王女殿下、初デートが国家監視下につき。
王女シャルロットと、王国軍第一大隊副官テオドール・ハインツ大尉の初デート当日。
午前九時。
王都中央庭園の正門前に、テオドールは立っていた。
休日のため軍服ではない。濃紺のジャケットに白いシャツ、黒のスラックスという簡素な装いだったが、普段の軍服姿を見慣れている者からすれば、それだけで随分と印象が異なる。
「……早すぎたな」
待ち合わせは九時半だった。
軍人の習性。三十分前行動。
本人としては、ごく普通のつもりだった。
「テオドール?」
背後から声がした。
振り返ったテオドールは固まった。
「……殿下」
「おはようございます」
シャルロットもまた、普段とは異なる装いだった。
淡い水色のワンピース。金色の髪は半分だけ編み込まれ、白い小さな花が飾られている。
王女として公務に臨む際の華やかなドレスではなく、ごく普通の令嬢のような装いだった。
もっとも、ごく普通と言うには、顔立ちが目立ちすぎる。
「早いのですね」
「殿下こそ」
「緊張して、早く目が覚めてしまって……」
言ってから、シャルロットは自分の失言に気づいた。
「ち、違うの! デートだから緊張したという意味ではなくて!」
「……デートではないのですか?」
「え?」
テオドールが視線を逸らす。
「先日、そのようにおっしゃっていたので」
「…………」
シャルロットの頬が一気に赤くなった。
「デート……です」
「では、間違ってはいないのでは」
「そうだけど!」
開始三分。
王女の心拍数は、すでに限界へ近づいていた。
※
その二人からおよそ四十メートル後方。
「始まった」
植え込みから紫色の瞳が覗いていた。
「リリア」
「しっ」
「帰るぞ」
「やだ」
アルベルトは額を押さえた。
今日の彼の任務は、妻を連れ帰ること。以上。
本来ならば、それだけだった。
「先輩、もう少し右へ寄ってください。見えません」
「ユリウス、お前はなぜいる」
「暇だったので」
「帰れ」
「嫌です」
「静かに。気づかれますよ」
隣の木陰からセドリックが顔を出す。
「お前もだ!」
「私は王宮からの依頼を受けています」
「何の依頼だ」
「護衛です」
「王宮警備隊はどうした!」
「いますよ」
「どこに!?」
セドリックが目だけで向こうを示した。
庭師。
新聞を読む老人。
花壇を眺める青年。
三人とも王宮警備隊だった。
「…………」
アルベルトは天を仰いだ。
多い。明らかに多すぎる。
「ちなみに」
セドリックが続ける。
「陛下もいらっしゃいます」
「は?」
「あそこです」
ベンチで帽子を深く被り、新聞で顔を隠した男が座っている。
「…………何をなさっているのですか、陛下は」
「父親ですから」
「国王だろう!!」
「アル、声!」
リリアにたしなめられた。
アルベルトは本気で帰りたくなった。
※
当の二人は、そんな国家規模の監視体制など知る由もない。
「これです」
庭園の奥。
シャルロットが嬉しそうに示した先には、淡い紫色の花が一面に咲いていた。
「北方から移植された花なの。王都では珍しいのよ」
「確かに、見たことがありません」
「でしょう?」
シャルロットが笑う。
テオドールは花を見る。
それから、隣に立つ彼女を見る。
王宮や第一大隊本部で会うときとは違う。
よく笑う人なのだな、と初めて思った。
「テオドール?」
「……いえ」
「何?」
「楽しそうだと思いまして」
「私が?」
「はい」
シャルロットは少し照れたように笑った。
「楽しいわ」
「そうですか」
「あなたと来られたから」
テオドールの動きが止まった。
今までなら『光栄です』そう答えればよかった。
王女から臣下へ向けられた好意なら、それで済む。
だが、今日はデートだと自分で認めてしまった。
「…………」
「テオドール?」
「……ありがとうございます」
結局、それしか言えなかった。
だが、耳が少し赤い。
