第20話 最初の死体
三浦は、まだ戻ってこなかった。
1組の教室には四人が残っている。
御影は何度か扉の方を見た。
白川は席に座ったまま、前方のモニターへ視線を向けている。
藤崎も、さっきからほとんど喋っていない。
次の設問は、まだ始まっていなかった。
一度、誰かが口を開きかけた。
けれど会話にはならなかった。
また静かになる。
成海は扉を見る。
三浦が出ていった時から、その扉はまだ通れる状態のままだった。
三浦はあの表示に従って出ていった。
それにしても、遅くないか。
成海は立ち上がった。
「俺が見てくる」
御影が顔を上げる。
「一人で?」
「三浦を連れて戻るだけだから、一人でいい」
成海は前方のモニターを見る。
次の設問は、まだ出ていない。
「次がいつ始まるか分からないからな。三人はここにいてくれ」
白川が短く頷いた。
藤崎は扉の方を見たまま、
「分かった」
と答えた。
成海は教室を出た。
*
廊下へ出ると、進める方向はすぐに分かった。
教室の扉は通れる。
その先も同じだった。
横へ続く扉は閉じている。
反対側も開かない。
進める方だけが残っている。
三浦も、この道を進んだのだろう。
成海は足を速めた。
途中で案内は出ない。
声もない。
人の気配もない。
ただ、開いている経路だけが続いている。
迷う必要はなかった。
通れる方へ進む。
それだけでよかった。
やがて、廊下の先に扉が見えた。
横の表示板。
『第三非常階段』
成海は足を止めなかった。
扉に手を掛ける。
開く。
*
階段の中は静かだった。
「三浦?」
返事はない。
成海は中へ入った。
下を見る。
そこで足が止まった。
階段の下に、人が倒れていた。
一瞬、誰なのか分からなかった。
身体の向き。
乱れた服。
床に投げ出された腕。
成海は駆け下りた。
「三浦!」
顔が見えた。
三浦だった。
「おい、何があった!」
返事はない。
成海はすぐに身体のそばへ膝をついた。
肩へ触れる。
「三浦。聞こえるか」
反応はない。
頭の脇に傷がある。
衣服にも、階段を落ちた時についたような乱れが見えた。
けれど、それを考えるのは後だった。
まず、助けられるかどうか。
成海は呼吸を確認した。
動きはない。
首筋へ指を当てる。
脈を探す。
見つからない。
位置を変える。
もう一度。
それでも、指先に返ってくるものはなかった。
「……三浦」
呼びかける。
反応はない。
成海は見えている外傷にも目を走らせた。
何が致命傷なのか。
いつ起きたのか。
そんなことは、今ここでは分からない。
分かる必要もなかった。
成海はもう一度、呼吸を見た。
もう一度、脈を確かめた。
見えている外傷も確認する。
蘇生を始めれば、まだ戻せる。
そう判断できる状態ではなかった。
成海は手を止めた。
頭ではなく、自分の指先が先に理解していた。
助けられる可能性を探した。
それでも、その可能性は見つからなかった。
三浦拓海は、本当に死んでいる。
成海はしばらく動かなかった。
篠原の処分を見届けた時とは違う。
あの時は、篠原の処分を見届けただけだった。
今は違う。
目の前にいる。
触れた。
呼吸を見た。
脈を探した。
自分の手で、生きている可能性を探した。
それでも、何も返ってこなかった。
目の前に、人の死体があった。
成海はゆっくり立ち上がった。
階段を見上げる。
落ちたのか。
それとも。
そこから先は、まだ分からない。
必要な確認以上には、三浦の身体を動かさなかった。
そして、その場を離れた。
*
教室へ戻ると、三人が一斉に成海を見た。
御影が最初に立ち上がる。
「三浦は?」
成海は教室へ入った。
すぐには言葉が出なかった。
自分で確かめたことを、口にすれば本当になる気がした。
それでも、言わなければならない。
「三浦は……死んでた」
藤崎の表情が止まった。
「え?」
白川が椅子から腰を浮かせる。
「何言ってんだ」
「第三非常階段の下に倒れてた」
藤崎が首を振る。
「ちょっと待って。気を失ってるだけとか……」
「違う」
「でも――」
御影が成海を見る。
「成海。間違いないの?」
成海は一度だけ目を伏せた。
「確認した」
白川が聞く。
「……本当に死んでるのか」
成海は頷いた。
「呼びかけても反応はなかった。呼吸も脈も確認した。外傷も見た」
白川は成海を見たまま言った。
「お前、大学病院で医者やってるんだよな」
「……まだ研修医だけどな」
成海は自分の指先を見る。
ついさっきまで、そこに三浦の首筋があった。
