一席
♪―― ドッコイナー、ドッコイナー
♪―― シッチョコヤッチョコ、ドッコイサー
秋の柔らかな日差しが降り注ぐ公園に、場違いなほど土臭い、けれどどこか心躍る拍子が響き渡ります。
それは、音楽の都カーネギーの洗練された旋律とは対極にある、泥と汗の匂いがするフォルクローレなお囃子でした。
「あはははは!」
「シッチョコヤッチョコ」
「「「シッチョコヤッチョコー!」」」
噴水の周りで駆け回っていた子供たちが、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、ギターを抱えた少年の元へ集まってきます。
特に「シッチョコヤッチョコ」という無意味で、それゆえに原始的な響きが、彼らの本能を激しく揺さぶるらしいのです。
こどもってそういうトコ、あるよね。
ポメロは、張り付いた笑顔で弦を弾きながら、幼い頃の自分を思い出していました。
(あの頃の僕もこうして、友達と泥だらけになって、意味のない言葉を叫びながら走り回っていたっけ)
ギターから流れるのは『ヤコウ引水フロンティア』。ポメロが初めて技術と知識で書き上げたパラダイムシフトとなる一作。熱情からの解体作業を経ずして生み出したそれは、逆に魂と不可分でない分、取り回しとアレンジが利きました。
かつて、十三番舞台で暴徒に投げつけようとしたハードなエレキによる原曲ではなく、今はアコギに切り替え、テンポを落とし、アルペジオでタッピングを多用した、カントリーソングに姿を変えています。
「あははっ、みんな元気だね!」
今のポメロには、このくらい気楽な音楽がちょうどよかったのです。熱情に振り回されるのではなく、ただ息を吐くように、そこにある空気を震わせる。
その気軽さが功を奏したのか、いつの間にかこの場所は、近所の老人や子供たちが集まる【山出しのエビ髪ポメロ】のテーマソングとして認知される、午後の公園の定番となっていました。
五曲の演奏を終え、ポメロは足元に置いた小物入れを覗き込みます。僅かばかりの小銭に混じって、子供たちが宝物のように入れていった、綺麗な花や、どこか誇らしげな蝉の抜け殻。
「ありがとね、みんな」
ポメロはそれらを大切にしまい込むと、芝生広場へと足を運びました。
まだ熱の残る地面に、ごろりと横たわります。
(リノ───)
一ヶ月前まで、彼女は確かにここにいました。こうして仰向けに横たわり、片膝を立てて右腕を広げれば、その下の空間に、いつだって彼女が丸まっていたはずでした。
けれど、広げた腕の下にあるのは、潤った芝生の感触と、秋の空気が通り抜ける肌寒さだけ。
彼女はもう、手の届かない場所へ行ってしまいました。【領主様の私生児】として、誰もが仰ぎ見る【六歌仙】の座へ。
それは誇らしいことで、最高のおめでたで。
――だから、もう二度と会えないのです。
「大丈夫……なんだもんな」
ポメロは独り言ちました。リノが最後に言ったのです。『だいじょうぶ』だと。あの魔法のようなスキャットが、悲しみを喜びへと書き換えてくれました。だから、ポメロの心は凪いでいるはずなのです。
それなのに。
太陽の光を全身に浴びて、体はこんなにぽかぽかしているのに。胸の奥に芽生えた小さな淋しさだけは、どうしても温まってはくれませんでした。
「……しかたないか。そういうもんだよな」
ポメロは目を閉じ、秋の陽光の中に、見えない影を探すように呼吸を繰り返しました。
───── ♬ ─────
「ああ、あんたかい」
下宿先である奏鳴荘の玄関をくぐると、食堂の暖炉の前に、火もつけずに佇む老婆の姿がありました。大家のドリーおばあさんです。
「ただいまです、ドリーさん」
「おかえりさね」
振り返ったドリーの姿に、ポメロは胸が締め付けられるような感覚を覚えました。
今のドリーは、一回り小さくなったように見えます。
以前の彼女なら、手に持った火掻き棒で床を叩き、もっと活気に満ちた声を張り上げていたはずです。それが今では、笑みの端々には隠しきれない苦みが走り、その佇まいからはかつての覇気が失われてしまいました。
育ての孫娘、リノ。
あの日、リノが放った別れの【魔法】は、確かに彼らの憂いを奪ったはずでした。あの時点では。それからのリノのいない生活から生まれる感情までは。
「……こう見えても、アタシももう六十は生きてるからね」
ドリーは、火の気のない暖炉を見つめたまま、独り言のように呟きます。
