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卒業条件は、同級生の死の真相。  作者: 綴木 律
第三章 証拠の裏側
30/43

第30話 交換の値段

 電子錠が鳴った。


 佐伯が扉を抜ける。


 入れ替わるように、


 廊下の向こうから水野沙羅が姿を見せた。


 第一時限が始まった。


 水野は四組へ入ると、


 短く挨拶を交わし、


 すぐに交換日誌へ目を落とした。


 滞在場所。


 接触者。


 閲覧資料。


 指示。


 四つの項目を確認してから、


 最初に書けるところだけを埋める。


 残りは、


 行動するたびに記録していくつもりらしい。


 久世は、


 水野の手元から視線を上げた。


 水野が四組に割り当てられた証拠教材の一つへ目を通す。


 三浦拓海が移動した時刻帯。


 館内通知の履歴。


 それと並んで、


 局所的な扉や経路に関する操作履歴が残っている。


 水野は、


 一度読んだだけでは顔を上げなかった。


 同じ箇所を戻り、


 前後を確認する。


 一条も急かさない。


「三浦があの階段へ向かった時間帯」


 水野がようやく口を開いた。


「館内通知が出てて、その近くで扉と経路の操作履歴も残ってる」


 高瀬が身を乗り出しかける。


「じゃあ、誰かが三浦を――」


「……私は、まだそこまで決めつけない方がいいと思う」


 水野が言った。


 声は強くない。


 ただ、


 言葉だけは曖昧にしなかった。


「三浦が移動した時間帯に操作の記録がある。でも、その操作が三浦に何をしたかまでは書いてない」


 高瀬が口を閉じる。


 水野はもう一度、


 記録へ目を戻した。


「誰が、何のために、もここには書いてない」


 久世は頷いた。


 三浦が移動した。


 その時間帯に、


 館内通知と扉や経路の操作履歴がある。


 今は、


 並べて置いておけばいい。


 そこから先へ進むには、


 まだ何かが足りない。


 水野は閲覧した資料名を交換日誌へ書き足した。


 天宮は、


 その一連の動きを静かに見ていた。


*


 同じ第一時限。


 宮原杏奈は一組にいた。


 一組に割り当てられた証拠教材の一つ。


 施設時計同期記録。


 宮原は、


 施設内の基準時刻に関する記録を確認していく。


 必要なところまで目を通すと、


 交換日誌へ閲覧資料を書き足した。


 その後。


 少し離れた場所にいた御影咲へ目を向ける。


「御影さん」


 呼ばれた御影の表情が、


 わずかに硬くなった。


 宮原は、


 すぐには続けなかった。


「最初の試験のとき、私に話してくれたことなんだけど」


 御影の視線が揺れる。


「あの話?」


「うん」


 保管庫の近くで、


 人影を見たこと。


 その時は、


 それが何を意味するのか分からなかったこと。


 だから、


 黙っていたこと。


 宮原が聞いたのは、


 そこまでだった。


 御影が何か言おうとする前に、


 宮原が続ける。


「続きを聞きたいわけじゃないよ」


 御影が宮原を見る。


 少しだけ、


 警戒が残っている。


「じゃあ?」


「一つだけ確認したくて」


 宮原は言葉を選んだ。


「噂とか、誰かから回ってきた話じゃなくて」


 そこで一度切る。


「御影さん自身から聞いた話として、私が受け取っていい?」


 御影はすぐには答えなかった。


 宮原の顔を見てから、


 ゆっくり息を吐く。


「……うん」


 小さく頷いた。


「私が宮原さんに話したことだから」


 宮原も頷いた。


 それ以上は聞かなかった。


*


 第一時限が終わる。


 水野は二組へ戻り、


 佐伯も四組へ帰ってきた。


 戻った参加者たちは、


 それぞれ交換日誌の残りを記録していく。


 佐伯は椅子へ腰を下ろすと、


 小さく息を吐いた。


「どうだった?」


 高瀬が訊く。


「あとで整理して話す」


 佐伯はそう言って、


 交換日誌へ目を落とした。


 いつもの調子より、


 声は少しだけ抑えられていた。


 久世は、


 水野が見た記録へ意識を戻す。


 館内通知。


 局所的な扉と経路の操作履歴。


 一条が机に指を置く。


「操作された事実は残ってる」


「ああ」


「でも、理由はまだ置いておく」


 久世は頷いた。


「今はそれでいい」


 何のためだったのか。


 誰が関わったのか。


 答えを急げば、


 また空いているところを想像で埋めることになる。


 一条もそれ以上は追わなかった。


 第一時限で増えたのは、


 結論ではない。


 後から比べられる事実だった。


*


 第二時限。


 高瀬は三組へ向かう扉の前で、


 一度足を止めた。


 左手の指が、


 結婚指輪へ触れかける。


