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副官殿、無自覚に手を取ってしまったにつき。

王国軍第一大隊副官、テオドール・ハインツ大尉は、二度目のデート当日を迎えていた。

正確に言えば、本人は前日まで「これはデートではなく、休日の外出だ」と主張していた。


しかし、その主張を第一大隊本部の誰一人として受け入れてはいなかった。


「では副官殿、二度目のデート、ご武運を!」


「なぜ出陣扱いなのですか」


「頑張ってください!」


「何をです」


「せめて手くらい繋いできてくださいよ!」


「朝から何を言っているのですか!」


出発前、正門前で兵士三名に勝手に見送られた時点で、テオドールの機嫌はすでに少し悪かった。


「テオー!」


その背後から聞き覚えのある声がした。

振り向くと、リリアが満面の笑みで手を振っている。


「奥方様」


「はい!」


「今日は尾行禁止です」


「分かってるよ」


「本当に?」


「うん!」


「絶対に?」


「うん!」


「屋根の上から見るのも」


「しない」


「変装も」


「しない」


「ユリウス殿やセドリック殿を使うのも」


「しない!」


完璧な返事だった。


それがかえって怪しい。

テオドールは目を細めた。


「……では、なぜそこにアルベルト隊長がいるのですか」


リリアの後ろには、アルベルトが立っていた。

彼は額を押さえている。


「俺はこいつを見張っているだけだ」


「そうですか」


「信じろ」


「隊長だけは信じます」


「ひどい!」


「実績の差です」


リリアが頬を膨らませた。

テオドールは深く息を吐く。


今日は、普通の休日にする。


前回のように、国王や護衛、元暗殺者、王宮密偵に囲まれるような事態は避けたい。


何より、シャルロットともう少し落ち着いて話してみたかった。


そのことを自覚した瞬間だけ、本人の耳がわずかに赤くなった。



待ち合わせ場所に現れたシャルロットは、淡いクリーム色のワンピースを着ていた。


髪には小さな青いリボン。


前回より少し控えめでありながら、彼女らしい柔らかな装いだった。


「お待たせしました」


「いえ。私も今来たところです」


「嘘」


「……なぜ分かるのです」


「テオドールが待ち合わせ時間ちょうどに来るわけがないもの」


そう言われて、テオドールは黙った。


「何分前?」


「二十分です」


「やっぱり」


シャルロットが楽しそうに笑う。


「前回より十分短くなったわね」


「改善しました」


「改善なの?」


「はい」


真面目な顔で答えるので、シャルロットはまた笑った。

その笑顔を見るだけで、テオドールの肩から少し力が抜ける。


今日の目的地は、王都西区に新しくできた菓子店。

以前、彼自身が誘った場所だった。


「では、行きましょうか」


「ええ」


二人は並んで歩き出す。

その距離は、前回より少し近かった。



なお。

二人から七十メートル後方。


「前回より距離が近い」


「リリア」


「何?」


「帰るぞ」


「まだ何もしてない!」


「いる時点で駄目だ」


アルベルトが妻の腕を掴む。


「私は護衛です」


その隣でセドリックが堂々と言った。


「頼まれていないだろ」


「自主的な護衛です」


「それを尾行と言う」


「僕は偶然です」


ユリウスまでいた。


「お前も帰れ」


「今日は本当に偶然ですよ?」


「信じられる要素が一つもない」


「ひどいなあ」


「陛下は?」


アルベルトが低い声で尋ねる。

全員が黙った。


少し離れた果物屋の前で、大きな帽子を被った男性が、葡萄を一房ずつ真剣に見比べている。


「…………」


「…………」


「…………」


「……父親ですから」


セドリックが言った。


「お帰りいただけ!」


アルベルトの低い怒声が響いた。

果物屋の男がびくりと肩を揺らした。



当の二人は、その頃すでに人通りの多い通りへ差しかかっていた。

今日は市場の日だったらしく、通りには露店と客がひしめいている。


「すごい人ね」


「はぐれないようにしてください」


「子どもじゃないわ」


「そういう意味ではありません」


テオドールが言いかけた、その瞬間、荷車が横を通った。

人の流れが一気に動く。


「あっ」


