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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三十七幕「テルミン」

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113/119

四席

 

 翌日、再びポメロの下宿を訪れたユーメは、差し出された譜面を読み込むと、困惑したように小首を傾げました。

 

「……ポメロくん。これ、音符と音符が全部、波線で繋がってるよー? これじゃあ、どこが正解の音か分からないよー」

 

 ユーメの視線は、スコアに書き込まれた歌詞へと注がれました。

 

 ギターパートは重々しいマイナーコードの進行。

 

 それはまるで、自らの罪を一つひとつ白日の下に晒し、独房で懺悔するような暗い熱量を帯びています。

 

 では、テルミンは?

 

 それは伴奏として機能しているとは言い難いものでした。

 

 ギターのコード進行とも、音楽的な理屈とも全く合致していません。

 

「いいんです。まずは僕が弾いてみますから、聴いていてください」

 

 ポメロは昨日と同じように、テルミンの前に立ちました。

 

 彼の演奏は拙いものでした。

 

 正確な音階は取れず、指先は宙で頼りなく震えています。

 

 ですが、昨日と決定的に違うのは、彼が音を外すことを全く恐れていないことでした。

 

 ヒュゥゥゥ──ォォォォォォ──ン──

 

 それは、嘆きのような、あるいは熱病に浮かされた呻きのような響き。

 

 右へ、左へ。


 落ち着くことなく、常に震えて。

 

 (あれ……? これ、わざと揺らしてる? 演奏下手なだけじゃなくて? どうして?)

 

 ユーメは昨日の探訪ですっかり凝りていたのです。

 

 音階を粒立たせぬ楽器は楽器に非ず。

 

 探訪先の誰もからそう言われて。

 

 ですのでユーメも、ポメロはテルミンに明瞭な音階に寄せた曲作りをしてくると思い込んでいました。

 

 自分と同じ経験をしてきたから、自分と同じ出力になるはずだ、と。

 

 だから分かりません。

 

 今は聴いているしかありませんでした。

 

 最初はイラち気味に、じれったそうに見ていたユーメでしたが、聴き進めるうちにその顔から余裕が消えました。

 

 ポメロの指先から漏れ出る割り切れない音が、彼女の胸の奥を直接かきむしるように響き始めたからです。

 

 ポメロの演奏が静かに終わりました。

 

「感覚は掴んでもらえたと思います。次は僕がギターボーカルをしますので、ユーメさんはテルミンをお願いします」

 

「うん」

 

 ユーメはテルミンの前に立ちました。

 

 演奏すれば掴めるのでしょうか。

 

 この楽曲の真意が。

 

 作為が。

 

 ここにテルミンが必要だという、絶対的な存在意義が。


「始めます」


 演奏が始まりました。

 

 ポメロのギターが、自責の念を刻むように重く響きます。

 

 それに合わせ、ユーメが楽譜通りにテルミン空間を撫でました。

 

 不安定に。

 

 揺れ動きながら。

 

 制御しようとすればするほど、音は震え、旋律の糸を引きます。


 歌詞もまた、優柔不断な男が、愛を一つに定め切れぬもの。


 そんな煮え切らぬ自分を反省し、道義を以て否定し、叱責するもの。

 

 「!」

 

 ユーメの脳内で、バラバラだったパズルのピースが音を立てて繋がりました。

 

 (そうだ! テルミンは楽曲からわざと浮かせているんだ。後悔と自責に満ちた歌の裏で、未だ揺れ動く、止めようのない情動をあらわしているんだ!)

 

 頭脳ギターで抑え込もうとしても、本能テルミンがそれを裏切って震える。

 

 この楽器こそが、人間の【揺れ動く心】そのものだったのです。

 

 「……そっか! 分かったよ、ポメロくん!」

 

 ユーメの糸目が、かつてないほど鋭く、「ギンッ!」と見開かれました。

 

 彼女は気づきました。

 

 自分はこの楽器を愛でるあまり、既存の音楽という枠にあてはめようとしすぎていたのです。

 

 ですが、音階という壁に囚われない、シームレスな発振周波数の変動──この不連続な世界における、唯一の連続性こそが、彼女のお友達の真実だったのです。

 

「ありがとうポメロくん! アタシ、やっとこの子の本当の声が聞こえた気がするよー!」

 

 歓喜に突き動かされたユーメが、勢いよくポメロに抱き着きました。

 

 豊満な胸の弾力が、そしてあの大地のような下半身の質感がポメロの全身を包み込みます。

 

 かつてのポメロなら、これだけで鼻血を吹いて卒倒していたはずのシチュエーション。

 

 ですが。

 

「……どういたしまして。ユーメさん」

 

 ポメロの心は、微塵も揺れませんでした。

 

 その目は慈愛に満ち、同時に全てを悟った聖者のように凪いでいます。

 

「あれー? ポメロくん、今日はなんだか──動じないねー?」

 

