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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第十一幕「俺で塗れ!」

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32/57

三席



 十三番舞台のニーズに合わせた作曲───。

 

 それはポメロにとって、かつて体験したことのない産みの苦しみでした。

 破壊、暴力、性交、尊大。


 理屈では理解できます。十三番舞台に集う亡者どもは、腕を上げ、頭を振り、髪を乱して息を切らしたいのでしょう。

 

 彼らが求めているのは洗練された踊りではないのでしょう。タテノリもヨコノリも関係ないのでしょう。ただ、原始的な衝動に従って、野蛮に狂乱したいだけなのです。


 けれど、それはポメロの中には欠片も存在しない欲求でした。

 

 かつてエレクトラの歌を聴いた時に感じた忌避感や後ろめたさは、いつか自分も理解するであろうという不吉な予感があります。あの唇から流し込まれた呪いが、いつまでも胸にわだかまっている感覚があります。深くて暗くて寒い感覚が。


 しかし、暴れたい、壊したい、という破壊衝動だけは、どうしても理解できないのです。飲み込めないのです。

 

 ポメロの根底に流れるのは、第一次生産者の要たる作りたい、育てたい、という農民のDNAです。土を耕し、種を蒔き、慈しんで育てる。その血が、意味のない破壊を、根源的な恐怖として拒絶してしまうのです。


「苦戦してるわね」


 背後からかけられたのは、メルダックの声でした。

 

 オーディション合格の日から、ポメロは十三番舞台のゲストハウスに缶詰となり、自らを追い込み続けていました。部屋には書き損じのスコアが散乱し、空気は焦燥感で濁っています。

 

「がんばってます……!」


「ファンとしては頑張れと言う。でも、興行主としては結果を出しなと言わざるを得ない。……まあ、差し入れ置いとくわよ」


メルダックが置いた果実水を横目に、ポメロは一枚のスコアを差し出します。


「……あと、これ。見てください」


『ヤコウ引水───フロンティア』。


 メルダックは無言でそれを受け取り、歌詞を読み込んでいきます。それは信念を持った男の、孤独な闘いの記録でした。三十年にも及ぶ手動での用水路掘削作業。

 

 元々の『ヤコウ引水』は、郷土の英雄ヤコウ氏の偉業にポメロが感じ入って生んだ曲でしたが、今回の『フロンティア』バージョンは違います。

 

 ヤコウ氏の立場に自らを置き、その峻厳な道のりを想像し直し、大地に立ち向かい続ける孤独と折れぬ信念を抒情的に再構築したものなのです。

 

 ポメロはこれまでの知識と経験を総動員し、熱情抜きで、技術的に正解と思われる作品を書き上げたのです。叙事詩から抒情詩へ。パラダイムシフト。

 

 ですが。


「……濡れないわ」


 興行主のシビアな指弾が、ポメロの胸を貫きました。


「アータ汁が沁みてない」


 図星でした。ポメロは恥じ入り、視線を落とします。

 

「……おっしゃる通りです。ごめんなさい」


「でもねアータ。これは皆がやってることよ。大多数の創作者は、こうして器用に楽曲を編むの。アータみたいに、全てが内から湧き出るなんて話、アーシは他に聞いたことがないわ」


 メルダックは思う。この技術による構築さえもこなしてしまうこの少年は、やはり泥臭くも天才という奴ではないか。流石はアーシの推し。

 

 彼女は再び楽譜を睨む。


「濡れないけど、気持ち良くはなれる。これは保留ね」


 憔悴するポメロに対し、メルダックは何か助言が贈れないかと、ダークブルーの唇を噛みながら言葉を探しました。

 

 やがて、彼女は静かに問いかけます。


「迷ってるの?」


「ええ」


「テーマが見えなくて?」


「……ええ」


「だったら、アーシのリクエストを聞いてくれる?」


 ポメロが顔を上げます。


「アーシはね、アータの野心が見てみたいの。アータの目指すところが知りたい。アータだって、故郷を単身離れて音楽の都まで来たんでしょう? 物見遊山じゃないはずよ。何か心に期するものがあったはずだわ」


