第147話
東堂常磐。日本の探索者であれば誰もが知る名前だ。
彼女はデビュー当時から今日に至るまで、常に華々しい活躍と快進撃を続け多くの羨望を浴びてきた、まさに探索者界を代表する天才――――ではない。
ルーキー時代は目立った活躍もなく、よく言えば平凡、悪く言えば凡才。
しっかり何度も失敗したし、死にそうになった経験など数え切れない程にある。
取り立てて尖った部分もなく、当然のように出来ないことだらけ。およそ大成するとは思えない、どこにでもいるごく普通の探索者であった。
そんな彼女が、今日二桁にまで上り詰めることが出来た理由。
ある日、突然力に目覚めた――――否。
類稀なる戦略眼で新たな戦い方を編み出した――――否。
あるいは、強力な技能を習得した――――否。
彼女が今こうして風音の護衛を務めていられるのは、偏執的なまでの努力と積み重ねの賜物であった。
常磐はとにかく諦めが悪かった。何度失敗を繰り返そうとも、何度死にそうな目に遭おうとも。決して諦めず、そして折れなかった。壁の越え方が呆れるほどに不器用で、大きく遠回りしてしまったことは事実。だが壁にぶつかる度、不器用ながらも試行錯誤を繰り返し、自分なりの方法で必ず乗り越えてきた。他の誰もが『もう無理だ』『もうやめよう』と思ってしまうような状況でも、ただ真っ直ぐ前だけを向いて愚直に走り続けてきた。
強いて彼女の優れている点を挙げるとすれば、それはオリハルコンで出来ているのかと疑いたくなるような、その強靭過ぎる精神力であろう。間違いなく脳筋ではあるのだが、しかし彼女の持つ最も強力な武器は、断じて身体能力の高さなどではない。
スマートなやり方など出来ない、知らない。
他人と同じようには振る舞えない、諦められない。
人より歩みは遅いが、しかしその歩みは決して止まらない。
ともすれば異端ですらあるそんな不器用を、しかし風音は『個性』と呼び――――そして、彼女は今ここにいる。
二十八という年齢にして、頂のすぐ傍に立っている。
現役探索者の中では、天久隆臣に最も近いとさえ言われるようになった。
押しも押されもせぬ、国内最高峰の現役探索者。
それが九奈白風音の専属護衛役、東堂常磐という女性である。
そんな彼女が、今。
「はぁっ、はっ、はっ…………やっべェ、何だコレ」
息を大きく切らし、額から大粒の汗を流し。
信じられないとでも言いたげな表情で、会場の床に膝をついていた。
視線の先には、悠然と仁王立ちする覆面の大男。
その様子は常磐と対照的で、姿勢は疎か呼吸のひとつも乱れてはいなかった。
「あンだよ、もう終わりか? 威勢が良いのは最初だけだったな」
「はん、うっせぇ。まだこれからだっつうの」
大男の放った挑発的な言葉を鼻で笑い、勢いよく立ち上がる常磐。
だがそれが虚勢であると傍目にも分かるほど、彼我の力量差は歴然であった。
(とは言ったものの…………いくらなんでも強すぎる。マジで何モンだコイツ)
風音の護衛という立場上、常磐もまた同様に世界各国を飛び回っている。
風音がわざわざ訪ねる、或いは招聘される相手といえば、当然ながら上流階級の者ばかりである。つまりはその護衛達もまた超一流であり、常磐と比べても遜色ないレベルの猛者達ばかり。そんな強者達を数多く見てきた常磐から見ても、目の前の男は強すぎる。戦闘能力にはそれなりに自身のある常磐が、『勝てる気がしない』と思ってしまう程度には。
そもそもからして、相手の技能の正体がまるで分からない。
二桁の戦いともなれば、何度か打ち合うだけで大凡の能力には見当がつくものだ。しかし戦闘が始まってから数分、もう何度も打ち合っているというのに未だ分からずにいる。故に対策のしようがない。対人戦とはつまるところ読み合いの応酬であり、相手の読みや常識を裏切ることこそが重要だと常磐は考えている。だが現状はといえば、得体の知れない暗闇でただ藻掻いているだけであった。
常磐の技能は『重装障壁』と呼ばれる、いわゆる防御型の能力である。
自身の周囲、或いは自身を中心とした半径五メートル内に、不可視の『障壁』を作り出す技能だ。障壁の強度は相当なもので、銃弾は疎かある程度までの衝撃――――それこそ手榴弾の爆発程度であれば、何の問題にもならないくらいには強固である。障壁を重ねた際には魔物の突進にも平然と耐え、数ある技能の中でも最高峰の防御力だと言われている。
