↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/25

侯爵家当主の密かなる野望。

クロフォード侯爵家当主、アレクシス・クロフォードには、長年ひそかに抱き続けてきた願いがあった。


娘が欲しい。


ただ、それだけだった。


若い頃は、いずれ子どもが二人か三人でき、その中に一人くらいは娘がいるだろうと、漠然と考えていた。


しかし、現実は異なった。

生まれたのは男児一人。


アルベルト・クロフォード。


健康で聡明。

規律正しく、成績も優秀。


幼い頃から無駄口を叩かず、剣を持たせれば黙々と鍛錬に励み、教師から褒められても「そうですか」としか答えない。


父親としては、申し分のない息子だった。


だが、可愛げという一点においては、壊滅的だった。


「父上」


「何だ」


「それを置いてください」


「なぜだ」


「危険だからです」


八歳のアルベルトは、父が買ってきた木馬を一瞥しただけで、そう言った。


「木馬だぞ」


「車輪の軸が緩んでいます」


「……」


「転倒する可能性があります」


八歳だ。八歳の息子だ。


「直せば乗るか?」


「必要ありません」


話が終わった。


誕生日にぬいぐるみを贈ったこともある。


「何に使うものですか」


そう尋ねられた。

十歳の頃だった。



娘が欲しい。


アレクシスの願望は、その頃から少しずつ膨らんでいった。


それから二十年近く。


息子は立派に成長した。

王国軍第一大隊長にまで上り詰めた。


そして三年間、親に何の報告もないまま結婚していた。


妻は元暗殺者だった。

裏社会に名を轟かせる《白猫》だった。


しかも、王都を封鎖した。

さらに、愛妻弁当を届けるために第一大隊本部へ侵入し、第一級警戒態勢を発令させた。


その事実を父親は妻に見せられた新聞で知った。


普通なら、怒るところだ。

アレクシスも怒った。

もちろん、怒った。


だが。


結婚式で初めて、純白のドレスに身を包んだリリアがこちらを向き、


「お父様?」


と呼んだ瞬間、すべて吹き飛んだ。


娘ができた。


正確には義理の娘だが、細かいことはどうでもいい。


アレクシス・クロフォード。


五十代、侯爵。

元王国軍将官。


その日から、完全に浮かれていた。



「リリアさん」


午後二時。


クロフォード侯爵邸の庭園で、アレクシスは満面の笑みを浮かべていた。手には、朝から何度も中身を確かめていた小箱がある。ようやく渡せると、胸の内で密かに浮き立っていた。


「これを見てくれ」


「何ですか?」


リリアが覗き込む。


差し出された箱を、彼女は両手で受け取った。蓋を開けると、中には紫色の宝石をあしらった細身の髪飾りが入っている。


リリアの瞳が輝いた。


「綺麗」


その一言だけで、アレクシスの胸は大きく跳ねた。贈り物を選ぶため、店を何軒も巡った苦労など、すべて報われた気がする。


「君の瞳に似合うと思ってね」


「私に?」


「もちろんだ」


「いただいてもいいんですか?」


「そのために用意した」


「わあ」


リリアは髪飾りをそっと持ち上げ、光にかざした。素直に喜ぶその姿を見た瞬間、アレクシスの表情はさらに緩んだ。頬が緩み、目尻が下がり、侯爵としての威厳は庭園の片隅へ消えていく。


