副官殿、交際が国家案件になった件。
王国軍第一大隊副官、テオドール・ハインツ大尉は、ようやく恋人ができた。
正確には、恋人になるまでが長かった。
互いに好意を伝え合っているのに交際を申し込めず、周囲の認識だけが先に「恋人」へ到達した結果、第一大隊と王宮を巻き込んだ『交際認識齟齬事件』へ発展。
ようやく正式に交際を始めれば、今度は距離感が分からない。
さらに恋人であるシャルロット王女殿下を名前で呼ぶだけで数日を要し、その回数を第一大隊の兵士に記録され、最終的には掲示板そのものを撤去した。
だが、そこまで。
もう問題はない。
交際した。 名前も呼べる。 手も繋げる。
あとは普通に恋人として関係を深めていけばいい。
テオドールは本気でそう思っていた。
午前八時十五分。
「副官殿。王宮より公文書です」
その認識は、王家の紋章が刻まれた封書によって粉砕された。
「……私に?」
「はい」
第一大隊執務室。
差し出された封書を受け取ったテオドールは、王家の封蝋を確認して姿勢を正した。
何か緊急事態でも起きたのだろうか。
隣ではアルベルトも書類から顔を上げている。
封を切る。
読む。
三行目で止まった。
もう一度最初から読む。
やはり同じだった。
「……隊長」
「何だ」
「本日十時、王宮へ出頭するようにと」
アルベルトの眉が寄る。
「理由は」
テオドールはしばらく黙った。
軍人として、王命には従う。
それは分かっている。
だが。
「シャルロット王女殿下との交際に関する今後の運用について、関係各所による協議を実施するため、と」
「…………」
アルベルトも黙った。
そのとき机の横から声がした。
「交際の運用ってなに?」
テオドールは目を閉じる。
「リリアさん」
「なに?」
「いつからそこに」
「封を開けたくらい」
「ほぼ最初からではありませんか」
リリアは楽しそうに封書を覗こうとする。
「何するの? デートの日を王宮に提出するの?」
「まさか」
テオドールは笑う、が、二時間後。
その『まさか』が現実になる。
※
王宮西棟、第二会議室。
扉を開けたテオドールは、そのまま閉めた。
「帰ります」
「待て」
後ろにいたアルベルトが肩を掴む。
「離してください」
「王命だ」
「分かっています。しかしこれは明らかに会議の規模がおかしいでしょう」
室内には国王がいた。
シャルロットがいた。
王宮侍従長。
近衛隊責任者。
王家法務官。
王室広報官。
さらに文官四名。
机の上には分厚い書類が積み上げられている。
軍事同盟でも締結するのだろうか。
「テオドール?」
シャルロットが心配そうにこちらを見た。
「どうかなさいました?」
「……何でもありません」
戻った。
アルベルトは思う。
こんなに扱いやすい男だったか。
その後ろからリリアまで入ってくる。
「すごい、人いっぱい」
「なぜあなたまで来ているのです」
「シャルに呼ばれた」
「リリアがいてくれたほうが心強いもの」
「ほら」
「何が『ほら』ですか」
国王が咳払いした。
「全員、座ってくれ」
テオドールは着席する。
嫌な予感しかしない。
「まず確認する」
国王が真剣な顔で両手を組む。
「テオドール・ハインツ大尉」
「はい」
「シャルロットと交際しているな」
「はい」
「真剣な交際だな」
「はい」
「娘を泣かせるつもりは」
「ありません」
「将来的には――」
「お父様」
シャルロットの声が飛んだ。
国王が止まる。
「今日はそういうお話ではないでしょう?」
「……そうだったな」
完全に父親だった。
王室広報官が静かに資料を開く。
「では本題へ移ります。王女殿下の交際に伴い、警護体制、外出時の情報管理、王室行事との調整、報道対応等について暫定的な取り決めを――」
「お待ちください」
テオドールが手を挙げた。
「はい」
「報道対応?」
「はい」
「なぜ必要なのです」
「王女殿下の交際ですので」
「情報管理?」
「必要です」
「警護計画?」
「当然です」
「王室行事との調整?」
「不可欠です」
テオドールは黙った。
「……交際とは、これほど多くの部署が関与するものなのでしょうか」
法務官が首を傾げる。
「一般的な交際には関与しません」
「安心しました」
「王女殿下ですので」
「安心を返してください」
※
最初の議題は、休日の外出だった。
文官が資料を配る。
『シャルロット王女殿下私的外出時警護要領――交際対応版』
テオドールは表紙だけで頭痛を覚えた。
「外出時は原則として近衛六名を配置します」
「六名?」
シャルロットが顔を上げる。
「前方二名、後方二名、周辺警戒二名です」
「嫌です」
「殿下」
「デートなのよ?」
テオドールの指が僅かに動いた。
デート。
交際が成立してから何度か聞いている。
それでもシャルロット本人の口から、自分との外出をそう呼ばれると、いまだに妙な緊張が走る。
「六人もいたら、二人で出かける意味がないわ」
