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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第十幕「恋とか恋とかそんなのばっか」

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29/58

四席


 深夜。奏鳴荘の自室。

 

 窓の隙間から忍び込んでくる街の喧騒は、やはり安っぽいブリキの音にしか聞こえませんでした。


「淋しくて震える、か……」


 ポメロはベッドの端に腰掛け、独りごちます。

 

 頭の中では、今日までヘルプで弾いてきた数々の「共通言語」が、呪文のようにぐるぐると渦巻いていました。



 ポメロは無意識に、背中の三つ編みを指先でなぞりました。


 故郷の母が編んでくれた、独特の凹凸。


 都会では誰も見向きもしない、あるいはエビ髪と失笑される、僕だけのルーツ。


「……アコニキ。僕にはまだ、自分だけの言葉なんて、よく分からないよ」


 ポメロは、膝に置いた拳を強く握りしめました。

 

 自分だけの言葉───。


 そもそも、他人と比較して自分の方が独創的だなんて自信を持ったことは一度もありませんでした。


 ただ、この街で耳にする歌たちが、まるで工場でプレスされたメダルのように同じ形をしていることに気づいただけです。


 でも、とポメロは思います。

 

 これまでの熱情と向き合ってきた時間は嘘じゃない。


 あの『ヤダ!』も、『安産型』も、『ムカつくあいつ』も、誰かから借りてきた言葉じゃない。


 自分の心臓を直接、譜面に叩きつけて絞り出したものだ。

 

 それが他人にとって自分だけの言葉に聞こえるかは知らない。


 けれど、それが自分の内側から湧き出た、自分だけの真実であることだけは、誰よりも彼自身が知っていました。


 ポメロは、壁に立てかけてあったボロボロのギターケースをひっつかみました。

 中から現れた相棒を抱き、しばし瞑目。

 いつものように、胸の奥底へ意識を潜らせます。


 そこには確かに、巨大な熱情が居座っていました。


「……なんだ。お前、今日はやけに静かじゃないか」


 いつもなら、獲物を狙う猛獣のように暴れ狂うか、あるいはしゅんとしてうずくまっているはずの熱情が、今日に限ってはピクリとも動きません。


 どっしりと、岩のように重たく、沈黙を貫いています。

 

 ポメロはその輪郭を捉えようと必死に目を凝らしますが、暗闇の中、そいつはただの黒い塊としてそこに在るだけで、名前を呼ぶための端緒さえ掴ませてくれません。


 熱情の正体が見えない。

 

 ポメロは、焦燥に駆られてギターの弦を爪弾きました。


 今の僕は、観客の前で自分の歌すら歌えない。


 楽器の腕でかろうじて、他者の隙間に潜り込み、どうにか生きてゆけるだけの、最底辺の楽業家だ。


 アコギの兄貴は言っていました。


 あの「淋しくて震える」を最初に生み出したヤツが、現状をどう思うのだろうな、と。


 そんなことは分からない。


 誰とも知れぬ先駆者の心情を想像するのは無理がある。


 でも、もし、僕なら。


 僕が大切に産み落としたあのフレーズ『ムカつくあいつ』が、あのような扱いを受けたなら。


 想像する。


 世間に認知された。広がってゆく。


 それは僕の歌が、街中に溢れるということ。


 「うれしい……」


 ぎゅるん、と胸の奥で熱情が胎動した。


 それはサクセスの極みだ。大歓迎だ。


 ぐるり、と熱情が寝返りを打ち、角度を変える。


 じゃあ、あの【淋しくて震える】はどうだ?


 あれを生んだ先駆者も、最初は僕と同じように、この街中に自分の歌が鳴り響くサクセスを夢見たはずじゃないか。


 広がるということは、街と同化すること。


 街と同化するということは、誰のモノでもなくなるということ。


「……待てよ。何かが、おかしい」


 ポメロは自身の内側で、三つの像を三つ巴に戦わせた。


 【淋しくて震える】の現在。


 僕が産んだ『ムカつくあいつ』の未来。


 そして、それらを観察して困惑している今の自分。


 サクセスの先に待っているのは、残酷な解体だ。


 デッドコピーや劣化コピーが世界に蔓延し、僕の『ムカつくあいつ』が、便利なパーツとして消費される。


 エピタフとの和解も、あの羞恥心も、剥ぎ取られて、無神経な他者のサビの一部にされてしまう。


 「やめろ!」と、叫びたくなった。


 それは僕の物だ。僕だけの熱情だ。


 奪い返したくなる。


 他者の手を介し、バラ撒いた方が遠くへ届く?


