第38話 秘密を持ったまま
一人を選ばなければならない。
三組の教室には、
結果表示が残ったままだった。
百五点。
累計最下位。
鷲尾が抜けた今。
教室にいるのは五人。
早川果歩。
小宮山理人。
宮原杏奈。
森下結衣。
北原朔。
小宮山はすでに個人合格条件を達成している。
通常退学の対象外。
残る四人。
その中から一人を選ぶ。
誰もすぐには口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのは、
小宮山だった。
「一つだけ」
四人が見る。
「誰が三組を最下位にしたかを決める話には、しない方がいいと思う」
早川が少しだけ眉を上げた。
小宮山は続ける。
「誰か一人のせいで、この点になったわけじゃない」
宮原も黙って聞いている。
「これから残る人間で続けるなら」
小宮山は言った。
「誰を残すかで考えた方がいい」
森下が小さく息を吐く。
「……簡単に言うね」
「簡単じゃない」
「自分は対象じゃないから?」
小宮山は少し黙った。
「そう見えるのは分かる」
森下は目を伏せた。
それ以上は言わない。
早川が椅子へ背を預ける。
「じゃあ、私も候補ってことだよね」
「制度上は」
北原が答えた。
早川は笑わなかった。
「まあ、そうだよね」
誰も否定しない。
早川は危険な役を避けない。
誰かが動かなければならないなら、
先に動く。
それが、
助けになったこともある。
一方で。
相談する前に動く。
危険だと分かっていても、
先へ行く。
それを不安に思う人間がいても、
おかしくはなかった。
森下が言う。
「果歩は」
「うん」
「次も、勝手に動く?」
早川は少し考えた。
「必要なら」
「それで、みんなが危なくなるかもしれなくても?」
「何もしなくても危なくなることはあるでしょ」
森下の表情が少し硬くなる。
早川は続けた。
「でも」
一度、
言葉を切る。
「相談できる時間があるなら、する」
「今までは?」
「できてない時もあった」
早川はそこを否定しなかった。
「私が正しいって言うつもりもない」
そのまま。
誰かへ責任を押しつけることもなかった。
短い沈黙。
今度は、
北原が宮原を見る。
「宮原」
「何?」
「一組と二組に行った時」
宮原の目が、
少しだけ細くなる。
「教材以外にも、何か聞いたのか」
教室の空気が、変わった。
早川も、
宮原を見る。
宮原は、
すぐには答えなかった。
それから。
「聞いたことはある」
森下が顔を上げる。
「やっぱり?」
「うん」
「何を?」
宮原は森下を見る。
「教材のことは、必要な分を全部話した」
「それ以外」
「それは別」
森下の眉が寄る。
「別って」
「人から聞いたことを」
宮原は言う。
「全部ここで話すつもりはない」
早川が宮原を見る。
「今でも?」
「うん」
「投票の前でも?」
宮原は、
一瞬だけ黙った。
怖くないわけではない。
そのことは、
表情を見れば分かった。
指先は、
さっきから何度も組み直されている。
それでも。
「今でも」
宮原は答えた。
森下が言う。
「それ、信用しろって方が難しくない?」
宮原はすぐには返さなかった。
「そうかもしれない」
否定しない。
「何を知ってるか分からない」
森下は続ける。
「それを、必要な時に話してくれるかも分からない」
「教材のことは話した」
「教材じゃない話も持ってるんでしょ」
「持ってる」
宮原は認めた。
北原が静かに聞く。
「それでも話さない?」
「話さない」
即答だった。
早川が眉を寄せる。
「理由は?」
宮原は少し考えた。
「私に話した人は」
言葉を選ぶ。
「三組全員に話したつもりじゃないから」
誰も口を挟まない。
「自分が残るために」
宮原は続ける。
「その人から聞いたことを売るつもりはない」
森下が宮原を見る。
「それで自分が選ばれても?」
宮原は、
目を伏せた。
少しだけ。
「嫌だよ」
声は、
さっきより小さかった。
「怖いし」
そこで。
一度、
息を吸う。
「でも、それとこれは別」
教室が静かになる。
宮原は、
もう何も付け加えなかった。
秘密の中身も。
誰から何を聞いたのかも。
言わない。
助かるための材料として、
出そうともしなかった。
小宮山が口を開く。
「宮原が持って帰った情報が役に立ってないわけじゃない」
北原が頷く。
宮原は、
一組と二組で教材を確認した。
必要な情報を、
三組へ持ち帰った。
映像と記録を比べる材料も、
その中にあった。
三組が最下位になった責任を、
宮原一人へ押しつけることはできない。
それでも。
宮原が何かを持っている。
その全部は共有しない。
その事実への不信は、
別に残る。
そして。
早川にも。
別の不安がある。
先に動く。
危険でも進む。
それが必要になる時もある。
けれど。
その判断を、
次も全員が受け入れられるとは限らない。
誰が悪いかではない。
誰を残すか。
その言葉だけが重く残った。
やがて。
通常退学投票が始まった。
投票は匿名。
各自が名前を選ぶ。
その後。
腕輪を認証する。
それだけ。
誰が誰へ入れたのかは表示されない。
一人ずつ、端末を操作する。
早川。
小宮山。
宮原。
森下。
北原。
五人目の認証が終わった。
少しの間。
誰も話さなかった。
やがて。
結果が表示される。
宮原杏奈。
三票。
早川果歩。
二票。
宮原の目が、
止まった。
誰も動かない。
続いて。
『通常退学対象者』