「父上」


低い声が落ちた。


少し離れた場所に、アルベルトが立っていた。腕を組み、眉間には深い皺が刻まれている。どうやら、また始まったと思っているらしい。


「何だ」


「またですか」


「またとは何だ」


「先週も装飾品を贈っていたでしょう」


「先週は耳飾りだ」


「その前は靴」


「そうだな」


「その前は外套」


「冬になるからな」


「まだ秋です」


「準備は早いほうがいい」


「限度があります」


アルベルトが淡々と指摘するたび、アレクシスは不思議そうに息子を見返した。なぜ、そこまで問題視するのか理解できない。


「娘に物を贈って、何が悪い」


アルベルトの眉がぴくりと動いた。


「娘ではありません」


「義理の娘だ」


「俺の妻です」


「両立するだろう」


「そういう問題ではありません」


二人が言い争っている間、リリアは髪飾りを光に透かしていた。まったく会話を聞いていない。というより、聞いていても気にしていないのだろう。


「お父様」


「何だい?」


呼ばれたアレクシスは、すぐさま声を柔らかくした。


「これ、短剣につけてもいいですか?」


アレクシスが固まる。

アルベルトも固まる。


「……なぜ短剣に?」


「綺麗だから」


「髪につけるものだ」


「でも、戦うと落ちそう」


「戦わなくていい」


「でも、急に襲われたら?」


「うちの庭で誰に襲われるんだ」


「分からないよ」


リリアは真剣だった。元暗殺者としての経験が、どうやら日常の庭園にも警戒心を向けさせているらしい。


アレクシスは数秒考えた。普通なら、髪飾りは髪に飾るものだと説得するところだろう。

しかし、彼は普通の父親ではなかった。


「では、短剣用も作らせよう」


「父上!」


アルベルトの怒声が庭に響いた。


「増やすな!」


「何がだ」


「武装を装飾する必要はない!」


「可愛いではないか」


「可愛さで武器を増やすな!」


「アル、怒ってる」


リリアが不思議そうにアルベルトを見上げる。


「お前も止めろ!」


「でも嬉しいよ?」


その言葉を聞いた瞬間、アルベルトは口を閉じた。反論しようとしていたはずなのに、妻の嬉しそうな顔を見れば、それ以上強く言えない。


アレクシスは、そんな息子の様子を見逃さなかった。勝ち誇ったように口元を上げる。


エレノアは少し離れたテーブルで紅茶を飲みながら、その一部始終を静かに眺めていた。


「あなた」


「何だ」


「楽しそうですね」


「もちろんだ」


「表情が崩れています」


「構わん」


「侯爵ですよ」


「今は父親だ」


「義父です」


「細かいことを言うな」


さすがにエレノアも少し呆れていたが、止める気はないらしい。むしろ、面白がっているように見える。

アルベルトは、それが一番腹立たしかった。



事の始まりは、後輩のユリウスが去った数日後だった。


アレクシスから、一通の手紙が届いた。


『リリアさんと一日出かけたい』


アルベルトは断った。

即座に断った。

理由も添えた。


『軍務上、多忙につき不可能です』


すると、返事が来た。


『君ではない』


アルベルトは、手紙を握り潰しかけた。父親の字を見ているだけで、こめかみが痛くなる。

横から覗き込んだリリアが、彼の手元を見て首を傾げた。


「行っていい?」


「駄目だ」


「どうして?」


「必要がない」


「お父様と出かけるの、楽しそう」


「遊びに行くな」


「お父様、私に王都のお店を案内してくれるって」


「俺が案内する」


「アル、仕事があるでしょう」


「休みを取る」


「大隊長が、そんな理由で休んでいいの?」


正論だった。


アルベルトは黙った。反論の余地がない。しかも、リリアは期待に満ちた目でこちらを見ている。


結果、今日に至る。


予定は、王都の菓子店。

服飾店。

書店。

昼食。

庭園散策。


完全な親子デートだった。


アルベルトは同行した。エレノアも当然のようにいる。


「なぜいる」


父に言われた。


「護衛です」


元暗殺者と元将官に護衛は必要ない。


全員が分かっていたが、誰も指摘しなかった。アルベルト自身も、護衛という名目がなければ同行できないことを理解していた。



最初の菓子店。


店内に漂う甘い香りに、リリアの視線が菓子棚を巡る。アレクシスはその様子を嬉しそうに眺めながら、すぐに声をかけた。