「ええ。揺れる心は、全てあの楽譜に置いてきましたから(キリッ!)」

 

 一晩の苦闘の末、彼は不純な音楽を完成させることで、一時的な精神の平穏を手に入れていました。



 ───── ♬ ─────



 流行の発信地、四番舞台。

 

 ここでは新聞社と連携した独自のチャートが日々更新され、街の流行が物理的な熱量となって渦巻いています。

 

 その舞台裏、巨大な搬入口の影で、デッカは不敵な笑みを浮かべていました。

 

「よしよし、仕込みは完璧。……ちゅーす、記者の旦那? ええ、三番人気のランカーが急な腹痛で欠場してまして。ええ、代わりの補欠はこっちで用意しました。はい、なにせ『六歌仙を従えた異色ユニット』ですからね。話題性はバッチリってワケ。良かったら音楽面の記事ヨロです。ああ、突発事故に対する穴埋めなんで、六歌仙登壇のタブーは適応外なワケで。興行主も納得済み」

 

 デッカはしばし前のマネジメントへの転身の決意を、早くも実行に移していました。

 

 彼の人脈をフル活用し、ランカーの欠場枠に無理やり「ユーメ&ポメロ」という急造ユニットをねじ込んだのです。

 

 「さあポメロちゃん、出番だぜ! 俺ちゃんのマネジメント第一弾、いっちょド派手に決めちゃいましょ!」

 

 会場を埋め尽くすオーディエンスの前に、二人が姿を現しました。

 

 ポメロがテルミンの調整を行い、その傍らでユーメが静かに、だが大きく見開かれた瞳でアンテナを見つめます。

 

 「曲名は──『テルミン』。聴いてください」

 

 ポメロの合図とともに、ユーメの手が空を舞いました。

 

 今回、彼らが用意したのは単なる音ではありません。ポメロが用意した黒曜石の粉末が、ステージの特殊な電磁場に反応して空中へと撒かれました。

 

 「ヒュゥォォォォォォ──ン──」

 

 静電気を帯びた黒曜石の微粒子が、ユーメの手の動きに合わせて可視化されます。

 

 それはまるで、本来見えないはずの旋律が、夜空を舞う光のカーテン……オーロラのように舞台上をのたうつ演出でありました。

 

 ユーメは、かつてないほど楽しげに、そして誇らしげにその手を動かしていました。

 

 誰にも理解されなかったお友達の声。

 

 それを、ポメロが不純な煩悩を削り出してまで書き上げた譜面が、完璧な音楽として肯定しています。

 

 音階の隙間を埋める震えは、もはやノイズではなく、彼女自身の生命の躍動でした。

 

 その喜びが指先から溢れ出し、黒曜石の光となって観客を魅了していきます。

 

 聴衆は息を呑みました。

 

(揺れる……心が、引き裂かれる……!)

 

 ポメロが楽譜に叩きつけた「リノへの誓いと、尻への劣情」の間で悶えるドロドロとしたグリッサンド。それが、【淋しくて震える勢】を多く擁する四番舞台のオーディエンスには、全く別の意味として刺さったのです。

 

 演奏しているユーメは、まさかこの旋律を揺れ動かしている正体が、自分のお尻への執着だなどとは夢にも思っていません。

 

 ですが、この不確かな音の中に人間の割り切れない情動が詰まっているという大意は掴んでいます。

 

 詳細は伏したままでヨシ!

 

 もし真実を知ってしまったら、恥ずかしさのあまり指先が硬直して、二度とこの流麗なグリッサンドは弾けなくなるかもしれないのですから。

 

「なんて……なんて誠実なバラードなの!」

 

「自分の弱さと、罪悪感に向き合いながら……それでも愛を歌おうとする震え……全私が泣いたわ!」

 

「淋しくて淋しくて震える」

 

 感動している件の界隈は、まさかこの旋律を揺れ動かしている正体が、お尻に執着するフェチズムだなどとは夢にも(以下略

 

 ポメロが不純な動機で書いたはずの音の揺らぎは、迷いながらも一途であろうとする、誠実な男の苦悩として、見事なまでに誤解され、熱狂的に受け入れられてしまったのです。

 

 かつてポメロに鶏卵爆弾を浴びせた【淋しくて震える勢】に!

