第13話 篠原凛のいない朝
翌朝。
起床後、所属教室への移動を始める前、宿泊区画内の指定された共用動線で、久世直人は御影咲に呼び止められた。
一晩たっても、昨日の光は目に残っている。
遮光シャッターの隙間から漏れた、青白い閃光。
乾いた破裂音。
大きく乱れた波形が、最後には一本の線になった。
『生体反応 検出なし』
そして、シャッターが上がった時には、篠原も処分台も消えていた。
御影は久世の前まで来ると、少しだけ声を落とした。
「昨日のあれ、どう見えた?」
質問の意味は分かった。
久世はすぐには答えなかった。
「分からない」
御影の眉がわずかに動く。
「それだけ?」
「表示されたのは、生体反応が検出されないことと、通常退学処分が完了したことだけだ」
「……うん」
「死亡とは出てない」
御影が斜め下を見る。
「私も見た。死亡って文字は、どこにもなかった」
「でも、生きてるとも書いてない」
御影は顔を上げた。
「そうね」
久世は右親指へ触れた。
あの時の光。
破裂音。
平らになった波形。
どれも、篠原に何かが起きたと考えるには十分だった。
だが、何が起きたのかを決めるには足りない。
「ほかに、何か気づいた?」
御影が訊いた。
久世は少し迷ってから答えた。
「焦げた臭いは、少なくとも俺のいた場所までは来なかった」
「臭い?」
「うん。ただ、距離もあった。だから、それだけじゃ何も言えない」
御影は口を挟まない。
「あと、最後に床の下で音がした」
「音?」
「重いものが動くみたいな音だった。旧講師棟って書かれた方へ、離れていったように聞こえた」
御影の目がわずかに細くなる。
「篠原が運ばれたってこと?」
「そこまでは分からない」
久世はすぐに答えた。
「音がしたことと、篠原が消えたことを、今の時点で同じ出来事だとは決められない」
御影は数秒黙った。
「久世君らしいね」
「悪い意味?」
「半分くらい」
そう言ったあと、御影は笑わなかった。
「でも、今はそれでいいと思う」
久世も何も返さなかった。
御影は少しだけ視線を下げる。
「昨日、篠原に聞いたの。何が起きるか分かってるのかって」
久世は、格子の向こうで篠原が振り返った場面を思い出した。
――分からない。
「あの子も、分かってなかった」
「そうだな」
「なのに、私たちは止められなかった」
御影の声から、怒りが消えていた。
その分だけ、重く聞こえた。
久世は答えを探した。
止める方法があったのか。
なかったのか。
一組が篠原を選ばなければ、別の誰かがそこへ座っていた。
だから仕方がない。
そう言えば、簡単だった。
簡単すぎた。
「御影」
「何?」
「昨日のことは、まだ終わったことにしない方がいい」
御影がこちらを見る。
「篠原に何が起きたのか、俺たちは確認できてない」
「……うん」
「確認できるまでは、それ以上でも、それ以下でもない」
御影はしばらく久世を見たあと、小さく頷いた。
「分かった」
それ以上、二人は話さなかった。
*
一組の教室には、椅子が六つあった。
成海が教室へ入ってからも、篠原の席に荷物を置く者はいなかった。
座っているのは五人。
御影。
三浦。
白川。
藤崎。
そして成海。
藤崎は参加者一覧を開いていた。
しばらく画面を見たあと、閉じる。
数秒もしないうちに、また開いた。
成海の位置からでも、篠原の名前は見えた。
篠原凛。
名前は消えていない。
その横に表示されている文字も変わっていなかった。
『退学・審査対象外』
それだけだった。
「まだ、これだけなんだ」
藤崎が言った。
白川が眼鏡越しに画面を見る。
「昨日から表示は変わっていません」
「死亡って書かないんだね」
藤崎の声が小さくなる。
白川はすぐには答えなかった。
代わりに御影が言う。
「書いていない以上、死んだとは確認できない」
三浦が椅子の背へ体を預ける。
「逆に、生きてるとも確認できないけどね」
御影が三浦を見る。
「だから断定しないって言ってるの」
「俺も断定はしてないよ」
「じゃあ、その言い方は何?」
三浦は少しだけ肩をすくめた。
「今分かってることを短くしただけ」
「短くする必要がある?」
「あるよ」
返事は早かった。
「五人で次に進まなきゃいけない。篠原がどうなったか分からない、怖い、昨日の投票が正しかったか分からない。全部そのまま抱えてたら、次に何か来た時に動けないでしょ」
「だから、終わったことにするの?」
「してないって」
三浦は篠原の空席へ一度だけ目を向けた。
「篠原は、今ここにいない。まずはそこまで」
御影は答えず、三浦を見ていた。
