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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三十三幕「楽園 フルチューンver.」

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102/106

三席


 始まりは、微かな、けれど確かな予兆でした。


 七番舞台の奥底から、砂利を踏みしめるような、あるいは遠くの雨音のような、乾いた音が忍び寄ってきます。

 

 シャカ、シャカ、シャカ……。

 

 ユーメが率いる「シャカシャカ」の音が、静まり返った客席の耳を、羽毛で撫でるようにくすぐりました。

 

 そこへ、指先で弾くような軽やかな太鼓のリズムが、一つ、また一つと重なっていきます。


 それは「ケ(日常)」から「ハレ(非日常)」へと橋を架ける儀式のようでした。


 次第に音圧が増し、舞台袖から黄金の山車──アレゴリアが姿を現したその瞬間、音楽は牙を剥きました。


 ドォォォォォン!!


 地響きのような重低音が、会場の空気を一気に塗りつぶします。

 

 巨大なスルドを抱えたバテドラ隊が、軍隊のような一糸乱れぬ動きで心臓を直接叩きにきました。


 最前線に立つ統率者、ユーメの吹くホイッスルが鋭く鳴り響きました。

 

 それを合図に、ミューチャーが仕掛けた数学的熱狂を産む打楽器群が観客の脳を蹂躙し始めます。


 それは、音楽理論の限界に挑むようなポリリズム(多重リズム)の迷宮でした。


 四拍子の土台の上で、三拍子のフレーズが踊り、五拍子のアクセントが不規則に飛び交います。

 

 脳が次の拍子を予測しようとするたびに、ミューチャーの編曲はその予測をミリ単位で裏切り、心地よいバグを引き起こします。


 処理能力を超えた観客の意識は、論理的な理解を放棄せざるを得ませんでした。

 

 思考が焼き切れ、空白になった脳内に、原始的な熱狂だけが濁流となって流れ込む。それは、文明を脱ぎ捨てたトランス状態への強制招待状でした。


 檻を突き破るように響き渡ったのは、ブリム隊の頑張ってる「合唱コーラス」です。

 

 四人の少女たちが放つ声の弾丸は、複雑な旋律を頑張って捉え、熱狂の渦に言葉の芯を通していきます。

 

 その足元では、フォルテが銭でかき集めたプロのダンス部隊が、列をなして大地を揺らしていました。


「オドロ! オドロ!」


 友情出演のフォーク姉が、四肢を躍動させ、ベリーダンスの高速振動をダンス部隊に伝播させていきます。

 

 腰がビートに合わせて左右に打ち振られる、そのジンガ感あふれるカドンスが、舞台上に目に見えない熱の渦を作り出していきました。


「ヤー! ヤー! ヤーッ!!」


 アレゴリアの上に、太陽の化身・フォルテが降臨しました。


 極彩色の羽根を広げ、黄金の衣装に包まれた彼女は、もはや一人のアイドルではありません。

 

 人々の欲望と祝祭を一手に引き受ける確かな【ハレの実像】でした。

 

 彼女の両手で激しく振られるシャカシャカが、観客の視線を、意識を、魂を一つに繋ぎ止めていきます。


 歌わないけれども!


 シャカ、シャカシャカ!!


 カスタネットやタンバリンとも違う第三の小型打楽器!

 

 ただ、振る。

 

 手首のスナップを利かせて、中に入った粒子を衝突させる。

 

 いや、打楽器の範疇に収まる楽器なのか?

 

 でも今はそんなことはどうだっていいです!

 

 シャカシャカしてると楽しい!

 

 それだけで十分だ!


(……楽しい! シャカシャカしてると、死ぬほど楽しい!!)