 けれど、


 途中で手を下ろした。


 電子錠が開く。


 高瀬はそのまま、


 三組側へ歩いていった。


 四組には、


 一組から藤崎優花がやって来た。


 二組の田所陸は一組へ。


 三組の宮原杏奈は二組へ向かった。


 それぞれの場所で、


 第二時限が始まった。


 四組で藤崎は、


 自分に割り当てられた教材を開いた。


 第一時限に水野が確認したものとは、


 別の資料だった。


 少し長く、


 画面を見つめる。


 藤崎は、


 表示された内容を追う。


 一度だけ眉を寄せた。


 一条が訊く。


「何が書いてあった?」


 藤崎は、


 少し間を置いた。


「……ごめん。これは、話さないでおく」


 一条が眉を寄せる。


 そこで、


 佐伯が訊いた。


「何も教えてくれないの?」


 藤崎が佐伯を見る。


「せめて、何についての資料かだけでも教えられない?」


 藤崎は、


 すぐには答えなかった。


 それから、


 小さく首を振る。


「……それも、言わないでおく」


 一条が訊く。


「理由は?」


 藤崎は一度、


 視線を落とした。


「……そこまでは言えない」


 少し置いて、


 顔を上げる。


「でも、今は話さないでおきたい」


 藤崎は視線を逸らさない。


 けれど、


 続きを話すつもりもないように見えた。


 これ以上聞いても、


 答えは変わらない。


「分かった」


 久世が言った。


 誰も、


 それ以上は聞かなかった。


 短い間。


 藤崎が、


 少し迷うように口を開いた。


「……私が答えなかったあとで、こんなこと聞くの、都合がいいと思うんだけど」


 久世は、


 黙って続きを待つ。


「一つ聞いていい?」


「何?」


「黒田」


 名前を出しただけで、


 一瞬、教室の空気が重くなる。


 藤崎は続けた。


「あの質問のあと」


 少し間を置く。


「理由について、何か言ってなかった?」


 久世は記憶を探る。


 公開質問の場では、


 黒田は答えた。


 けれど。


「少なくとも、俺には」


 久世は言った。


「あの答えを補足するような話はしてない」


 一条も首を振る。


「俺も聞いてない」


 藤崎は、


 すぐには返事をしなかった。


 視線を落とす。


「……そっか」


 それだけだった。


 聞ける時に聞いた。


 それでも、


 欲しかった答えには届かなかった。


 今はもう、


 本人へ聞き直すこともできない。


 藤崎はそのことを口にはしなかった。


 再び教材へ視線を戻す。


 表示された内容を、


 一つずつ確認していった。


*


 二組。


 宮原は、


 映像配信時刻ログを確認していた。


 篠原の通常退学処分で、


 遮光中に表示された処分区画内部映像。


 その映像が、


 どのタイミングで壁面モニターと端末へ送られたのか。


 映像の出力ごとの時刻を残した記録。


 必要な部分を確認し、


 交換日誌へ記入する。


 第一時限に見たものとは、


 別の種類の時刻だった。


 宮原はそこで考え込まず、


 記録を閉じた。


 ふと顔を上げる。


 瀬戸大地が、


 少し離れたところに立っていた。


 何か言いたそうに見える。


 けれど、


 目が合うと瀬戸は視線を外した。


 宮原は少しだけ待ってから、


 声を掛けた。


「何か言いたいことある?」


「別に」


 瀬戸は短く返した。


 宮原は、


 それ以上聞かなかった。


「そっか」


 それだけ言って、


 交換日誌へ視線を戻す。


 瀬戸から離れ、


 自分の記録を確認する。


 数行書き足したところで。


「宮原」


 後ろから呼ばれた。


 宮原が振り返る。


 さっきと同じ場所に、


 瀬戸がまだ立っていた。


「……やっぱ、少しいいか」


 宮原は頷いた。


 今度は、


 瀬戸が自分から話し始めるのを待つ。


「七年前」


 一度、


 言葉が止まる。


「二組の中じゃ、言いづらかったことがある」


 宮原は黙って聞く。


 瀬戸は、


 少し顔をしかめた。


「また、みんなで決めたってことになって終わる気がして」


 そこで一度、


 宮原を見る。


「今は、お前が二組の外から来てるから」


 瀬戸は息を吐いた。


「話すなら、今かなって思った」


 宮原は何も挟まない。


「神谷一人が原因だっていう見方に、俺は異論があった」


 短い沈黙。


「でも」


 瀬戸の視線が落ちる。


「その意見を俺は撤回した」


 宮原は、


 理由を訊かなかった。


 瀬戸も話さない。


 ただ、


 その場から逃げるように目を逸らすこともしなかった。


 宮原が静かに訊く。


「それは」


 瀬戸が顔を上げる。


