第143話
正直に言えば、今回の作戦を成功させる自信が織羽には無かった。
以前に料亭で嵐士から聞かされた依頼。それは自称『男らしい』彼にとって、ちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ないザル作戦であった。
初対面を装って凪に接触し、そのままいい感じに会話しているところを風音に見せつける。
バカも休み休み言って欲しいものだと、ある種憤慨にも似た感情すら覚えていた。なにせメイド服を着ていても隠しきれない、唯一無二の溢れる男気なのだ。出会った瞬間即バレすることうけあいの、最初から失敗が確定している作戦だ。おまけに凪は織羽の正体を知っているのだ、バレないはずがない。少なくとも、織羽はそう思っていた。
そう思っていたのだが――――。
(案外バレないもんだなぁ…………なんかわかんないけど、会話も割と成立してるし)
複雑な心境ではあるが、どうやら今のところ凪にはバレていないらしい。
否。若干の違和感を覚えているというか、訝しむような顔色ではあるか。いずれにせよ、正体を見抜かれているというわけではなさそうだった。
さもありなん。
男気云々を訴えているのは本人ばかりで、織羽以外の者からすれば『こいつは何を言っているんだ』状態なのだから。というよりメイドとしての潜入が成功している時点で、織羽曰くの男気など何処にも存在しない。そのおかげか、織羽は『天枷水樹』として見事凪とのファーストコンタクトに成功していた。
ここ数日、織羽は『天枷水樹』になりきるべく様々な訓練を行っていた。
姿勢や歩き方、仕草や口調、それらを普段とは違う男寄りのものへと矯正する。謂わばメイド修行の逆バージョン、とでもいうべきか。そうして付け焼き刃ではあるものの、どうにか今の『男装美人』スタイルまで持ってきたのだ。というよりメイド状態が染み付き過ぎて、この短い期間ではこれが限界であった。
(元の自分に戻るだけでよかった筈なんだけど…………うん、取り敢えず今はいいか)
胸中に抱えたあれやこれやを棚上げし、目の前の凪へと視線を送る。
腕を組み、普段より数段増しで機嫌が悪そうだった。どうやら凪の社交界嫌いは筋金入りらしい。
そして周囲には消沈する良い所の子息・子女達。その様子を直接見ていたわけではないが、またぞろ凪の機嫌でも取ろうとし、そして素気なく袖にされたのだろう。
(甘い甘い。ふん、所詮は素人ですねぇ)
凪の生態に詳しい織羽からすれば、彼らは初手から間違っている。
(お嬢様の対人装甲は圧倒的、まるで無敵要塞のような堅牢さです。そもそもからして、よく思われようとするのが間違いなんですよ。対お嬢様戦に於いては、悪く思われないようにすることこそが肝要。加点を目指すのではなく、失点を抑えるべきなのです。結果としてそれが好印象を与えることに繋がる――――ふふん、僕は詳しいんだ)
などと謎の凪マウントをとりつつ、不敵な笑みを浮かべる織羽。
流石は専属メイドというべきか、現時点で凪の生態に最も通じているのは織羽なのかも知れない。
「さて、確か『用件があるんじゃないか』というお話でしたよね」
「ええ」
「貴女に挨拶をしにきた、というのは嘘ではありませんよ。それともうひとつ、貴女のお父上にお届け物がありましてね。私がここにいる理由は、主にこのふたつです」
九奈白凪の取り扱い説明書。
迂遠な言い回しは避けるべし。特に初対面では。
いくらかマシになったとはいえ、基本的にはまだまだツン成分過多である。大して知りもしない相手との会話を楽しむつもりなど、このお嬢様には微塵もない。まして他家の跡取りなどという、きな臭い相手であれば尚更に。冗談やユーモアを挟むのはもう少し関係性が進展してからだ。初心者はここを勘違いし、無駄に凪の機嫌を取ろうとして失敗する。
九奈白凪という少女に対して、媚を売ったりおだてたりといった行為はマイナスでしかない。
そこらのボンボンであればあっさりと木に登ったりもするのだろうが、凪にとってそれは最も恥ずべき行為のひとつである。
(そう、お嬢様は基本的に面倒臭いのです)
凪はしっかりと自分を持っている。歳の割に芯が強すぎると言ってもいい。
かくいう織羽も、最初の頃は苦労したものだ。まさかこうして、二度目の攻略を行うハメになるとは思っていなかったが。
(その分一度仲良くなると、まぁまぁチョロ目のような気もしますが)
外面はともかくとして、根は優しく思慮深いのが九奈白凪という少女の本質だ。
であればこそ、真摯に対応していれば自ずと心を開いてくれる。まぁ、数カ月くらいはかかるであろうが。
だが今回は、取り敢えずこのパーティー中だけ嫌われていなければそれでいい。
もう一度仲良くなれと言われれば織羽でも難しいが、その程度であればむしろ余裕ですらあった。
「お父様に届け物……? 知り合いなのかしら?」
「もちろん、直接会うのは初めてですけどね。来て早々に九奈白のトップへ挨拶というのは、流石の私も緊張します」
「なら、私はクッションというわけかしら?」
「包み隠さず白状するなら、まぁそういうことです」
凪と水樹のやりとりを見守っていた周囲の者たちは、水樹の発言に耳を疑った。
天下の九奈白家令嬢を指して、だたの緩衝材扱いしたのだ。あの気難しいことで有名な九奈白凪を、だ。
ある者は『なんてことを言うんだ』と顔を蒼白にし、またある者は『所詮は世間知らずのボンボンか』などと小馬鹿にしたように鼻で笑う。そうして冷たくあしらわれる光景を想像し――――小さく笑った凪を見て、今度は目を疑った。
千の言葉を尽くそうとも、どんな手土産を持参しようとも、自分たちはまるで相手にされなかった。
だというのに天枷水樹は、失礼としか言いようのない言葉で、僅かなりとも笑顔を引き出した。これはいったいどうしたことかと、目の前の光景が信じられずに居る。
「なら、早くお父様のところに行った方が良いんじゃないかしら。主催者への挨拶を後回しにするのは、あまりよろしくないわよ」
「それはもちろん、分かってはいるんですが…………こうした場での経験値の低さは、明確な私の弱点ですね。ぶっちゃけビビってるんで、着いてきてもらえませんか?」
掴みでひと笑い取ったあとならば、この程度の冗談も問題ない。
ここまでくれば、後はチョロいもんである。少なくとも織羽はそう考えていた。
「お断りよ、一人で勝手に行きなさい」
「えっ」
――――が、駄目。
(あ、あるぇ…………?)
予想が裏切られたことで思わず出そうになった声を、既のところで押し留める。
そうして平静を装いつつ、若干顔を引き攣らせながら声を絞り出した。
「で、では…………そうしましょうかね」
「一応言っておくけれど、お父様にも冗談が通じるとは思わない方がいいわよ」
「ご、ご忠告に感謝を。それでは、また後ほど」
そう言って微笑み、芝居がかった一礼と共に水樹がその場を後にする。
所詮は自分も対人弱者だというのに、調子に乗った結果がこれである。
(…………ヤバい、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!)
もちろん表には出さなかった織羽だが、内では羞恥心で顔を真っ赤にしていたという。




