第141話
対人バリアこと、国宝院兄妹が排除された効果は劇的だった。
凪がこっそり立っていたホールの隅には、あっという間に囲いが出来ていた。
(はぁ…………)
今が好機とばかりに次から次へと、有象無象が凪に挨拶をしてゆく。
やれ何とかいう企業の広報だの次期社長だの、何とかいう探索者パーティーの誰それだのと。
凪からは何も尋ねていないどころか、こんなにも分かりやすく不機嫌なオーラを垂れ流しているというのに、だ。
とはいえ、当然といえば当然の光景だ。
凪は世界に誇る九奈白家の一人娘であり、次期当主でもある。彼女と繋がりがあるかどうかで、文字通りこの先の社運が決まりかねないのだ。加えて凪は自身でブランドを持っており、そちらもまた世界的に高い評価を得ている。故に現当主である嵐士や風音に挨拶をするよりも、むしろ凪の方に優先度を高く設定している者も多かった。もちろん彼ら彼女らも表向きには、現当主の二人へまず挨拶を行っているのだが。
無論、凪も自身の置かれている環境を理解している。将来は家を継ぐつもりでいるし、必要なことだと理解もしている。
だが立場上仕方がない事だと理解はしていても、これほど立て続けに挨拶を浴びては流石にうんざりするというもの。
(だから来たくなかったのよ)
こんな状況はもうすっかり慣れっこだった。幼い頃からずっとこうだったのだから。
そしてどれだけ経験しても、やはり不愉快な気分になってしまう。笑みを貼り付けてやたらと謙る者達を見る度、近頃はすっかり鳴りを潜めていた『不信感』が鎌首をもたげる。これまではただ、自分が見ようとしていなかっただけなんじゃないか、ここ最近はそう思うようになっていた。しかし改めて目の当たりにすると、やはり相手の顔、その向こうが見えない。
仕方のないことだという義務感。
どうしようもなく襲いかかる嫌悪感。
凪がこうした場に出たがらない最たる理由は、このふたつの感情をうまく処理出来ないからであった。
所詮はまだ十六になったばかりの少女。
表向きは完全無欠のお嬢様でしかないが、その実、内面は年相応に複雑なのだ。
これは凪の持つ唯一にして最大の弱点であり、凪自身が最も嫌いな点でもある。
(駄目ね…………しっかりしなさい。九奈白の娘ともあろう者が、今からこんなことで参っていては)
耳から入る、誰のものとも知れない声。
それら全てに『そう』だの『ええ』だのと適当な相槌を打ちながら、ひとり、またひとりと応対してゆく。しかし順番を待つ者の数は一向に減らず、ただただ不愉快な時間だけが降り積もってゆく。考えれば考えるほど袋小路に入ってしまうような気がして、凪はただ口から相槌という名の音を出す、壊れかけの蓄音機と化していた。
遠くでは風音が『あらあらまぁまぁ、やっぱり駄目なのねぇ』などと、困り顔で凪を見つめていたりするのだが――――今の凪は、そんなことにすら気づけずにいる。腕を組み、無表情を装い、ただこの退屈で不愉快極まりない時間が、一刻も早く終わりますようにと願って。
国宝院バリアが解除されてから、大凡三十分ほどもそうしていただろうか。
過度のストレスにより、凪のこめかみがひくひくと痙攣を始めた頃だった。会場ホールの入口付近が、僅かに騒がしくなったのを凪は感じ取った。
こういった場で何かしら騒ぎが起きる時というのは、大抵は高名なゲストが姿を見せた時だ。
事実、凪達がこの会場に姿を見せた時もある種の騒ぎが起きていた。否、騒ぎというよりもむしろ、盛り上がりを見せたというべきか。ぱっと会場が華やぐというか、とにかく全体の雰囲気が変わるのだ。次代を担う二家の跡取り達が顔を見せたとあれば、至極当然の事ではあるが。
しかし今起こっている騒ぎは、それらとは異なる種類に感じられた。
凪が遠くから感じたのは、まるで物珍しいものでも見たかのような困惑とどよめきだった。加えて会場の空気を変えるほどでもない、全体から見ればごく小さな異変。実際に、今現在凪を取り巻いている囲いには何の影響もない。彼ら彼女らは異変に気づくこともなく、変わらず凪に媚を売っている。そんな中にあって、凪が異変に気づくことが出来たのは、偏に周囲の声を右から左へ聞き流していたからであろう。
(…………何?)
