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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三十七幕「テルミン」

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110/116

一席

 

「ねえ、アポーさーん。これ、アタシの新しいお友達なんだけどー。曲、書いてくれないかなー」

 

 カーネギーの中心、一番舞台の奥にある六歌仙専用談話室。

 

 豪華な革張りソファに、亜麻色の髪をゆったりと揺らしてユーメが腰掛けていました。

 

 彼女の傍らには、アンテナの突き出た無機質な木製の箱が置かれています。

 

「お、なんだいソレ! 魔法の箱かい?」

 

 真っ先に身を乗り出したのは、革新派の旗手アップルです。

 

 派手な衣装を揺らし、天使の輪が輝く黒髪をなびかせ、底抜けに明るい笑顔をユーメに向けます。

 

 ですが、ユーメが空中で手を泳がせて「ヒュィィィン」と頼りない音を鳴らしてみせると、その大きな口が僅かに止まりました。

 

「うーん、スプーキーね! 面白いけど、アタシのステージはオーディエンスと熱量を分かち合う場所なんだ。触れない楽器じゃ、アタシの十八番のハイタッチもできないだろー? ちょっと不気味すぎるかなー」


「作曲はー?」


「却下だー!」

 

 その箱の名は、テルミン。

 

 雷神ライデンの恩寵である電力を、音という怪現象へ直接変換する異形の箱でした。

 

 楽器本体には鍵盤も弦も、叩くべき皮すらも存在しません。

 

 ただ二本のアンテナが突き出ているだけ。

 

 そこへ手をかざし、見えない空間の震えを操ることで、電気の唸りが旋律へと変わるのです。

 

 肉体と物質が接触しないその演奏風景は、どこか降霊術にも似た不気味な静謐さを湛えていました。

 

「がーん」

 

 ユーメがふにゃふにゃと肩を落とします。

 

 アップルはにこやかに、ですがエンターテイナーとしての冷徹さで、興味を他へ移しました。

 

「ミューさんはお願い聞いてくれるよねー?」

 

「波形が定まっていない」

 

 次に口を開いたのは、隅のソファで譜面を睨んでいたミューチャーでした。

 

 目の下にべったりと張り付いた隈が、彼の深刻な睡眠不足を物語っています。

 

 彼はユーメの手元の「揺らぎ」を、解析でもするかのような鋭い視線で射抜きました。

 

「音と音の間に、無限の階調が存在しすぎている。俺の計算されたパッチワークに、そんな数式化できないノイズを紛れ込ませる余裕はないな」


「つまり?」


「却下だー」


「ががーん」

 

 ユーメは這うようにして、最後に残った男の元へ視線を送りました。

 

 伝統派の看板、モトロード。

 

 彼はストイックに姿勢を正し、眉間に深い縦皺を刻んだまま、腕を組んで黙考していました。

 

 本来なら、実権を握る長老たちに代わって楽器の定義について厳格な議論を吹っかけるべき立場でしたが──。

 

「…………」

 

「モトさんなら! それでもモトさんならなんとかしてくれる! くれるよねー?」

 

 先ほどの二人の「却下だー」という軽快なリズムが、密室の空気を支配しています。アップルが期待の眼差しでモトロードを見、ミューチャーが面倒そうに彼を促します。

 

 その場の「流れ」が、生真面目な中間管理職の首を絞めました。

 

 「……伝統とは、弦を震わせ、鍵盤を叩き、肉体と物質が接触する歴史だ。実体のない音を、伝統の席には並べられん」


 「まとめると?」


 アップルの笑顔が深まります! 同調圧力!

 

「却下だー」

 

「やだもー」


 屈しました!

 

「でもでも! 楽しいんだよテルミン! ほらみんなもここに手を突っ込んでみてー。ほらー、にょにょ──ん♪」

 

 楽器の冠を被る演奏家の頂点、六歌仙ユーメ。

 

 人呼んで「楽器オタクの極み」!