シャルロットの体が、後ろから来た人波に押された。

テオドールは考えなかった。

反射だった。


「殿下」


手を伸ばす。シャルロットの手首を掴み、そのまま自分の方へ引き寄せた。


「こちらへ」


ぶつかりそうになった人を肩で避け、彼女を自分の隣へ移す。

それから、その手を離さないまま歩き出した。


「この先もしばらく人が多そうです。しばらく――」


そこで、テオドールは足を止めた。

自分の右手を見る。

そこには、シャルロットの左手がある。


正確に言えば、握っている。


「…………」


「…………」


二人とも立ち止まった。

周囲だけが流れていく。


「テオドール」


「……はい」


「手」


「……はい」


「繋いでいるわ」


「……そうですね」


分かっている。

今、理解した。

自分が王女殿下と手を繋いでいる。

しかも、自然に、ためらいなく。

自分から。


テオドールの思考が完全に停止した。

軍議であれば瞬時に三案を提示できる男が、今は何一つ思いつかない。


「離す?」


シャルロットが小さく尋ねる。


「……危険ですので」


「え?」


「人が多いので」


「うん」


「はぐれる可能性があります」


「うん」


「ですから」


テオドールは視線を逸らした。


「このままで」


シャルロットの頬が真っ赤になる。


「……分かった」


握られた指先に、少しだけ力が返ってきた。

それを感じた瞬間、テオドールの心臓が一度、大きく跳ねた。


彼は何も言わなかった。

口を開けば、声がおかしくなりそうだった。



「手!」


七十メートル後方でリリアが口を押さえた。


「繋いだ!」


「声!」


「テオから!」


「だから声を下げろ!」


アルベルトが必死に妻を押さえる。

ユリウスは楽しそうに笑っている。


「副官さん、やりますね」


「無自覚でしょうね」


セドリックは完全に観察者の顔をしていた。


一方果物屋の前では、国王が葡萄を握り潰した。


「…………」


店主が青ざめる。


「お客様、それは商品です」


「すまん」


国王は静かに代金を払った。



菓子店へ到着してからも、テオドールはどこか落ち着かなかった。


手は店に入る直前に離した。

離したはずなのに、指先にはまだ感触が残っている。


「テオドール」


「はい」


「聞いている?」


「もちろんです」


「今、三回呼んだわ」


「……申し訳ありません」


「珍しい」


シャルロットが笑う。


「今日はぼんやりしているわね」


「少し考え事を」


「仕事?」


「違います」


「では、何?」


「…………」


答えられない。

あなたと手を繋いだことです、などと言えるはずもない。


シャルロットはしばらく彼の顔を見つめたあと、くすりと笑った。


「もしかして、さっきのこと?」


「……何のことでしょう」


「手」


テオドールが紅茶を飲む動きを止めた。

あまりにも分かりやすい。


「やっぱり」


「…………」


「嫌だった?」


その問いに、テオドールはすぐに顔を上げた。


「いいえ」


返事が早すぎた。

シャルロットが少し目を丸くする。


「まったく」


テオドールは一度言葉を止める。

喉が妙に乾く。


「嫌では、ありませんでした」


それどころか、あのまま離さなければよかったと、少し思っている。

もう少し繋いでいたかったとさえ考えてしまっている。


「私も」


シャルロットが柔らかく笑う。


「嬉しかった」


また心臓が跳ねる。

今日はずっと、調子がおかしい。



その後、二人は菓子店を出て、近くの川沿いを歩いた。


夕方の風が少し冷たい。

シャルロットが腕を擦る。


「寒いですか」


「少しだけ」


テオドールは自分の上着を脱いだ。


「どうぞ」


「え、でも」


「私は平気です」


「本当に?」


「はい」


シャルロットの肩に上着をかける。

彼女は上着の襟をそっと掴んだ。


「……暖かい」


テオドールは何も言わず前を向いた。

耳だけが赤い。


「テオドール」


「はい」


「今日、すごく優しいわね」


「普段は違うと?」


「違わないけど」


シャルロットは少し考える。


「今日は、なんというか……私に近い感じがする」


「近い?」


「うん」


テオドールには、よく分からなかった。

だが嫌ではない。