「瀬戸君自身がそう思って、自分で撤回したってこと?」


「ああ」


 瀬戸は短く答えた。


「俺が引っ込めた」


 宮原は頷く。


「分かった」


 それだけで、


 話は終わった。


*


 三組の教室へ入った時から、


 高瀬の緊張は抜けていなかった。


 同じ施設の中だ。


 見覚えのある顔もいる。


 それでも、


 自分の教室とは空気が違う。


 高瀬は交換日誌を確認し、


 三組に割り当てられた教材へ向かった。


 処分表示更新記録。


 篠原の通常退学処分で、


『生体反応 検出なし』へ表示が切り替わった時刻が残っている。


 高瀬は、


 その時刻情報を何度か見直す。


 それから、


 三組の参加者へ必要な部分だけを伝えた。


 記録にある事実だけ。


 そこから何が分かるのかまでは、


 話を広げなかった。


 高瀬は閲覧資料と接触者を交換日誌へ書き込む。


 手は少し固かった。


 それでも、


 席を立って戻ろうとはしなかった。


 与えられた時間が終わるまで、


 三組に残った。


 同じ頃。


 一組では、


 田所も通常どおり交換日誌へ記録を残しながら、


 第二時限の一時留学を進めていた。


*


 第二時限が終わった。


 藤崎が一組へ戻る。


 高瀬も三組から帰ってきた。


「おかえり」


 佐伯が声を掛ける。


 高瀬は、


 少しだけ息を吐いてから頷いた。


「ただいま」


 佐伯が小さく笑う。


 いつもの調子より、


 少しだけ控えめだった。


 久世は、


 第一時限と第二時限で四組へ来た二人を思い返す。


 水野。


 藤崎。


 見た教材は違う。


 水野は、


 確認した事実を必要な範囲だけ四組へ残した。


 藤崎は、


 四組から重ねて尋ねられ、


 理由まで確認されても、


 割り当てられた教材については何も話さなかった。


 黒田について、


 一つ確認していった。


 一条が言った。


「同じ留学生でも、渡すものは違うな」


 久世は頷く。


「でも」


 一条が続ける。


「どっちも、答えまでは作ってくれない」


「競争相手だからな」


「それだけとも限らないけど」


 一条はそこで切った。


 久世も頷く。


 水野は、


 言葉を必要以上に広げなかった。


 藤崎は、


 見たものを四組へ渡さなかった。


 二人とも、


 四組の答えそのものを作ろうとはしなかった。


 だからこそ、


 四組が自分たちで考える部分が残った。


*


 三組では、


 宮原も二組から戻っていた。


 第一時限に確認した、


 施設時計同期記録。


 第二時限に確認した、


 映像配信時刻ログ。


 そして、


 三組へ来ていた高瀬から伝えられた、


 処分表示更新記録の時刻情報。


 別々の場所にあった三つの記録が、


 交換を経て同じクラスへ集まっている。


 宮原は、


 自分が見た二つの資料を整理した。


 ただ、


 比べて答えを出そうとはしなかった。


 今あるのは、


 それぞれの記録だけだった。


 それとは別に。


 宮原の中には、


 御影から預かった話と、


 瀬戸から直接聞いた話がある。


 一組。


 二組。


 まだ、


 二つだった。


*


 四組。


 高瀬が交換日誌を書き終える。


 佐伯が、


 次の時限までの残りを確認した。


「次か」


 その一言で、


 久世の頭に鷲尾亮介が浮かんだ。


 第一時限が始まる前。


 鷲尾は、


 わざわざ自分から四組に声を掛けた。


 第三時限。


 三組から四組へ行く枠に、


 自分を出してほしい。


 理由は言わなかった。


「鷲尾」


 一条も同じことを考えたらしい。


「何で、あいつは四組なんだ」


 佐伯が椅子の背にもたれる。


「来たら聞けばいいんじゃない?」


「答えると思う?」


「さあ」


 佐伯は少しだけ眉を上げた。


「答えたくなる何かがあれば?」


 一条が佐伯を見る。


「取引?」


「かもしれないし、違うかもしれない」


 佐伯はそこで終わらせた。


 久世は、


 水野と藤崎の顔を思い出す。


 四組に来て。


 ここにある証拠を見て。


 自分たちが渡すと決めた分だけ、


 言葉にして帰った。


 なら。


 鷲尾は、


 四組へ何を渡すつもりなのか。


 それとも。


 何かを取りに来るのか。


 まだ分からない。


 ただ、


 自分から四組を希望した。


 その事実だけが残っている。


 第三時限までは、


 もう長くない。


 久世は教室の扉を見る。


 廊下の向こうに、


 鷲尾の姿はまだなかった。


 第三時限の足音は、


 まだ聞こえてこなかった。

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