二席
「───ちゅーてもなー。何したらいいんだべ、俺ちゃん?」
翌朝。
都の喧騒に紛れながら、デッカは盛大に独りごちました。
昨夜の熱はまだ腹の底に居座っています。
逃げるのをやめよう。そう決めました。
かつて背を向けたエレクトラに、あんな顔で、あんな声で「背中を押す」なんて言われて、燃えないで何が男の子でしょうか。
ですが、一晩経って、眩しい朝日の中で現実を見渡してみれば、そこには何の指針も落ちていませんでした。
何を成すべきか。どこに向かうべきか。あるいは、どんな壁に立ち向かうべきか。
ビジョンが、これっぽっちも見えてこないのです。
「ま、ひとまず動いてみっか。座ってても金は降ってこねーし、答えも歩いてこねーしな」
ツッタラタタン、テテテトテン。
デッカは腰のミニコンガを軽く叩き、いつもの軽薄な足取りで街へ繰り出しました。
デッカの自慢は、広く、適当に浅い人脈です。
裏通りの情報屋から、酒場をはしごする中堅の楽師、楽器屋の親父に、果ては貴族の屋敷に出入りする御用聞きまで。
飲めそうなヤツは大体友達。
「よう、最近どうよ?」
その一言で、デッカは街の空気を吸い上げていきます。ですが、どこへ行っても聞こえてくるのは、あの少年の名前でした。
「ああ、あのポメロだろ? 最近、提供楽曲の数々をいろんなところで耳にするけどさ……。ぶっちゃけ、クオリティ落ちてねえか? 前みたいに、こう、魂に突き刺さる! 的な衝撃がないんだよな。綺麗だけど薄味っていうかさ」
馴染みの楽器屋の親父が、首を傾げながらそんなことを口にしました。
デッカの脳裏に、奏鳴荘で必死に五線譜に向かうポメロの背中が浮かびます。
心当たりは、ありました。
ポメロは今、明らかに手数を増やすことに意識を割いています。
六歌仙推薦への切符を手にするには、圧倒的な多産であることが条件だとどこかで聞きつけてきたらしいのです。
一つひとつの音に魂を削り出す余裕を捨てて、あいつは量産という名の泥沼に足を突っ込んでいました。
「あいつ、最近じゃ正体不明の仮面組織の噂まで嗅ぎ回ってるらしいぜ。有識者会議に自分を売り込みたい一心なんだろうが、足元がお留守だ。無鉄砲が過ぎる。あのままじゃ、変な連中に利用されて終わりだぜ」
(……焦りすぎじゃねーの? ポメロちゃん)
それは、年相応に青く、考えなしで、向こう見ずな若造の姿でした。
その暴走の理由を、デッカは知っています。
貴族の養子となり、六歌仙の一翼に名を連ねたリノという少女。
彼女の隣に並びたい。
ただそれだけのために、ポメロは自らの感性すら切り売りし、火の中にでも飛び込もうとしていました。
(青い。青すぎる。……見てるこっちが恥ずかしくなるわ、ホント)
呆れ、半ば笑いながら、デッカは胸を突くような愛しさを感じていました。
そんなアオハルは、嫌いではありません。
むしろ、眩しくて見ていられなかったあの光の正体が、そんな等身大の幼さだと知って、ようやくデッカの腹の熾火が、別の熱を持ち始めました。
表現者や音楽界の先輩としてではありません。
もっと、泥臭い人間として。
ろくでもない人生を歩んできた年長者として。
兄貴分として。
何とか手助けしてやれないか。その思いが、急速に形を成していきます。
思いを巡らせてみれば、心配なのはポメロだけではありませんでした。
奏鳴荘に集う表現者どもは、どいつもこいつも欠陥品です。
エレクトラには、救われた今もなお、どこか深淵に引きずり込まれそうな破滅願望がへばりついています。
エピタフは、守るべき伝統と、ポメロが見せた新しい表現の狭間で、誇り高いがゆえに揺れ続けていました。
みんな、バランスが取れていないのです。
己の持つ才能という名の暴力に振り回されて、肝心の現実を見ていません。
地に足がついていないのです。
なお、フォルテは考慮しないものとします。フォルテなので。
(……そうだ)
デッカは立ち止まり、高く広がる都の空を見上げました。
才能のないデッカにしか、見えないものがあります。
深淵に飛び込めない俺デッカにしか、守れない場所があります。
あいつらの綻びに気が付き、それを指摘し、現実という名の冷たい壁からあいつらを守る盾になること。
泥水をすすり、裏道を走り、あいつらが表現だけに没頭できる更地を用意してやること。
(……イヒヒ。それ、俺ちゃんの得意なリズムなんじゃねーの?)