藤崎が机の下で両手を握る。
「でも……私たちが選んだんだよね」
空気が止まった。
白川が画面から顔を上げる。
「投票結果は、篠原さん五票、藤崎さん一票でした」
「数字の話じゃない」
御影が言った。
白川の口が閉じる。
「でも数字を見る限り、普通に考えれば全員が篠原を選んだ。その結果、あの場所に座った」
三浦が言った。
「なら、一人の責任じゃない」
「人数を増やせば、責任が薄くなるわけじゃない」
御影の声が強くなる。
三浦の表情から笑みが消えた。
「薄くしてるんじゃないよ。分けてるんだ」
「同じよ」
「違う」
「どこが?」
「誰か一人を悪者にしたら、残りは考えなくて済む」
三浦は篠原の席を見る。
「篠原が間違った回答を出した。篠原が提出責任者だった。篠原自身も責任があるって言った。だから篠原が選ばれた。それで全部終わりにしたら、一番分かりやすい」
御影は何も言わない。
「でも、投票したのは一組だろ」
三浦が続けた。
「俺も含めて」
藤崎が俯く。
白川が端末を閉じた。
「投票は、規則上は成立しています」
御影が白川を見る。
「規則上は、でしょ」
「はい」
白川は少し間を置いた。
「規則上有効だったことと、正しい判断だったことは、同じではありません」
御影の表情がわずかに変わった。
藤崎が小さく息を吐く。
「じゃあ、どうするの?」
誰もすぐには答えなかった。
御影は三浦から目を離さない。
三浦は篠原の空席を見ている。
白川は閉じた端末へ手を置いたまま。
藤崎の視線は四人の間を何度か動いた。
成海は、四人の話を聞いていた。
今のままでは、次に何かを決める時にも同じことを繰り返す。
意見が違うことより、どこまで一致しているのかさえ分からない状態の方がまずい。
「代表を決めませんか」
四人が成海を見る。
御影が先に訊いた。
「何の代表?」
「一組のです」
「そんな制度にも無いことやる必要あるの?」
「運営の制度として決めようと言ってるわけじゃありません」
成海は答えた。
「今の一組は、全員が別の方向を見ています。このまま次に何か始まったら、話を始めるだけで時間を使う」
三浦が少し笑う。
「それはありそう」
「だから、意見をまとめる人間を一人決めておきたい」
御影が腕を組む。
「その人の判断を全員が受け入れるってこと?」
「違います」
成海はすぐに否定した。
「反対意見を止める権限なんて持たせない。昨日みたいに、最後の決定を一人へ預ける話でもありません」
成海が名前を出さなくても、篠原の空席へ藤崎の視線が動いた。
「意見が割れた時に、何が一致していて、何が一致していないのかを整理する。その役です」
白川が訊く。
「成海さん自身がやるという意味ですか」
「必要なら」
「自分から立候補するんだ」
三浦が言った。
成海が三浦を見る。
「誰もやらないままよりはいいと思っています」
「俺は成海でいいよ」
三浦の返事は早かった。
御影が眉をひそめる。
「もう決めるの?」
「だって、ほかにやりたい人いる?」
三浦は三人を見る。
誰も答えなかった。
「なら、一人目」
「人数で押し切る話じゃない」
御影が言う。
「でも代表なら、支持する人数は必要でしょ」
三浦が返した。
成海が口を開く。
「御影さん」
「何?」
「反対なら反対で構いません」
成海は御影を見る。
「代表になったとしても、あなたが反対意見を言わなくなる方が困ります」
御影は黙った。
成海は続けなかった。
白川が手を挙げる。
「私は成海さんを支持します」
三浦に続いて二人目。
「緊急時に、判断を保留し続けない人が必要だと思います」
御影が白川を見る。
「間違った時は?」
「記録します」
白川は答えた。
「誰が何を提案して、誰が反対したのかも含めて」
成海が頷く。
「それでお願いします」
藤崎はしばらく成海を見ていた。
「昨日」
「はい」
「篠原さんがあそこに座った時、確認させてくださいって言ってたよね」
成海は一度だけ視線を落とした。
機械音声は答えなかった。
処分後も、同じだった。
「言いました」
「無視されたけど」
「はい」
藤崎は唇を一度閉じる。
「私は……成海君でいい」
三人。
残るのは御影だけだった。
三浦が何も言わずに御影を見る。
「その顔やめて」
「何も言ってないけど」
「言ってるのと同じ」
御影は成海へ視線を戻した。
「私は、あなたの判断に全部賛成するわけじゃない」
「分かっています」
「分からないことを、分かったことにしないで」
「はい」
「私が違うと思ったら、反対する」
「その方がいいです」
御影は少し間を置いた。