「出会いだって別れだって、嫌というほど繰り返してきたさ。ずっとここで、あんたたちみたいな表現者を迎えたり、見送ったりしてきたんだ。……そんな別れの中で、あれは最高の別れだったよ。憂いも、悲しみも、怒りもなく。リノの門出を心から寿げたんだからね」
ドリーの声は静かでした。静かすぎて、砂漠の砂が零れ落ちる音のようでした。
「でも、時の流れってのは残酷さね。強い感情ってのは、抱けば抱くほど強く燃え上がり、その分だけ薪を大きく消費しちまう。……そして、すぐに燃え尽きちまうのさ」
「ドリーさん……」
「いいんだよ、ポメロ。しかたないことだ。忘れるんじゃない、ただ薄れていくだけさ。慣れていくんだよ、この静けさに」
ドリーは無理に口角を上げ、ポメロの方を向きました。少しだけ、その目に力が感じられます。
「リノは確かにアタシにとって大切な孫娘だった。でもね、あんただってアタシの大事な店子なんだよ! 寮母は母、同宿は兄弟! ……どうだい、今日はアタシが添い寝してやろうか?」
「……っ、勘弁してくださいよ」
ポメロが苦笑いを浮かべると、ドリーも「ははは」と声を上げます。
お互いに、ひどく乾いた笑い声でした。
けれど、それでも笑えました。
それが良いことなのか、悪いことなのか。
あるいは、それすらも【しかたない】ことなのか。
ポメロにはまだ、分かりません。
───── ♬ ─────
今日は朝から雨でした。
予定していた公園での青空ライブは中止です。
ポメロは部屋に籠もり、技術を磨くためにギターを爪弾いていましたが、どうにも指先が重く、集中できません。
ポメロの胸の底に、どろりとしたメランコリーが溜まっています。
しかしそれは、創作の糧になるような鮮烈な熱情ではありません。
もっと重苦しくて、消化しきれない、粘り気のある「何か」。
どれほどかき混ぜても汲み出せず、ただただ不快感だけが蓄積していきます。
その「何か」を汲み出す作業にすら、今日は集中することができない。
「……雨の日は、しかたないよな」
ポメロは窓の外を眺め、頭の中を無理やりクリアにしようとしました。
リノのことが、新聞の一面を飾っています。
きらびやかな衣装を纏い、孤独な冠を抱く彼女。
悲痛な叫びを上げるように、新聞の文字が目に飛び込んできます。
どうして、僕はあの日、リノの手を取れなかったんだろう。
下宿を囲む重層騎士。
リノは怯えていた。
けれど、僕にはあの屈強な鎧をどかす力なんてなかった。
ドリーさんも、デッカ先輩も、エピタフも、エレクトラさんも───奏鳴荘の誰も、あの日、あそこに立ちふさがる騎士たちをどうにかすることなんてできなかった。
それは、どうしようもないことだった。
僕らには、何もできなかった。
だから、しかたない。
また一つ、胸の底に雫が落ちる。
ぽたり、と。
外出禁止令。
領主様の絶対的な命令。
それに逆らう勇気も手段も、当時の僕らにはなかった。
もし、マンモスさんに頼ることができていたら。
あの人が持つ圧倒的な権威と人脈、領主にすらモノ申せるその影響力に縋ることができていたなら。……何か、別の道が開けたのかもしれない。
けれど、外に出ることすら叶わなかったのだ。
頼るという選択肢さえ、僕らの手には届かなかった。
だから、しかたない。
また、雫が、ぽたりと落ちる。
胸に溜まる。
ポメロはたまらず、部屋のベランダに飛び出しました。
雨に濡れたかったのです。
このやり場のない不快感を、冷たい雨水で洗い流したかったのです。
リノを迎えに来た馬車。
行かせまいと必死に手を伸ばした自分を、冷徹に押さえつける騎士たちの腕。
行かせない!
心の中で叫んでも、体は地面に押しつけられたままだった。
力が足りないから、しかたない。
ぽたり。
リノが歌う。
大丈夫だよ、と。
僕は分かっている。その歌を聴けば、本当に大丈夫になってしまうことを。
この痛みも、悔しさも、すべてが『だいじょうぶ』へと塗りつぶされてしまうことを。
リノの魔法は特別だから。止めようがない。
魔法のない僕では、しかたない。
ぽたり。
夕闇が迫り、しのつく雨が街灯の光に照らされます。
夜の訪れ。
不意に下の方で、ぱたんと小さく玄関の閉まる音がしました。
見下ろすと、そこには深緑の傘がありました。
深海の色。
ディーバ、エレクトラ。
ポメロは、突き動かされるように彼女の影を追いました。
……彼女の歌が聴きたい。
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