『宮原杏奈』
宮原は画面を見たままだった。
早川が先に口を開く。
「杏奈」
返事はない。
少しして、
もう一度呼ぶ。
「……杏奈」
宮原が、
ゆっくり顔を上げる。
早川は何か言おうとして、
やめた。
「何て言えばいいか、分かんない」
宮原は少しだけ困ったように笑った。
「私も」
声は震えていない。
けれど。
平気でもない。
宮原は自分の手を見る。
指先がわずかに震えていた。
「怖いよ」
誰も、何も言えなかった。
宮原は一度だけ息を吐く。
「でも」
森下を見る。
それから。
北原。
早川。
小宮山。
「さっきの話は、変えない」
森下が目を伏せる。
宮原は続けなかった。
自分が残るために。
誰かから聞いた秘密を、
最後まで使わなかった。
それが正しかったのか。
間違っていたのか。
誰も答えを出せない。
ただ。
投票結果だけは、
変わらない。
宮原杏奈。
通常退学対象者。
その直後。
全参加者の端末へ、
限定移動許可が表示された。
指定経路。
中央廊下。
立会区画。
通常退学処分。
三組だけではない。
全員が、立ち会う。
*
中央廊下を進みながら、
久世は前方を見る。
立会区画。
もう二度、見た場所だった。
格子型の電子ゲート。
その向こう。
床面に組み込まれた処分台。
久世の隣を、一条が歩いている。
誰も、ほとんど話さない。
三組の列に、宮原がいる。
いつもより、歩くのが少し遅い。
それでも、足を止めることはなかった。
久世は宮原を見る。
黒田の死体を見つけた日。
宮原は訊いた。
退学したら死ぬって。
三浦が言っていたことは、
本当だったのかと。
あの時。
久世は答えた。
まだ、そこまでは決められない。
今もその答えは変わっていない。
だからこそ。
目を逸らすことは、できなかった。
全員が、指定された位置へ入る。
電子ゲートの前。
宮原だけが、ゲートの前へ進む。
腕輪を認証する。
短い電子音。
ゲートが開いた。
宮原は、一度だけ振り返った。
三組を見る。
早川。
小宮山。
森下。
北原。
何かを言いかけたように見えた。
けれど。
結局。
何も言わなかった。
少し離れた一組の列で、御影も宮原を見ていた。
七年前のことを自分から宮原に話したことがある。
あの時、宮原は話すことを急かさなかった。
特別に親しくなったわけではない。
それでも。
自分からあの話をした相手だった。
御影は何も言わない。
宮原がゲートの向こうへ進むまで。
目を逸らさなかった。
ゲートの向こうへ進む。
処分台。
宮原が処分台へ腰を下ろす。
固定帯が動く。
腰。
両手首。
機械音とともに、
宮原の身体が処分台へ固定されていく。
宮原の表情が強張った。
平気なはずがない。
これから何が起こるのか。
誰も正確には知らない。
遮光シャッターが降り始める。
宮原の顔が。
少しずつ、
見えなくなる。
完全に閉じた。
直後。
立会区画のモニターが、
処分区画内部の映像へ切り替わる。
固定された宮原。
その周囲。
青白い光が強くなる。
画面の中で、
宮原が目を閉じる。
乾いた音が響く。
画面上の波形が大きく乱れる。
そして。
変化が小さくなっていく。
やがて。
『生体反応 検出なし』
誰も声を出さない。
久世は、その文字を見る。
死亡。
その表示は、
今回も出ない。
ただ。
『生体反応 検出なし』
そう表示されている。
それだけ。
少しして、遮光シャッターが再び上がった。
処分区画が見える。
宮原はいない。
処分台も、そこにはなかった。
続いて。
『通常退学処分 完了』
いつもと同じ。
久世はそこまでを見ていた。
けれど。
意識はその後へ向いていた。
来る。
そう思った。
数秒後。
足元の奥。
床下から低い音がした。
何かが動く。
重いものが床の下を通っていくような音。
久世は息を止める。
音は遠ざかっていく。
旧講師棟側へ。
久世の目が、わずかに見開かれた。
一条が横を見る。
「直人?」
返事をしない。
音だけを追う。
旧講師棟側。
間違いない。
同じだった。
篠原の時と。
一条がもう一度訊く。
「何だよ」
久世は少し遅れて顔を上げた。
「今の音」
「床下?」
「ああ」
一条も、床へ視線を落とす。
「それが?」
久世は、すぐには答えない。
篠原の時。
床下の音は、旧講師棟側へ遠ざかった。
黒田の時は、その反対側だった。
そして。
黒田はその後、
死体で見つかった。
篠原は。
処分された瞬間に、本当に死んだとは限らない。
そこまでは考えていた。
けれど。
今。
宮原が加わった。
同じ通常退学処分。
同じ、
『生体反応 検出なし』という表示。
同じ、
『通常退学処分 完了』。
それでも。
処分のあと。
床下を動く音の方向は、
同じではない。
「三人」
久世が呟く。
一条が見る。
「何?」
「篠原と宮原の時は、床下の音が旧講師棟側へ遠ざかった」
一条は、何も言わない。
「黒田の時だけ、反対だった」
立会区画のモニターには。
まだ。
『通常退学処分 完了』
その文字が残っている。
三人の処分が。
本当に同じだったのかは分からない。
ただ。
久世がはっきり確認できた違いがある。
処分が終わった、
そのあと。
床下を動く音の方向。
篠原と宮原の時は、旧講師棟側。
黒田の時だけ、その反対側だった。
第三章はこれで終了です。
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