えたのかしら?」


「あ、いえ! デッカ先輩が、音楽は結局【抱かせろ】か【抱いてくれ】の二種類しかないって……! じゃあ僕の『お茶』はどっちなんだろうって考えちゃって……!」


 ポメロが必死に弁明すればするほど、食堂の空気は冷気から殺気へと変質していきます。

 

 その時、食堂の奥から、カツン、カツンと乾いた、けれど逃げ場のない足音が響きました。


「……へぇ。面白そうな話をしてるじゃないか、ボウズ」


 現れたのは、トリガラと見紛うほどに細い体躯を揺らしたドリーおばあさんでした。

 

 その細い腕に握られた火掻き棒が床を擦り、キィィ、と嫌な音を立てます。ドリーの眉間には、深い警告の皴が刻まれたままでした。


「アタシの大事な店子を、どこのどいつがそんな不協和音で汚したんだい? ……正直に言いな。そいつのケツに良識を叩き込んでやるよ」


 ヒュンッ、と火掻き棒が空気を切り裂きました。その完璧なスイングに、ポメロの生存本能が悲鳴を上げます。


「デ、デッカ先輩です! 全部デッカ先輩の講義です! それと白タイツのマリンバ男がスライムがどうとか……!」


 ドリーは火掻き棒を構え直し、鋭い眼光を放ちました。


「デッカをつかまえろ!」


「ヤツならまだ部屋で寝てるはずです」


 即座にエピタフが、伝統派の名誉を汚された怒りを込めて応じます。

 

 エレクトラは静かに席を立ち、青白い殺気を纏わせて囁きました。


「全殺しまでならいいわね?」


「「OK!」」


 ポメロは青くなって懇願します。


「ほどよい! ほどよい制裁でお願いします!」


「後ろ向きに善処するよ」


 ドリーとエピタフ、そしてエレクトラの三人の処刑人が、地獄の重奏を奏でるような足取りで二階へと階段を駆け上がっていきます。


(デッカ先輩……ごめんなさい!)


 ポメロが食卓で手を合わせた直後。

 

 二階の廊下から、カーネギーの歴史に残るような絶叫が響き渡りました。


「ンぎゃあああああああああああああああああああ───っっ!!」



<一人寝にスライム>

https://suno.com/song/8ce1a1f4-d6de-4d68-a7dc-45736290bf68

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