第136話
市内某所、九奈白家が所有する高級ホテルの一室。
そこでは嵐士と風音が、数カ月ぶりの再会を果たしていた。
「パパひさしぶりー、会いたかったわぁ」
「ああ、おかえり」
数カ月も離れて生活する夫婦など、一般家庭ならばあまりないことだろう。
片方の単身赴任や、あるいは仲が冷え切った末の別居くらいだろうか。少なくとも、円満な家庭ならあまり見ることのない光景だ。しかしこのレベルの資産家ともなれば、それほど珍しいことでもない。互いが重職に付いている場合が多く、仕事の都合などで長期間離れる、といった事はままあるのだ。
もちろん、実際に冷え切って愛など無くなってしまった夫婦もあれば、常に一緒にいる夫婦もいる。
所詮は各家庭ごとに異なり、一概にそうだと決めつけることは出来ない。そういう意味では、一般家庭と大差はないのかもしれない。
九奈白家に関して言えば、夫婦の仲は良好だった。
もっと言えば、金持ち界隈ではおしどり夫婦として有名だったりもする。
つまり嵐士と風音が普段離れがちなのは、純然たる仕事の都合でしかない。一度会えばこの通り、凪が見れば顔を顰めて目を逸らす程度には仲が良い。
なおこれは余談だが、おしどり夫婦の由来となっているオシドリという鳥は、実は頻繁に浮気をする鳥である。というより、毎年パートナーを変えるというべきか。繁殖期毎に新たなパートナーを選ぶため、同じ相手と一生を添い遂げる、などということはなかったりする。もちろん九奈白家にはまるで関係のない話だが。閑話休題。
「今回は長かったな」
「ねー。ホントは総会までに帰る予定だったのにぃ。うふふ、寂しかった?」
「無論だとも」
誰も見ていないことを良いことに、二人はイチャつき放題である。
むべなるかな、仲が良いのに半年近くも離れていれば、どこの夫婦だってこうなる。
そうしてテーブルについた二人は、食事をしながら近況を報告し合う。
近況と言っても、仕事のことではない。開始早々話題に挙がったのは、やはり娘の話であった。
「凪にはもう会いに行ったのかい」
「ええ、昨日までは白凪館にいたの」
「どうだった?」
「相変わらずツンツンで可愛かったわぁ!」
満面の笑みを浮かべる風音を前に、嵐士は僅かに安堵の表情を見せる。
当然ではあるが、嵐士は九奈白風音という人間を最もよく知る者のひとりだ。普段は温厚でとぼけた態度に見える彼女がその実、優れた観察眼と厳しさを秘めていると知っている。仮に相手が最愛の娘であっても、彼女はただ甘やかすばかりの母親ではない。故にこそ嵐士は、風音から見た娘の第一印象が気になったのだ。
「それになんだか、表情が豊かになってたわあ。前よりよく笑うようになったわね、あの子」
「そうだろう、そうだろう」
「うふふ、娘の成長はやっぱりうれしいものねえ」
今回の婚約者選びに関して、風音は無理矢理に決めてやろうなどと考えているわけではない。自分たちがそうであったように、基本的には凪自身に相手を選ばせるつもりでいる筈だ。少なくとも嵐士はそう見ていた。
しかし何度も言うが、風音はただのお気楽な母ではない。もし凪に何の成長も見られなかったのなら、或いは強制的に相手を選んでいたかもしれない。もしそうなっていれば、嵐士の企ても水泡に帰すこととなる。嵐士が安堵の顔を見せたのは、ひとまず第一関門の突破には成功したからであった。
(この点は彼――――いや、今は彼女か? まぁどちらでもいいが、あの子に感謝しなければな)
凪に成長を促したのは、まず間違いなく彼であろう。
嵐士とて、護衛に選んだ時はここまで考えてはいなかった。安全確保のついで、ただの副産物に過ぎない。しかし蓋を開けてみればこの通り、当初の護衛依頼は既に完了しているというのに、未だ彼に助けられている。加えて今尚協力をしてもらっているのだから、感謝せずにはいられなかった。もちろん本人にそんな意識はないだろうが。
そんな風に、嵐士が丁度織羽の事を考えているときだった。
「そういえば――――ねぇパパ?」
「なんだい」
「凪ちゃんのところの新しいメイドさん、あの子は何者なのかしら?」
瞬間、嵐士の心拍数が上がった。
もちろんいくら妻に弱い嵐士とて、そんなことはおくびにも出さないが。
「ああ、彼女か。学園生活に必要だと考えて、私が手配した。無論、凪にはとても嫌がられたがね」
「あらあら、相変わらずねぇ。なら、凪ちゃんを変えたのはやっぱりあの子ね」
「ほう、どうしてそう思うんだい」
まっすぐに嵐士見つめる風音の瞳は、その心の奥までも見透かしていそうで。
確かに、あのメイドは他とは少々毛色が違う。
本職ではないこともそうだが、性格からしてやや特殊だ。簡単に言ってしまえば、織羽は擦れ過ぎているのだ。良く言えばマイペースだが、残念ながら言動や背景などが浮きまくっている。後者に関しては、如何に風音であろうとそう簡単には洗えない。しかし前者に関しては――――まぁ、一目瞭然であった。常に慇懃な態度を崩さない――特に初対面の相手の前では――ようにしているらしいが、風音の目を欺けるかといえば微妙だ。
「あら、だって入学時に雇ったのなら、今頃は解雇されてる筈だもの。まだクビになっていないということは、凪ちゃんが気に入ったってことでしょう? それにあの子、とっても可愛いもの」
「他の要因で凪が丸くなった、という可能性もあるのでは?」
「ないわよぉ。あの子の人間不信は、そんなレベルじゃなかったもの」
さもありなん。
とはいえ、見たところ風音に気を悪くした様子はなかった。
むしろ、何やら気に入っている気配すらある。
「それに私も――――うふふ、あの子はちょっと気になるのよね。一体どこで見つけてきた子なの?」
「なに、古い知人の伝手だよ。護衛も兼任出来るメイドは居ないかと聞いたら、彼女を寄越してくれた」
「あら…………やっぱり戦えるのね、あの子。道理で身のこなしが軽いと思ったわぁ」
「一応、元探だと聞いている。とはいえ向いていなかったらしく、早々に辞めてしまったらしいがね」
嘘は言っていない。風音の前で下手に嘘を吐けば、必ずボロが出る。こと話術に於いては百戦錬磨の嵐士を以てしても、だ。
実際、織羽の探索者としての現役時代――無免許時代を除き、かつ年齢を考慮しなければ――はそれほど長くない。それにこれは『エターナルヘヴン』の公式サイトでも確認出来るプロフィールだ。話してしまっても問題はないし、元より話すつもりであった。
しかし風音はといえば、じっとりとした粘性のある眼差しを嵐士に向けていた。
何かを探るような、あるいは怪しむような、そんな目だ。
「ふうん…………ま、いいわ! 凪ちゃんも信頼しているみたいだったし、私も気に入ったもの」
「それはなによりだ」
ほぅ、と小さく息を吐き出し、再び食事に興じる嵐士。
(ふぅ…………なんとか誤魔化せた、か? 浮気を隠しているようでゾッとしないな、これは)
対する風音は酒が入っているからか、その後は終始上機嫌であったという。




