第5話 正解を作る男
七年前、神谷についてあの言葉を口にしたのは誰だったのか。
久世は、一条、佐伯、高瀬、黒田の顔を順に見た。
気づけば、自分の右親指へ触れていた。
疑いを絞るには早すぎる。
だが、一度できた輪郭は簡単には消えない。
「誰が言ったのか、ここで聞けばいいだろ」
黒田が椅子を引いた。
「神谷は特待を守るためなら何でもする、ってやつ。七年前、そう言った覚えのあるやつは?」
黒田が五人を見回した。誰もすぐには答えなかった。
「この言い方、見たことあるかも……」
佐伯がモニターを見たまま言った。
「ほら、神谷君なら特待を守るために何でもする、って。あの頃、似たようなのが、いくつかのグループに流れてた気がするんだよね」
「佐伯が自分で言ったかは、覚えてる?」
久世が訊くと、佐伯は画面から目を離した。
「うーん……そこまでは覚えてないな。見た文章と、ごっちゃになってるかも」
「誰が最初に送ったかは?」
黒田がすぐに訊く。
「そこは分かんない。転送とか引用とか、いっぱいあったし。元が同じ文章だったかも、ちょっと……」
「美緒はどう? 覚えてる?」
佐伯が隣を向いた。
高瀬は左手の結婚指輪を押さえた。
「私は……言った覚えはないかな。でも、あの頃の会話を全部覚えてるわけじゃないし……」
「蓮はどうなんだよ」
黒田の問いに、一条も答えた。
「俺も、その言い方をした覚えはないな。誰が言ったかも、今は思い出せない」
「そういう黒田はどうなの?」
佐伯が問い返すと、黒田は眉を寄せた。
「俺も覚えはねえよ。だから聞いてる」
その視線が久世へ移る。
「俺は言ってない」
久世は答えた。それで誰かに証明できるわけではないことも、分かっていた。
「天宮は…神谷がいなくなったあとに四組へ来たんだったな」
「はい。私が入ったのは、そのあとです」
天宮の返答を最後に、声が途切れた。
六人とも答えたが、自分の発言だと認めた者はいない。久世は改めて、画面の『未確認情報』という文字を見た。
「じゃあ、この記録が間違ってんのか?」
黒田が言った。
「それは、まだ分からないだろ」
一条が答えた。
「覚えてないだけで、言ってないとは限らない。七年も前だしな。記録が間違ってるのか、誰かが嘘をついてるのか、これだけじゃ決められないよ」
「じゃあ……どうすれば分かるのかな」
高瀬が指輪から目を上げた。
「ほかの資料も見てみよう。誰から聞いた話なのか、そっちには書いてあるかもしれない」
一条が自分の端末を操作すると、六人の画面に同じ表が開いた。
『確認できる事実』
『資料から推測できること』
『現時点では確認できないこと』
作業用の表へ、一条が今の返答を記録していく。久世の否定にも、本人の申告、と添えられていた。
『佐伯の記憶――似た表現を複数のグループで見た気がする。原文・送信者・時刻は未確認』
『確認できないこと――記録された発言の主、最初の発信者』
「今の話も、回答に使うんですか?」
天宮が訊いた。
「いや、まだメモだよ。資料と比べたいから、誰が何を覚えてるか残しておこう」
久世も手元のメモを見直した。
発言者は、まだ分からない。
ただ、記憶の曖昧さを責め合っても、誰が言ったかの証拠は増えなかった。
「じゃあ、まず六件とも読もうか。気になるところはメモしておいて。細かく見る役は、そのあとで分けよう」
一条が続けた。
六人はそれぞれの端末で、資料一覧へ戻った。
久世も、まだ開いていない資料から順に読んでいく。日付や発言の出所が気になる箇所を、手元のメモに残した。
そのうちの一件が、事件当時に作成された初動聞き取りの要旨だった。
氏名の一部は伏せられ、断定と伝聞が混在している。
『神谷が問題を持っていたと聞いた』
『特待資格の継続を気にしていた』
『教材整理のため、閉館近くまで残ることがあった』
三つとも、単独では不正の証拠にならない。
だが並べれば、神谷が問題を盗む理由と機会があったように見える。
久世は『神谷が問題を持っていたと聞いた』の末尾へ目を戻した。
聞いた。
誰から、という記述はない。
作業用の欄に、証言が記録されていることと、その内容が確かかどうかを分けて書き込む。
六件を一巡してから、久世は聞き取りの要旨へ戻った。ほかの五人も読み終えたことを確かめ、三つの記述を画面に示す。
「この三つ、並べると神谷がやったように見える。でも、持ってるところを見たとは、どこにも書いてない」
「でも、誰かが見たから、そういう話になったんじゃねえの?」
黒田が最初の一文を指した。
「そうかもしれない。でも、この記録には、誰が見たのかまでは書いてない」
黒田の指が止まった。
「あとの二つも、特待を気にしてたとか、遅くまで残ってたとか。それだけじゃ、盗んだことにはならない」
「え、じゃあ、これって全部ただの噂ってこと?」
佐伯が訊いた。
「全部そうだとは言えない。確かめられる話と、まだ確かめられない話を分けたいんだ」
久世は第一問を開き直した。
何を根拠に、事実として扱われ始めたか。
「何枚に書いてあっても、元が同じ人の話なら、証拠が増えたことにはならないだろ」
