第134話
九奈白風音。
実家は国内でも有数の名家、九条家の娘であり、九条家現当主、九条行雲の姉にあたる。なお九条と九奈白で『九』の字が被っているが、関係は一切ない。
名家の娘らしく、また凪の母らしく。
教養からマナー、美容芸術、品格。凡そ淑女教育として施される全てが完璧な、まさに才媛。
しかしその自由過ぎる性格故か、或いは名家故のしきたりか。ともかく、彼女が家を継ぐことはなかった。
彼女は九奈白に嫁ぐより以前、彼女はその類稀なる能力により、各方面で様々な功績を打ち立てた。
そして、その最たるものが――――。
「お母様は元『九位』よ」
「…………えっ?」
学園へと向かう途中、なんてことのない普段どおりの世間話。
その最中、凪から聞かされた衝撃の事実に、織羽はハンドル操作を誤りそうになった。
きっかけは織羽の何気ない質問だった。
風音が白凪館に滞在し始めてからまだ二日。当然ながら、話題に上がるのは彼女の事だ。
初日の風音は館に到着するなり部屋で休んでしまい、そして二日目は織羽が午後から外出だった。故に織羽はまだ、九奈白風音という女性のことを何ひとつとして知れていなかった。随分と愉快な性格をしていることくらいは分かっているが、ただそれだけだ。
形としては凪の専属ではあるものの、メイドとしての基本業務――掃除であったり各所の遊撃であったりだ――は織羽にも当然存在する。そしてその基本業務の中には、家人の世話も含まれている。であればこそ、滞在中は風音の世話をすることもあるだろう。そうである以上、九奈白風音という人物の情報はいくらかでも欲しかった。
そうして『風音様はどういった人物なのですか?』という質問を凪に投げかけた、その一発目の返答が先のものである。
もっと軽い情報――――例えば好きな食べ物だとか、嫌いなものだとか。そうしたものを想定していた織羽にとって、まさに青天の霹靂であった。
「なんすて?」
「何なのよ、その変な言葉は…………といっても、お母様が九位だったのはほんの数ヶ月の間だけよ。私を身籠っていることが分かった時、すっぱりと辞めてしまったそうよ」
「ななな、なんすて?」
「当時から国内最高位だった、あの天久隆臣に次ぐ二番手――――当然、随分と騒がれたらしいわ」
言うまでもないことだが、一桁とは人外のバケモノと言っても過言ではない領域である。
五桁で一流、四桁ならば超一流。三桁ともなれば国選探索者として、国を代表する存在とも呼ばれる。二桁は世界を。
類は友を呼ぶとでもいうのか、近頃織羽の周りには三桁二桁がホイホイ顔を出しがちだが、それだって本来は稀有な存在である。もちろん探索者の順位とは、単純な強さのみで設定されているわけではない。特殊な技能によって順位が高くなろうとも、戦闘能力がそれほど高くない場合は、探索業だけで大金を稼ぎ続けるのは難しかったりもする。ケイやハルがそうだったように。
しかし一桁は、最早そういった次元にはない。
四桁と三桁の間に壁があるとしたら、二桁と一桁の間には異世界転移くらいの隔たりがあると言っても過言ではないのだ。
才能だけでも、努力だけでも足りない。その両方が揃っていて、それでもなお届かないのが一桁の高みだ。そして一桁とは、もれなく全員が変人である。そんな変人だけが集まる高みに、僅か数カ月とはいえ届いたというのだ。九奈白風音の異端ぶりを表すのに、これほど適した物差しもないだろう。
(昨日、一昨日の型を崩したお嬢様ならともかく…………今のお嬢様が冗談を言うとは思えない。なるほど…………この間の違和感はそれか)
風音と遭遇した時のことを思い出す。
まるで物怖じしない柔らかな態度、軽く力を入れた程度では振りほどけなかった指、妙に持ち運びやすい身体の重心移動。
今思えば成程、風音の様子にはその片鱗があった。
護衛を振り切って脱走しがちなのもそうだ。
いざ危機に陥った時でも、彼女には単独でどうとでも出来る自信があるのだろう。
九奈白を代表し、世界中を飛び回っているのもそうだ。
戦闘能力のない嵐士に代わることが出来るのは、圧倒的な実力に裏打ちされた自信があるからだろう。
前線を退いたという意味での元探である織羽や隆臣とは異なり、風音はもう完全に探索者を辞めてしまっている。
しかしだからといって、それまでに得た経験や能力が失われるわけではない。
愉快な性格、読めない顔の裏、嘘やごまかしが通用しない鋭い洞察、確かな能力。
九奈白風音という女性は織羽達にとって、知れば知るほど厄介な存在であった。
(ははぁ…………お嬢様にも内緒にしているのはその所為か。だったら先に教えておいてくれればいいのに)
織羽が心中で、ここには居ない誰かに不満を垂れる。
あっちはあっちで、やはり一筋縄ではいかないな、などと考えながら。
「あれ? ではやはり『ワイバーンお兄様作戦』は悪くないのでは? 奥様自身も探索業をされていたのなら、現役探索者は心象が良さそうですけど」
「その馬鹿みたいな作戦名はなんなのよ…………言ったでしょ。どうしても笑ってしまうし、何より私に恋人ごっこは無理だって」
「いやいや、やってみたら案外ってパターンもありますよ? あとワイバーンお兄様、すんごいイケメンでしたよ」
「そ。興味ないわ」
あのサロンでの談合の後、織羽はシエラから、噂のお兄様を写真で見せてもらっていた。
シエラと同じ輝くような金髪に端正な顔立ち、高身長でスタイル抜群。同性の織羽からみても、名前以外には非の打ち所がない完璧なイケメンであった。強いて欠点を挙げれば、笑顔が爽やかすぎる所為で、一周回って軽薄そうに見えた事くらいだろうか。
そうしてシエラが提案していた例の『ワイバーン作戦』を再度持ち出してみるも、やはり凪にはぴしゃりと棄却されてしまう。
九奈白家と国宝院家は昔から付き合いがあるのだ。当然、凪もワイバーンお兄様の顔は知っている。もし凪が顔で男を選ぶタイプであったなら、サロンで話が挙がった際に同意していた事だろう。つまりワイバーンお兄様がどれほどイケメンであろうと、凪にとっては何のメリットにもならないということである。最初から分かっていたことではあるが。
「でも実際、どうするんです?」
「…………一応、色々と策は考えてあるわ。どれも成算は微妙だけれど」
「おや、流石はお嬢様ですね。最近は『ぐぬぬ』してるところしか見てなかったので、てっきり諦めたのかと思ってました」
「諦めるわけないでしょう。というか私、そんな顔してたかしら……?」
「それはもう。風音様と会話しているときのお嬢様ときたら、ほとんど餅みたいな顔でしたよ」
「あらそう、なら今後は気をつけ――――普通に悪口じゃない?」
そんな会話をしているうち、二人を乗せた車が学園へと到着する。
凪曰くの『無駄に偉そうな車』は当然目立つため、到着と同時に学生たちが色めき立つ。総会襲撃事件からこちら、念の為にと車通学に切り替えていた――花緒里によって半強制的に切り替えられた――凪だが、やはりこの好奇の目には耐えられないのだろう。心底面倒そうな声で、彼女は呟いた。
「…………やっぱり徒歩がいいわね」
「そろそろ戻してもいいかもですねぇ。私も嫌いではありませんよ」
ちやほやされることにすっかり慣れた女装メイドは、どこか嬉しそうな顔をしていた。