 ポメロの喉が、微かに鳴りました。


「……言って。笑わないから」


「……歴史に、名を残す」


 ゴウッ、と。


 その言葉が引き金となり、ポメロの胸の奥から、ずっと出番を待っていた熱情が炎となって噴き出しました。


「書けますよ」


「顔つきが変わったわね、アータ」


「凄いヤツが、書けます」


「……濡れるわね、それは」



───── ♬ ─────



「喝破したぞ。汝の名は──【野心】!」


 「歴史に名を残す」──そう宣言した瞬間に爆ぜた、この身を焼き焦がさんばかりの猛火。ポメロは確信していました。これこそが、音楽の都へ、歴史の深淵へと自分を突き動かす【野心】という名のパトスであるのだと。

 

 メルダックが去った後、ポメロは狂ったようにペンを走らせ始めました。ゲストハウスの薄暗い一室は、ポメロの体内から噴き出した得体の知れない熱によって飽和し、空気そのものが歪んで見えるほどでした。


(もっとだ……もっと激しく燃えろ! この灼熱で僕を、世界を、歴史を、一思いに焼き尽くしてやる!)


 ポメロは【野心】の炎が野原を蹂躙するがごとく、五線譜を己の色で焼き尽くす。故郷を捨て、不遇を噛み締め、ようやく掴んだ舞台という名の戦場。そこで聴衆を屈服させ、己の存在を歴史に刻印するための、暴力的なまでの上昇志向。

 

 指が弦を弾くたび、火の粉が散るような激しい旋律が生まれる。だが、書けば書くほど、その炎は彼を温めるどころか、音楽の芯を空虚な灰に変えていくような、薄ら寒い熱さを孕み始めていた。


「……違う」


 ポメロは書き殴ったスコアをクシャクシャに丸め、壁に投げつけた。

 

(頭を冷やせ。誤認で燃え上がった心を鎮火しろ)


 【野心】という名前を信じ、その熱に従った途端、彼の音楽は十三番舞台のニーズという化け物に食い荒らされかけた。観客を殴り、挑発し、振り向かせるための、卑屈なまでのサービス精神を表現しようとしてしまった。

 

(僕は、あいつらに認められるために、あいつらが望む野心の炎を噴き出してるだけじゃないのか?)


 人の為に何かを成さんとすることを、【野心】とは言わない。


 僕は問う! 熱情の名を! 湧きあがるパトスの芯を!

 お前は誰だ! なんでそんなに荒れ狂う!?


 【野心】だなんて騙しをかけるな! お前は僕だけを燃やす炎じゃない!

 

 【野心】という名前を剥ぎ取られた熱情は、さらに激しく身悶えし、牙を剥く。


「……一体感、か?」


 ふと、その言葉が脳裏をよぎった。あなたと私。私とあなた。観客と奏者が一つに溶け合う、あの陶酔。それは音楽における究極の善であり、心地よい安心感に満ちている。


 だが。


「……駄目だろう! そんなの!」


 ポメロは叫んだ。


 あなたたちと僕が【一体】になったら、それは僕が君たちの中に埋没するということだ。歴史に名を残すどころか、大河の一滴となって消えてしまう。そんなのは、昨日までのヘルプの僕と同じじゃないか。


 近いが、違う。僕が求めているのは、そんな平和な和解じゃない。


 僕が僕としてあり、君は僕に染まる……。


 なんという我が儘か! いじめっこ! 「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」!


 共感でも、理解でもない。


 この独善。

 この侵略。


 これを、一言の下に束ねられれば、それが熱情の名の筈だ!


