第9話 提出確認者
一条から渡された作業用メモには、第一問の三つの欄がそのまま書き写されていた。
『発端となった情報』
『情報を事実として広めた行動』
『根拠とする資料番号』
久世は、四組に配られた六件を机の上へ広げ直した。
これまでに他クラスと交わした話も、端末の脇へ残してある。
宮原から聞いたのは、人物への悪い印象と、具体的な流出疑惑と、その後の拡散を分けて考えるという見方。
三浦から聞いたのは、複雑な話ほど、人に伝わる時には分かりやすい筋へ変わりやすいという考え方。
どちらも、七年前の新しい証拠ではない。
だから、資料番号の欄には入れられない。
「これ」
久世は六件のうち、一つの電子記録を開いた。
七年前の短いやり取りが、時刻つきで三つ残っている。
『17:55 神谷が問題を持っていたと聞いた』
『18:17 神谷が持ち出したらしい』
『18:20 次の共有は神谷抜きでいいだろ』
佐伯が画面を覗き込んだ。
「最後、もう完全に犯人扱いじゃない?」
「そこまでは書けない」
久世が言うと、佐伯が顔を上げた。
「なんで?」
「“神谷抜きでいいだろ”は提案だ。実際に外したかは、この記録にはない」
一条が電子記録を引き寄せる。
「それに、外そうとした理由が疑いだったことは分かる。でも、発言した本人が神谷の流出を確定事実だと認識していたかまでは分からないな」
「でも、最初の二つは強くなってるよね」
高瀬が言った。
「“持っていたと聞いた”から、“持ち出したらしい”になってる」
天宮が続ける。
「表現は強くなってる。でも、証拠が増えたとは書いてない」
黒田が鼻で笑った。
「言い方だけ育ったってことか」
久世は返事をせず、別の記録へ目を移した。
『神谷は、特待資格を守るためなら何でもする』
そして初動聞き取り要旨。
『神谷が問題を持っていたと聞いた』
『特待資格の継続を気にしていた』
『教材整理のため、閉館近くまで残ることがあった』
人物評価。
所持したという伝聞。
本人の事情らしい情報。
教材へ接する機会。
並べれば、一つの話にはなる。
だが、並べたことと、つながっていたことは同じではない。
「発端の欄」
一条が言った。
「“神谷が問題を持っていたという未確認情報”までは置ける。ただし、これが本当に最初の発言だったとは書かない」
「賛成」
久世は即答した。
「資料に残ってる中で疑いの材料になってる。でも、誰が最初に言ったかは分からない」
一条が入力する。
次に二つ目の欄。
『情報を事実として広めた行動』
佐伯が腕を組んだ。
「ここが難しいね」
「書けるのは、所持の話が“持ち出したらしい”に変わったことと、それを理由に神谷を共有から外そうとしたことまで」
久世は言った。
「“外した”にはしない方がいい」
一条の指が止まる。
「今の一文、使う」
「俺の?」
「資料にない実行を足さない。第一問だけじゃなく、ほかでも同じ基準にした方がいい」
久世は一瞬だけ、ほんの少し前の面談を思い出した。
三浦が言ったこと。
相馬を経て佐伯が持ち帰ったこと。
同じ話でも、一人挟めば形が変わる。
だから七年前も同じだった、とは言えない。
ただ、今ここで起きたことを見た後なら、資料に書かれていない一段を自分たちで足す危険は分かる。
「理由も書く?」
高瀬が訊いた。
「回答欄に必要な分だけでいい」
久世は答えた。
「分からないことまで埋める必要はない」
一条が頷いた。
第一問は、完全な答えになったわけではない。
むしろ、どこから先を書けないのかが、ようやく見え始めていた。
*
一組の端末には、四組からは見えない表示が出ていた。
『一組 提出責任者』
『篠原凛』
篠原は椅子へ浅く腰かけたまま、第一問の回答案を見ていた。
誰が責任者なのかを、一組の六人はとっくに知っている。
提出責任者が決まってから、その名前は変わっていない。
ただ、その名前は他クラスには公開されていない。
「これでいいんじゃないですか」
成海圭吾が画面を指した。
暫定回答には、こうある。
『発端となった情報』
『神谷が特待資格を守るため、問題を持ち出したという情報』
『情報を事実として広めた行動』
『その情報を反復し、神谷を対策共有から外した行動』
『根拠とする資料番号』
『1-02、1-03、1-04』
篠原は何も言わなかった。
先に声を上げたのは御影だった。
「異議を入れる」
成海の眉が動く。
「どこに?」
「二か所」
御影は自分の端末を操作した。
篠原の画面に異議通知が出る。
『1-02は、神谷が特待資格の継続を気にしていたという記録。1-03は、神谷が問題を持っていたと聞いたという伝聞。この二つが最初から一つの情報だった根拠はない』
続けて、もう一行。
『1-04の「神谷は外そう」は提案。実際に共有から外した行動までは資料上確認できない』
成海が息を吐いた。
「違いは分かります。ただ、一問目だけに時間を使いすぎるのも危ない。十二問ある」
「だからって、実行したことにはできない」
御影はすぐに返した。
成海は端末の設問一覧へ視線を移す。
「まず全問に暫定回答を置いて、根拠が弱いところへ印をつけて戻る。僕はその方がいいと思う。空欄のまま一問に時間を使い続ける方が危ない」
