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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第六幕「ムカつくアイツの歌」

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三席


 二人の間に流れる空気は、触れれば切れるほどに張り詰めていました。


 互いに目は合わせず、口も利きません。けれど、なぜか一定の距離を保ったまま並んで歩き続けています。別行動を取ればいいものを、剥き出しになった互いの精神が、磁石のように反発しながらも離れられずにいました。


 昼下がりの陽気な街角。行き交う人々が楽しげに笑う声さえ、今の二人には刺々しいノイズでしかありません。あまりの剣呑さに、すれ違う母親が不安げに子供の手を引くほどでした。


 その時、小路から飛び出してきた昼食ケータリングの女性が、ポメロの肩をかすめました。


 「おっと、ごめんね!」


 弾むような声とは対照的に、よろめいたポメロは、反射的に隣の「支え」を掴みました。

 本日二度目の肉体接触。今度は致命的なやつ。


 バサリ。


 ポメロが掴んだのは、エピタフの命とも言えるアロンジュ・ペリュックでした。

 カツラは無残に剥がれ、白日の下に晒されたのは、見事なまでの「てるてる坊主」。


「……何をするアホ犬!」


「アハハハハ! なんだよそれ、お前ハゲ隠しでヅラ被ってたんだ!」


 一瞬の静寂の後、ポメロの爆笑が導火線となりました。


「ハゲではない! アロンジュ・ペリュックを被ると頭が蒸れるから、その対策として刈っているだけだ!」

 

「……なんかごめんね? 人の身体的な問題を笑うのってよくなかったね」

 

「だからハゲていないと! だいたい貴様ッ! 僕がどんな思いで……そもそも、今日だってそうだ! お前があの回廊で、野蛮な叫び声を上げなければ、僕はしぐさを崩さずに済んだんだ!」

 

「なんだよそれ! 僕はお前が大事にしてるものを守ろうとしたんだよ! 君が馬鹿にされて、譜面が踏みにじられて…… だから、お前の為に……っ!」

 

「頼んでいない! 余計な真似だと言っただろう! あれは伝統派の、我々の間の法だ! 部外者の貴様に、僕の音楽の尊厳を汚される筋合いはない!」

 

「尊厳!? 埃塗れにされるのが君の尊厳なわけ!? ああそうだったな、君はもともと誇りまみれだ! 無駄だったわ、心配なんてしたことが! この、性格のひん曲がった音叉脳!」


 二人は奏鳴荘へ怒鳴り合いながら雪崩れ込みました。階段の踊り場では、たまたま居合わせたリノが、あまりの剣幕に大きな目をパチクリさせ、赤いベレー帽を揺らしながらキョロキョロと二人を見比べてキョドっています。

 

 ですが、今の二人にはそれすら目に入りません。


「ふん、耳音痴に言われる筋合いはない。今すぐ僕の前から消えろ、このアホ犬が!」


「言われなくても消えてやるよ! 一生、そのてるてる坊主をこっそり隠してなよ!」


「「フンッ!」」


 同時に鼻を鳴らし、二人は二階の踊り場で左右に分かれました。それぞれの部屋の扉を、建付けが歪むほどの勢いで叩き付け、固く閉ざしました。



───── ♬ ─────



 自室の扉を、建付けが歪むほどの勢いで叩きつけた瞬間、ポメロの内で膨れ上がっていたダムが全壊しました。


「なんだよもうあの音叉頭! なんだよもうあのエピタフ野郎! 頭伝統派かよ! ──伝統派だわ! クソッ!」


 ポメロはベッドに放り出していたアコースティックギターを、獲物を仕留める猛獣のような手つきでひっつかみました。

 

 キュルキュルッ、キュキュッ!

 

 相対するは今日一日かけてじわじわと育て抜いた熱情。

 デカくて毛むくじゃらで、目線を向けただけで威嚇してくるそいつ。

 ムカつきを栄養に、ムカつく程成長した熱情は、もう、看破もなにもありません。

 

「汝の名は――――【ムカつき】!」


 ペグを猛烈な勢いで回し、弦を限界までタイトに張り直します。その指先は怒りで震え、視界は【伝統派しぐさ】への嫌悪感で真っ赤に染まっていました。試しに低音弦を親指で力任せにはじくと、鋭い硬度が指の腹に食い込み、ジリリとした熱い痛みが走ります。


 ――ぎゃああ! と咆哮を上げて噛みついてくる熱情!


「痛いじゃないかエピタフ野郎! 弦まであいつみたいに硬くなりやがって!」


 自分で弦キツくしときながらエピタフに当たる!


