王女殿下、恋愛作戦が暗殺者式につき。
王女シャルロットが王国軍第一大隊副官、テオドール・ハインツ大尉に一目惚れしてから、二日が経った。
王宮にあるシャルロットの私室では、国家の命運とは一切関係のない、しかし当事者にとっては極めて重大な会議が開催されていた。
「テオをデートに誘いたい?」
「声が大きい!」
向かいのソファに座るリリアへ身を乗り出し、シャルロットは慌ててその口を両手で塞いだ。
幸い、室内には二人しかいない。侍女も下がらせている。
もっとも、王女の私室で元暗殺者と二人きりになって恋愛相談をしているという状況そのものが、冷静に考えればかなり特殊なのだが、シャルロットはもはや気にしなくなっていた。
「だって……」
リリアの口から手を離し、シャルロットは膝の上で指を絡める。
「この前、王宮の庭園に珍しい花が咲いたってお話ししたでしょう?」
「うん」
「本当は、そのとき一緒に見に行きませんかって言いたかったの。でも、兵站部の方がいらして……」
「ああ、テオ連れてかれちゃったもんね」
「お仕事だから仕方ないわ」
そう言いながらも、シャルロットの肩がわずかに落ちる。
リリアはしばらく親友の横顔を眺めたあと、力強く頷いた。
「分かった」
「え?」
「私に任せて!」
シャルロットは、なぜか背筋に薄ら寒いものを感じた。
「……リリア?」
「絶対に二人きりにしてあげる!」
「待って。どうやって?」
「まず、テオの行動予定を調べる」
「どうして!?」
「二人きりにするなら必要だよ?」
リリアは心底不思議そうだった。
「普段どの廊下を通るか、何時に休憩するか、どの扉を使うか、護衛――はいないから、周囲の兵士が少なくなる時間帯も確認して」
「待って待って待って」
「大丈夫。半日あれば全部分かるから」
「そういう問題ではないの!」
シャルロットは頭を抱えた。
相談相手を間違えたかもしれない。
今さらながら、そんな疑念が浮かんだ。
※
翌朝、第一大隊本部。
「……奥方様」
「なに?」
「そこで何を?」
「別に?」
廊下の梁の上から答えるリリアを見上げ、テオドールは無言になった。
高さ、およそ四メートル。
どうやって上がったのかは聞かない。
聞けば余計に疲れることを、この三年間で学んでいる。
「降りてください」
「どうして?」
「そこは人間がいる場所ではありません」
「でも、ここからだとテオの動きがよく見えるよ」
「なぜ私の動きを観察しているのですか」
「…………」
リリアが目を逸らした。
テオドールの眉間に皺が寄る。
「奥方様」
「秘密」
「降りてください」
「はーい」
リリアは梁から飛び降りた。
「普通に降りてください!」
着地したリリアは首を傾げる。
「普通に降りたよ?」
「階段を使ってください!」
そこへ、訓練場から戻ってきたアルベルトが通りかかった。
「何をしている」
「アル!」
リリアが嬉しそうに振り返る。
「テオの行動調査!」
「なぜだ」
「秘密!」
アルベルトが妻を見る。
次に副官を見る。
テオドールも上官を見る。
二人の間に、言葉のいらない意思疎通が成立した。
嫌な予感がする。
奇しくも、完全に同意見だった。
※
「で、調査結果です」
昼休み。
なぜか第一大隊の談話室には、リリア、シャルロット、ユリウス、セドリックが集まっていた。
テーブルには一枚の紙が広げられている。
『テオ行動表』
午前七時四十分、登庁。
七時四十五分、執務室。
九時十分、第一会議室。
十一時二十分、兵站部。
十二時十五分、昼食。
十二時三十分、執務再開。
「……リリア」
シャルロットの声が震える。
「これは?」
「テオの一日の行動」
「そうではなくて、どうしてこんなに詳しいの?」
「調べたから」
「どうやって?」
「尾行」
「やっぱり!!」
シャルロットが頭を抱えた。
ユリウスは感心したように紙を覗き込んでいる。
「さすが先輩。休憩時間の誤差まで三分以内ですね」
「でしょ?」
「褒めないで!」
一方、セドリックは顎へ指を添えた。
「ですが、情報としては有用ですね」
「セドリックまで!?」
「十二時十五分から三十分。この十五分なら副官殿の予定が空いています」
「十五分でデートなんてできないわよ!」
「では、午後の予定を消しましょう」
「どうやって?」
シャルロットが恐る恐る尋ねる。
リリアとユリウスが同時に口を開いた。
「書類を盗む」
「担当者を眠らせる」
「却下!!」
王女の叫びが響いた。
セドリックが紅茶を飲みながら微笑む。
「では、最も簡単なのは副官殿本人を連れ出すことでしょうね」
「どうやって?」
「誘拐?」
リリアの紫の瞳が輝いた。
「なぜ嬉しそうなの!?」
「得意だから!」
「知ってるわよ!!」
※
その日の午後。
「隊長」
「なんだ」
「奥方様が私を狙っています」
アルベルトのペンが止まった。
執務机の前に立つテオドールは、至って真顔である。
「……詳しく話せ」
「朝から行動を監視されています。先ほど兵士から、奥方様が私の昼食時間、会議予定、退庁時刻を聞いて回っていたとの報告もありました」
「…………」
「加えて先ほど、廊下でユリウス殿と遭遇しました」
「何をしていた」
「私の背後を取ろうとしていました」
アルベルトが額を押さえる。
「捕まえたのか」
「はい」
「何と言っていた」
「『さすが副官さんですね』と」
「……それだけか」
「そのあと『本番はもう少し本気でやります』と」
アルベルトが立ち上がった。
「リリアァ!!」