「暫定なら、暫定だと分かる書き方にして。今の文面は実行済みに読める」
二人の声が少しだけ硬くなる。
三浦が間に入るように笑った。
「まあ、どっちも分かるよ。締切はあるし、提出文で資料以上のことを書けばそこも突かれる」
白川誠は眼鏡越しに、1-02と1-03を黙って見比べている。
藤崎優花は何も言わない。唇を一度閉じ直し、篠原の手元へ視線を落とした。
篠原は異議欄を開いた。
採用。
一度押すだけだった。
「篠原さん?」
成海がこちらを見る。
「御影の方が資料に合ってる」
篠原はそれだけ言った。
回答文を直す。
『発端となった情報』
『神谷が問題を持っていた、という未確認の伝聞。提示資料から真の原発信者・最初の発生時点は特定できない』
二つ目の欄も修正する。
『所持伝聞と特待資格に関する人物事情が結びついた筋書きとして同一スレッド上で反復され、それを理由に神谷を共有から外す提案が行われた。提案の実行および神谷関与の確定事実化は資料上確認できない』
資料番号は、1-02、1-03、1-04。
「そこまで書く?」
三浦が訊いた。
「分からないことを分かったことにするよりはまし」
篠原は画面を閉じなかった。
第一問の異議表示が消える。
未処理、ゼロ。
正しい異議なら採る。
少なくとも、それくらいはできる。
次の設問へ移る。
第六問。
『自組の配布資料に含まれる、「神谷が問題を持っていた」という伝聞を記録した聞き取り記録について、①別個の聞き取り記録数、②確認できた独立一次情報源数、③未確認事項を答えよ』
その下には注意書きがある。
『電子投稿・聞き取り要旨・派生整理表は一次記録数へ加算しない』
白川が1-03と1-05を並べた。
「個別の聞き取り記録は二件です」
「でも、どっちも自分で見たわけじゃない」
御影が言う。
「上が同じ人かもしれない」
「そうだね」
白川は端末へ入力した。
回答案A。
『別個の聞き取り記録は二件。確認できた独立一次情報源は零件。実際の上流情報源数は不明。神谷本人の所持、直接目撃者、原発信者はいずれも未確認』
設問には、きれいに対応している。
篠原は一度読んだだけでそう判断した。
記録数。
独立一次情報源数。
未確認事項。
三つとも答えている。
「でもさ」
三浦が1-03と1-05を指す。
「別々の二人が、同じ話を聞いてるのは事実なんだよね」
「事実」
御影が答えた。
「だから何?」
「一人しか言ってない噂よりは、重く見る考え方もあるってこと」
「二人が同じ人から聞いた可能性が残ってる」
「それは残ってる。でも、別々だった可能性も残ってる」
御影は何か言いかけて、やめた。
三浦が言ったのは、可能性だった。
二人の聞き取り対象者が、それぞれ別の上流から聞いた可能性。
確認できた、とは言っていない。
篠原には、その違いが分かっていた。
分かったうえで、回答候補の追加欄を開く。
回答案B。
『別々の二名への聞き取り記録が存在するため、確認済みの独立した一次情報源は二件。直接目撃者と原発信者は未確認』
可能性を、確認済みへ一段押し上げた文面だった。
資料には、その一段を埋める記録はない。
篠原は入力した二案を並べた。
Aの方が、設問には合っている。
そこは迷うところではない。
Bは、聞き取り対象者と上流情報源を同じものとして数えている。
他の問題で同じ論点を問われれば、その弱さはもっとはっきりする。
篠原はAの候補に印をつけた。
それでも、Bは消さなかった。
「残すんですか?」
白川が訊いた。
「候補は候補でしょ」
篠原は答えた。
成海が時計ではなく、画面上の提出期限表示を見た。
「十二問あるんです。候補を増やしすぎると最後に詰まりますよ」
「分かってる」
篠原は次の設問へ進んだ。
画面の端には、学校ポイントが表示されている。
一組、百点。
二組、百点。
三組、百点。
四組、百点。
第一試験で四位になれば、マイナス二十点。
八十点。
その時点の累計最下位クラスから、一人が退学する。
提出責任者だからといって、対象から外れる規則はない。
篠原は自分の名前が並ぶ参加者一覧を一度だけ見た。
そして、画面を十二問の一覧へ戻した。
*
四組では、一条の端末に第一問の修正版が表示されていた。
久世は文章の横に、三つの資料を並べた。
4-01。
神谷への人物評価。
4-02。
問題を持っていたという伝聞と、特待資格への不安、教材整理の記録。
4-04。
所持の伝聞が持ち出し説へ変わり、共有から外す提案へ続いた電子記録。
回答文を一行ずつ追う。
真の発信者は埋めていない。
提案を実行済みにもしていない。
書いたことは、三件のどこかへ戻せる。
「どう?」
一条が訊いた。
久世はもう一度、資料番号まで見直した。
「これでいこう」
一条が短く頷く。
第一問の回答案が保存された。
「次」
久世は二問目の資料を引き寄せた。
まだ十一問ある。
端末の隅では、午後八時の提出期限だけが変わらず表示されていた。
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