第133話
明くる日の朝。
食堂に顔を出した織羽は、開口一番にこう言った。
「今日は午後から、お暇を頂いても宜しいでしょうか」
本日は言わずもがな、九奈白風音というどデカい爆弾が動き出す、その初日である。
なんだかんだと言いつつ、日々の激務によって風音も疲れが溜まっていたのだろう。彼女は部屋に案内されるや否や、そのまま丸一日もぐっすり眠っていたのだ。そうしていよいよ風音が目覚めるであろう今日この日、あろうことか織羽は『昼からちょっと用事が』などと言い出したのだ。これには凪も耳を疑った。
「……正気なの? あんなバケモノの相手を、私だけにさせるつもり?」
「言い方、言い方」
もちろん館には花緒里や亜音、椿姫といったメイド達が常駐している。
しかし彼女らはあくまでもメイドに過ぎず、九奈白家の大ボスこと風音との戦いにおいては、少々頼りなかった。
であればこそ凪は、結構な割合で織羽を頼りにしていた。
そもそもデリカシーがなく、目上に対してもずけずけとモノを言うその態度。なにしろ初対面の凪に『デカチチ』などと吐いたほどである。加えてどういうわけか、現時点で既に風音から気に入られている様子もあった。対風音戦において、この『ノンデリ失礼メイド』は大いに活躍してくれるだろうと、そう期待を寄せていたのだ。
しかしここにきて、まさかの裏切りである。
どうやら、午後からの凪は孤立無援であるらしい。
「くっ…………どうしても外せない用事なのかしら」
「ですね。もちろん、大変心苦しく思ってはおりますよ」
「どうだか。でもまぁ、それなら仕方ないわね」
本来であればもちろん、凪が一言『却下』と言えばそれで済む話である。
メイドとしても護衛としても、現在の雇用主は凪なのだから。しかし凪は、立場を利用して強権を振りかざすような行為を事さらに嫌う。
加えて平時より、メイド達には休みたければいつでも休んでもよいと伝えていたし、ある程度の自由も最初から与えている。これは彼女らが住み込みメイドという性質上、基本的に年中無休の業務となっているからだ。それを自分の都合――それも、ひどくしょうもない都合だ――で撤回するなど、凪にはとても出来なかった。
今日が平日であればどれほど良かったか。
平日であれば、授業を理由に学園へと逃亡することが出来た。午後までは悠々と過ごせることだろう。
しかし今日は日曜であり、その手は使えない。元より引きこもりがちであり、かつ友人もほとんどいない凪には――――悲しいかな、避難先の候補が他に無かった。
「まぁまぁお嬢様、家族は大事にした方がいいですよ」
「別に…………ちゃんと大事にしてる――――つもりよ。でも、それとこれとは話が違うじゃない」
二人がそんな会話を交わしている、丁度その時だった。
間延びするような、気の抜けるような声が聞こえてきた。
「おはよぉ~。やっぱり若いっていいわね、二人とも早いわぁ」
声の主はもちろん九奈白家の裏ボス、九奈白風音である。
流石に着物は着替えたらしく、今はゆったりとしたレース付きの部屋着を纏っている。
身体の凹凸が出づらい着物ですらアレだったのだ。ゆったりとした部屋着であるが故に、なんというか、凄まじい色香であった。もしここに普通の男がいたら、あるいは目が潰れていたかもしれない。
「なっ、お母様!? なんて格好をしているんですか!」
「あら、女同士なんだし別にいいじゃない。それにただの部屋着よぉ?」
女同士ではないからこそ凪は苦言を呈しているのだが、もちろんそれを言うわけにはいかない。細かいことには頓着しない性格の風音ではあるが、しかし元は名家の娘であり、それ故か変なところで厳しい一面を見せる――その割にはあられもない格好をしているが――こともあった。織羽の正体が風音に知られてしまったとき、どういった反応をするのか全く予測出来ないのだ。
そうでなくとも、この白凪館で織羽の正体を知っている者は凪だけだ。
花緒里や亜音、椿姫達にまで知られるリスクを考えれば、あまり深く注意することも出来ない。結局このあられもない姿を許容する外なく、凪は朝から大きなため息を吐き出すこととなった。ついでに、なにかモヤモヤとした不思議な気持ちも添えて。
ちらりと横目で見てみれば、織羽はまるで意に介した様子もない。
風音の色香に惑わされることもなければ、そもそも風音の方を見てすらいない。ただ無表情のまま、モリモリと朝食を頬張るのみであった。
そんな織羽の様子に、凪はほっと安堵の息を漏らした。
「…………まぁお母様がそれで良いのなら、私は別に構いませんけれど」
「あら?」
「なんです?」
「…………うーん? 気のせいかしら?」
やはり風音は侮れない相手であった。
凪の微妙な心情を、その僅かな表情の変化から感じ取ったのだろう。怪訝そうな顔をしながら、じっと凪を見つめている。
とはいえそれは確信めいたものではなく、『何だか思っていた反応と違う』と小さな違和感を感じた程度か。相手が娘だからというわけではなく、そもそもからして他人の感情を読むことに長けているのだ。
しかし凪もまた、風音がまだ真に至ってはいないことをすぐさま見抜く。
違和感こそ与えてしまったものの、その違和感がどこからくるものなのかは気づかれていない、と。
そうしてゆっくりと落ち着いた様子で席につき、何事もなかったかのように食事を再開した。
九奈白母娘はこんな朝っぱらから、なんとも複雑な攻防を繰り広げていた。
(なんか、諜報員同士の探り合いみたいだなぁ)
謎の探り合いを行う母娘を視界の端に眺めながら、織羽はそんなどうでもいい事を考えていた。




