第2話 二十四人の再入校
『ただいまより、再入学式を開始します』
その声だけでは、誰なのか分からなかった。
教室の前方で、黒板の上に埋め込まれた大型モニターが点灯する。
映ったのは講堂でも司会台でもない。窓のない、小さな部屋だった。
中央の椅子に男が一人、背筋を伸ばして座っている。
髪には白いものが増え、頬は七年前より痩せていた。それでも、久世直人は一目で分かった。
「真壁先生……」
高瀬美緒の声が震えた。
真壁修一。七年前、この予備校で4組を担当していた講師だ。
神谷悠斗が疑われた時、最後まで犯人と決めつけなかった数少ない大人でもある。
『久しぶりだな』
画面の真壁が言った。
『予定どおり、二十四名全員の入校を確認した』
モニターが四分割される。
4組の教室を含む、四つの映像。どの部屋にも六人ずついる。
久世は全員の名前を数えようとして、やめた。七年で髪型も服装も変わった。それでも、そこにいるのが年度末特別コースの二十四人だということは分かる。
当時の席順まで、ほぼ再現されていた。
1組の映像で、長い黒髪の女が立ち上がる。
『御影咲です。これは、どの機関が実施している調査ですか。事務局の法的な立場と、記録の利用目的を説明してください』
七年前から、御影は曖昧な説明を嫌った。
ただし昔の彼女なら、質問する前にもう少し周囲の顔色を見ていた。
『順番に説明する』
真壁は答え、手元の紙へ目を落とした。
『まず点呼を行う。氏名を呼ばれた者は、返事をしろ』
機械音声が、1組から順に氏名を読み上げ始めた。
一人目は短く返し、二人目は所属先を尋ね、三人目は無言でカメラへ手を上げた。
返事の仕方だけで、七年前の距離が見える。
隣の者と目を合わせる者。呼ばれる前から誰かを見ている者。自分の名より、別の誰かの返事に反応する者。
2組では、岡崎千尋が隣の男へ何かを囁き、強張った空気を落ち着かせようとしていた。相馬公平は彼女へ小さく頷き、ほかの者が返事を終えるまで黙って待っている。
3組では、早川果歩が席を離れ、点呼中にもかかわらず教室の扉を確かめていた。
開く。
廊下へ顔を出した早川へ、機械音声がもう一度名前を呼ぶ。
『いるって。ちょっと外を見ただけ』
映像の外から、誰かが「戻れ」と言った。
同窓会なら、懐かしい光景だったかもしれない。
だが、黒板には神谷の名前がある。
やがて4組の番が来た。
『久世直人』
「はい」
『一条蓮』
「はい」
一条は穏やかに返し、カメラへ視線を向けた。
『天宮栞』
「はい」
天宮は伏せていた書類から、片手も離さなかった。
『佐伯里奈』
「はい。います」
佐伯は答えた直後、自分の声がほかの教室にも流れたことを気にするように口元を押さえた。
『高瀬美緒』
「……はい」
『黒田岳』
「いるよ。それで、いつまでこんな真似を続ける気だ?」
黒田だけが質問を重ねた。
真壁は答えない。
最後の返事が終わると、四つの映像の下に文字が表示された。
『入校確認 二十四名』
その直後だった。
腹に響く低い音が、建物の外から伝わってきた。
金属同士が噛み合い、重いものが閉じる音。
久世は来客用駐車場と建物の間にあった内門を思い出した。
続けて、教室の扉から電子音が鳴る。
早川が廊下から戻った直後、画面の中で3組の扉がひとりでに閉まった。
4組の扉も動く。
黒田が駆け寄ったが、一歩遅い。
扉は枠へ吸い込まれるように閉じ、赤いランプを点灯させた。
「おい」
黒田が取っ手を引く。
動かない。
同時に、窓の外が暗くなった。
上から降りてきた外部シャッターが、山林も空も塗り潰していく。最後の細い光が消えると、教室は白い照明だけに満たされた。
「待って」
高瀬がスマートフォンを取り出す。
「圏外……さっきまでつながってたのに」