シャルロットは気づいた。
四十メートル後方のリリアも気づいた。
「照れてる!」
「リリア、声」
「テオ、照れてるよ!」
「分かったから黙れ!」
「副官さん、意外と可愛いですね」
「ユリウスも黙れ」
「これは脈がありますねえ」
「セドリック、お前もだ!」
アルベルトだけがデートをしていないのに、誰より疲れていた。
※
二人は庭園内の小さなカフェへ入った。
「何になさいます?」
「これが食べたいわ」
シャルロットが指差したのは、季節限定の苺のタルトだった。
「甘いものがお好きなのですね」
「ええ。テオドールは?」
「特に嫌いなものはありません」
「それ、一番困る答えよ」
「そうでしょうか」
「好きなものは?」
「紅茶」
「食べ物は?」
「……パン」
「種類は?」
「食べられれば」
「軍人すぎるわ!」
シャルロットが笑う。
テオドールも小さく笑った。
「笑った!」
「先輩、押さないでください」
「見えない!」
「だから押さないでください」
窓の外で植え込みが大きく揺れた。
テオドールの笑みが消える。
「…………」
「どうしたの?」
「いえ」
窓を見る。
植え込みはもう静止している。
テオドールの目が細くなった。
「気のせいでしょうか」
外では全員が息を止めていた、が。
「くしゅん!」
リリアがくしゃみをした。
「…………」
テオドールが立ち上がる。
「少し失礼します」
「え?」
シャルロットはきょとんとテオドールを見上げる。
「撤退!」
アルベルトが即断した。
「散開!」
なぜかリリアが指揮を執る。
元暗殺者二名が左右へ消え、セドリックは自然な足取りで通行人へ擬態する。
アルベルトだけが取り残された。
「待て!!」
テオドールが店から出てくる。
目が合った。
「…………」
「…………」
上官と副官。
休日。
庭園。
植え込みの前。
「隊長」
「……テオドール」
「何をなさっているのですか」
「散歩だ」
「…………」
「…………」
「そうですか」
「信じていないな」
「はい」
即答だった。
アルベルトは眉間に深いシワを寄せて歯を食いしばった。
※
「リリアがいるのでしょう?」
カフェへ戻ったテオドールから事情を聞き、シャルロットは呆れたようにため息をついた。
「おそらく」
「もう……」
怒っているようでいて、その顔には少し笑みがある。
「心配してくれているのは分かるけれど」
「心配の仕方に問題があります」
「それは私も同意するわ」
二人の意見が、初めて完全に一致した。
その後、庭園を出て王都の通りを歩き、小さな書店へ立ち寄った。
シャルロットが本を選ぶ。
テオドールも軍事書ではなく、珍しく旅行記を一冊手に取った。
「旅行がお好きなの?」
「いえ。ほとんど行ったことがありません」
「そうなの?」
「休暇を取る機会があまりなく」
「取らないだけでしょう?」
「…………」
「当たった」
シャルロットが笑う。
「今度、一緒に行きましょうか」
「旅行へ?」
「ええ」
「……今度?」
テオドールが聞き返す。
シャルロットは、そこで気づいた。
今度。
つまり、次も会いたいと言ったのだ。
「あ、その……」
頬が赤くなる。
だが、今度は逃げなかった。
「また、あなたと出かけたいという意味よ」
テオドールは黙った。
シャルロットは勇気を振り絞って彼を見る。
「迷惑?」
「いえ」
返事はすぐだった。
「私も」
そこで一度、言葉を止める。
仕事の報告なら迷わない男が、たった一言に妙に時間をかける。
「……また、お会いしたいと思っています」
シャルロットの顔が輝いた。
「本当?」
「はい」
「では、約束よ!」
「ええ」
本棚の向こうから、すすり泣く声がした。
「よかったぁ……」
「…………」
「…………」
二人とも動きを止めた。
テオドールが本棚の向こうへ回る。
「リリア」
「おめでとう、シャル!」
「なんでいるの!?」