胡乱な瞳を入口の方へと向ける凪。
しかし距離と囲いのために、異変の正体は判然としない。
とにかく、既に凪の興味はそちらの方へと向いて――始めから目の前の囲みになど興味はなかったが――いた。さりとて有象無象を押しのけて向かうわけにもいかず、ただその場で聞き耳を立てることしかできなかった。
すると、囲いの向こうから誰かの話し声が聞こえた。
「おい、聞いたか? なんでも今、天枷家の人間がここに来ているらしい」
「天枷っていうと…………ダンジョン研究で有名な、あの天枷家か?」
「そう、その天枷だ。それも天枷の跡取りが来ているらしい。おかげで受付はちょっとした騒ぎだ」
「だろうな…………ということは、今この会場には九奈白と国宝院、それに天枷が揃ってるってことか」
「ご覧の通り、凪様への挨拶は順番がくるまでに時間がかかる。先にそちらへ行こう」
そんな会話を繰り広げたあと、声の主達は去っていった。
もちろん凪は、ここまで鮮明に聞こえたわけではない。だが聞こえてきた言葉の断片を整理するに、内容は概ね間違ってはいないだろう。
(あの天枷の跡取りが…………成程、騒ぎになるのも頷けるわね)
どこぞの二人の会話にもあったように、天枷家の跡取りがやって来たとなればさもありなん。
むしろ、もっと大きな騒ぎになっていてもおかしくはないだろう。先の騒ぎに得心がいった凪は、心中で静かに頷いた。
世界有数の迷宮都市であるここ九奈白市に拠点を置く、怪しさ満点の研究機関。
『Amakase Research Institute for Secrets of the Dungeon』、通称ARIS。
やたらと長ったらしく胡散臭い名称ではあるが、直訳すれば天枷ダンジョン研究所といったところか。一般的に『天枷』といえば、これを経営する『天枷家』のことを指している場合がほとんどだ。なんとも怪しさ満点の一族ではあるが、しかしその実績は研究分野に於いて抜きん出ている。
新しく発見された資源の活用方法をいち早く見つけ出し、世界へ向けて発信する。
魔物の生態や攻略法に、ダンジョンの法則や歴史の研究まで、現在ダンジョンに関わるありとあらゆる事柄の最前線を走っているのが、この天枷家である。研究系であるが故にあまり目立たないが、ある意味では九奈白・国宝院に並ぶ国内ダンジョン御三家の一角といっても過言ではないだろう。
そんな天枷家ではあるが、界隈では有名な話がある。
それは『誰も天枷家の者と会ったことがない』というものだ。企業としては間違いなく存在しているし、連絡のやりとりもなんら問題ない。しかし研究所の職員に会うことは出来ても、天枷家の人間には一切会えないのだ。通話で声を聞くことは出来ても、ウェブ会議等でさえ徹底して顔は出さない。噂によれば、職員ですらも天枷家の人間を直接見たことがないという。
徹底した秘密主義か、或いは何か人前に出られない理由でもあるのか。
そのあまりの胡散臭さから、天枷家の一般知名度は九奈白・国宝院ほど高くない。加えて界隈でも、とにかく謎に包まれた一族だと言われてきた。
そんな天枷家の人間が、ここにきて初めて顔を出したというのだ。
赤の他人にはまるで興味を抱かない凪でさえ、『少し顔を見てみたい』と思ってしまう程度には珍しい事態であった。
だというのにそれほど大きな騒ぎになっていないのは、偏に『誰も顔を見たことがない』からであろう。
つまりは誰も、それが本当に『天枷の跡取り』だと断言出来ないのだ。
会場に入ることが出来ている以上、招待状は間違いなく本物だ。つまりその跡取りとやらも、間違いなく天枷家の人間なのであろうが――――。
(まぁ、怪しすぎて声はかけられないわよね。それにしても、一体どういう風の吹き回しなのかしら)
こういった場に天枷家の人間が来るなどあり得ない。
もちろん他にも、招待状を送ったことのある者は沢山いるだろう。しかし彼らが顔を出した前例などはなく、それは最早当たり前の事となっている。そんな彼らが、今回に限って一体何故。風音が直々に招待状を送ったからなどと、そんなわかりやすい理由であるはずがない。でなければ、これまで顔を出さなかった理由に説明がつかない。そうして凪自身も気づかぬうちに、彼女の興味はすっかり、件の跡取りとやらに向けられていた。
凪が周囲の声を適当に聞き流しつつ、しばらくの思索に耽っていたその時。
周囲を取り巻いていた囲いが、戸惑いの声と共にゆっくりと割れた。次いで聞こえてきたのは、もはや聞き飽きた自己紹介の文言と同じものだった。
「お初にお目にかかります、九奈白凪様」
それに気づいた凪がふと顔を上げた時、そこには見知らぬ青年(?)が立っていた。
少し長めの黒髪、中性的で綺麗な顔立ち。柔らかく綺麗な声音に、貴公子然とした所作。
間違いなく初対面であるはずなのに、少し意地の悪そうな瞳はしかし、どこかの誰かによく似ている気がした。
だからというわけではないが、凪はこの日初めてまともな返事をした。
「天枷水樹と申します。以後、お見知りおき下さい」
「…………ええ」
凪が胡乱げな瞳を名刺に落とす。
差し出されたソレには、『ARIS第二研究室長』と記載されていた。
あの家とは関係ないですよ?




