第43話 引っ込めた言葉
「あの日だけじゃない」
相馬の言葉が、教室に残っていた。
瀬戸は相馬から目を離した。
他の日にも寮を抜けたことがある。
それが本当でも、神谷が死んだ夜のことまで分かったわけではない。
「相馬も聞かれたことには答えたんだし」
田所が口を開いた。
「でもさ」
桐島が少し身を乗り出した。
「他の日にも出てたなら、あの日も同じだったってこと?」
相馬は答えなかった。
「そこまでは分からないだろ」
瀬戸が言う。
桐島が振り向いた。
「何が違ったのかも?」
「ああ」
「そっか……」
桐島は納得したようには見えなかった。
水野が相馬を見る。
「じゃあ、今はこれ以上聞いても、同じことになるのかな」
「そうかもしれないね」
相馬は静かに答えた。
田所が頷く。
「だったら、一度ここで切ろうぜ」
瀬戸も反対する理由を見つけられなかった。
聞きたいことは残っている。
だが、聞き続ければ答えが増えるとも限らない。
相馬の発言を、それだけで確かなものとして扱うこともできない。
今は、そこまでだった。
「私のことは」
岡崎が口を開いた。
田所がそちらを見る。
「もう話しただろ」
「うん」
岡崎は頷いた。
「でも、私が相馬を寮にいたことにしたのは、本当だから」
短い沈黙が落ちた。
「誰かに言われて、そう答えたわけじゃないよ」
岡崎は続けた。
「聞かれたから、話したの」
水野が、岡崎を見つめる。
「千尋……」
「大丈夫」
岡崎は小さく答えた。
「自分がしたことだから」
田所が少し眉を寄せた。
「だからって、お前一人に全部背負わせる話じゃないだろ」
「全部だなんて言ってないよ」
岡崎の返事は穏やかだった。
「私が知らなかったことも、まだあるし」
田所はそれ以上言わなかった。
瀬戸は岡崎を見ていた。
相馬があの夜、どこへ行ったのか。
点呼がそのあとどう扱われたのか。
分からないことは残っている。
岡崎も、それを分かっている。
それでも、自分がしたことだけは引っ込めなかった。
「俺は――」
瀬戸の声に、岡崎が顔を上げた。
田所もこちらを見る。
瀬戸は、開きかけた口を閉じた。
「……いや。今のはいい」
それだけ言って、視線を落とした。
岡崎は何も聞き返さなかった。
「じゃあ、ここまでにしよう」
田所が言った。
桐島は何か言いたそうに相馬を見たが、結局、口を開かなかった。
水野も、椅子に背を預ける。
これ以上、話は続かない。
瀬戸には、そう見えた。
七年前のことも。
今のことも。
まだ分からないことが残ったまま、話が終わる。
それが、必ずしも間違っているとは思わない。
けれど。
さっき、岡崎は自分の判断を話した。
何を恐れていたのか。
何を守ろうとしたのか。
それを聞いた自分は、もう一度、同じように黙ろうとしている。
瀬戸は、机の端に置いていた手を握った。
宮原の顔が浮かんだ。
第三試験の一時留学で、二組へ来ていた宮原。
あの時も、最初は話せなかった。
宮原に声を掛けられて、一度は断った。
それでも、自分から呼び止めた。
二組の外から来た相手だったから、話せた。
『また、みんなで決めたってことになって終わる気がして』
そう話した時、宮原は何も否定しなかった。
理由を問い詰めることもなかった。
ただ、聞いてくれた。
今、目の前にいるのは二組の仲間だった。
ずっと、言いづらかった相手だ。
自分の考えがどう受け取られるのか。
誰かに否定されるのか。
また、全員で出した結論として片づけられるのか。
そのどれも、まだ分からない。
瀬戸は田所を見た。
田所は話が終わったと思っているのか、もう何も言わない。
岡崎も静かに座っていた。
自分がしたことを、取り消そうとはしなかった。
瀬戸は息を吸った。
「待ってくれ」
田所が振り向く。
「何だよ」
「まだ話がある」
「相馬のことか?」
「違う」
瀬戸は答えた。
「俺のことだ」
田所の表情が変わった。
瀬戸は教室にいる五人を見た。
宮原に話した時とは違う。
今度は、誰か一人に聞いてもらえば終わる話ではない。
「七年前のことなんだけど」
岡崎が顔を上げた。
「神谷のこと?」
「ああ」
瀬戸は頷いた。
そこで一度、言葉を選ぶ。
「俺は、神谷一人が原因だっていう見方に、異論があった」
桐島の目が、わずかに見開かれた。
瀬戸は続けた。
「でも、自分でその考えを撤回した」
田所が、少し身を起こす。
「撤回したって」
瀬戸を見る。
「お前が、自分で?」
「ああ」
「じゃあ、その見方でいいと思ったのか?」
瀬戸は、すぐには答えなかった。
田所の問いは、簡単だった。
はいか、いいえか。
どちらかを答えれば、少なくとも今の話は先へ進む。
だが、そこで一つにしてしまいたくなかった。
「撤回したのは、俺だ」
瀬戸は言った。
「そこは間違いない」
田所は、続きを待っている。
「でも、それだけで終わらせたくない」
岡崎が静かに訊いた。
「どうして、今その話を?」
瀬戸は岡崎を見る。
「お前が、七年前に何をしたか話しただろ」
「うん」
「俺にも、引っ込めたままのことがある」
岡崎は、何も言わなかった。
瀬戸は続ける。
「さっき、それを話そうとしてやめた」
自分の口で言うと、思っていたよりも短い言葉だった。
「また、そのまま終わらせるところだった」
水野がゆっくり姿勢を戻した。
さっきまで椅子に預けていた背を起こし、瀬戸を見る。
「……瀬戸」
瀬戸はそちらを向いた。
水野は、すぐには続けなかった。
何を聞いていいのか、迷っているようだった。
桐島が口を開く。
「ちょっと待って」
瀬戸が見る。
「神谷一人が原因だっていうのに、違うと思ってたんだよね?」
「ああ」
「なのに、自分で撤回したの?」
「そうだ」
桐島は瀬戸を見つめた。
「じゃあさ」
少しだけ声が小さくなる。
「どうして撤回したの?」
田所も、岡崎も、瀬戸を見ている。
相馬は席に座ったまま、動かなかった。
瀬戸は、机の端から手を離した。
それでも、桐島から目を逸らさなかった。




