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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第十三幕『だいじょうぶ』

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三席


 奏鳴荘を囲む空気は、数日前までのそれとは似ても似つかぬほどに冷え切っていました。玄関を潜ることのない住人が、新たに十人も増えたからです。

 

 彼等は家屋をぐるりと囲むように立ち、微動だにしません。


 領主お抱えの騎士団から選りすぐられた、重装騎士たちです。鈍く光る鉄の甲冑は、少女に危害が加えられぬように、あるいは、猛獣が檻から抜け出さぬように、沙汰ある時まで奏鳴荘を鉄壁の檻へと変えていました。

 

 リノは、ドリーの部屋の隅で、膝を抱えて体育座りをしています。


 小さな手で、耳を強く押さえます。それでも、建物の外から染み込んでくる音を遮ることはできません。クレオパトラを出せと叫ぶ市民たちの、怒りと憎悪が混じり合った濁ったコール。


 自分に向けられるその巨大な負の感情が、リノの繊細な感覚を絶え間なく削り続けていました。

 

「大丈夫さ、大丈夫」

 

 ドリーが背中をさすり、根拠なき慰めを繰り返します。


 本来、気風のよいドリーにとって、こうしたその場しのぎの気休めはもっとも唾棄すべき振る舞いでした。


 ですが、一介の市民である彼女には、もはや物事を収める力はありません。


 権力、財力、暴力。


 対抗する術を何一つ持たない彼女にできるのは、震える少女の側に寄り添うことだけだったのです。

 

(マンモスも、今はここには来られないしね)

 

 行政権力の行使により、住人の出入りは厳格に禁じられています。閉じ込められている間の金銭的保障は規定に従って支払われるといいます。


 それはこの監禁が、王国法に照らして正統な手続きであることを示していました。


 理不尽ではありません。被害者は多く、街は傷つきました。それがリノ一人のせいだと、世論が断じています。

 

 食堂では、同宿の兄弟一同が、まんじりともせず時間をやり過ごしていました。かつての賑やかさは、重苦しい沈黙に取って代わられています。

 

 彼等は、リノの危うさを知りながら、彼女の純真な人柄に甘えて目を逸らし続けてきた自分たちの欺瞞を、今さらながらに突きつけられていました。


 臭いものに蓋をしていた事実が、騎士たちの軍靴の音と共に、隠しようもなく暴かれています。


「……これ、いつまで続くんだ?」

 

 デッカが、磨きすぎた爪先を見つめたまま、絞り出すように呟きました。返るのは、エレクトラが燻らす煙草の、重苦しい沈黙だけです。

 

「騎士様に守られて、金まで出る。至れり尽くせりだな」

 

 エピタフが皮肉を吐きますが、その声にはいつもの張りがありませんでした。


 誰もが知っていました。


 自分たちが今、安全なのは、リノという爆弾を閉じ込める檻の中に一緒にいるからに過ぎないことを。

 

「あの子があの時歌わなきゃ良かった、なんて、思っていないわよね?」

 

 エレクトラの問いに、誰も答えられません。リノを愛していた。けれど、彼女の【魔法】がもたらした惨状を知り、心のどこかで恐怖を覚えている自分たちがいる。その欺瞞が、喉の奥に苦く張り付いていたのです。

 

 ポメロだけが、何も言わずに玄関の扉を凝視していました。そこには、言葉にならない閉塞感が、壁のように立ちはだかっています。

 

 その閉塞感を打ち破って。


 ――こんこん。


 静かなノックの音が響きました。

 

 玄関を開けると、そこに立っていたのは、かつて見かけたことのある疲れた顔のアラサー女史。宮廷楽師ハルモニア。

 

「有識者会議からの結論を、持ってまいりました」

 

 審判の時が来ました。



───── ♬ ─────



 一時間後、奏鳴荘の玄関前。

 

 そこには、領主の貴族紋が重厚に刻まれた豪奢な馬車が、逃れられぬ運命のように待ち構えていました。

 

「お別れは済みましたか?」

 

 ハルモニアの問いに、リノは小さく、こくりと首を振りました。

 

「ではお手をどうぞ、お嬢様」

 

 恭しく開かれた扉。有識者会議の結論は、【リノを私生児として領主家に迎える】ことでした。


 もちろんリノと領主の間に血の繋がりなどありません。彼は愛妻家として有名です。しかも妻の方が血統が良い為に、外に女など作るはずがありません。

 

 ですが、ストーリーは必要です。市民の騒ぎを収める術が。


 その為に領主は泥を被りました。不名誉な醜聞を自らでっち上げ、魔女の保護を正統化しました。


 だから、リノは。


 もう、ぬくぬくのシーツに包まって二度寝することはないでしょう。お婆ちゃんやお友達や猫さんたちに会うことも、お勉強やマナーという規律に縛られる生活に抗うことも、許されないでしょう。

 

 そういう身分に、なるのです。

 

「クレオパトラを出せ!」

「この魔女め! 俺たちの本当の心を返せ!」

「使い魔どもをひっ倒せ!」

 

 遠巻きに囲む市民たちの怨嗟の声が、石を投げるように飛んできます。


 リノは魔女じゃない。本当の心なんて盗んでない。けれど、自分をかばう奏鳴荘の仲間たちまで使い魔であるとか悪魔の使徒であると罵られるのは、リノには耐えらませんでした。

