第8話 二十四通りの合格
第一試験の資料を並べ直している途中で、久世は机の引き出しを開けた。
個人合格条件のカードが入っている。
取り出して、もう一度文面を確認する。
『個人合格条件』
『導入信頼投票で選択した人物を、神谷悠斗死亡事件に関して正式告発せよ』
受け取った時と同じ文面だった。
久世は腕輪を操作する。
同じ条件が表示された。
続いて端末も開く。
そこにも同じ条件が、一字違わず表示されている。
カード。
腕輪。
端末。
三つの媒体で、条件文は完全に一致していた。
「何してるの?」
佐伯が覗き込もうとした。
久世は端末の条件画面を閉じ、腕輪の表示も戻してから、カードを伏せた。
「条件の確認」
「まだ見せる気ないんだ」
「佐伯は?」
「私は別に、見せてもいいかなって思ってるけど」
軽い口調だった。
黒田が資料から目を上げる。
「正気かよ」
「だって、隠したところで何か変わる?」
「変わるかどうか分かんねえから隠すんだろ」
「それ言い出したら、何も話せないじゃん」
佐伯は自分のカードを取り出した。
一条が止める様子はない。
天宮も高瀬も、手元から視線だけを上げた。
「私はこれ」
佐伯がカードを表へ向ける。
そこには短い一文があった。
『生存登録者の過半数から信頼票を得る。』
高瀬が最初に反応した。
「……信頼票?」
「ね。意味分かんないでしょ」
佐伯は笑った。
けれど、その笑いは少しだけ固かった。
久世は文面をもう一度見る。
生存登録者。
過半数。
信頼票。
「今ここで私のこと信頼してるって言ってもらえばいいのかな」
「そんな簡単なら、条件として出す意味がないだろ」
一条が言った。
「だよね」
佐伯は腕輪を操作した。
表示された文字を見て、眉を上げる。
「本当に同じ」
「端末も?」
天宮が訊く。
佐伯が自分の端末を開く。
数秒後、
「同じ」
と答えた。
「でも、信頼票ってどうやって集めるんだろ」
佐伯が首を傾げた。
「それに、条件を満たしたとして、その後は?」
「申請の説明があるんじゃない?」
高瀬が端末へ目をやる。
佐伯は画面を操作し、『個人合格条件 達成申請』の項目を開いた。
その下に説明が表示される。
『条件達成の判定は、本人による正式申請を要する』
『申請時には、条件達成を裏づける登録済み証拠を指定すること』
『条件の性質上、第三者による確認が必要な場合は、証人確認を追加する』
佐伯が読み終えて、カードを指で叩いた。
「条件を満たしただけじゃ終わりじゃないんだ」
「少なくとも、正式申請は別に必要だな」
久世が答えた。
「信頼票が何を指すのかも、まだ分からない」
「それはそうか」
佐伯はカードを回収した。
見せたことを後悔している様子はなかった。
ただ、さっきより少しだけ、周囲の目を意識しているように見えた。
条件を知れば、見方が変わる。
佐伯が何かを提案した時。
誰かに同意した時。
笑って話しかけた時。
それまでなら何でもなかった行動に、
――信頼票が欲しいからか。
そういう意味をつけることもできる。
久世はそれを口にはしなかった。
本人が見せてもいいと判断したことと、
見せた後にどう受け取られるかは、同じではない。
「黒田は?」
高瀬が訊いた。
黒田は即座に答えた。
「見せねえよ」
「聞いただけじゃん」
「だったら聞くな」
黒田はカードを引き出しへ戻そうとした。
その時、机の上の資料へ肘が触れた。
束の端がずれる。
黒田は片手で資料を押さえ、そのままカードを持ち替えた。
ほんの一瞬。
伏せる前のカードの一部が、久世の側を向いた。
視線を向けたつもりはなかった。
だが、黒い文字が目に入る。
――誰にも話さず。
そこまでだった。
次の瞬間には、黒田がカードを伏せている。
「見るな」
「全部は見てない」
久世は答えた。
「一部でもだ」
黒田はカードを引き出しへ入れた。
誰にも話さず。
何を。
誰に関する何を。
そこまでは分からない。
神谷の事件に関係する条件なのかどうかも、見えた文字だけでは判断できなかった。
「別に全員見せる必要ないでしょ」
天宮が言った。
一条も条件を開示しない。
高瀬も同じだった。