 ポメロは自らのルーツを思い出した。


 農民の血。大地という、沈黙した巨大な他者と向き合い続けてきた血だ。

 大地を耕し、自分の麦を育てる者は、大地に認めてほしいなどとは願わない。大地と仲良くなることなど考えない。


 土という存在を、根こそぎ支配し、己の命の一部として染め上げること。

 自分の領域を広げ、荒野を、無関心な他者を、己の色で侵食し、同一化していくこと。


 フロンティアスピリッツ!


「……染めるんだ」


 ポメロが呟いた瞬間、荒れ狂っていた炎が、一瞬で凝縮し、青白い冷徹な輝きへと変質した。


 今度こそ、本当の正体を捉えたぞ、熱情。


「お前の本当の名前は──【主客一体】」。


 野心が燃えるものだなんて、誰が決めた。


 僕のそれは、世界を飲み込み、同化させる侵略だ。


 僕が【主】で、君たちが【客】だ。


 僕の奏でる音楽という絵の具で、君たちの真っ白な、あるいは泥に汚れた感性を、根こそぎ塗り潰したい。


 理解などしなくていい。尊重などさせない。ただ、僕の色に染まり、僕の一部になればいい。


 なんて、ひどい欲求だ。


 なんて、傲慢で救いようのない悪だ。


 けれど、その答えに辿り着いた瞬間、ポメロの脳内に溢れ出した旋律は、これまでのどんな曲よりも鮮烈で、抗いがたい力を持っていた。


 もはや十三番舞台の亡者たちが求める原始的な破壊さえも、ポメロにとっては自らの色を引き立てるための下地に過ぎません。


 彼らが暴れれば暴れるほど、叫べば叫ぶほど、それはポメロの音楽という巨大なキャンバスに吸い込まれ、彼という【主】の支配下に置かれるのです。


(君たちが何を考えていようと、どんな地獄を抱えていようと、関係ない。この瞬間の君たちの鼓動も、流れる汗も、剥き出しの狂気も、全て僕が買い取った。僕が塗り替えてやる。僕の名前という刻印を、君たちの魂に深く、深く刻んでやる……!)


 【主客一体】──それは、奏者が客席に寄り添うことではない。客席を、己の領域にまで引きずり込み、溶かし合わせ、一滴残らず同化させること。


 それは、音楽による開墾だ。荒れ果てた十三番舞台という土地を、ポメロの音で耕し、ポメロ色をした麦を強制的に芽吹かせる。


 道徳を捨て、共感を捨て、ただただ己の存在を拡大させるための、音楽による侵略。


「……これだ。これですよ、メルダックさん」


 ポメロは再びペンを取った。もはや迷いはなかった。


 譜面の上に並ぶ音符は、もはや記号ではなかった。それはポメロの野心を運ぶための兵隊であり、聴衆を縛り上げるための鎖だった。


 農民の息子が、歴史に名を残すために選んだ手段。それは、音楽という名の劇薬を使って、都の深淵を己の色で塗り潰すこと。


 熱情は、その青白い刃のような正体を晒したまま、静かにポメロの指に宿った。


 あとはお前を解体して。お前を散りばめて。


 お前を楽曲に打ちなおしてやる。


「僕を聞け、僕を見ろ。そして───」


 暗い部屋の中で、ポメロの瞳が爛々と輝いた。


 「───僕に染まれ!」


 その言葉と共に書き上げられた新曲のタイトルを、彼は震える手で大書した。


 『俺で塗れ!』


 達成感など微塵もない。


 あるのは、自分という個を世界に無理やり押し広げ、巨大な熱情と心中したあとの、魂を削り取られたような疲労感。


 けれど、ポメロは微笑んでいた。


 譜面の上で歪な形に躍る音符たちは、もはや誰かの真似ではない。

 円環の外側から持ち込んだ、彼だけの屯田兵。


 十三番舞台の伝説は、この傲慢な決意から、本当の意味で動き出した。



───── ♬ ─────



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