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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三十五幕「強いぞ!凄いぞ!カッコイイぞ!」

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105/110

一席


 領主館の謁見の間は、音楽の都カーネギーにおいて、音楽よりも法が上に立つ数少ない場所です。


 大理石の壁には歴代の奉納曲を奏でた名士たちの名が刻まれ、その中にはマンモスやモトロードといった【六歌仙】の称号も鈍く光っています。

 

 歌を従える場所なのです。

 

 ここには、ポメロが背負ってきた野良の泥臭さなど、一音とも入り込む余地はありません。


 跪き、未だ顔を上げる赦しすら出ていないポメロに、高貴なる女性が声をかけます。


「顔をお上げなさい」


 指示に従ったポメロの目に映ったのはコネクトーン夫人。

 

 領主の妻。そして、リノの義母となります。


「──ポメロ。お前の熱情をアンドレックが求めているのだけれど」


 高座の隣に並ぶ伴侶の席に座る夫人が、静かに微笑みました。

 

 初めて見るその貌は、慈愛に満ちた聖母のようでありながら、その一挙手一投足が【ビクター家の正解】という冷徹な美意識を体現しています。

 

 彼女が茶器を置く音さえも、計算し尽くされた音響設計の一部であるかのように、部屋の静寂を支配していました。


 かつてポメロの隣にいたリノの姿はありません。

 

 彼女を鳥籠に閉じ込めたハルモニアの影も、今はここにありません。

 

 代わりに居並ぶのは、名門の重圧を当然の如く着こなすビクター家の面々と、彼らを守る重厚な精鋭騎士たち。

 

 そして、神童の仮面を被らされたアンドレックです。


 ポメロは、自身のギターケースを握りしめました。


 王都でのデビュタント。


 貴族社会の一員として認められるための、厳格で華やかな儀式であり、高級貴族のそれは国王へのお目見えも兼ねることとなります。

 

 一族の忠誠を示す政治の舞台。

 

 ポメロがここにいるのは、アンドレックのそれへの随行依頼です。貴族家から成される依頼とは命令を意味します。


「ビクター家のデビュタントは特殊でな」


 玉座に座すゲッティングが、あえてトルバドールであるポメロを随行させる理由を説明します。

 

 誠実です。

 

 彼ほどの立場の男であれば、ただ「随行せよ」と命ずるだけでよいのです。理由の説明など使用人の仕事です。


「他家は財宝や装飾品、地場の珍品名品を王家へ献上するのだが……当家は『歌』を献上するのだ。デビューする本人が、国王の前で歌うことを以てな」


 それが、音楽の都を預かる者の義務なのでしょう。


 本来ならば、六歌仙の誰かを随行させるのが正解とされます。ポメロの招聘は、他ならぬアンドレック自身の強い希望でした。


「僕に音楽という武器を与えたのは貴様だ。随行の栄誉を以て褒美としよう」


 かつての孤独な少年は、今は毅然とそう言い放ちます。

 

 ですが、その背後に控える夫人の視線は、ポメロを刺し貫くように冷たいです。

 

 新進気鋭のトルバドール。

 

 世間はそう囃しますが、ランク上はまだBランク。六歌仙はSランク。

 

 御前に出すには圧倒的に【格】が足りないのです。

 

(格。また格か)

 

 リノとの間に横たわる、あの見えない壁が、再びその輪郭を現します。


「アンドレックと私たちを取り持ってくれた貴方には、感謝の言葉もありませんわ」


 夫人が継ぎ目のない笑みを向けます。


「ですが、政治の場では話が別。賢明な判断をしなさい……。辞退するのであっても、咎めることは致しません」


 それは慈悲を装った【伝統派しぐさ】による強制でした。

 

 引き下がるのが貴方の身のためだという、音のない警告。


 もし、ここで夫人の不興を買えば、リノに近づく道は永遠に閉ざされるかもしれません。そんな恐怖がポメロの背筋をかすめます。

 

 ですが、恐怖以上に、ポメロの底にある野心が疼いていました。


 ───六歌仙に、最短距離で駆け上がりたい。


 リノの隣に堂々と立つためには、実力だけでは足りません。権力という名の照明が必要なのです。

 

 この献上を成功させ、王家の覚えをめでたくすれば、ポメロの名は全土へ響き渡るでしょう。

 

 リノの義母に睨まれるリスクと、王都の頂へ続く階段。

 

 天秤は、一瞬で傾きました。


「ポメロ、来い。僕の歌を託せるのは、お前だけなのだ」


 自分を真っ直ぐに見据えるアンドレックの瞳。

 

 その期待を、今は心地よい熱量として飲み込みます。


(───やってやらあ!)