「安全確保のためです」
「テオドールもいるでしょう?」
突然振られた。
「私ですか」
「守ってくださるでしょう?」
「当然です」
即答した。
会議室が静かになる。
シャルロットの頬が少し赤くなった。
テオドールも、言ってから気づいた。
「……いえ、これは軍人として」
「そう」
シャルロットの顔が少しだけ曇る。
まずい。
「違います」
全員がテオドールを見る。
「軍人としてだけではなく」
何を言っている。
引き返せ。
しかしシャルロットがこちらを見ている。
「恋人としても、あなたに危険が及ぶことは望みません。シャルロット」
今度こそ完全に静まり返った。
シャルロットが目を瞬かせる。
そして、ふわりと笑った。
「ありがとう、テオドール」
国王が胸を押さえた。
「陛下?」
侍従長が身を乗り出す。
「大丈夫だ」
「しかし」
「娘が男に名前で呼ばれている現実を処理しているだけだ」
「お父様!」
「分かっている! 交際を認めたのは私だ!」
国家元首、理性と父性が交戦中。
※
護衛人数については、さらに四十分揉めた。
六名。
「多いわ」
四名。
「まだ多いです」
三名。
「視界に入りそう」
二名。
シャルロットがテオドールを見る。
「……二名なら?」
「妥当かと」
「では二名で」
即決した。
国王が感心したようにテオドールを見る。
「君がいると話が早いな」
「何のお話でしょう」
「いや」
アルベルトが腕を組む。
「よく分かります」
「隊長?」
「妻が言うことを聞くというのは羨ましい」
リリアが振り返った。
「アル、私も聞くよ?」
「では今後、窓から本部へ入るな」
「それは別の話」
「聞かないではないか!」
※
次の議題。
外出届。
「前日正午までに提出をお願いします」
テオドールは書類を見る。
『外出目的』
『予定経路』
『立ち寄り先』
『帰還予定時刻』
『同行者』
「…………」
「何か?」
「これでは軍の行動計画書です」
「安全管理です」
「同行者の欄に自分の名前を書くのですか」
「お願いします」
テオドールはペンを持った。
『同行者 テオドール・ハインツ大尉』
書いていて虚しくなった。
「外出目的は?」
「デート」
シャルロットが横から答えた。
ペンが止まる。
「……殿下」
シャルロットが見る。
テオドールは言い直す。
「シャルロット」
嬉しそうに笑われる。
最近、この笑顔を見るためなら多少恥ずかしいことでも耐えられる気がしてきた。
「公文書に『デート』と記載するのですか」
「事実でしょう?」
正しい。
正しいのだが。
テオドールは人生で初めて、公文書の目的欄へ『デート』と記載した。
横でリリアが覗き込む。
「行き先は?」
「市場と菓子店です」
「じゃあ帰りに西区の噴水広場行くといいよ。夕方きれいだから」
「それいいわね」
「では追加しますね」
「なぜあなたがデート計画へ参加しているのですか」
「参考意見」
「求めていません」
「先輩なら屋台も詳しいよ」
扉付近にいたセドリックが口を挟む。
「セドリック。なぜあなたまでいるのです」
「情報局から連絡役」
「先輩、あそこの串焼き好きでしょ?」
「好き!」
「聞いていません!」
※
会議開始から二時間。
テオドールの前には、完成した書類が積まれていた。
外出届。
警護計画。
緊急時連絡網。
機密保持確認。
王室行事との日程調整。
「……質問してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
王室広報官が答える。
テオドールは疲れ切った顔で書類を見る。
「私はただ、恋人と休日を過ごしたいだけなのですが」
誰も答えなかった。
「市場へ行って、菓子を食べて、できれば二人で歩きたい。それだけです」
国王が困ったように笑った。
「すまないな」
予想外の言葉だった。
テオドールが顔を上げる。
「王女と交際するということは、どうしてもこうなる」
国王はシャルロットを見る。
「この子が誰を好きになるかまで国が決めるつもりはない。だが、この子に何かあれば、それは家族だけの問題では済まない」
「……承知しております」
頭では理解している。
その隣で、シャルロットが俯いていた。
「ごめんなさい」
小さな声だった。
「シャルロット?」
「私と付き合うと、こうなるの」
笑おうとしている。
けれど少しだけ、寂しそうだった。
「普通に待ち合わせをして、普通に二人で歩くことすら、あなたにはさせてあげられない」
テオドールは黙った。
王女であることは、彼女自身が選んだものではない。
それでもシャルロットは、自分と付き合ったせいでテオドールまで窮屈になったと思っている。
「違います」
シャルロットが顔を上げる。
「私は、あなたと交際することを自分で望みました」
「でも」
「王女殿下との交際が国家に関係することは理解しています」
一度、息を吸う。