いわずもがな対人・対魔物を問わずに有効な、護衛には非常に適した技能であるといえよう。
だが、しかし。
男が片手をポケットに突っ込んだまま、常磐に向かって拳打を繰り出す。
無造作で、乱雑で、見るからに雑な攻撃だ。しかしタイプで言えば防御型の常磐には、少し回避は難しいかなといった絶妙な速度。
とはいえ所詮は体重も乗っていない単打、防ぐのは容易――――その筈なのに。
「――――ぐうッ!」
敵の拳は中空で止まっている筈なのに、届いていないはずなのに、衝撃が骨にまで響く。
ヘルメットの上から緩衝無しでぶん殴られているような、そんな感覚だ。痛みは痺れへと姿を変え、常磐の動きを鈍らせる。
「おー硬ぇ。こんだけ直撃してんのにまだ立てる相手ってのは、初めてかもなぁ」
「ぐっ、ぬ、抜かせ筋肉ダルマ。この程度なら何発でも耐えられるぜ」
もちろん強がりだ。腕の感覚は徐々に失いつつあり、攻撃に転じることなど出来そうもない。
しかしそれでも、まだもうしばらくは防ぐ自信が常磐にはある。否、意地とでも言うべきだろうか。
ゲストの避難は未だ完了していない。少なくともそれまでは保たせる必要があるのだ。
ちらと隣に視線を向ければ、常磐と同じように、やはり苦戦を強いられている飛竜の姿があった。
徒手空拳での戦いを得意とする常磐とは異なり、普段の飛竜は長剣を使用する戦闘スタイルだ。当然ながら今は持ち合わせておらず、ただでさえ不利なこの状況にあって、そもそも万全ですらなかった。しかしそれでも、三人の敵のうち一人を受け持ってくれている。そうでなければ、常磐も既にやられていたかもしれない。
飛竜が相手をしているのは、長身の女であった。
やはり覆面で顔は分からないが、体型と、そして頭の後ろで結われた長い髪からして女で間違いないだろう。
大男と同様に武器は所持しておらず、長い脚による足技で飛竜を翻弄している。
そして最後の一人は、少し離れたところで戦いを見守っていた。
参戦してくるような気配はなく、またゲストの避難を邪魔するわけでもない。本当にただその場に突っ立っているだけだ。そんな姿が逆に不気味で、否応なく意識を割かれてしまう。今戦っている二人の尋常ならざる戦闘力を見れば、最後の一人も同程度の強さを持っていると考えるべきだ。
この場に於ける最強クラスの二人を、軽くあしらう謎の三人衆。
そのあまりにも高い戦闘力を前に、最悪の展開までをも想定する常磐と、そしてそれを見守る五十鈴。
しかし二人はこの時、ある重要な点を見逃していた。
それは襲撃犯が揃いも揃って、何故か手ぶらでやってきているという事。
オリハルコンを狙っているということは、下調べをしているということに他ならない。であればこそ、武器のひとつくらいは用意していて然るべきだろうに。そもそもからして、三人だけで来ているという事実が既におかしい。まるでふらっとコンビニにでも立ち寄ったかのような、あまりにもラフ過ぎる襲撃だ。
敵の想定外の強さに加え、常磐は戦闘中であるが故、そして五十鈴は戦闘が専門外であるが故に。
それは普段の二人ならばすぐに気づくような、明らかな違和感だった。
「しかしなんだ、そろそろ飽きてきたな」
攻撃を続けながら、心底退屈そうに男が呟く。
腹のひとつも立つというものだが、しかし立場上、常磐が挑発に乗ることはない。
「そうかい、なら帰んなよ」
「オリハルコンを回収したら――――なあっ!」
語気を強めながら、男が前蹴りを放つ。
それと同時に、辛うじて保たれていた常磐の『重装障壁』が崩れ落ちた。絶対の防御力を誇る『重装障壁』が破られるなど、これが初めての事だった。つまり彼女の知るどんな魔物の攻撃よりも、男の蹴りのほうが威力が高いということだ。驚愕を顔に貼り付け、再び膝をつく常磐。
「なッ、馬鹿なッ!」
「おっ、いよいよ限界っぽいな。んじゃあ暫くの間、そこで寝て――――あん?」
絶体絶命のピンチを迎えた、その刹那。
男の動きが突如として止まった。その訝しげな視線は、常磐の背後へと向けられている。
そんな視線に釣られるように、常磐もまたゆっくりと背後を振り返る。
「手を貸しましょうか、レディ」
そこには一人の青年――――天枷水樹が、明らかに無理をした笑顔で突っ立っていた。