 

 騒然とした混乱を背に、リノが馬車のステップに足をかけようとした、その時。

 

「馬鹿チン!」

 

 聞き慣れた、怒ったような、泣きそうなデッカの声。


 リノが振り返ると、デッカとエピタフに羽交い絞めにされながら、ポメロが必死にリノへ手を伸ばしていました。


「行かないでリノ!」


「うっうっ……」


 その横ではドリーが嗚咽をこらえて泣いています。背中をそっとさするエレクトラ。


(ちいちゃいな。お婆ちゃん、あんなにちいちゃかったんだ)


 暴れるポメロを衛兵の一人が制圧にかかります。


「もがー!」


「暴れるんじゃない!」


 振り上げられる警棒!


「■■■■!!」


 一瞬機械音のような悲鳴を上げたリノに皆の視線が集まりました。


 心配しています。

 悲しんでいます。

 後悔しています。

 落ち込んでいます。

 案じています。


 全部リノの為に。リノのせいで。


(それは……いやだ。だから)


 ♪――


 歌おう。届けよう。わたしからの「おわかれ」を。 


 リノは、最後に心を込めて、ハミングを紡ぎ出しました。

 

 『だいじょうぶ』。


 ♪――

 

 私は心配いらない。元気にやっていけるよ。

 お金持ちになるんだから、おいしいパンの耳をいっぱい食べてやる!

 だから……心配しないで。

 私のことはもう気にしないで。


 ♪――

 

 大丈夫。私は大丈夫。あなたも大丈夫。

 元気でね!

 絶対に、絶対に心配しちゃいけないよ。

 最後は、仲良く手を振ってお別れしよう!

 

 歌声が波紋となって広がると、人々の顔からみるみるうちに憂いが剥がれ落ちていきました。

 

 ポメロの、デッカの、エピタフの、エレクトラの、ドリーの。

 リノを見つめる瞳から涙が消え、代わりに晴れやかな、明るい光が宿ります。


 リノの魔法によって。


 誇らしい門出に想いを書き換えられているのです。

 

「リノ、いや、リノ姫様! おめでとう! おめでとう!」


「むっちゃシンデレラストーリーじゃん。あやかりてー!」

 

「君が貴族になるとは…… もっと典礼を啓蒙しておくんだったな」

 

「ふふっ…… お幸せに」


「もう婆ちゃんの心配はいらないよ。幸せにおなり」


 さっきまでの怨嗟も、嗚咽も、どこへ消えたのでしょう。


「クレオパトラさん! センシティブになっててゴメンな!」


「魔女や悪魔な訳がない。俺は今こんなにも心が穏やかなのだから」


 リノへ糾弾の声を投げかけていた市民たちも、大丈夫と、問題ないと。

 リノに振り上げられていた拳をリノに振る手のひらへと形を変えていました。

 

 万歳! 万歳!! 万歳!!!

 

 さあ、リノの門出だ! 悲しみなんてどこにもない!


 世界はこんなにも光に満ちている!


 街角のフーテン娘は幸せなお姫様になって終了!


 行ってらっしゃい君の輝けるネクストステージへ!


 第一部、堂々完結!


 次週からは領主館に舞台を移した第二部開始!


 リノは笑顔で手を振り返しながら、馬車の中へと消えました。

 ガチャン。監獄の閂のような音を立て、ハルモニアが馬車の扉を閉めます。

 

 万歳!

 

 万歳!!

 

 万歳!!!



───── ♬ ─────



 車輪が回り出し、背後から響く万歳の歓喜が遠ざかっていきます。

 

 その瞬間、リノは笑顔を消し、膝に顔を埋めて声を殺して嗚咽しました。

 

 みんなが笑っている。

 リノが笑わせた。


 もう、誰も自分を追ってはこない。

 本当のリノを求めて泣いてはくれない。


 引き留めてくれない。

 悲しんでくれない。

 リノがあそこからいなくなることが「しあわせ」で「あんしん」なのだから。

 大丈夫なのだから。


 大丈夫にした、のだから。

 

 隣に座ったハルモニアが、リノの震える肩を引き寄せ、胸を貸しました。彼女は何も言わず、メトロノームのような正確な拍子で、やさしく、やさしくリノの背を叩き続けます。


 リノの小さな頭を自らの胸へと深く沈め、その震えをすべて吸い出すように抱きしめます。

 

 「頑張りましたね。もう……泣いてもいいですよ」

 

 その言葉が、リノの心への最後の一突きとなりました。


 リノは、喉が焼けるような、けれど声にならない嗚咽を、ハルモニアのローブの中にぶちまけます。

 

 馬車は進みます。

 

 領主の館へ。

 彼女の鳥籠へ。



───── ♬ ─────



 数日後。

 

 音楽の都カーネギーは、二つの衝撃的なニュースにどよめきました。

 一つは、伝説的な歌い手・マンモスの【六歌仙】歌唱の座からの陥落。


 もう一つ。

 空位となったその最高位、新たに歌唱の座を手にしたのは。

 領主が市井に潜ませていた私生児。

 歌唱修行と試練を超えて、領主家の末席に舞い戻った少女。


 

 ──「奇跡の紡ぎ手」、リノ。




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