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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三十五幕「強いぞ!凄いぞ!カッコイイぞ!」

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108/115

四席

 

 ポメロの楽曲献上をコネクトーン夫人が認めて十日後。

 

 デビュタントは盛大に開かれました。

 

 会場となる大広間は、王都の威信を象徴するかのような贅の極みでした。

 

 天を突くほどに高い天井からは、数千の黒曜石の装飾を施した特大のシャンデリアが吊るされ、その眩い煌めきが壁一面の金箔を震わせています。

 

 舞台の左右には、王宮お抱えのフルオーケストラが厳かに控えていました。

 

 その中心に鎮座する楽師長を筆頭とした伝統派の面々は、一切の妥協を許さぬ氷のような眼差しを舞台へと注いでいます。

 

 彼らにとって、この場は音楽の聖域であり、異物の混入を阻む鉄壁の防波堤でもありました。

 

 やがて、会場の空気が一変しました。

 

 フルオーケストラが地鳴りのような勇壮なファンファーレを奏で、大広間の巨大な扉が開きます。

 

 国王の入場。

 

 室内の一同は、打ち捨てられた稲穂のように一斉に頭を下げました。

 

 コネクトーン夫人に徹底的に叩き込まれたポメロもまた、無作法な動作を一切見せず、宮廷の法に寸分違わぬ深々とした一礼を捧げました。

 

 現れた国王は、まさに絶対的な君主そのものでありました。

 

 トランプのキングをそのまま現実へ引きずり出したかのような、圧倒的な威厳。

 

 表情は巌の如く凍りついており、感情の機微など一切読み取らせません。


 何より目を引くのは、その芳醇な髭です。

 

 あまりに立派で密度のあるそれは、天地をひっくり返してもそのまま王の顔として通用しそうなほどに見事な造形を誇っていました。

 

 王は一言も発せず、ただゆっくりと手を挙げました。

 

 それが合図となり、一同は一斉に顔を上げます。

 

 すぐに国王の御前へと続く一つの列が形成されました。デビューする子供たちの列です。

 

 先導する家族や随行する家臣に手を借りることなく、子供たちは自らの足で、初めての拝謁に臨まねばなりません。

 

 王の威厳に圧され、今にも泣き出しそうな少女。

 親の手を求めて必死に振り返る少年。

 緊張のあまり石のように固まって動けなくなる者。


 無理もありません。

 

 あの国王の存在感は、おおよそ人の域を超えていました。


 何より、あの髭です。


 子供の視点から見れば、髭そのものが巨大な怪物のように見えても不思議ではありません。

 

 しかし、子供を前にしても王の態度は変わりません。

 

 「楽にせよ」などという慈悲の言葉は降ろしません。

 

 ただ機械的に、氷の宣告が繰り返されるのみです。

 

「挨拶を許す」

「名乗りを許す」

「精々励め」

 

 交わされる言葉はそれだけ。

 

 挨拶が終わると、背後に控えていた親貴族が目録を差し出します。献上品です。

 

 王は短く大儀とだけ告げ、親子貴族は拝退していきました。

 

 その冷徹なまでに行儀の良い儀式が、粛々と消化されていきました。

 

 アンドレックとコネクトーン夫人は、その列の最後尾にいました。

 

 献上するものが歌であり、本日のデビュタントにおいて最も注目されるべき盛り上がりどころだからです。

 

 列が消化される間、王の言葉は一言一句変わることはありませんでした。

 

 そしてついに、アンドレックの番が訪れます。

 

「挨拶を許す」

「名乗りを許す」

「精々励め」

 

 王の言葉は、ここでも繰り返されました。

 

 コネクトーン夫人が一歩前に出ました。

 

「陛下、本日、我が子アンドレックより、王国への忠誠を込めた歌を献上いたしたく存じます」

 

 王の鋭い瞳が、アンドレックを射抜きました。

 

 アンドレックは動じることなく、瞳を輝かせます──好奇心と敬意の光で。

 

 あるいはかっこいいヒーローに憧れる子供の眼差しで!

 

「……許す」

 

 その言葉が発せられた瞬間、宮廷楽師たちが揃って「受け入れがたい」という伝統的なしぐさを見せました。眉をひそめ、不快感を露わにします。

 

 会場は、嵐の前の静寂のような沈黙に支配されました。

 

 ですが、アンドレックは恐れませんでした。

 

 彼は毅然と立ち、自らの戦友の名を呼びました。

 

「ポメロ!」

 

 その呼び声に応えるように、静謐と伝統が支配する大広間の空気を、野蛮な咆哮が切り裂きました。

 

 ♪―― ダダッダダッダッ! ダッダッダダダ!

 

 舞台袖から躍り出たポメロの勇壮なスキャットに、会場一同が総ポカンと口を開けます。

 

 あまりに無作法、あまりに異質な開演。

 

 一瞬の静寂の後、不敬を察した優秀な近衛兵たちが、獲物を囲うようにポメロへと動き出します。

 

 それをアンドレック様が毅然とした手つきで制しました。

 

 ポメロは不敵に笑い、抱えた楽器の弦を激しくストローク。

 

 彼が掻き鳴らすのは、ギターよりも古く、伝統派が「唯一正当なる弾き語り用の弦楽器」として認めるオールドスタイルリュート。

 

 デビュタントまでの僅かな時間、ポメロは寝食を惜しみ、この扱いの難しい古楽器の習得にすべてを費やしてきたのです。

 

 激しいタッピング。

 足を踏み鳴らす音さえもリズムに転用する野蛮な動作。

 

 それらは伝統派の作法から見れば逸脱そのものでしたが、古楽器の選定という究極の正当性が、その非礼を強引に相殺トントンに持ち込ませます。

 

 そして、アンドレック様が口を開きました。

 

  ♪―― 王様のオヒゲは凄いヒゲー!