 ポメロは客席の最前列で、理屈を捨てて腕を振り続けました。

 

 右手を、左手を、ただこの熱狂に合わせるだけで、世界から苦悩という概念が消え去っていきます。


 舞台が踊る。オーディエンスも踊る。


 隣の誰かが誰であるかなんて、もう関係ありません。


 めいめいがやりたい踊り方で、己のパトスを解き放ち、狂おしいほどに四肢を躍動させる。


 激しく振られる腕から飛び散った汗が、隣の誰かの肩にかかり、誰かの額から飛んだ汗を、自分もまた浴びます。

 

 不衛生だ、汚い。

 

 そんな衛生観念は、ミューチャーのバグったリズムの彼方へ消え去りました。むしろ、その混ざり合う汗こそが、今この瞬間を共有している一体感の証でした。


 あの日、夜の街角で掴み損ねた一体感が、今、暴力的なまでの肯定感となってポメロを抱き締めました。

 

 五分〇三秒の楽園。

 

 そこには誰かを嫌う心も、過去の呪いも存在しません。

 

 ミューチャーの計算された音の波。

 ユーメの本能のリズム。

 フォーク姉の灼熱の腰。

 ブリム隊のよく頑張ってる感。

 フォルテの輝き。


 ポメロの胸に、かつてアップルの舞台を体感した時の会話がよぎります。


 『そだね。結局のところアタシは、お客さんに『楽しかった』って思ってもらえるために、できることはなんだってするのさ』


 あの時、彼女は最高に幸福そうな笑みを浮かべて言っていました。


 『だって、アタシはそれが、自分にとって一番楽しいことだって知ってるからね!』


(……これだ。それが今、分かった!)


 頭じゃない! 心じゃない! 魂が理解しました!


 自分が独りで抱え落ち、倉庫の隅で腐らせていた『楽園』。

 

 けれど、数千人の観客が汗を散らして踊り狂うこの景色を見て、ポメロは真理に到達しました。

 

 自分の書いた旋律が、誰かの「楽しい」を呼び起こし、それが巨大な熱狂となって自分に還ってくる。

 

 この循環こそが、生ライブという魔法の正体なのだと悟ります。


 最後の一音が、フォルテの「ヤーッ!!」という絶唱と共に放たれた瞬間、頂点に達した熱狂は真っ白な光へと昇華されました。


 しかし、祭りはそこで唐突に断絶することはありません。


 最高潮を過ぎたアレゴリアが、ゆっくりと、けれど着実に舞台の反対側へと遠ざかっていきます。

 

 地響きのような喝采を背に受けながら、音は一つ、また一つと削ぎ落とされていきました。

 

 複雑なポリリズムはシンプルな拍子へと戻り、バテドラ隊の重低音も、遠くの波音のように静まっていく。


 最後にはまた、砂利を踏むようなユーメ配下のシャカシャカの音だけが残りました。


 シャカ、シャカ……。


 その音が完全に消えたとき、七番舞台は再び元の、静かな「ケ(日常)」へと戻っていました。

 

 まるで、今までの五分間が白昼夢だったかのように。


 ポメロは、突き上げた手をゆっくりと下ろしました。


 汗に濡れた掌の中で、シャカシャカだけが、祭りの余熱を帯びてじんわりと熱を持っていました。


「……成し遂げましたわ! ポメロ兄さま!」


 舞台の端、遠ざかるアレゴリアの上で、フォルテが誇らしげに、今日一番ぷりちーな笑顔で手を振っていました。



───── ♬ ─────



カーネギー・タイムス ─── 特別号外 ───


【聖域の崩壊と、真の『楽園』の顕現】


 七番舞台に打ち上げられた、林業都市の巨星と熱情の魔物の咆哮


 音楽の都カーネギーが、あの日、五分〇三秒の間だけ「物理的な震動」に支配されたことを、我々は決して忘れないだろう。伝統の九番舞台でも、退廃の十三番舞台でもない。かつて「おもちゃ箱」と揶揄された七番舞台において、音楽史を数十年分飛び越した「未知の祝祭」が産声を上げた。本紙が追うのは、一夜にして都の話題をさらったアイドルグループ【カスタネットくらいしす】、そしてその影の支配者たる若き作曲家ポメロの軌跡である。