 この痛みはエピタフの頑固さだ。

 この不快な感触はエピタフの理屈だ。


 ――往生際悪くポメロの喉に牙を突き立てんとする熱情!


 全ての負の感情を、抱えた楽器に叩きつけ、転化する。


「このままの自分で、あの音叉野郎に言い負かされたままでいるなんて絶対嫌だ!」


 ジャカジャカジャカジャカッ!

 

 荒々しいエイトビートが刻まれ始めます。


「もうお前いい加減諦めろよ! 僕に昇華されちまえ!」


 あいつの四角い鼻先、不自然な縦ロール、部外者と突き放す冷たい正論。


 ムカついてしゃーない!

 上から目線の音叉野郎!


 喉が張り裂けるほどの罵倒を吐き出し、エピタフへの反逆を曲に打ち直す。

 指先の痛みは絶頂に達し、パトスは完全に顕現した。

 一気にサビまでを書き殴り、ポメロは荒い息を吐きながら弦を押さえました。


 「………………はぁ、はぁ……」


 出し切った。ムカつきを全部、音にして叩きつけた。


 熱情は消え去った。いや、五体を弾けさせて爆死した。


 「………………なんでだ」


 しかし、いる。


 ポメロは、自分の胸の奥に手を突っ込んだまま、戦慄しました。


 【ムカつき】という名の巨大な怪物を解体して、塵一つ残さず楽曲に燃やし尽くしたはずなのに。


 その巨大な影に隠れるようにして、もう一匹、膝を抱えている熱情。


 そいつは【ムカつき】のように激しく咆哮もしなければ、暴れもしない。


 ただ、暗がりの隅で、じっとポメロを見つめているような、自己主張しない熱情。


「……待てよ。お前、誰だ。なんでそこに隠れてる」


 ポメロは、冷え始めた指で再び弦に触れました。


 今度は、さっきのような破壊的なフォルテッシモではありません。


 暗闇を手探りで進むような、迷いを含んだ和音。


 この奥にいる熱情をひっつかんで、引きずり出して、喝破してやらないと、ポメロの創作は終われません。


 脳裏に、泥まみれのスコアを一枚ずつ拾い集めていた、彼の肉厚な手の記憶が蘇ります。


 あいつはしぐさという武器で、伝統派という法の中で、自分のプライドを、僕が守ろうとしたものよりもずっと深いところにある芯を、独りで守り抜いた。


 不意に、顔がカァァッと熱くなるのを感じました。

 指が、吸い付くように正解のフレットを捉えます。

 内省的な転調とともに、二匹目の熱情がかぶりを振りました。


「汝の名は――――【羞恥心】。」


 一瞬びくついたその熱情は、背中を向けてうなだれました。

 もう熱情は抵抗しません。しゅんとしたままいじけています。


 恥ずかしい姿。

 恥ずかしい僕。


「ああ、そうだよ! 恥ずかしいよ! バカだ、いや、アホ犬だよ僕は!」


 叫びが、今度は自嘲の旋律となって溢れ出します。


 僕は、エピタフを完全に嘗めていた。


 しぐさなんてバカらしい、そんなものより僕の正義感の方が正しいなんて、勝手に思い込んでいた。でも、あの【バカらしいしぐさ】こそが、エピタフの芯で、アイツの核そのものだったんだ。


 助けてやったなんて、どの面下げて言えたんだ。独りで戦い抜いた騎士を、横から出てきた村人が勝手に憐れんだようなものじゃないか。

 

 この、空回り野郎! 穴があったら入りたい……!


 熱情の二匹目。こいつは【ムカつき】の巨大な影に隠れていたんじゃない。

 

 自分自身の傲慢さと滑稽さを見られるのが恥ずかしくて、必死に息を潜めていたんだ。


 旋律は、自責と、そして深い敗北の認容を帯びて震え始めました。


 【ムカつき】を解体したあとの空洞に、この【羞恥心】という真っ赤な原液が流れ込んでいきます。


「言い過ぎたかな。自分も、頑固だったな。……いや、僕が一番マヌケだったな」


 不器用なアルペジオ。

 

 ギターの音は、さっきまでの騒がしさが嘘のように、情けなくて、けれど清々しい誠実さを帯びていきました。


「………………捉えたぞ、熱情。お前ら二人まとめて、楽曲に打ち直してやった」


 ポメロは、嵐が去った後のような静寂の中で、完成したばかりの書きなぐりのメモを大事に抱きしめました。


 『ムカつくあいつの歌』。


 そのタイトルを、ポメロはペンで一度、二重線で消しました。


 しばし、暗闇の中で黙考します。

 