「見守ってた!」
「見守らなくていいのよ!」
さらにその背後。
「先輩、だから声が大きいですって」
「ユリウス!」
「いやあ、青春ですね」
「セドリック!」
「リリア! 今度こそ帰るぞ!」
「アルベルトまで!?」
そして少し離れた棚の陰から、新聞が見えた。
シャルロットの笑顔が消える。
「…………お父様?」
新聞が震えた。
「…………」
「お父様」
「人違いだ」
「声がお父様なのよ!!」
書店中に王女の叫びが響き渡った。
※
「全員、並んで」
店の外に出て、シャルロットが笑顔で言った。
可憐な笑顔だった。だが目は笑っていない。
リリア、ユリウス、セドリック、アルベルト、国王。
なぜか王宮警備隊三名まで並んでいる。
「……八人」
テオドールが呟いた。
初デートの尾行人数、八名。
「国家機密でも運んでいたのでしょうか、私は」
「違うの、テオ」
リリアが説明する。
「シャルが心配で」
「私は?」
「テオなら大丈夫かなって」
「では、私は何のために監視されていたのですか」
「シャルをきちんとエスコートできるか確認?」
「奥方様」
「はい」
「今後、私の休日には近づかないでください」
「そんな!」
国王が咳払いをする。
「まあ待て、ハインツ大尉。娘の父親としてだな」
「お父様は黙って!」
「シャルロット!?」
「初デートについてくる父親がどこにいるの!」
「ここにいる!」
「威張らないで!!」
アルベルトは頭を抱えた。
セドリックは笑っている。
ユリウスは「次はもっと上手く尾行します」と反省点を口にし、テオドールから「次はない」と即答された。
騒がしい。
本当に騒がしい。
「テオドール」
隣から呼ばれ、テオドールが振り向く。
シャルロットが少し困ったように、それでも楽しそうに笑っていた。
「今日はありがとう」
「……こちらこそ」
「楽しかった?」
一瞬だけ考える。
背後では国王と娘が揉め、リリアがアルベルトから逃げ、ユリウスがそれを煽り、セドリックは完全に見物へ回っている。
静かな休日とは程遠かった。
それでもテオドールは小さく笑った。
「はい、とても」
シャルロットも笑った。
「では、またね」
「ええ。また」
二人の間に、次の約束が残る。
その様子を見たリリアが感極まったように両手を握り締めた。
「アル! 次のデートも」
「尾行しない」
「まだ何も言ってない!」
「尾行しない」
「変装なら?」
「しない」
「屋根から」
「しない!!」
王都の休日に、アルベルトの怒声が響いた。
※
翌朝、第一大隊本部へ登庁したテオドールの机には、一枚の紙が置かれていた。
『第二回デート成功大作戦』
「…………」
テオドールは無言でそれを持ち上げた。
背後からリリアが顔を覗かせる。
「今回は前より自然に」
両手で紙を持ち引き裂く。
「あっ!」
計画書が真っ二つになった。
「テオ!?」
「奥方様」
「はい」
「私の恋愛に関する作戦立案を全面的に禁止します」
「でも」
「禁止です」
「では、情報収集は?」
「禁止」
「では、護衛は?」
「禁止」
「尾行だけ」
「禁止」
リリアがしゅんとする。
テオドールは深く息を吐き、自分の椅子へ腰を下ろした。
机の端、昨日シャルロットが帰り際に渡してくれた小さな栞へ、ふと視線を落とす。
淡い紫色の花が押し花にされている。
口元がごくわずかに緩んだ。
「…………」
リリアの目が輝いた。
「今、笑った!」
「仕事をしてください」
「シャルのことを考えていたの?」
「奥方様」
「はい!」
「出ていってください」
「はーい!」
嬉しそうに走り去っていく背中を見送り、テオドールは額へ手を当てた。
副官とは、何だっただろう。
その疑問については、相変わらず答えが出ない。
ただ一つ。
次の休日が来ることを、以前より少しだけ楽しみにしている自分がいる。
その事実だけは、まだ誰にも知られたくなかった。