以前なら、ここで言葉を選びすぎていただろう。
「ですが」
テオドールは彼女を見る。
「これは国家案件ではありません」
会議室の全員が静かになる。
「私が好きな女性との交際です」
言ってからテオドール自身が固まった。
リリアの目が輝いた。
アルベルトが天井を仰いだ。
セドリックが口を押さえる。
国王は完全に停止している。
そしてシャルロットは真っ赤になった。
「……テオドール」
「はい」
「今の、もう一度言って」
「申し上げません」
「どうして?」
「一度で十分です」
「私はもう一度聞きたいわ」
「無理です」
「テオドール」
「無理です」
「好きな女性?」
「シャルロット」
「はい」
「これ以上は本当に勘弁してください」
リリアが机へ突っ伏した。
「テオが成長してる……!」
「リリアさん!」
「最初は手を繋ぐだけで止まってたのに!」
「過去を掘り返さないでください!」
国王が静かに手を挙げた。
「私も聞きたい」
「陛下まで何をおっしゃっているのですか!」
※
翌朝、第一大隊本部掲示板。
『副官殿・王女殿下交際に関する王宮協議、終了』
その下に、昨日決定した警護要領が簡潔に記載されている。
テオドールは確認し、頷いた。
まともだ。
今回は余計な追記もない。
「副官殿」
兵士がやってきた。
「何でしょう」
「昨日の王宮会議について、一点だけ確認が」
「答えられる範囲なら」
兵士は手帳を開いた。
「副官殿が会議中、『私が好きな女性との交際です』と発言されたという情報がありますが」
テオドールが止まった。
「……情報源は」
兵士が視線を逸らす。
廊下の向こう。
セドリックがいた。
目が合う。
「……あ」
逃げた。
「セドリック!」
「俺じゃない! 俺だけじゃない!」
「リリアさんもですか……」
「いい話だったから!」
「情報局員が私情を拡散しないでください!」
別方向から兵士が走ってくる。
「続報です!」
「要りません!」
「第三中隊ではすでに『副官殿、王女ではなく一人の女性として愛していると国王陛下の前で宣言』との認識が!」
「脚色されています!」
「第二中隊では『国家より愛を選ぶ』と!」
「反逆者にするな!」
アルベルトが執務室から出てくる。
「何の騒ぎだ」
「隊長! 情報統制を!」
「またか」
「またです!」
その後ろからリリアが顔を出した。
「テオ」
「今度は何です」
「かっこよかったよ」
「…………」
「シャル、すっごく嬉しそうだった」
テオドールは言葉に詰まった。
そこを突かれると弱い。
「……それなら」
眼鏡の位置を直す。
「まあ、いいです」
周囲が静まった。
アルベルトが副官を見る。
「いいのか」
「事実と異なる部分は訂正させます」
「そうか」
「ただ」
テオドールは小さく息を吐いた。
昨日のシャルロットの笑顔を思い出す。
「本人に伝わっているなら、それで十分です」
リリアがにやっと笑う。
「テオ、恋人っぽくなったね」
「放っておいてください」
「シャルロットって呼ぶのも自然になったし」
「リリアさん」
「次は愛称だね」
「それはありません」
「シャル?」
「ありません」
「ロッティ?」
「絶対にありません」
「シャルちゃん?」
「リリアさん!」
第一大隊本部に、副官の怒声が響いた。
※
同日午後。
王宮から新たな公文書が届いた。
テオドールは警戒しながら封を開く。
内容は一行だった。
『次回私的外出について、申請を承認する』
その下に、国王直筆で小さな追記がある。
『娘をよろしく頼む』
テオドールはしばらくその文字を見つめた。
それから静かに封書を畳む。
「……承知しました」
誰に聞かせるでもなく答えた。
机の上には、次の休日の予定表。
市場。
菓子店。
西区の噴水広場。
護衛二名。
帰還予定、午後六時。
国家から見れば、王女殿下の私的外出。
王宮から見れば、警護対象を伴う重要案件。
第一大隊から見れば、副官の恋愛という最高級の娯楽。
けれどテオドールにとっては、好きな女性と過ごす、ただの休日だった。
そして、その日の夕方、掲示板の隅に新たな紙が貼られた。
『次回デート――王宮承認済』
テオドールは無言で剥がした。
十分後には『次回デート――国家承認済』になって復活した。
もう一度剥がす。
昼には『副官殿の恋愛――国王陛下公認』へ進化していた。
「誰ですか!」
返事はない。
「出てきなさい!」
廊下の向こうからリリアの笑い声が聞こえた。
テオドールは額を押さえる。
王国軍第一大隊副官、テオドール・ハインツ大尉。
交際相手、シャルロット王女殿下。
両名の交際は極めて順調。
なお、当事者たちは最後まで否定しているが――
王国史上初めて、デートの行き先に王宮の決裁印が押された恋人たちとして、第一大隊では完全に国家案件扱いされている。
「だから国家案件ではありません!」
副官殿の訂正は、本日も誰にも聞き入れられなかった。