「好きなものを頼みなさい」


「これ」


リリアが指差した菓子を、店員が皿に載せる。


「一つでいいのか?」


「うん」


「これも美味しいぞ」


「じゃあ、それも」


「こちらも評判がいい」


「それも」


「季節限定もある」


「食べる」


次々と増えていく皿を見て、アルベルトが制止した。


「父上」


「何だ」


「食べさせすぎです」


「少食なのだろう?」


「だからです」


「なら、少しずつ全部食べればいい」


「理屈がおかしい」


リリアは三皿目の菓子を見て、嬉しそうに目を輝かせている。止める理由がなくなったアルベルトは、深く息を吐いた。


「アルも食べる?」


「いらん」


「じゃあ、お父様」


「いただこう」


リリアがフォークで一口分を切り分ける。そのままアレクシスの皿へ載せた。


「はい」


アレクシスが固まった。


「……私に?」


「うん。一緒に食べたほうが美味しいよ」


致命傷だった。

アレクシスは片手で胸を押さえた。まるで本当に心臓を撃ち抜かれたかのような顔をしている。


「あなた?」


エレノアが眉を上げる。


「大丈夫だ」


「顔が赤いですよ」


「娘が……」


「義理の娘です」


「娘が菓子を分けてくれた」


「聞いていませんね」


アルベルトの目が据わった。


「父上」


「何だ」


「それくらい普通です」


「お前には分からん」


「何がです」


「娘の可愛さがだ」


「俺の妻です」


「さっきから、それしか言わんな」


「事実なので」


リリアは二人を見比べた。アルベルトの険しい顔と、アレクシスの浮かれきった顔。その温度差が面白かったのか、口元に小さな笑みを浮かべる。


「アルも欲しかった?」


「何が」


「お菓子」


「いらん」


「でも怒ってる」


「怒っていない」


「じゃあ、あーんする?」


店内が静まり返った。


アルベルトの動きが止まる。耳まで赤くなった彼を、アレクシスがじっと見つめた。エレノアも、紅茶のカップを置いて息子を見る。


「……しなくていい」


かろうじて絞り出した声は、いつもより低かった。

リリアは楽しそうに笑った。


「アル、かわいい」


「言うな」


アレクシスはその様子を見て、何かに気づいたような顔をした。


そして笑った。

非常に嫌な笑い方だった。



服飾店。


アレクシスの暴走は加速した。


「これも似合う」


「本当?」


「こちらもいい」


「可愛い」


「この帽子も」


「猫みたい」


「買おう」


「父上」


「何だ」


「全部買うつもりですか」


「そのつもりだ」


「必要ありません」


「君に聞いていない」


「俺の家に置かれるんですが!」


「広いだろう」


「そういう問題ではありません!」


店員は笑いをこらえていた。

リリアは鏡の前で帽子を被っている。つばの広い薄紫色の帽子が、白銀の髪によく似合っていた。


「アル」


「何だ」


「似合う?」


アルベルトは一瞬黙った。鏡越しに映るリリアの姿を見つめ、すぐに視線を逸らす。


「……まあ」


「まあ?」


「似合っている」


リリアが笑う。


「では、買おう」


「父上!」


「本人に似合うと言っただろう」


「俺が買います!」


アレクシスが動きを止める。


「なぜだ」


「俺が買う」


「私が見つけた」


「関係ありません」


「私が連れてきた店だ」


「それも関係ない」


「アル」


エレノアが口を挟む。


「何です」


「父親と張り合うのはやめなさい」


「張り合っていません」


「顔を見れば分かります」


「……」


「嫉妬?」


リリアが横から尋ねる。


「違う」


即答だった。


「お父様に?」


「違う」


「私がお父様と仲良しだから?」


「違う」


「アル」


「違う」


「まだ何も言っていないよ」


「……」


全員が笑った。

アルベルトだけは笑わなかった。



昼食後、事件は起きた。


庭園を歩いていたリリアが、突然足を止めた。アルベルトが何事かと振り返るより早く、彼女は茂みの向こうへ視線を向けた。


「どうした?」


アレクシスが尋ねる。

リリアは茂みを見る。


「猫」


いた。

白い猫だった。


次の瞬間、リリアが消えた。


「リリア!」


アルベルトが叫ぶ。

