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第9話 愛してるから、逃げられなくしてあげる。

夕暮れの光が、部屋の中をやわらかく染めていた。


 食卓には、湯気の立つ白ご飯。


 味噌汁。


 揚げたての唐揚げ。


 彩りの良いサラダ。


 どこにでもある、温かな夕食。


「「いただきます」」


 二人は手を合わせ、静かに箸を取った。


 しばらくは、食器の触れ合う音だけが響く。


「……おいしいね」


 正人がそう言うと、刹那は小さくうなずいた。


「うん」


 それだけだった。


 言葉は続かない。


 無理もない。


 昼間、あれだけの出来事があったのだ。


 何事もなかったように笑い合えるほど、二人とも器用ではない。


 重たい沈黙。


 その空気を破ったのは、刹那だった。


「ねえ」


 箸を置き、正人をまっすぐ見る。


「家族って、いいと思わない?」


「……え?」


 突然の言葉に、正人は目を丸くした。


「私は考えたの」


 刹那は静かな声で続ける。


「私がこの姿でいられる条件。あなたのそばにいること。護符で守られた空間にいること」


「……うん」


「だったら、もっと確かな繋がりがあればいい」


 正人は意味を測りかねて黙り込む。


 刹那は少しだけ笑った。


「簡単に言えば――あなたに、どこにも行ってほしくないの」


 その言葉は冗談めいていた。


 けれど、瞳だけは真剣だった。


「俺は、そんな簡単にいなくならないよ」


「そう思いたいわ」


 刹那は味噌汁の椀を見つめる。


「でも、人の心は変わるでしょう?」


「昨日好きだったものを、今日は嫌いになることだってある」


「私は……それが怖いの」


 正人は返す言葉を失った。


 彼女の不安は、ただのわがままではない。


 長い孤独と、裏切りの記憶から来るものだと分かってしまったからだ。


「そんなことしないよ」


 ようやく絞り出した言葉。


 刹那は少しだけ微笑んだ。


「ありがとう」


「でも、私は疑り深いの」


 その笑みの奥に、どこか危うい影が差す。


「あなたがいつか、他の誰かを好きになるんじゃないかって」


「そんな未来、想像したくもないわ」


「刹那……」


「安心して」


 彼女はすぐに明るい声へ戻った。


「今すぐ答えを出せって話じゃないもの」


「ゆっくり考えてくれればいいわ」


 そうして、また唐揚げを一つ口に運ぶ。


 さっきまでの重たい空気が、少しだけ和らいだ。


    ◇


 食事を終え、食器を片づけたあと。


「先にお風呂入ってくるよ」


 正人が立ち上がる。


「今日は一人でゆっくり浸かりたいかな……」


「そう」


 刹那は素直にうなずいた。


「じゃあ、私は待ってるわ」


 その意味深な言い方に、正人の顔が一気に赤くなる。


「な、何を待つんだよ……」


「さあ?」


 くすっと笑う刹那。


 正人は落ち着かない様子で浴室へ向かった。


 その背中を見送りながら、刹那は一人、ソファへ腰を下ろす。


(正人は優しい)


(きっと簡単には裏切らない)


(……でも、それだけじゃ足りない)


 指先でカップの縁をなぞる。


(私は、もう失いたくない)


(この居場所も、この温かさも)


 ゆっくりと口角が上がる。


(だったら――もっと離れられなくすればいい)


 静かな部屋で、刹那だけが微笑んでいた。





☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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