 知るか!

 

 そんなものは嫌だ!


 断片。欠片。そんなものは、もう僕の言葉じゃない。


 あいつ──エピタフから「しぐさ」と「理論」と「音叉脳」が分かたれたとしたら、その部品のどれを指してエピタフだ言い切れる?

 

 バラバラになった部品は、単独で「本体」になれるのか?


 それと同じだ。【淋しくて震える】も、もう本体はどこにもいない。


 街中に散らばった死骸の破片が、幽霊のように鳴っているだけなんだ。


 もっとよく見ろ。そいつは本当に止まっているのか?


 違う。


 熱情は動いていた。絶えず、その場で回っていた。


 あまりにも速い速度で、自らの尾を飲み込むように「ぐるぐる」と回っていたのだ。


 膨らむでもなし、削れるでもなし。


 何も変わらず、何も成さず。


 劣化コピーを喰らい、劣化コピーを吐き出し、ただその場に留まり続けるために。


 まるで、止まっていると錯覚させるほど高速で回り続ける、歪な独楽のように。


 そこには、かつて誰かが真実の涙とともに流したであろう、芳醇な詩情の断片が吸い込まれてゆく。


 瑞々しいポエジーに群がる蟻どもが、うまいところだけを解体し、骨だけにしてこの回転の中に放り込む。


 再生産。

 劣化コピー。


 昨日聴いたばかりのフレーズが、今日には別の顔をして隣のバンドから流れてくる。

 新しいふりをして、その実、中身は数千回も使い古された「型」の使い回し。


 魂を抜かれたポエジーのスケルトンが、絶え間なく円を描いて空回りし、摩擦熱で都会の喧騒を維持している。


「……ああ、そうか。ここは、出口がないんだ。ずっと、同じ場所を……」


 ポメロの脳裏に、その歪な図形の正体が結像した。


 始まりも終わりもない。


 誰もが誰かの真似をして、その真似をまた別の誰かが真似る。


 流行という名のエサを追いかけて、自分で自分の尾を飲み込み続ける、巨大な蛇。


 僕は問う、熱情の名を。 湧きあがるパトスの芯を。


 お前は誰だ? なんでそんなに、虚しく回り続けている!?


 「汝の名は──【閉じた円環】!」


 名前を呼ばれた瞬間、熱情は観念したようにその「回転」を放棄した。


 それは美しくも残酷な、完成された牢獄の形。


 都会の音楽という、逃げ場のないシステムの正体。


「【閉じた円環】……。そうだよ、僕が聴かされてきたのは、誰かの心じゃなくて、この円環が回る軋み音だったんだ!」


 ポメロの指が、怒りに任せて弦を弾いた。


 ビビり、濁り、不快な倍音が部屋を満たす。


 円環をぶち壊したい。


 この、整えられた劣化コピーの連鎖に、故郷の泥を投げつけてやりたい。


 ポメロはペンを握り、真っ白な譜面に向き直った。


 誰かと比較して新しいかどうかは、もうどうでもいい。


 蟻たちが食い荒らすことのできない、自分だけの異物を絞り出すだけだ。


(蟻ども、来るなら来い! 僕のこの熱情を、僕だけの言葉を、しゃぶりつくせるものなら、やってみろ!)


 それは、音楽的なサクセスへの道ではない。


 洗練された都会の耳には、ただの騒音として切り捨てられるかもしれない。


 それでも、この「閉じた円環」に風穴を開けるには、自分自身のルーツという名の「楔」を打ち込むしかないのだ。


 ジャカジャカジャカジャカッ!