むしろ、彼女との距離が以前より縮まっていることを、どこかで嬉しいと思っている自分がいる。

そのことだけは、もう否定しきれなくなり始めていた。



帰り道で、人通りの少ない橋の上、シャルロットが立ち止まった。


「今日はありがとう」


「こちらこそ」


「楽しかった?」


「はい」


「前回より?」


「……はい」


正直だった。

シャルロットの目が嬉しそうに細くなる。


「私も」


少しだけ沈黙が続く。

風が髪を揺らす。


「テオドール」


「はい」


「さっきの手」


「…………」


「もう人はいないけど」


「……そうですね」


「今なら、はぐれないわね」


「はい」


「じゃあ」


シャルロットが、おずおずと手を差し出す。


「もう一度、繋がない?」


テオドールは、その小さな手を見た。

理由がない、必要もない、護衛上の意味もない。

それなのに、手は動いた。


自然に。今度は反射ではなく、自分の意思で指を重ねる。


シャルロットが息を呑む。


「……これでよろしいですか」


「うん」


彼女は小さく笑った。


二人で歩き出す。

今度は、誰にも押されていない。

人混みでもない。

それでも、手は離れなかった。



「もう無理」


遠くの街路樹の陰で、リリアが泣いていた。


「尊い」


「何だ、その言葉は」


アルベルトが疲れた顔で言う。


「先輩、完全に親戚のお姉さんですね」


「違うよ、親友!」


「どちらでもいいから静かに」


セドリックが笑う。

ユリウスは、珍しく素直に感心していた。


「副官さん、本当に恋をしていますね」


「本人は認めないでしょうけど」


「時間の問題ですねえ」


「…………」


国王は少し離れた場所で無言だった。


「陛下?」


「……帰る」


一同が振り返る。


「よろしいので?」


「これ以上見る必要はない」


少し寂しそうな顔だった。

だが、怒ってはいなかった。


「……娘が幸せそうなら、それでいい」


セドリックが珍しく心から微笑んだ。


その直後。


「ただし、手を離すまで見届ける」


「帰らないのですか!」


アルベルトの声が響いた。


     ◇


その夜、第一大隊本部。


なぜかテオドールだけが執務室にいた。


休日だ。しかし、本人は家へ帰る気になれなかった。

机の前で、右手を見つめている。


「…………」


今日、自分はシャルロットの手を取った。


一度目は反射。

二度目は、自分から。


「……なぜ」


誰に聞くでもなく呟く。

嫌ではなかった。

むしろ、あのままもう少し歩きたかった。

もう少し、繋いでいたかった。


そこまで考えた瞬間、机へ突っ伏した。


「……何をしているんだ、私は」


戦場でも、ここまで動揺したことはない。


その時、扉が開いた。


「テオー!」


最悪のタイミングだった。


「奥方様」


「手を繋いだね!」


「…………」


テオドールがゆっくり顔を上げる。


「誰から聞いたのですか」


「見てた!」


「尾行禁止と言いましたよね!?」


「尾行じゃないよ!」


「では、何です!」


「偶然、同じ道を歩いていただけ!」


「七十メートル後ろを!?」


「うん!」


「それを尾行と言うのです!」


リリアが逃げる。

テオドールが追う。


「アルー! テオがまた怒った!」


「だから自業自得だ!」


夜の第一大隊本部に、また怒声が響いた。


そして、その十分後。


『テオがシャルと手を繋いだ! 二回!』


という情報が、リリアによって本部全体へ拡散された。



『祝・進展』


翌朝、テオドールの机にハートマークいっぱいの紙が置かれていた。


署名、四十三名。


「一人増えている……」


誰が増えたのか。

調べる気力はもうなかった。


ただ、引き出しを開ける。

シャルロットからもらった押し花の栞。


その隣に、昨日菓子店で彼女が選んでくれた小さな紅茶缶が置いてある。

テオドールはそれを見て、しばらく黙った。


やがて、ほんの少しだけ笑う。


「……次は、どこへ行こうか」


自分で口にしてから、固まった。


「…………」


数秒後、両手で顔を覆う。


「……重症だ」


 今度ばかりは、もう否定できそうになかった.

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