 

 一方、客席の端にいた玄人の演奏家たちは、その音階に縛られない表現力に戦慄し、楽器としてのテルミンを再評価し始めました。

 

 ゆあーん。ゆよーん。

 

 最後まで揺れ続けたテルミンのソロで演奏が終わり、割れんばかりの拍手が会場を包みます。その絶頂の中、興奮を抑えきれないユーメが叫びました。

 

 「ポメロくん、ありがとうーっ!」

 

 ユーメはポメロに勢いよく抱き着きました。観客からは「キャーッ!」という悲鳴にも似た歓喜の叫びが上がります。

 

 スポットライトを浴びて抱き合う二人の姿は、その夜のカーネギーで最も尊く、最も大きな誤解を招く光景となりました。



 ───── ♬ ─────



 翌朝。

 

 カーネギータイムズ芸能欄には、抱き合う二人の写真と共に、扇情的な見出しが躍っていました。

 

 『新星ポメロ、六歌仙ユーメと熱愛か? 揺れる旋律が繋いだ恋のグリッサンド?』

 

「ちょっと待てよブンヤさん! これ話違くね?」

 

 デッカは新聞社に乗り込み猛抗議しましたが、記者は恐縮もせずにて取り合いません。

 

「デッカくんさあ、文末に疑問符がついてるだろ? だからセーフってのが音楽紙(≒スポーツ紙)の理論でね。訂正文? 無理無理の無理!」

 

「俺ちゃん、初仕事で大チョンボ……?」

 

 音楽紙編集室の片隅で、デッカは新聞を握りしめて項垂れました。ポメロを売るための話題作りが、あらぬ方向へ暴走し始めています。

 

 ですが、それでも。

 

 楽曲『テルミン』の膾炙とともに、楽器【テルミン】の認知も進んだのですから、ユーメの依頼は果たされたと言っていいでしょう。

 

 頑張れデッカ。

 

 みらいはあかるい。



 ───── ♬ ─────



 四番舞台での熱狂から数日。

 

 ポメロの下宿には、かつてないほどの静寂が訪れていました。

 

 鏡に映る自分の顔は、どこか憑き物が落ちたように清々しいものです。

 

 あの日、テルミンの揺らぎに全ての煩悩を叩きつけたことで、彼は真の意味での純愛に至ったのでした。

 

「……ああ、心が軽い。僕はついに全き愛を手にしたのかもしれない」

 

 窓から差し込む朝陽を浴びながら、ポメロはリノの絵姿に手を合わせました。

 

 農民の子沢山を望むDNAは、意志の力で封じ込めました。

 

 今の自分なら、リノへの純愛を一点の曇りもなく貫き通せます。

 

「よし、今日も誠実な楽師として、清らかな旋律を……」

 

 決意も新たに筆を執ろうとした、その時でした。

 

 数日と同じ、ですがより重量感を増した足音が階段を駆け上がってきます。

 

 しーっ! 気付いちゃいけません!

 

 ユーメさんはそういった数値の上下動を気にしてるんですから!

 

 いっぱい食べますけど!

 

「ポメロくーん! 入るよー!」

 

 バタンと勢いよく扉が開きました。

 

「ユ、ユーメさん!? だから、せめてノックを……」

 

 そこには、前回の成功で自信を深めたのか、一層艶やかなオーラを纏ったユーメが立っていました。

 

 彼女の腕には、またしても見たこともない異形な楽器が抱えられています。

 

「見て見てー! 次のお友達を見つけてきちゃった! 【グラス・ハーモニカ】っていうんだよー。これね、グラスの縁を指で撫でて音を出すんだけどー……」

 

 ユーメは興奮気味に、ポメロの机の上へその繊細なクリスタル製の楽器を並べ始めました。

 

 そして、「ちょっと場所を貸してねー」と、以前よりもさらに大胆に腰を折り、ポメロの目の前でセッティングを始めたのです。

 

「これ、中腰じゃないと上手く指が届かなくてー……んっ、んっ!」

 

(──ッ!?)

 

 ポメロの眼前に、再びそれが迫りました。


 前回よりも薄手の生地になったオーバーサイズ・ニット。


 それが、彼女がかがみ込む動作によって極限まで引き絞られ、あの大地のような、豊穣を司る女神のような下半身の輪郭を、暴力的なまでの鮮明さで強調しています。


 ぱつんぱつんの、つん!


 しかもベージュ色! 豊穣な大地を象徴するカラー!

 

 逃げ場はありません。

 

 彼の視界の九割は、またもやユーメが惜しげも無く突き出した質量によって支配されていました。

 

 ×:またもや

 〇:性懲りも無く

 

 純愛に殉愛するはずの心が、一瞬で地獄の業火に包まれます。

 

「ポメロくん? また手が震えてるよー? ほら、このグラスに指を這わせて……あ、そこじゃないよ、もっと奥を撫でて……」

 

 至近距離で放たれる、官能的なまでに澄んだクリスタルの音色。

 

 それ以上に官能的なユーメの吐息と、目の前の圧倒的な大地。

 

 大地讃頌!

 

 ポメロの理性が、ダムが決壊するように音を立てて崩れ去りました。

 

(無理だ! 純愛なんて無理だ! リノ! ごめんリノ! でも、でも……このお尻は、豊穣の大地のつややかなメタファーなんです。農民の遺伝子を継ぐ者には決して逆らえない具現化した女神なんですッ!)

 

「ポメロくん、この子のためにも曲、書いてくれるよねー?」

 

「もちろん!」

 

 ポメロは元気よくお尻に返事しました。

 

 しねばいいのに。


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