  ♪―― 従う騎士たち白い盾ー!

 

 直截。

 

 あまりにも幼稚な言葉のセレクトに、会場の貴族たちがざわめきます。

 

 アンドレックは止まりません。

 

  ♪―― お城は大きい! にょきにょき塔が伸びてる!

  ♪―― ごはんもすごくおいしい! あまいデザートまであった!

 

 一番が終わり、間奏へ入ると同時にポメロの指先が弦の上で狂ったように踊り始めました。

 

 それはもはや音楽というより、火花を散らす真剣勝負の様相がありました。

 

 古典リュートの共鳴弦が異様な倍音を響かせ、石造りの広間の隅々までその震動を伝播させていきます。

 

 ポメロは演奏しながら位置を替え、アンドレックの背後に立ちました。

 

 互いに背中を預ける形で、熱を共有します。

 

 ポメロの指の動きは、伝統派の楽師たちが技巧の極致と信じて疑わない定石を、一指たりとも損なわずに、伝統派音楽ではありえぬ速度で超越していました。

 

 ゴシックメタル奏法!

 

 スライド、チョーキング、さらに伝統派には存在しない高速のピッキング。

 

 それら一つひとつは、宮廷の様式美を破壊するハンマーのようでありながら、根となる奏法自体に瑕疵は見当たりません。

 

 故に、楽師たちは批判の言葉を喉元で詰まらせるしかありませんでした。

 

「──これは、何という不道徳な……! しかし、あの運指は……!」

 

 楽師長が、震える手で膝を握りしめました。

 

 彼の耳には、それが単なる騒音ではないことが分かっていました。

 

 伝統的な旋律の骨組みを保ちながら、その肉付けに異教の魔術的なリズムを注ぎ込んでいます。

 

 完璧な古典の文法を用いて、最高に不敬なスラングを綴っているようなものです。

 

 そして二番が始まる直前。

 

 背中合わせの二人は、天を衝くような声で叫びました!

 

 声を合わせて!

 

 ♪―― 「「ダダッダダッダッ! ダッダッダダダ!」」

 

 叫び終えると同時に、ポメロは流れるような動作で元のホームポジションへと戻り、アンドレックもまた真っ直ぐに王に向き直りました。

 

  ♪―― 王様の冠キーラキラー

  ♪―― 騎士たちの剣がザックザクー

 

 擬音が増えた! IQが一段下がった!

 

 二番に入り、歌詞の幼稚さはさらに加速していきます。

 

 同期デビューの子供たちが、隠しきれない嘲笑を漏らします。

 

 それは格付けの笑いです。

 

 ビクター家の神童が、知性を捨てて馬鹿になったのだと、彼らは嘗めきりました。

 

 貴族として、その誇りを汚されたも同然の屈辱。

 

 宮廷楽団員たちは一様に首を振り、顔を見合わせ、溜息をついて「ヤレヤレ」を告げる伝統的なしぐさを揃えてみせました。


 ですが、歌を捧げられていた国王の、巌の如き表情は依然として変わりません。

 

 その沈黙が、かえって不気味な重圧となって会場を押し潰そうとしていました。


  ♪―― 強いぞ! 凄いぞ! カッコイイぞー!

  ♪―― 僕らの王様ダダッダー!

 

 演奏が終わりました。

 

 サビを聞いた王の眉がピクリと歪み、しかめ面の威厳たっぷりの国王の肩から、ふっと力が抜けました。

 

 会場に響くのは、まばらな拍手。

 

 そして冷笑を孕んだ静寂。

 

 コネクトーン夫人は、青ざめた顔で己の軽率な判断を呪っていました。

 

 あの時、ポメロを、この茶番を止めてさえいれば。

 

 ビクター家の名誉は今、どん底に堕ちたのだと確信していました。

 

 ですが。

 

 絶対なる判定者である国王が、低く、しかし通る声で呟きました。

 

「──ダダッダー。」

 

 王が、笑いました。

 

「くははは! 面白き歌であった! 奉納を許す! 伝統だの格式だのと、聞き飽きた言葉を並べ立てられるより、よほど愉快だ! よほど敬意が伝わった! 純粋で汚れ無き敬意がな」

 

 ダウト! 王様の目は節穴だ!

 

 見よ、歌い終わったアンドレックの知性にあふれた目を!

 見よ、王の称賛を受けた彼の、してやったりと歪んだ口元を!


 こやつ、幼いフリして大人心をくすぐりよった!

 

 楽師長は嘲笑の表情を浮かべたまま、黒曜石のように固まりました。


 付き従う楽師たちはそろって両手を口に持っていき驚愕しぐさ!

 

 まばらだった拍手は、王の笑い声に誘われるように、たちまち爆発的な大喝采へと変わりました。

 

 貴族は旗色を読むのが得意です。

 

 この「不敬なはずの歌」こそが、今この瞬間の正解なのだと誰もが理解しました。

 

 コネクトーン夫人は、信じられぬ面持ちで国王を見つめていました。

 

 笑っている。

 

 公爵令嬢として玉座に近しく生きてきた彼女は知っています。

 

 あの方が滅多に笑わぬことを。

 

 脱力した姿など、決して人に見せぬことを。

 

 これは異常。

 

 最高ではないかもしれませんが、尋常ならざる、剥き出しの賛美。

 

 震える視線で母は子を見ました。

 

 視線に気づいたアンドレック様は、これまでに見たこともないような、心からの達成感に溢れる笑顔を母へ向け、高らかにこう告げました。

 

 

 

「ダダッダー!」



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