茂みが揺れる。その向こうで猫が走り、白銀の髪が追う。


「待て!」


アルベルトも走る。

アレクシスは一瞬目を見開いたが、すぐに感心したように呟いた。


「速いな」


「感心していないで止めてください!」


猫は生け垣を抜けた。

リリアも抜けた。

アルベルトは迂回した。

アレクシスは生け垣を飛び越えた。


「父上!?」


元将官である。

五十代とは思えない動きだった。


数秒後、アレクシスは猫を抱えたリリアを確保していた。彼女の腕の中で、白猫が不思議そうに尻尾を揺らしている。


「捕まえたぞ」


「お父様、すごい!」


「昔は軍人だったからな」


「かっこいい!」


第二の致命傷だった。

アレクシスの表情が緩む。誇らしげに胸を張る姿は、まるで勲章を授けられた少年のようだった。


遅れて到着したアルベルトが、二人を見た。


父、妻、猫、楽しそう。


「……リリア」


「何?」


「戻るぞ」


「猫に触ってから」


「もう触っている」


「お父様も触る?」


「もちろんだ」


「父上」


「何だ」


「甘やかしすぎです」


「何が悪い」


「全部です」


「君は昔から細かいな」


「誰のせいだと思っているんです!」


「私ではない」


「あなたです!」


リリアは猫を抱いたまま笑っていた。



侯爵邸へ戻る頃には、馬車の中が荷物で埋まっていた。


菓子。服。帽子。本。髪飾り。

そして、短剣用に加工する予定らしい宝飾品。


アルベルトは頭を抱えていた。向かいでは、アレクシスが今日の成果を眺めながら満足そうに頷いている。


「父上」


「何だ」


「次からは控えてください」


「次もある」


「ありません」


「あるよ」


リリアが言った。

アルベルトが振り返る。


「何?」


「お父様、今度は乗馬を教えてくれるって」


「聞いていない」


「今言った」


「なぜ勝手に予定を決める!」


「だって楽しそう」


「俺が教える!」


「アル、忙しいでしょう」


「休む!」


「大隊長なのに?」


また正論だった。


アルベルトは言葉に詰まり、拳を握った。そんな彼を見て、アレクシスが勝ち誇ったように笑う。


「では、私が」


「父上は黙っていてください!」


そのとき、エレノアが紅茶を飲みながら、静かに言った。


「アルベルト」


「何です」


「あなた、気づいていますか」


「何に」


「朝からずっと、父親に妻を取られた子どものようですよ」


沈黙。

アルベルトの顔が固まった。

リリアの瞳が輝く。


「やっぱり嫉妬?」


「違う」


「お父様に?」


「違う」


「私がお父様に可愛がられるから?」


「違う」


「じゃあ、何?」


アルベルトは言葉に詰まった。

本当のところ気に入らないのだ。


リリアが父に笑いかける。

父がリリアの頭を撫でる。

二人で楽しそうに出かける。


それ自体が嫌なのではない。

むしろ、リリアに家族が増えることは嬉しい。


両親が彼女を大切にしてくれることも、ありがたいと思っている。


だが、少しだけ。

本当に少しだけ。


自分だけのものだった場所へ、誰かが入ってきたような気がする。

そんなことを口にすれば、間違いなく笑われる。

だから言わない。


「……別に」


結局、その言葉しか出なかった。


リリアはしばらくアルベルトを見つめた。彼の横顔に浮かぶわずかな不機嫌さを見逃さなかったのだろう。


すっと隣へ移動する。

馬車が揺れる中、彼の腕に抱きついた。


「じゃあ、今日はアルと帰る」


「最初から帰るだろう」


「お父様の家に泊まってもいいかなって思ってた」


「駄目だ」


即答だった。

アレクシスが笑う。


「泊まっていけばいい」


「駄目です」


「客室はいくらでもある」


「駄目です」


「明日は乗馬を」


「駄目です!」


リリアが吹き出した。


「アル、やっぱり嫉妬してる」


「していない」


「かわいい」


「言うな」


「アルベルト」


今度は父だった。


「何です」


「息子よ」


「何ですか」


アレクシスは妙に満足そうな顔で言った。


「安心しろ」


「何がです」


「娘は取らん」


「だから、娘では――」


「君の妻だからな」


アルベルトが黙った。

アレクシスは笑いながら続ける。


「ただ、私たちの娘でもある」


リリアが瞬きをした。


「私たちの?」