 ペン先が紙の上で躊躇い、やがて、その二重線の前にぐりぐりと力強く、大きな二重丸を書きました。


「……明日、謝ろうかな」



────── ♬ ──────



「お腹減った!」


 ポメロを眠りから覚ましたのは、あまりにプリミティブな生存本能でした。それもそのはず、昨日の朝食以降、彼は怒りと創作に没頭するあまり、何もお腹に入れていないのですから。


「朝ごはん間に合うか!?」


 宿主であるドリーおばさんは、食事の時間に関しては鉄の規律を敷いています。一分でも遅れれば、温かいスープの代わりに、使い古された火掻き棒をお見舞いされることになります。

 

 ポメロは慌ててベッドから飛び起き、部屋の扉へ手をかけました。


 ガチャリ、ガチャリ。

 扉の開く音が二重に重なって響きます。


「「あ」」


 そこには、昨日大喧嘩をしたばかりのアイツが、同じように慌てた様子で立っていました。


 廊下を挟んで、気まずいバッティング。


 沈黙が支配し、数秒前までの空腹がどこかへ吹き飛ぶような緊張感が走ります。


「「あの」」


 驚くほどに気が合う自分たちに、ポメロは内心で舌を打ちました。


「おさきにどうぞ」

「いやおまえこそ」


 再びの沈黙。エピタフの表情は、どこか昨夜の余韻を引きずったように苦しげで、けれど、何かに縋るような色をその瞳に宿していました。


「では、僕から」

「どうぞ」


 エピタフは一つ、重苦しく息を吐き出すと、意を決したようにポメロを見据えました。


「聞こえていたよ、ずっと。……ポメロ、貴様の曲が」


「……セオリーわきまえずに、夜通しがなり散らして悪かったね」


「いや、そこは気にしてはいけないところだ。カーネギーは如何なる音楽を如何なる──」


「話長くなるなら、僕の話からでいい?」


「どうぞ」


 ポメロはエピタフの講釈を遮り、深呼吸をしました。

 昨夜、二重丸を書いたあの瞬間の気持ちを、そのまま言葉に乗せて投げつけます。


「ごめんね!」


「……え!?」


 エピタフが鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まります。


「昨日のアレは、エピタフの言う通りだった! ホントに余計な真似だったよ。お前が自分で解決できる問題に、しぐさも何も知らない僕が勝手に首を突っ込んで、事態を大きくしてしまった。……ホントにごめん!」


「貴様は……。僕に赫怒を抱いていたのではないのか? 昨日から聞こえていた貴様の楽曲は、鬱憤と怒りに満ち満ちていたじゃないか」


「あれかー。あれはなー。うん。おっしゃる通りなんだけど」


 ポメロは頭を掻きました。あの真っ赤な【羞恥心】のことまで説明するのは、さすがに勘弁してほしいところです。


「ああ、そういえば貴様は歌を吐き出しきってしまえば、希望の朝を迎えられるような男だったな」


「そこは、まあ、それだけでもないんだけど」


「だが、さっきの謝罪は真実。そう理解していいんだな。今は怒りを覚えていない。そう信じていいんだな?」


「そこはもう、疑いようもなく」


 ポメロが頷くと、エピタフは憑き物が落ちたような顔になり、それから居住まいを正しました。


「では、僕の用事を話そう。それは話すと長くなるのだが──」


「要点をまとめて」


「………………僕は貴様と、友達になりたかったんだよ」


 あまりにも真っ直ぐな、そしてあまりにも不格好な「伝統派」の告白。

 ポメロは拍子抜けして、思わず吹き出しました。


「何言ってんだよ、もう友達じゃん」


 朝日が差し込む廊下で、二人は笑い合いました。

 

 それから、どちらからともなく、互いの育ちを、胸に秘めた心情を、隠してきた真実を語り始めます。

 

 音楽に懸ける熱い思い。それぞれが目指す頂。

 

 二人の距離は、かつてないほどに近づいたように見えました。


 ──ですが、これがいけなかった!!


「ふっざけんな音叉脳!」


「話にならんな耳音痴!」


 友情の語らいは、わずか数分で決裂の咆哮へと変わりました。


「「ふん!」」


 二人は示し合わせたように背を向け、それぞれの部屋の扉をバン!


 扉を閉める為に回れ右!

 

 廊下をはさんだ正面に憎いあんちくしょうの顔!


 先手エピタフ。無礼者を糾弾する伝統派しぐさ!


 後手ポメロ。シンプルにあっかんべー!


 部屋の扉をバン!


 向こうからもバン!


(あいつに羞恥心を抱いた僕がアホ犬……いやバカだった! 絶対『ムカつくアイツの歌』は聴かせてやんないぞ!)



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