 

 彼女は普段はおっとりゆるふわな大人のおねーさんなのですが、時折、楽器絡みでこのように暴走します。

 

 六歌仙仲間はそれにうんざりしていました。

 

「可能性のかたまりだよこの子──、だから」

 

「「「却下だー」」」

 

「……みんな、口癖まで真似しなくてもいいのにー」

 

 ユーメは重い箱を抱え、トボトボと談話室を後にしました。

 

 誰も分かってくれません。この空を切る手のひらに伝わる、不思議な対話の楽しさを。

 

 「こうなったらあの子に頼むしかないかなー。今、カーネギーで一番いろんな楽曲にチャレンジしてる【ジャンル横断者】くんに」



─── ♬ ───



 王都での「ダダッダ献上」を終え、ポメロがカーネギーに戻ってからひと月が過ぎていました。

 

 劇的なデビュタントの記憶もようやく落ち着きを見せ、ポメロは夕暮れ時、下宿の自室で静かに五線譜に向き合っていました。

 

 伝統派と革新派。

 

 その巨大な力に翻弄されながらも、自分の音を紡ぎ出す日々。

 

 そんな彼の平穏な時間は、階下からの遠慮のない足音によって破られました。

 

「お邪魔するよー。ポメロくーん」

 

「ユーメさん?」

 

「見て見てー。アタシの最高のお友達!」

 

 ユーメはポメロの困惑を無視し、例の箱を机にドスンと置きました。

 

 アンテナから微かな磁鳴が響きます。

 

 彼女はそのまま、「ちょっと位置が悪いかなー」と呟きながら、設置場所の微調整を始めました。

 

「うんしょ。うんしょ。これ、アンテナの周りに空間がないとダメなんだよねー」

 

 椅子の上のポメロを退かすこともせず、ユーメは机に手を突き、彼の眼前に背を向けて腰を折りました。

 

 その瞬間、ポメロの全視界が質量に支配されました。

 

(──っ!?)

 

 本来、体のラインを見せないはずのオーバーサイズ・ニット。

 

 ですが、ただ一部だけ!

 

 ただの一部だけがその表面積に負け、限界まで突っ張っていました。

 

 ぱつんぱつん!!

 

 ポメロの鼻先、わずか数十センチの距離に突き出されたのは、圧倒的なまでの豊穣。

 

 大地の如き広がりを持ち、命の力強さを体現したような、あまりにも無防備で、あまりにもむっちりとした下半身。

 

 ポメロの農家としての子沢山を求めるDNAが、先祖代々受け継がれてきた土への渇望が、脳内で一斉に騒ぎ立てました。


 久しぶりに出ちゃったわね。少年の悪しき性癖が。

 

 『見ろ! これこそが約束された常春の園だ!

  この大地に種を蒔かずして、何が農家か!!』

 

「ポメロくん? どうしたのー? ほら、ここをこうやって、空気の撫でるみたいに……ね、テルミン面白いよねー?」

 

 位置調整を終え、ユーメが至近距離で、潤んだ糸目を細めて首を傾げます。

 

 そのたびに、ニットの向こう側のいとけない女神が、ポメロの理性を粉々に粉砕していきます。

 

(リノ! ごめんリノ! でも、埋もれたい……! このおめがみは…… これは人類の遺産! 農家の未来! 抗えるわけがない!)

 

 罪悪感が劣情の奔流に飲み込まれ、ポメロの鼻孔からは熱い吐息が漏れました。

 

 もはや女神(お尻)の化身たるユーメのお願いを断るという選択肢は、彼の脳内から完全に抹消されていました。

 

「最高です! 最高に面白いです、この楽器! 書きましょう、僕が、あなたとこのお尻──じゃなくて、この楽器のために!」

 

 ポメロは力強い目で答えました! お尻に!

 

「わーい、話が分かるねー。嬉しいなー」

 

 ユーメは目線に気づきません! ゆるふわ!

 

 右の皿に純情リノ

 左の皿に性欲ユーメ

 

 ポメロの心の天秤は、今、激しく揺れ動きはじめました。



─── ♬ ───


 

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