第142話
凪をまっすぐに見つめる紫紺の瞳は、周囲の者達のものとはまるで違った。
擦り寄るような嫌な色はまるで感じられない。心の奥を見透かすような、そんな妖しい気配も感じられない。
(…………何かしら、この感覚)
間違いなく初対面であるはずなのに、見つめられても不思議と嫌な感じはしなかった。
もちろん、だからといって無駄に仲良くしようなどとは思わない。伊達に何年も対人弱者をやっていないのだ、少し珍しい雰囲気を纏っているからといって絆されたり、自身の内側に入れてやるようなことはあり得ない。だが、僅かながらも興味は湧いた。例えるならそう、初めて織羽に出会ったときのように。
故に凪は、軽く牽制してみることにした。
「天枷家の者はあまり――――いいえ、表には一切顔を出さないことで有名だと記憶しているのだけれど。一体どういう風の吹き回しなのかしら?」
「はは。まぁ、たまにはいいかなと思いまして」
だが、返ってきた答えはなんとも曖昧。
答えるつもりはない、ということだろうか。ジャブを軽くいなされた凪が、目の前の男(?)をじっとみつめる。
第一印象としては『美人』といったところか。
長すぎず短すぎずといった半端な黒髪は、照明を浴びてしっとりと煌めいている。肌は白くきめ細やかで、所作はいちいち洗練されているように見える。いわゆる『男らしさ』のようなものは皆無で、一見しただけでは性別が分かり辛い。声も男にしては高めで、女性にしては気持ち低めだろうか。いっそ男装の麗人とでも形容したほうがしっくりくるかもしれない。
身長は恐らく百七十五センチほど。
女性にしては高めだが、珍しいというほどでもない。
名前も『水樹』と、これもまた判断に困る所である。
そこに加えて、のらりくらりとはぐらかすような先の言葉。
総じてこの者は『無色透明・無味無臭』であると言う他なかった。
特徴がないのが特徴、とでもいうべきだろうか。嫌な気配や媚びる態度、人の心にずけずけと入り込んでくるような不快感や、こちらのパーソナルスペースを侵そうとする無神経さなどは一切ない。本当にそこにいるのかどうかすら怪しい、まるで捉えどころのない幽霊のような胡散臭い存在。それが天枷水樹に対する、凪の受けた印象であった。
(胡散臭すぎて逆に新鮮だわ)
捉えどころがないという点でいえば、織羽に少し似ている。
だが、あれで織羽は個性の塊である。職業メイドらしく言動は慇懃そのものだが、しかし油断するとしれっと毒を吐いてくる。仕事も完璧にこなすが、どちらかといえば楽しそうな方を優先するきらいがある。『無礼』と『慇懃』の狭間で飄々と反復横とびをするメイド。それが織羽である。
織羽と水樹は成程確かに、近しい部分がある。
凪が興味を抱いたのは、そうした両者の似ている部分に、彼女の中の何かが反応したからなのかもしれない。
といっても声や顔、身長などは明らかに違う。つまりは雰囲気以外、両者は似ても似つかないのだ。
まぁなにはともあれ、だ。
苦痛でしかなかった挨拶攻めから――そのような意図は無いだろうが――救ってもらえたことに変わりはない。
こうして水樹がこの場に現れなければ、有象無象の囀りをこの先も聞き続けることになっていたであろうから。九奈白に取り入ろうとする見ず知らずの者たち、その相手をし続けるよりは、水樹の相手をする方が余程興味深いというもの。単純にどちらがマシかという話だ。
だがしかし、凪が対人弱者であることを忘れてはならない。
興味深い相手だと感じてはいても、自ら話題を提供し会話を広げるという高等テクニックなど、あいにく彼女は持ち合わせていない。つまりはただ腕を組み、じっと『何か言いなさいよ』的なオーラを放つことしか出来ないのだが――――。
「いやなに、今回は貴女が参加すると耳にしたものですから。九奈白家の次期ご当主様ですからね、これは一度ご挨拶をしておかなければと思いまして」
そこはそれ、相手が勝手に話してくれるのだから問題ない。
自ら話しかけることは苦手だが、言葉を交わせないほどコミュ障でもない。
というより、そうでなければビジネスなど不可能だ。自身のブランドを持つことなど出来はしないだろう。
「私がパーティーに参加するのは、別にこれが初めてというわけではないけれど?」
「たまたまタイミングが合ったのが今回だった、というだけのことです。両親はともかく私個人としては、前々から顔を出そうとは思っていたんですよ。世間ではいろいろと噂されているようですが、何か理由があって顔を隠しているというわけではありませんので」
まるで事前に答えを用意していたかのように、凪の追求をするりするりと躱してゆく水樹。
凪の取っ付き難さはそれなりに広く知られているが、一方で嵐士や風音が娘の話をほとんどしない為、彼女の生態はわりと謎に包まれていたりする。そうした背景から、凪の機嫌を取るのは非常に難しいと言われており、実際先程まで声を掛けていた有象無象は見事に撃沈している。そんな彼女を相手に前もって答えを用意しておくなど、それこそ親しい仲でもなければ不可能だ。
「…………まぁいいわ。それよりも、わざわざ来たからには他にも用があるのでしょう?」
「おや、何故そう思われるので?」
「今まで顔を隠していた人間が、たったそれだけの理由でこんな場所に来るとは思えない。貴方の言う『偶然』とやらを真に受けるほど、私は純真な人間じゃないわ」
「確かにそうですね。ところで、『捻くれ者』って言われたりしませんか?」
「余計なお世話よ」
にこやかな表情のせいか、嫌な気分にはならなかった。もちろん楽しいとも思わなかったが。
しかしこの時、凪はまだ気づいていなかった。意外にも、会話がすんなりと弾みだしていることに。パーティー会場という苦手な雰囲気の所為か、はたまた水樹の巧みな(?)話術の所為か。最後の小さな毒とツッコミなど、最早見慣れた『いつものやりとり』そのものであったというのに。
* * *
そんな凪と水樹の様子を、嵐士はこっそりと遠目から見守っていた。
もちろん、会場を訪れたお歴々の相手を同時にこなしながら、だ。
考え事をしながらの対話など、相手にとっては失礼この上ない行為だが、大事な娘のためとあらば是非もない。
(見事なものだ…………事前に確認しておいて正解だったな)
知っていなければ別人にしか見えない織羽を見て、嵐士は素直にそう思った。
嵐士は仕事柄、人を見る目に自信があった。
他人の嘘を見抜くのは得意だし、相手の考えていることを見抜くのも得意だ。
そんな彼であっても感嘆を禁じ得ない、見事なまでの扮装であった。というよりも――――。
(メイド状態のときも思ったものだが――――美形過ぎんかね。男性ホルモンが行方不明だぞ)
服装か、化粧か、あるいは場か。
事前に確認したときよりも、数段増しで輝いて見えた。
(だがそのおかげか、凪にも一先ずはバレなかったようだ。問題は――――)
次いで少し離れた場所に居る妻、風音を見る。
見れば風音もまた嵐士と同じように、物珍しそうな、意外そうな、そんな眼差しで凪達のやりとりを眺めている。
(敵を騙すにはまず味方から、とはよく言ったものだ。もちろん敵というわけではないのだが――――なにはともあれ、凪にも秘密にしていた甲斐があった)
つまらない演技など、風音はすぐに見破ってしまう。
凪にも作戦を伝えていなかった理由、その全てはこのためだ。
そして結果は、少なくとも今のところは上々といえるだろう。
(さて、あとは…………)