 エイトビートの裏側で、三つ編みが激しく揺れる。


 このエビ髪こそが、円環の外側からやってきた、唯一の毒なのだから。


「淋しくて震える、なんて、二度と歌わない! 僕は、僕がここで窒息しそうなことを歌うんだ!」


 再生産される愛を拒絶し、劣化していく感動を嘲笑う。


 先駆表現を解体し、ポエジーを骨にする蟻どもを、その重厚な低音で踏み潰す。


 数時間後。

 

 ポメロは、万年筆の先が潰れるほどの筆圧で、最後の一行を書き終えました。


 達成感など微塵もありませんでした。

 

 あるのは、巨大なシステムに独りで立ち向かったあとの、魂を削り取られたような疲労感。


 けれど、ポメロの瞳には、以前のような「虚無」は宿っていませんでした。


 譜面の上には、まだインクの乾かない音符たちが、歪な形で踊っています。


 ポメロは震える手で、その楽曲のタイトルを書き記しました。



───── ♬ ─────



 一月後、音楽歴史資料館、図書室。


 ポメロはエピタフを伴い、近代の作詞家――とりわけ悲恋の詩に関する資料を読み漁っていました。


 【淋しくて震える】。あのフレーズを考えた先駆者を、どうしても知りたかったから。あのフレーズを考えた先駆者に、どうしても聞きたかったから。


『あなたのフレーズに込めた想い』


 まったく青臭い情熱です。それを知ったところで一文にすらなりません。時間の浪費。ただの意地。


 でもポメロは真剣なのです。もう「淋しくて震える」は、ヘルプでハモっていた頃の様に辟易とさせるワードではありません。あの創作の――【閉じた円環】から練り上げた歌を生み出すに至った、彼に取っての先輩、そして同志とも言うべきフレーズとなっていたのです。


 『恋とか恋とかそんなのばっか』。


 最近ソロデビューを果たし【片馬辻】に立つようになったポメロは、既定の5曲ルールのうち1曲に、この新曲を選びました。

 

 そして。


 ぺーぺーの身分ではありえない程の拡散を通じ一部の界隈をどよもしました。


 恋愛ソングを至上としている、年若き乙女たちの界隈を。

 

 悪い意味で。


 この歌は、彼女らの神経を逆撫でしてしまいました。

 多くのアンチを生み出しました。

 道を歩いていて後ろから生卵をぶつけられたこともあります。


 タイトルもいけないのです。恋愛の否定や嫌悪を感じさせるものなのですから。


 淋しくて震える系女子達は言います。


 『私たちの聖域を汚すな』

 『感受性の低い人なんですね』

 『お前がモテない僻みだろ!』

 『腹立って腹立って震える』


 でも、それは間違った批評。しっかりと歌詞を読み解けばわかるのです。

 消費と解体の先にある、延々と続く骨髄しゃぶり。

 クローズドサークル。

 その構造を喝破し、光を当て、憂慮する。

 鋭い風刺の楽曲だったのですから。


 ですがポメロ。表現を止めてはいけません。想像を諦めてはいけません。

 かの詩に共感と納得を得た人物たちもまた、いたのですから。

 有識者、あるいは実力者界隈に。


 ポメロは2月ほど付き合ってきたヘルプ相手達を思い出します。



───── ♬ ─────



『ポメロ、契約はこれっきりだ。俺たちにはサクセスの義務がある。足ひっぱることわかってるやつは身内においとけねー』

『グッバイ』

『グッバイ』



───── ♬ ─────



『アイドルは恋愛禁止だけど、恋愛で夢を売る商売なの。だから……』

『ポメラちゃんは今日で』

『卒業しまーす!』



───── ♬ ─────



『クローズドサークル……お前の歌にドキリとしたよ。俺たちは進み続けてるつもりで、同じ円をぐるぐる回ってただけだってな』

『追及するぜ、俺たちの響きを。本来はギターを魅せたくて音楽やってたんだからな』

『ピチカートの果て。やがて大いなるアルペジオに至る』



───── ♬ ─────



 寂寞の想いにしばし浸るポメロですが、鼻息荒く詰め寄って来る友の様子に、意識を現実へと引き戻しました。


「……おいポメロ、見つけたぞ、例のフレーズの創造者を」


「本当に?」


「これを見てみろ。驚くぞ」


 エピタフの開いた、20年ほど前の流行ランキング。

 その一位のタイトルが、『淋しくて震える』だったのです。

 年間ナンバーワンのトロフィーをさも当然の様に抱いている気位の高そうな少女。

 大きな口に真っ赤な口紅を塗りこめた少女。


 後の世に評される、ニューウェーブの旗手。

 後の世に囁かれる、7番舞台の裏の支配者。

 後の世に讃えられる、ザ・ヒットメーカー。 


 

 【六歌仙】・革新の冠を抱く女。アップル。



「会えないかな?」


「雲の上のお人だ。アポすら取れんだろう」



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