「なら、代表にすることには賛成する」
四人。
成海以外の全員が、成海を代表とすることに賛成した。
三浦が机を軽く指で叩く。
「決まりだね」
御影がすぐに言う。
「話をまとめる代表として、だから」
「分かってるって」
「三浦が言うと不安なの」
「ひどいな」
成海は二人のやり取りを聞きながら、篠原の空席を見た。
五人になった一組で、最初に決まったのが自分の役割だった。
成海は端末を開き、個人合格条件を確認した。
『個人合格条件』
『1組代表として過半数の支持を得る。』
成海は文面を最後まで読んだ。
達成申請を開く。
条件達成を裏づける証拠を指定する。
確認画面が表示された。
成海は、すぐには確定を押さなかった。
四人から支持された直後に、それを自分の個人条件へ使う。
条件を知っていたのは自分だけだ。
だが、さっき代表を提案した理由まで嘘になるわけではない。
成海は申請を確定した。
『達成申請を受理しました』
短い判定中の表示。
数秒後。
『個人合格条件:達成』
『保護権限:登録済み』
成海は二行を見る。
表示されているのは、それだけだった。
直後。
一組全員の端末が、ほぼ同時に鳴った。
御影たちもそれぞれ自分の画面を見る。
『成海圭吾 個人合格条件達成』
『通常退学対象外』
藤崎が顔を上げた。
「成海君?」
三浦が成海を見る。
「今の話と関係ある?」
成海は自分の端末を伏せた。
「条件の内容は、今は話しません」
三浦は数秒成海を見たあと、口の端を少しだけ上げた。
「なるほど」
御影は端末の通知と成海を交互に見る。
「条件を達成したからって、さっき決めた役割まで変わらないわよね」
「変えません」
成海は答えた。
「僕が決めるんじゃない。意見を整理する。それだけです」
白川が頷く。
藤崎も小さく頷いた。
三浦は椅子へ座り直した。
御影はすぐには頷かなかった。
それでも反対の言葉は出なかった。
成海はもう一度、篠原の空席を見た。
代表になった。
個人条件も達成した。
だが、一組が五人になったという事実は変わらない。
*
四組の教室でも、一つの席を空けた一組のことが話題になっていた。
「やっぱり篠原さん戻ってないってことだよね?」
佐伯が参加者一覧を見ながら言った。
久世は自分の端末を見る。
篠原凛。
『退学・審査対象外』
朝になっても、表示は変わっていない。
「戻ってくるなら、何か出るはずだよね……」
高瀬が言った。
「出ないから死んだ、とはならないでしょ」
天宮が返す。
「分かってるけど……」
高瀬は左手の結婚指輪に触れた。
黒田が椅子へ深く座る。
「お前ら、まだあいつが生きてるかもって思ってんのか」
「分からないって言ってる」
久世が答えた。
「同じようなもんだろ」
「違う」
久世は画面から目を離した。
「死んだと確認したわけじゃない」
黒田が鼻で笑う。
「昨日の見て、それかよ」
「昨日見たからだ」
黒田の表情が変わる。
「見せられたものが何だったのか、確認できてない」
「篠原は消えた」
「それは確認した」
「生体反応も消えた」
「それも」
「じゃあ何が足りねえんだよ」
久世は答えなかった。
足りないものを一つに決められないからだ。
篠原本人。
処分後の確認。
消えた処分台。
床の下を遠ざかった音。
どれか一つが答えになるわけではない。
一条が口を開いた。
「直人の言ってることは分かる」
黒田が一条を見る。
「蓮までそれか?」
「俺は今でも、真壁の『生きてここを出られない』は死ぬことを示してると思ってる」
一条は落ち着いて言った。
「でも昨日の処分で、それが証明されたとは言わない」
黒田が舌打ちする。
「めんどくせえな」
「その面倒なところを飛ばしたせいで、七年前も話が育った」
佐伯の顔から表情が消えた。
誰も続けなかった。
久世はもう一度、参加者一覧を見る。
篠原凛。
退学。
審査対象外。
死亡とは書かれていない。
生存とも書かれていない。
意味を決めるには、まだ足りない。
それでも、ゲームは待たなかった。
教室前方のモニターが点灯する。
六人が顔を上げた。
ほかの教室でも、同じ音が鳴っている。
白い画面に、文字が一行だけ表示された。
『第二試験を開始します』
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第13話から、第二章に入ります。
第一章で起きた「退学処分」を受けて、二十四人の関係と再入学試験は、ここからさらに変化していきます。
続きも毎日19:10に更新予定です。
引き続きお楽しみいただければ嬉しいです。