一条が久世の画面を覗き込んだ。
「それを先に確かめよう」
六人の作業用メモへ、確認事項が一行加わる。
『直接見たという記録はあるか。誰から聞いた話か』
「じゃあ、ここからは分担しよう。直人、日付と時刻を並べてもらえるか? 話の順番がおかしくないか見てほしい」
「分かった。時間が分からないものは分けとく」
「頼む。全体の矛盾を見るのは、お前が一番速い」
一条は続けて、ほかの四人へ目を向けた。
「天宮は電子記録を頼める? 編集されたところや、抜けてるところがないか見てほしい」
天宮が頷くのを見て、一条は佐伯へ向き直った。
「佐伯は、噂がどう広がったかを。高瀬は、会話の記録で気になる言い回しがあったら教えてくれ」
「黒田は?」
「教室とか保管区画とか、図にできるか? 記録に出てくる人が、どこを通ったのか見たい。覚えてる範囲でいいから」
黒田が口の端を上げた。
「俺だけ雑用じゃねえか」
「七年前の建物を正確に覚えているのは、お前だろ」
「まあな」
不満そうに答えながら、黒田はすでに指で机へ線を引いていた。
一条は命令するだけではない。
相手が引き受ける理由まで、一緒に差し出す。
久世が七年前から何度も見てきたやり方だった。
「蓮は、みんなの分をまとめるの?」
高瀬が尋ねた。
「ああ。みんなが調べたことを、回答にまとめる。交渉する時に、向こうに何を渡して、何を聞くかも考えておくよ」
「一番おいしいところじゃねえか」
「その代わり、間違えたら俺の判断だって残るけどな」
黒田の皮肉を、一条は正面から受け止めた。
久世は一条へ投じた票が間違いではなかったと思った。
「誰が直接見たのか、誰から聞いた話なのか。この二つは、みんなも気にしておいてくれ。分からないところは、無理に埋めなくていいから」
一条に促され、黒田も資料を読み直した。
回答に使う欄が少しずつ埋まり、出所の欄には空白が残った。
四組の六件だけでは、神谷が問題を持っていたという話を、直接の目撃までたどれない。
それでも、次に何を探すかは決まった。
「一問目から、ほかのクラスに聞かないといけないんですね」
天宮が細い眼鏡を押し上げた。
「少なくとも、俺たちが持っている六件だけでは足りないな」
一条が答える。
「あとは、こっちが何を渡せるかだな」
「全部見せ合うのは、だめなのかな。その方が早そうだけど……」
高瀬の提案に、一条はすぐ否定しなかった。
「全部見せ合えれば早いと思う。ただ、向こうが本当に全部情報を出したか、こっちには分からないだろ。まずは一件ずつ交換して、確かめよう」
「あ……全部って言いながら、大事なところは隠してるかもってこと?」
佐伯が言った。
「そう。まずは、実際に見た人の話があるか聞いてみよう。こっちも、何が書いてあるか一つずつ伝える。誰からいつ聞いたかは残しておいて、答えに使う前に確かめよう」
一条は空白の回答欄を指した。
「直人、向こうに聞きたいことをまとめてくれるか? 俺は、こっちが出せる情報を整理しておく」
「分かった」
久世は空欄へ指を置いた。
さっきまで、何も書けないことが遅れに思えていた。今はその空白を、相手への質問に変えられる。
「そうだ。これも見てほしい」
一条が鞄から、折り目のない書面を取り出した。
この施設へ来る前に届いた招待資料だった。
「俺に届いた案内に、別の資料もあったんだ。真壁が持ってるのは、配られた分だけじゃないかもしれない」
一条は必要な部分だけを机へ置いた。
『資料室利用記録』
『破損音声データ(再生不能)』
音声。
その二文字に、全員の視線が止まった。
「これ……誰の声なの?」
高瀬が訊く。
「そこまでは書いてないな」
「再生できないんですね。じゃあ、中身は確かめられない……」
天宮が画面を見る時と同じ目で、紙面を見つめていた。
「でも、資料名は分かる。中身が聞けなくても、調べられることはあるんじゃないか」
久世が言うと、一条がこちらを見た。
「いつ録ったのかとか、どこに保存されてたのかとか。分かれば、ほかの資料とつながるかもしれない」
「そうだな。聞けないからって、外すことはないか。これも残しておこう」
一条は久世の意見を、そのまま共有表へ加えた。
『未配布資料――破損音声データ。内容、録音者、記録日時は不明』
黒田が腕をほどき、紙面を覗き込んだ。
高瀬は自分のメモに資料名を書き足している。
久世も、音声については未確認のまま残した。今の答案へ使える情報ではない。
まずは、目の前の聞き取り記録だ。
隣では一条が、交換に出す情報を一件ずつ五人へ確かめていた。久世はそちらを任せ、質問の順番を整えた。
その時、六人の端末が同時に短く震えた。
『一組より交渉申請』
『交渉希望者 御影咲』
『四組指名 久世直人』
『承認待ち』
その下に、承認後の面談時間は十五分、と表示されている。
久世は指名欄をもう一度見た。
四組の六人の中から、御影は自分を指名している。
なぜ、御影は自分を指名したのか。
考えても答えは出なかった。
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