一席
夕方の公園。沈みゆく陽光が芝生をオレンジ色に染め、十数人のオーディエンスが満足げな顔で家路についています。
ポメロはベンチの脇で、ギターケースに投げ入れられた数枚の銀貨と、数え切れないほどの温かな視線を回収していました。
「……見ちゃったよ、ポメロちゃん。先週、二人きりの深夜徘徊、秘密の演奏会」
背後から忍び寄ってきたのは、ひらひらと派手なシャツをなびかせたデッカでした。
「『僕、案外、こいつらのことも嫌いじゃないみたいです』『君は、ものすごく手強いわね。本当に、可愛くない子』」
デッカは、どこで手に入れたのか、その夜の二人の「決定的な独白」を、粘りつくような嫌な声色で再現してみせました。
「二人は互いを見つめ合うことしばし。漸く白み始めた空をバックにお散歩デートは延長戦に突入するのでした。──続く」
「な、なな、なんでそれを……っ!? どこで聞いてたんですかデッカ先輩!」
ポメロは叫びました。顔の赤さは、沈みゆく夕陽のそれをも上回る勢いで沸騰しています。
「イヒヒヒヒ! 言ったろ、俺ちゃんの鋭いリズム感が色っぽい音を嗅ぎつけちまったってな。……でも、まあさ。感謝してんのよ、実際のとこ」
色っぽい音を嗅ぎつけとデッカは濁していますが、正味の話、飲み屋でかまってオーラをふりまいてたねーちゃんにお持ち帰りされたけど、なんか湿度と執着心が高そうな地雷っぷりを閨で示してきたので、面倒臭くなってねーちゃんが寝入った隙にこっそり逃げ出して下宿に戻るところで偶然二人を見かけたので尾行したのが真相です。
しねばいいのに。
「あれからエレクトラさん、浮かれてるぜ?」
デッカは、ポメロの横にドカッと腰を下ろし、ニヤケ面をポメロに近づけました。
「そうですか? 食堂で会ってもなんか薄笑い浮かべられるかボーっと煙草吸ってるかで……あんまり以前と変わってないと思うんですが」
「ポメロちゃん観察力ねーなー。確かに態度は変わってない。でも食堂にいる時間が長くなった。メシ食い終わってもすぐに立たねー。あと、とびっきりの情報だが……こないだエレクトラさん、洗濯物干すときに鼻歌歌ってたぜ。メジャーコードの」
「メジャーコード!?」
どビックリです。エレクトラは、仕事と練習の時以外は音楽を外にこぼすことは無いのです。しかも、アンニュイの申し子にして深海への誘い手である彼女はマイナーコード進行の持ち歌しかないのです。
「どんな歌でした?」
「シッチョコヤッチョコ」
「ぶはっ!」
ポメロが作った『ヤコウ引水フロンティア』の冒頭で歌われる、地方伝統のお囃子……あの鉄面皮のエレクトラが! あの美しい深海生息人魚姫(いき遅れ)みたいな、アンニュイの申し子が! 祭囃子!
「「あはははは」」
想像した二人は膝を叩いて大笑い。
「俺ちゃんはほら、チャラいからさ。今日のハッピーの為に今日を生きる男だからさ。エレクトラさんみたいに、生真面目に音楽と向き合ってこなかった。……俺ちゃんの薄っぺらなリードじゃ、あんな風にお姉さんの心の襞を【くすぐる】ことはできなかったよ」
「え? くすぐれてました?」
「身がよじれるほど大笑いだったぜ! ありゃーおしっこちょっと漏らしてたな!」
「デッカ先輩は失礼」
「でもよ、お前、惜しかったな?」
「……何がですか?」
デッカちゃんはニヤリと口角を上げ、ポメロの耳元で囁きました。
「あれなら、エレクトラさんとヤれたぜ?」
ほんとにまったくこの男は! しねばいいのにじゃなくて、死ね!