「隊長」
テオドールが静かに制する。
「十秒です」
「今はそれを言っている場合か!!」
だが、アルベルトも分かっていた。
妻が副官を本気で害することなど絶対にない。
だからこそ怖い。
善意百パーセントで何かを企んでいるときのリリアは、悪意ある敵より遥かに止めにくい。
※
翌日、午後四時。
テオドールは異変に気づいた。
静かすぎる。
第一大隊本部の廊下に、誰もいない。
「…………」
右を見る。
いない。
左を見る。
いない。
曲がり角にもいない。
兵士が一人も、いない。
「おかしい」
副官の危機察知能力が最大警報を鳴らした。
引き返そうとした、その瞬間、背後で扉が閉まった。
がちゃりと鍵が掛かる。
「……」
テオドールは静かに振り返った。
正面には中庭へ続く扉。
背後は施錠済み。
左右の通路も、なぜか衝立で塞がれている。
「……奥方様」
返事はない。
「いらっしゃるのでしょう」
沈黙。
「三秒以内に出てこなければ、隊長へ報告します」
「待って!」
天井から声がした。
「なぜ天井にいるんですか!!」
換気口からリリアの顔が覗いている。
「テオ、前に進んで」
「嫌です」
「お願い!」
「まず状況を説明してください」
「いいから!」
「嫌です」
「シャルが待ってるの!」
テオドールが止まった。
「……殿下が?」
「あ」
リリアも止まった。
言ってしまった。
数秒の沈黙。
「…………」
「…………」
「奥方様」
「はい」
「説明を」
「……デート」
「はい?」
「シャルがテオとデートしたいの!」
沈黙。
別の換気口からユリウスの声がした。
「先輩、全部言っちゃ駄目じゃないですか」
「うるさいな!」
「お前も天井にいるのか!!」
テオドールの声が廊下へ響いた。
※
中庭にて、シャルロットは一人、ベンチの前で待っていた。
王宮から持ってきたらしい小さな籠と、薄紫色の花が咲く鉢植え。
「……来ない」
やはり無理だったのだろうか。
リリアに任せた時点で、薄々そんな気はしていた。
「普通に誘えばよかった……」
「私もそう思います」
「ひゃあ!?」
振り返る。
そこにテオドールが立っていた。
「テ、テオドール!?」
「はい」
「どうして……」
「奥方様に監禁されました」
「ごめんなさい!!」
シャルロットが勢いよく頭を下げた。
「違うの! 私は普通に誘いたかったのよ! でもリリアが『任せて』って言うから!」
「……なるほど」
「本当にごめんなさい」
しゅんと肩を落とすシャルロットを見て、テオドールはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「殿下」
「はい……」
「庭園の花を見に行くお話でしたね」
シャルロットが顔を上げた。
「……覚えていたの?」
「もちろんです」
あまりにも自然な返事だった。
シャルロットの頬が赤くなる。
「でしたら」
テオドールは少しだけ微笑んだ。
「次の休日はいかがでしょう」
「…………え?」
「私も、その花を拝見したいと思っていましたので」
シャルロットが固まった。
「……デート?」
「はい?」
「それ、デート?」
テオドールも固まった。
「…………」
「…………」
初めて。
本当に初めて、テオドール・ハインツ大尉の顔に、明確な動揺が浮かんだ。
「……まあ」
視線を逸らす。
「殿下がお望みでしたら、そのように考えていただいても」
「行きます!!」
即答だった。
その瞬間、中庭の植え込みが揺れた。
「やったぁ!」
リリアが飛び出した。
「先輩、今出たら駄目でしょう」
ユリウスも出てきた。
「いやあ、これは面白い」
セドリックまで出てきた。
「お前たち……」
テオドールのこめかみに青筋が浮かぶ。
「リリアァァァ!!」
さらに遠くからアルベルトが走ってきた。
「なぜ副官を監禁した!!」
「だって二人きりにしたかったから!」
「方法を選べ!!」
「結果的にうまくいったよ?」
「結果の話をしているんじゃない!!」
「アル、十秒!」
「今それを言うな!!」
シャルロットは真っ赤な顔を両手で覆った。
ユリウスは笑い、セドリックは拍手している。
そしてテオドールは騒ぎの中心で静かに天を仰いだ。
副官とは何だっただろう。
最近、本当に分からなくなってきた。
※
なおその日の夕方、国王の机には一枚の報告書が置かれた。
『シャルロット王女殿下、テオドール・ハインツ大尉との休日外出予定あり』
国王は三十秒ほど無言でそれを見つめたあと、静かに立ち上がった。
「……第一大隊へ行く」
「陛下」
侍従長が止める。
「なぜだ」
「視察だ」
「昨日も視察なさいました」
「今日は別件だ!」
「それを視察とは申しません」
国王は黙った。
「…………」
「…………」
「では、父親として」
「なおさらお座りください」
国王は座った。
※
第一大隊本部では、リリアが次なる計画書を書いていた。
『初デート成功大作戦』
第一項。
『念のため護衛する。見つからないように』
それを見つけたアルベルトが、無言で紙を取り上げた。
「だめ?」
「駄目だ」
「でも心配」
「駄目だ」
「屋根の上からなら」
「駄目だ」
「変装して」
「駄目だ!!」
こうして、王女と副官の初デートが決定したその日、第一大隊では同時に、元暗殺者による初デート潜入計画を阻止するための新たな戦いが始まった。
なお、当事者二名はまだ知らない。
王都の庭園において、彼らの初デートを見守る予定の人間が、すでに六名を超えていることを。