「見間違いじゃない。助けられる状態かどうかも確認した」
声が少しだけ掠れた。
「間違いない」
藤崎が口元を押さえた。
誰も、すぐには次の言葉を出せなかった。
やがて白川が、
「階段の下って……落ちたのか?」
と聞いた。
「落ちたようには見えた」
成海は答えた。
「でも、それ以上は分からない」
「事故……?」
藤崎が言う。
成海は首を振らなかった。
頷きもしなかった。
「分からない」
その時、御影の表情が変わった。
「待って」
三人が御影を見る。
御影は教室の扉へ視線を向けた。
「あの表示って、真壁からの呼び出しってことだよね?」
誰もすぐには答えなかった。
共用モニターに三浦の名前が出た。
施設管理上の確認事項があると表示された。
そのあと、実際に経路が開いた。
三浦は、その表示に従って出ていった。
白川が低い声で言う。
「……少なくとも、俺たちはそう思って送り出した」
藤崎の顔から血の気が引いた。
「じゃあ、真壁が……?」
「まだ、そう決まったわけじゃない」
成海が言った。
「俺が見たのは三浦が倒れてたことだけだ。誰かがいたのも見てない」
「でも」
御影が言う。
「三浦が呼び出されて、その先で死んでた。それは事実だよね」
成海は答えなかった。
偶然で片づけていい順番には見えなかった。
けれど、それだけで誰かを犯人だと決めることもできない。
白川が眉を寄せる。
「……でも、なんで三浦なんだ?」
その一言で、今度は別の沈黙が落ちた。
「三浦、何かやったか?」
誰も答えない。
「ルール違反とか」
御影が首を振る。
「少なくとも、そんな表示は出てない」
「だったら、わざわざ呼び出して殺す理由って何だよ」
白川の声が少し大きくなる。
成海は何も言わなかった。
理由は分からない。
何かを知っていたのか。
何かをしたのか。
そのどちらも、今ここで決められる材料はなかった。
白川が何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば」
「何?」
「三浦、個人合格してたよな」
御影も気づく。
「……うん」
「通常退学対象外だった」
藤崎が二人を見る。
白川は続けた。
「それなのに死ぬのか?」
誰も答えられなかった。
「個人合格したら安全って意味じゃないの?」
藤崎の声が震えている。
御影はすぐには答えなかった。
「そこまでは、書かれてなかったと思う」
「じゃあ何なの」
藤崎が言う。
「通常退学されないだけで……ほかのことで死ぬの?」
「分からない」
御影が言った。
「今は、分からないことが多すぎる」
白川が腕を組む。
「条件の中身が関係してるとか?」
「それも分からない」
御影は即座に止めた。
「三浦の条件の中身、私たちは全部知ってるわけじゃない」
白川は黙った。
推測しかない。
ただの事故かもしれない。
真壁が関わっているようにも見える。
けれど、それならなぜ三浦なのかが分からない。
個人合格した三浦が死んだ。
それが何を意味するのかも分からない。
藤崎が、ぽつりと言った。
「……じゃあ」
誰も反応しない。
藤崎は両手を握った。
「篠原も……本当に死んでるの?」
教室の空気が止まった。
成海は藤崎を見る。
答えられなかった。
三浦の死は、自分の手で確認した。
篠原について、同じことはしていない。
けれど今、この施設の中で人が本当に死ぬことだけは、もう否定できなかった。
藤崎の目に怯えが浮かぶ。
「だって……三浦が本当に死んでるなら……」
「藤崎」
御影が静かに呼ぶ。
藤崎はそれ以上言わなかった。
誰にも続きは分かっていた。
そして、誰にも答えはなかった。
*
「……おい」
白川が突然言った。
全員の視線が白川へ向く。
白川は前方を見ていた。
「これ」
1組教室前方の施設側モニター。
三浦への呼出通知は、もう消えている。
画面は待機状態へ戻っていた。
そこに、三浦の名前があった。
『三浦拓海』
その下。
『参加中・通信不良』
御影が画面を見つめる。
「……参加中?」
藤崎も何も言えずに見ている。
白川が成海を振り返った。
「死んでるんだろ?」
成海は画面から目を離さなかった。
「死んでた。何度も確認した」
さっき、自分の指で脈を探した。
呼吸もなかった。
助けられる可能性も探した。
それでも、三浦は動かなかった。
目の前にあったのは、間違いなく死んだ人間だった。
しかし画面には、
『三浦拓海』
『参加中・通信不良』
と表示されていた。