「は? ……はぁーーっ!? 何言ってるんですか!?」
ポメロは顔を林檎のように真っ赤にして飛び退きました。ギターの弦がビーンと間抜けな音を立てます。
「イヒヒヒヒ! 何真っ赤になってんだよ、このおこちゃまが! 初々しいねぇ!」
「でもでもだって! あんなに新曲の熱に浮かされてたのに、それに乗じてなんて……最低ですよ!」
「甘いな。そ、こ、が、男の優しさなんじゃないか。寂しがってる女を、心ごと体まで温めてやるのさ。響け大人のハーモニーってやつだぜ?」
「な、なんでもシモに結び付けて! えっちなのはよくないと思います! 先輩の頭の中、不協和音だらけなんじゃないですか!?」
ポメロが必死に抗議するのを、デッカは鼻で笑ってあしらいました。そして、夕闇が深まる街の方を指差します。
「ふっ、こんなものでシモネタだと? いいでしょう。音楽の都カーネギーの裏通り、シモネタの極北というものを今夜はお見せしましょう…… ってことで、居酒屋行くぞ!」
「え? ……ええっ!? 結局、酒に逃げるんですか!?」
「逃げるんじゃねえ、攻めるんだよ! 行くぞポメロ。今夜は【お茶】じゃなくて【お酒】。もっとドロドロに濃い、大人の夜の旋律を教えてやる!」
ポメロは強引に腕を引かれ、ギターを背負ったまま、都の喧騒へと連行されていくのでした。
───── ♬ ─────
「いいかポメロ、耳の穴かっぽじって聴け。音楽の三要素はリズム、メロディ、ハーモニー……なんてのは、エピタフみたいな石頭の寝言だ」
居酒屋【銀の弦亭】の隅、煮込みの湯気に包まれながら、デッカはジョッキを煽り、指を一本立てました。
周囲はだらしねぇゆがみねぇ恰好をした酔漢ばかり。
内装も壁に幾層にも積もった煙草のヤニが沁みついて、喫煙者なくとも副流煙状態!
もちろん女性客なんて一人も居やしません。年若い男性層も。
ここはおっちゃんパラダイス。いい年こいて所帯を持てぬモテぬ輩の憩いの場。
こんなところにまで、デッカは馴染んでいました。
「真の三要素は、【誘惑】【共犯】、そして【絶頂】だ。楽器を奏でるってのはな、相手の鼓膜を愛撫して、脳みそのガードをゆるゆるに溶かす行為なんだよ。お前がこないだ自分の歌をエレクトラさんに歌わせてたアレなんて、もう立派な前戯だったんだぜ?」
後輩の肩に腕を回して逃げられないようにロックしたデッカが、スケベな酔っ払いならではのえっちい音楽論を開陳しています。
「やめてくださいよ! 僕たちはただ、明日を呼吸するために……」
「二人で楽曲を生み出そうなんて、もう、俺の子を産んでくれって言ってるようなもんじゃねーか。純粋を装った天然のジゴロめ。いいか、音楽ってのは、心の服を一枚ずつ脱がせていくストリップショーなんだ。お前のあの『お茶』の歌だって、結局は俺の温度に浸かれよっていう独占欲の塊なんだよ」
結構正鵠を得た論評。
【主客一体】の輪郭を悟ってる。
表現者ではないと抜かすへらへらこうもりの分際で。
「まあ、『お茶』に関しては…… それはそう」
デッカはシシッ! と笑い、ポメロの真っ赤な顔を覗き込みます。
「音楽の極北を教えてやる。この世のすべての名曲はな、結局のところ【抱かせろ】か【抱いてくれ】の二種類に集約される。伝統派の交響曲だって、壮大な時間をかけて最後の一音でイッちまうためにあるんだ。お前、公園で子供や年寄りに向けて歌ってるつもりだろうが、実はあいつら全員の魂を裸にして弄んでるんだぜ?」
「ひ、酷い言い草だ……! 音楽はもっと、こう、多様な……!」
「多様? イヒヒヒヒ! 多用なのは包装紙だけだ。中身はドロドロの欲だらけだぜ。だからこそ、人は音に熱狂する。自分の汚いところを、綺麗な音で肯定してほしいからな」
デッカは空になったジョッキを叩きつけ、店員に「お代わり、一番濃いやつ!」と叫びました。
「なあポメロ。お前は太陽だ。もっと自覚を持て。太陽ってのは相手を焦がし、汗をかかせ、服を脱がせる存在でもあるんだぜ。ガンガン照らしてガンガン脱がせ! ……さあ、今夜は飲むぞ。お前のその真っ赤な太陽がどれだけ淫らな可能性を秘めてるか、朝まで講義してやる!」
「もう帰りたい……ドリーおばさーん、助けて───!」
ポメロの叫びは、場末の酒場のどんちゃん騒ぎと、デッカの身も蓋もない「真理」の濁流に虚しく消えていくのでした。
───── ♬ ─────