「ああ」


その声は、先ほどまでの浮かれたものとは少し違った。

穏やかだった。


「君には家族がいなかったと聞いた」


リリアの表情がわずかに変わる。抱きついていたアルベルトの腕に、指先がそっと力を込めた。


「なら、今から増やせばいい」


アレクシスはそう言って、リリアの頭に手を置いた。

今度はアルベルトも止めなかった。

エレノアも静かに微笑んでいる。


「息子は愛想がない。妻は怖い」


「あなた?」


「事実だ」


「後で話しましょう」


「……だが」


アレクシスは咳払いをした。


「我が家は、君を歓迎する」


リリアはしばらく何も言わなかった。

紫色の瞳が、ほんの少しだけ揺れる。


「お父様」


「何だい」


「では、今度一緒に屋根に登る?」


「喜んで」


「父上!」


感動が一秒で死んだ。


「侯爵家の屋根に登るな!」


「景色がよさそう」


「危険だ!」


「私がついていれば大丈夫だ」


「あなたまで乗らないでください!」


「昔は野営もした」


「そういう話ではない!」


「お母様も来ます?」


リリアが尋ねる。

エレノアは紅茶のカップを置いた。


「私は下から見ています」


「止めてください!」


「あなたが止めるのでしょう?」


「なぜ俺が!?」


「夫ですから」


「父上は!?」


「父親です」


「役割分担がおかしい!」


クロフォード侯爵邸に、アルベルトの怒声が響き渡った。


リリアは笑っている。

アレクシスも笑っている。

エレノアは静かに紅茶を飲んでいる。


結婚以来、アルベルト・クロフォードの味方は、着実に減っていた。



翌週。


第一大隊本部。

副官が一枚の書類を持ってきた。


「隊長」


「何だ」


「侯爵家から届け物です」


アルベルトの顔が曇る。


「父上か」


「はい」


箱を開ける。

中には、紫色の宝石が埋め込まれた短剣用の鞘が入っていた。


非常に美しい。

非常に高価そうだ。


そして手紙。


『リリアさんへ。


以前の髪飾りと揃いで作らせた。


次は乗馬用の服を用意する。


父より』


アルベルトは無言だった。

副官も無言だった。


「隊長」


「何だ」


「燃やしますか」


「……いや」


意外な返答だった。


アルベルトは鞘を見つめる。父親の過剰な愛情に呆れながらも、それを身につけたリリアが喜ぶ姿を想像してしまう。

少し考えたあと、箱を閉じた。


「家へ持って帰る」


「よろしいのですか?」


「リリアが喜ぶ」


それだけだった。

副官は少し笑った。


「そうですね」


「何がおかしい」


「いえ」


「笑うな」


「笑っていません」


「顔が笑っている!」


副官は口元を緩めたまま姿勢を正した。



鞘を受け取ったリリアは、案の定、ものすごく喜んだ。


「お父様、すごい!」


「そうだな」


「見て、アル。可愛い」


「ああ」


「嫉妬しない?」


「しない」


「本当?」


「しない」


リリアは鞘を腰に下げた。

くるりと一回転する。


「似合う?」


アルベルトは少し黙った。腰元で揺れる紫色の宝石と、嬉しそうに輝く彼女の瞳を見つめる。


「似合っている」


リリアが笑った。


「じゃあ、お父様に見せてくる!」


「今から!?」


「うん!」


窓へ走る。


「玄関を使え!」


「近道!」


「窓から出るな!」


白銀の髪が窓枠を越える。

アルベルトが追う。

官舎中に怒声が響く。



リリアは無事に侯爵邸へ到着し、アレクシスは鞘を装備した義娘を見て泣きそうになる。

エレノアは「だから甘やかすなと言ったでしょう」と夫を叱り、アルベルトは妻を窓から連れ戻した。


クロフォード家は、今日も概ね円満である。


なお翌月にはアレクシスからアルベルトへ、一通の手紙が届いた。


『娘とは、父親と二人で出かけるものらしい』


アルベルトは、その場で破った。

リリアが拾って繋ぎ合わせた。


次の休日に二人はまた出かけるらしい。

アルベルトは休暇申請の書類に記入を始める。


「隊長、もう有給がありません」


副官の言葉にぴたりとペンを止める。


「……この間の大規模討伐の褒賞に休暇を申請する」


副官は額を抑えた。


第一大隊もだいたい平和である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。