 ポメロの思考は急速に熱を帯びていきます。

 

 これは単なる随行ではありません。

 

 王家という頂点へ、自分の音が届く最短距離の階段です。


 リノを、それどころか自分を、かつて見下した伝統という巨大な壁。

 

 その向こう側へ行くために、この過分な期待を、あえて飲み込む必要があります。


「……承知しました。アンドレックの従士として、最高の賛歌を書き上げます」


 アンドレックの顔はほころびました。

 ゲッティングの顔は変わりません。

 コネクトーンの顔は扇に覆われました。


 ポメロの受諾は、退路を断つ宣戦布告でした。



───── ♬ ─────



 領主館を出発した豪華な馬車は、石畳を叩く規則正しい蹄の音を響かせながら、王都へと続く街道をひた走っていました。


 車内は、外の喧騒を完全に遮断する厚いビロードのカーテンで守られています。

 

 向かい合わせに座るのは、正装に身を包んだコネクトーン夫人と、窓の外を無表情に眺めるアンドレック。

 

 その隣に、場違いなギターケースを抱えて縮こまるポメロの三人だけです。


「ポメロ。少し、王都の空気を教えてさしあげましょう」


 コネクトーンが、扇子を畳む乾いた音と共に口を開きました。

 

 その声は、揺れる馬車の中でも驚くほど澄んでおり、逃げ場のない密室を支配します。

 

 公爵令嬢として生まれ、嫁入りまでを王都で過ごした彼女は、国王とも親戚づきあいをするほどの高貴な血筋です。

 

 今なお王都在住の貴婦人方と頻繁に交流し、現地の情勢を克明に把握している彼女の言葉は、単なる伝聞ではなく真実としての重みを持っていました。


「王都の宮廷音楽は、私たちが治めるカーネギーとはまた違う法で動いています。そこを統べるのは、重伝統派と呼ばれる黒曜石のように硬い方々。彼らにとって、お前の奏でるような即興的な熱情は、ただの不敬なノイズでしかないのです」


「……ノイズ、ですか」


 ポメロが短く返すと、コネクトーンは慈愛に満ちた、しかし一切の反論を許さない瞳で彼を射抜きました。


「そう。これはアンドレックのデビュタント。一族の未来がかかった神聖な儀式。もし、お前が自分の野心などという卑小な我欲を優先して、王家を不快にさせるようなことがあれば──」


 彼女はそこで言葉を切り、優雅に微笑みました。


「その時は、リノの未来も、アンドレックの居場所も、すべてお前の手で壊すことになると理解なさい。ポメロ。お前は、完璧な【道具】でありさえすればよいのです」


 釘を刺す、という生易しいものではありませんでした。

 

 それは、見えない真綿で首を絞められるような、静かなる通告。

 

 リノを呼び捨てにしながらも、そこには娘としての将来を案じる義母としての情が含まれています。

 

 それが同時に、末っ子であるアンドレックを傷つけたくないという、盲目的な過保護さからくる排除の論理であることも、ポメロには痛いほど伝わってきました。


 情の深さを貴族しぐさでコーティングしている。


 コネクトーンはそういった女性でした。


 一方、当のアンドレックは、母の語る王都の冷酷さをまだ知りません。

 

 初上京となる少年の瞳には、期待など微塵もありません。

 

 状況に先んじて広められた【神童】の仮面の裏側に、母への諦念が渦巻いています。


「聞いたか、ポメロ。母上の言う通りだ。これから向かう王都は、死んだ音楽を崇める墓場らしいな」


 何も知らぬがゆえの、しかし直感的に本質を突いたアンドレックの言葉は、自嘲気味に車内に溶けて消えました。


「僕はそんな音楽は好かん。耳が肥えているのでな」


 言葉はそこまででした。ですがポメロには伝わりました。

 

 だからお前の熱情に期待しているぞ、と。


「僕もです」


 ポメロは、膝の上のギターケースを強く握りしめます。

 

 王都まで、あと数日。

 

 そこは、ポメロがこれまで戦ってきたどんな舞台よりも、冷たく、それどころか強固な伝統派の檻が待ち構えている場所でした。



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