六人いて、久世が全文を知っているのは自分と佐伯の条件だけ。
黒田については、一部分を偶然見ただけだ。
「第一試験に戻ろう」
一条が言った。
「条件のことを考えて、提出が遅れたら本末転倒だ」
久世は頷いた。
机の上へ第一問の資料を戻す。
午後八時まで。
個人条件が何であれ、今はクラスの答案を作らなければならない。
*
三組の教室で、宮原杏奈は端末を開いた。
交渉申請の画面を表示する。
少しだけ指を止めてから、相手を選んだ。
御影咲。
一組の様子を聞くなら、それでよかった。
宮原は申請を送った。
しばらくして、画面が切り替わる。
御影が承認したことを示す表示だった。
交渉成立を確認する。
正式な移動許可に従い、認証を済ませて中央廊下の面談室へ向かった。
少し遅れて、扉が開く。
御影が入ってきた。
「急に呼んでごめん」
「ううん」
御影は向かいへ座った。
「なんか聞きたいことがあるんだよね?」
「ちょっと、一組のこと聞いてみようと思って」
宮原は軽く笑った。
「個人条件のことって、みんなどこまで話してる?」
御影は少し考えた。
「人によるかな」
「やっぱり?」
「全部話してる人ばかりじゃないし。話したくない人もいるから」
「三組もそんな感じ」
宮原は頷く。
「同じ個人条件って名前なのに、内容も全然違うみたいだしね」
「うん」
「何を話して、何を話さないかも、その人次第って感じなのかな」
御影は返事をしなかった。
机の上で、両手の指を重ねる。
宮原は続きを急かさない。
それ以上、答えを求める様子もなかった。
話さないままでもいい余地が、そこには残っていた。
短い間。
やがて御影が目を伏せたまま口を開いた。
「久世君にも、少し話したんだけど」
宮原は何も言わない。
「全部じゃないけど」
御影は重ねた指にわずかに力を入れた。
「……今なら、もう一度話せると思う」
宮原は頷いた。
「話してみて?」
御影が一度息を吸った。
「七年前のこと」
声が少し低くなる。
「神谷君のことで、私、ずっと話してなかったことがある」
宮原は口を挟まない。
御影はほんの少し間を置いた。
「保管庫の近くで、人影を見たの」
宮原の指先が止まった。
御影は視線を机へ落とした。
「その時、それが何を意味するのか、私には断定できなかった」
少しだけ唇を結ぶ。
「だから、黙ってた」
宮原は御影を見る。
人物の名前は出てこない。
その人影が何をしていたのかも、御影は話していない。
宮原は続きを促さなかった。
「……そうだったんだ」
御影が小さく頷く。
しばらく、どちらも話さなかった。
やがて御影が重ねていた指を離した。
「聞いてくれて、ありがとう」
「うん」
御影が席を立つ。
宮原も少し遅れて立ち上がった。
御影は一度だけ息を吐いた。
二人はそこで面談を終えた。
*
四組では、第一問の資料がもう一度並び替えられていた。
久世は佐伯のカードを思い出していた。
生存登録者の過半数から信頼票を得る。
自分は、
導入信頼投票で選択した人物を、神谷悠斗死亡事件に関して正式告発せよ。
そして黒田。
誰にも話さず。
全文は分からない。
並べても、共通点らしい共通点は見えない。
告発。
信頼票。
誰にも話さない何か。
同じ「個人合格条件」という名前なのに、要求されている行動はまるで違う。
「直人」
一条の声で、久世は顔を上げた。
「こっち、見てもらえるか」
作業用メモが差し出される。
「第一問の発端候補。これを資料番号まで落としたい」
「分かった」
久世は条件のことを頭の端へ追いやった。
今は答案を作る。
まだ、全文を知っているのは二人分だけだ。
黒田に至っては、一部分を見ただけ。
それでも一つだけ、引っかかった。
どうして、自分には告発で、
佐伯には信頼で、
黒田には、誰にも話さない何かが与えられているのか。
二十四人に、二十四通りの条件。
何を基準に、
この条件が選ばれたのか。
少なくとも適当に割り当てられた訳ではないのだろう。
今はそれくらいの想像しか出来なかった。
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