■ センター・フォルテ嬢:林業都市から来た「桃色の天災」

  

 ステージ中央、孔雀の羽を五体に纏い、文字通り「命を削るステップ」を見せたのは、子爵令嬢フォルテだ。林業都市出身という異色の経歴を持つ彼女は、上京直後、音楽活動に一切の熱を入れず、ただただ都会の享楽に身を任せ遊び回る日々を送っていたらしい。一時はその奔放さが危ぶまれたものの、その「遊び」の中で培われた爆発的なエネルギーが、今回のステージでは「野生の熱量」へと昇華されていた。彼女が掲げたのは、繊細なタクトではない。心臓を直接叩き割るような、野蛮なまでの「ヤー!」という咆哮だ。観客は最初こそ困惑したが、彼女の放つ圧倒的な「肯定」の波動に、瞬く間に理性を焼き尽くされた。


■ 楽曲提供ポメロ:漂流する感性が辿り着いた「肯定の楽園」

  

 ポメロの歩みは、常に既存の音楽構造への叛逆であった。『僕たちのひみつきち』で見せた意味の二重らせんや、第四舞台を震撼させた『ストゥペンド!』の痛烈な風刺。それら「解体」と「攻撃」を経て、彼が辿り着いた『楽園』は、すべてを飲み込み全肯定する圧倒的な「器」であった。多岐にわたる挑戦が、複雑な知性と野性を共存させ、アイドルシーンを塗り替える決定打を生んだのである。


■ 六歌仙の共犯:ミューチャーとユーメが仕掛けた罠

  

 驚くべきは、そのバックバンドの陣容だ。編曲の六歌仙ミューチャーが、ポメロの原曲を「数学的な狂気」へと再構築し、演奏の六歌仙ユーメが、新型楽器『シャカシャカ』を手に、心臓の鼓動を同期させるリズムを刻んだ。これはもはやアイドルソングの枠を超えた、音楽的クーデターである。フォルテ嬢が林業都市の富を惜しみなく注ぎ込み、六歌仙二人を「お雇い楽士」にまで引きずり出した執念が、この奇跡を可能にした。


■ 五分〇三秒の神話

  

 演奏中、観客の誰一人として座っていなかった。運営側が全席に配布した新型楽器『シャカシャカ』が、一万人の手拍子を陽気な擦過音へと変え、ホール全体が巨大な太鼓と化した。伝統派の老楽士も、耳の肥えた批評家も、皆が名前も知らぬステップを刻んでいた。『楽園』とは、非日常への逃避ではない。日常という戦場へ帰るための、束の間の「魂の洗浄」だったのだ。曲が終わった瞬間、会場を包んだのは拍手ではなく、原始的な叫び声だった。


■ 独占告白:【革新派】六歌仙アップルが語る『楽園』の正体

  

 本紙は終演直後、七番舞台の総合プロデューサーであり、自らも六歌仙に名を連ねるアップル氏に接触した。彼女は興奮冷めやらぬ様子で、こう語った。


 「最高にハッピーな『事件』だったね! アタシが作ったこの楽園に、あの子たちは林業の斧を振りかざして殴り込んできたんだ。でもね、これこそがアタシの見たかった景色だよ。ポメロっていう少年、あの子はただの『表現者』じゃなかった。客の鼓動を盗み、それを倍にして返す術を知っている。グッドサイン!

  あの子が今回、自分一人で歌うのをやめて、フォルテたちのエネルギーに自分を『預けた』こと。それが最大の勝因さ。音楽はね、時に自分を捨てたときに一番輝くんだ。アタシはあの子の挑戦と転身を全面的に支持するよ。だって、あんなに楽しそうに現実に帰っていくお客さんの背中、久しぶりに見たからね!」


 カーネギーは変わる。ポメロという「熱情の怪物」が、フォルテという「暴力的な光」と出会ったことで。我々は今、新しい時代の幕開けを目撃している。


(文責 音楽評論部:エイベックス・トラックス)



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