佐伯も画面を何度も更新した。
「Wi-Fiもない。機内モードじゃないよね、これ。ねえ、先生、どういうこと?」
一条は扉へ歩み寄り、黒田の隣で電子錠を確認した。
「岳、いったん離れろ。力で壊せる形じゃない」
「見りゃ分かる」
「なら、手を傷める前にやめろ」
黒田は舌打ちしたが、取っ手から手を離した。
久世は自分の端末を確認する。
携帯回線は圏外。無線通信も接続先が消えている。緊急通報の画面を開いても、発信処理から進まなかった。
教室後方の壁には、施設管理者を呼び出すための赤い緊急呼出ボタンがある。
久世が透明なカバーを上げて押すと、短い電子音の後、合成音声が流れた。
『施設管理者が対応中です。そのままお待ちください』
応答は、その合成音声だけだった。扉も開かない。
「対応中、ね」
天宮が初めて、持参した書類から両手を離した。
「施設管理者って、画面の中の真壁先生のことですか」
『そう考えてもらって構わない』
真壁の声に迷いはなかった。
モニターの端に、新しい表示が現れる。
『外部連絡窓口 稼働中』
『家族や勤務先から問い合わせがあった場合、事務局は「手続き継続中、異常なし」と回答する』
久世は、その文字を二度読んだ。
家族や勤務先が事務局へ連絡しても、異常なしと返される。
案内に書かれていた緊急窓口は、閉じ込められた参加者を助けるためのものではない。外にいる人間を安心させるための蓋だ。
「これは任意の確認手続きではありません」
1組の御影が言った。
『そのとおりだ』
「私たちを解放してください。拒否するなら監禁です」
『理解している』
あまりに簡単な返答だった。
教室の空気が変わった。
誤解ではない。設備の不具合でもない。画面の男は、監禁していると理解した上で二十四人を集めている。
「目的は何ですか」
今度は一条が尋ねた。
声を荒らげず、全員が知りたい部分だけを選んでいる。
真壁はカメラを見た。
『お前たちには、もう一度ここへ入学してもらう』
モニターの表示が切り替わる。
七年前の予備校名。その下に、四つのクラス名と六人ずつの座席番号。
『これから六日間、四つのクラスで試験を受けろ。試験には順位があり、得点があり、退学がある』
「六泊七日じゃなかったの?」
佐伯が呟いた。
『第七日は、卒業した者を帰すために用意した日だ』
帰す。
その言い方に、高瀬が結婚指輪へ触れた。
「退学すると、どうなる」
黒田が真壁を睨む。
『各試験の終了後、最下位クラスは一人を選ぶ。選ばれた者は退学となる』
「だから、その退学が何だって聞いてんだよ」
真壁は数秒、黙った。
七年前、神谷への疑いを最後まで口にしなかった時と、同じ沈黙だった。
『退学者は、生きてここを出られない』
高瀬が息を止めた。
佐伯の手からスマートフォンが落ち、床へぶつかる。
ほかの教室でも、立ち上がる者、画面へ詰め寄る者、隣の人間を見る者がいた。
久世は真壁の表情を観察した。
怒りではない。愉悦でもない。
やるべきことを読み上げる人間の顔だった。
だからこそ、脅しには見えなかった。
『最初の試験を始める前に、お前たち自身の回答を確認する』
各机の端末が一斉に点灯した。
白い画面に、一つの質問が表示される。
『この二十四名の中で、あなたが最も信頼できる人物を一人選んでください』
久世の右親指が、無意識に動いた。
その質問には、施設へ来る前に一度答えている。
あの時は、ただの事前アンケートだと思っていた。
だが、今なら分かる。
これは、信頼している人間を尋ねる質問ではない。
自分の弱点に、名前をつけさせる質問だ。
続きが気になった方は、ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです。




