第132話
ノリと勢いで館を飛び出した織羽だが、この外出が無意味な事には気がついていた。
母親が絡んでいるせいか、普段の凪であれば考えられないような凡ミスだ。それでも敢えて指摘をしなかったのは、大いに型を崩す凪が微笑ましかったからだ。
そうして空き時間の出来た織羽は、折角ならばと街を散策することにした。
普段織羽が外出するとき、大抵の場合はメイドとしての仕事でしかない。
何の理由もなく街に出ることなど、織羽にとって実は珍しいことなのだ。
とはいえ仕事も残っているため、そう遠くまで出るわけにはいかない。
そこで住宅地付近を散歩しつつ時間を潰し、一時間程度で戻ることに決めた。
そうして高級住宅街を歩くこと数十分。
普段は流し見るだけだった白凪館以外の屋敷を眺め、『はえー、割とすっごい』などと呑気に考えていた織羽は、そこで想定外の人物と遭遇する。
またぞろ何かを探すように、きょろきょろと周囲を見渡す怪しい女。
それこそが先日出会った怪しい着物女性――――九奈白風音だったのだ。
もちろん織羽は風音の顔を知らないため、着物女性と風音が同一人物だということに気づいてはいなかった。
しかし先日の面倒事を思い出し、関わるのはゴメンだとばかりに迂回しようとした。が、回り込まれてしまった。
――――あらあらあら? 貴女は先日の親切なメイドさんじゃなぁい!
おっとりとした口調とは裏腹に、妙に機敏な動きで接近してくる風音。
先日もそうであったが、メイド服を着ている以上、たとえ相手が誰であれ粗雑に扱うことは出来ない。それは雇い主、つまりは凪の顔に泥を塗ることに鳴るからだ。事此処に至り、相手をする以外の選択肢が織羽には無かった。
渋々対応してみれば、なにやら娘の家を探しているとの事であった。
なんでも娘の家を尋ねるのは初めてではないが、しかし久しぶりであったため、道に迷ってしまったのだそうだ。
嘘を吐いているようには見えなかったし、成程確かに、風音の見た目はやたらとエロい事を除けば、如何にも金持ちの人妻といった雰囲気だ。故に織羽も、今回は面倒事にはなるまいと考え、諦め半分で道案内をすることに決めた。
その結果がこれである。
* * *
「いえ、私も途中から『あれ、おかしいな』とは思ったんですよ?」
「だったら捨ててきなさいよ!」
クレーマーと化した凪の、あまりにもな言い様であった。
風音が告げた『娘の家』とやらの特徴、立地。ずばり住所こそ聞かされはしなかったものの、聞けば聞くほど白凪館の特徴にそっくりであった。
そうして道案内が進むに連れ、織羽はこの女性の正体に薄々感づき始めていた。
だが時すでに遅し。今更放り出すことなど出来ず、結局こうして連れて来る羽目になったというわけだ。何故かお姫様抱っこで。
「うふふ、まさか貴女がここのメイドだったなんてねぇ。探す手間が省けちゃった」
娘から『捨ててこい』などと言われているにも関わらず、風音はえらく上機嫌であった。
そんな風音の様子に、凪はふと疑問を感じた。
「探す……? 織羽、貴女お母様と知り合いだったの?」
風音の言葉の端から、まるで既知であるかのような含みを感じ取ったのだ。
しかし織羽からそういった話を聞いた記憶はなく、またそうであったのなら、織羽が報告を怠る筈もない。
凪は問い詰めるようなじっとりとした視線を織羽に向けた。まさか知っていて裏切ったのか、と。
しかし織羽から齎された答えは、ひどく拍子抜けするものであった。
「実は先日の買い出し時に偶然出会いまして。まぁその、色々とお世話させて頂いたんです。まさかお嬢様のお母様だとは存じ上げませんでしたが」
「うふふ、お世話されちゃいましたぁー」
織羽が街で人助けをし、それがたまたま脱走中の風音だった。
つまりは全くの偶然、不幸が重なった結果である。流石の凪もこれには頭を抱えた。そんな偶然があってたまるか、と。
とはいえ、実際にそうなのだから仕方がない。故にそれ以上、凪はクレームをつけることが出来なくなってしまった。
「…………はぁ」
「あらあら凪ちゃん、眉間に皺が寄ってるわよぉ? 折角の美人さんが台無しだわぁ」
「ッ、誰のせいだと――――もういいです! それで、この子を探していたっていうのは一体どういう意味ですか」
「……? そんなこと言ったかしらぁ?」
暖簾に腕押し、柳に風。
何を言ってものらりくらりと躱す風音に、凪はペースを乱されっぱなしであった。
織羽も大概掴みどころのない相手だが、それとはまた別ベクトル。凪が風音を苦手としている最たる理由は、実はここにあった。
こんな態度を取っておきながら、しかし風音は明らかに『とぼけている』だけ。
そして『知らないふりをしている』事を隠そうともしない。ただ話が通じないよりも余程たちが悪い、非常にやりづらい相手なのだ。
「追い出しますよ」
「うそうそ、冗談。だからそんなに怖い顔しないで」
ムスッとした凪の顔にも、怯んだ様子はまるでない。
余談だが、機嫌が悪い時の凪は結構怖い。切れ長の瞳がすっと細められ、それでいて無表情になる所為だ。美人が怒ると怖いの典型であり、これにより周囲の温度が一気に下がるのだ。なお怒ること自体が凪以上に稀ではあるが、織羽も同じタイプである。閑話休題。
「色々お世話になったって言ったでしょぉ? こんなコなら、人間不信の凪ちゃんに丁度いいかなって思ったのよ。だから探して引き抜こうかなって」
「…………誰が人間不信ですか、全く」
「えぇ? そこ否定出来るのぉ?」
何か良からぬ企みを考えているのではないか、などと想像した凪であったが、どうやら違ったらしい。
もちろんこれが、風音の本心なのかどうかはまだ分からないが。凪はこれまでの経験上、風音の言葉を鵜呑みにしないよう心がけていた。
「でも安心したわぁ。しばらく見ないうちに、良い顔をするようになって。これも彼女のおかげなのかしら?」
「……別に、少し考え方を変えただけです」
「ふぅん……うふふ。なら、そういうことにしておきましょうか」
にまにまと、したり顔で凪を見つめる風音。
こういうところが苦手なのだが、本人にやめるつもりはなさそうだった。
そうして娘とのじゃれ合いを一頻り楽しんだ風音は、機嫌が良さそうに伸びをひとつ。
「さぁて…………久しぶりに会えたわけだし、色々と積もる話もあるけれど――――でも、まずは部屋に案内してもらっていいかしら? 花緒里さんのことだから、もう準備してくれているのでしょう?」
「もちろんです奥様。ご案内します、こちらへどうぞ」
「はーい。それじゃあ凪ちゃん、また後でねぇ」
茶目っ気たっぷりにウィンクを残し、花緒里と共にその場を去ってゆく風音。
その後姿を眺めつつ、織羽は小さな声で呟いた。
「愉快なお母さんですね」
「どこが愉快なのよ…………というか今の感じだと、数日は居座る気じゃない」
たった今繰り広げられた非常に疲れるやりとりが、これから暫くの間は続くことになる。
それを思えばこそ、凪はもう何度目になるか分からないため息を吐き出した。
あけましておめでとうございます
本年もぜひ、本作をよろしくお願いいたします