ツッタラカタタタ……ポッポコポン♪
左右十指を愛撫するかのように優しくフェザータッチして、腰のミニコンガを軽快に鳴らします。
デッカはくるりと向きを変え、迷いのない足取りで歩き出しました。
「へらへら」と笑うのはもうやめません。
ですがこれからは、その笑い声を、あいつらの進む先に伸びる雑草を刈り取るための鎌に変えてやります。
行く先は、もう決まっていました。
───── ♬ ─────
夜明けの紺碧が都を包み込む頃、デッカは巨大なきったねえ構造物の前に立っていました。
その中からは暴力的なメタルサウンドが漏れ聞こえてきます。
十三番舞台。
上品な芸術を鼻で笑うような、俗悪と熱狂が渦巻く都の最果てです。
その主であるメルダックとは、安酒場で何度も杯を酌み交わした仲でした。
デッカにとっては気心の知れた飲み友達であり、メルダックにとっては、その場限りの笑いを提供してくれる「都合のいい暇つぶし相手」だったのです。
デッカは迷わず、重厚な鉄の扉を拳で叩きました。
「ア? あーた、こんな時間に何の用? アーシの眠りを妨げたのがつまらない理由だったら、その喉笛、このハイヒールで刺し転がしてあげるわよ」
扉が開くと同時に、毒々しいほど鮮やかなオレンジ色のウルフカットが揺れました。
全身のピアスをじゃらじゃらと鳴らし、不機嫌を絵に描いたような顔でメルダックが姿を現します。
「へへ、相変わらず物騒だねぇ……。メル姐さん」
メルダックは細い目をさらに鋭く尖らせました。
ぶっちゃけ半分は反社会的勢力に足を突っ込んでいるこの女を、もはや「ちゃん」付けで呼べるような甘い関係ではないと、デッカの生存本能が告げていました。
「で、何」
「お願いします。俺ちゃんを、雇ってくれませんか」
メルダックは、眠気を吹き飛ばすような鼻笑いを漏らしました。
「ハ? あーた、寝ぼけてるの? アーシらと遊ぶのと、アーシの下で働くのを一緒にしないで。ア? あーたみたいないい加減なフニャ芯野郎、アーシの足元には一秒だって置いておけないわよ。回れ右してバイバイだ」
メルダックは背を向けようとしました。
彼女にとってデッカは「楽しい遊び相手」であっても、泥水を啜り、修羅場を潜り抜ける仕事仲間では断じてなかったからです。
「お願いっす! 意外なことに根性だけはあるんすよ! 俺ちゃんにも意外でしたけど!」
デッカの懇願が、夜明けの空気に鋭く刺さりました。
メルダックの足が止まります。
「奏鳴荘の連中……あいつら、どいつもこいつも不器用な才人様ばっかりなんす。放っておいたら、自分の才能に焼き殺されるか、世の中の冷たい風にへし折られる。……だから俺ちゃん、姐さんの耳が濡れるような最高のステージを、裏から支えるドブネズミになりたいんす。あいつらの進む道にある雑草を、全部刈り取ってやりたいんすよ!」
メルダックはゆっくりと振り返りました。
そこにいたのは、いつもの「へらへら」と笑うデッカではありませんでした。
口調は相変わらず軽薄です。
へっぴり腰で、情けない顔も隠せていませんが、その瞳の奥には、エレクトラの白い手に掴み出された熾火が、確かに赤々と燃えていました。
メルダックは無言で歩み寄ると、尖ったハイヒールをデッカのつま先ギリギリに踏み下ろしました。
「……ふーん。悪くない目ね。ポメロの光に焼かれて、真っ黒に焦げたドブネズミ。アータ、自分の浅さを自覚して、それを武器にする気になったわけ?」
「いよっメル姐さん、さすがのご慧眼!」
ツッタラカタタタ……ポッポコポン♪
左右十指で腰のコンガを軽快に鳴らし、デッカは不敵に笑ってみせました。
「こういうへらへらコウモリ野郎だからこそ、道筋を多く見つけられるってモンで。姐さんの下で、そのための鎌を研がせてほしいんすよ」
「仮合格よデッカ。アーシの秘書……せいぜい便利な雑用係として、アータのその薄っぺらな覚悟を試してやる。温ィ腰使いだったらヒン曲げてやるからな。覚悟しとけ!」
メルダックはデッカの胸ぐらを掴み、力任せに引き寄せました。
「役に勃ってみせますぜ!」(※誤字に非ず)
「じゃ、さっそく仕事だ。あの狂乱オーディエンスどもをシメるよ! ついてきな!」
舞台の脇の照明が当たらぬところで、凶悪なキック音を吐き出す巨大スピーカー。
そこに「キャンプファイヤーだ!」と叫びながらリンボーダンスの姿勢でトーチを掲げるジャンキーどもが群がっていました。
十三番舞台の日常のヒトコマです。
「俺ちゃん平和主義者なんすよー! もっとこう、円満な解決法プリーズ!」
「ア? 刺し転がされたいか? オ? 早速上司に反抗カマすか?」
「ひぃい!」
メルダックは凶悪な笑みを浮かべて暴徒鎮圧開始です!
ピンヒールの尖らせたつま先が光る!
デッカはへっぴり腰で、がちゃがちゃとコンガを鳴らしながらメルダックを追いかけました!
「暴力反対!」
口では弱音も吐くでしょう。弱気な姿勢も崩さないでしょう。
でももう、この男は逃げません。
男の子ですから!




