表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/33

第8話 人を刺した彼女が、帰宅後いつも通り夕飯を作っている。

 逃げるように、二人はマンションへ戻った。


 刹那に手を引かれ、正人はただ走るしかなかった。


 背後では、車の防犯ブザー。


 砕けたガラス。


 血の匂い。


 腹に刀を刺された女の顔。


 あれが現実だったのか、まだ脳が判断できない。


 階段を上がり、玄関へ飛び込む。


 ドアを閉めた瞬間、ようやく世界の音が遠のいた。



    

 正人の頭の中では、いくつもの疑問が渦を巻いていた。


 何が起きた?


 あの地下の売店は何だった?


 狼の獣人は?


 あの女は本当に死んだのか?


 警察へ行くべきじゃないのか。


 そもそも――


 刹那は、本当に人間なのか。


 玄関先で、正人は震える手で小さな刹那を床へ置く。


 護符の気配が揺れ、光が弾けた。


 次の瞬間、等身大の刹那がそこに立っていた。


 セーラー服の裾を整え、乱れた髪を耳へかける。


 さっきまで人を斬っていた女とは思えないほど、いつも通りの仕草だった。



 無言。


 互いに何も言えず、数秒が過ぎる。


 先に口を開いたのは刹那だった。


「……いろいろ、聞きたいこと。あるのでしょう?」


「……うん」


「そうね」


 刹那は小さく息をつく。


「何か飲みながら話しましょうか」



    ◇


 数分後。


 テーブルの上に、コーヒーの香りが漂っていた。


 さっきまで修羅場だったとは思えない、いつもの部屋。


 正人と刹那が向かい合って座る。


 だが空気だけが、張りつめていた。


「さて……何から話したらいいかしら」


 刹那が視線を落とす。


 正人は迷った末、真正面から切り込んだ。


「……あの人、殺したの?」


 刹那は一度、顔を背けた。


 考えるように沈黙し、やがて小さくため息をつく。


「話し合いをしていたの」


「でも、襲われた」


「向こうから切りかかってきたわ」


「……やむなく応戦したの」


 半分だけ、本当。


 そんな声音だった。


「でも、あの刀……君のだったよね?」


 正人の声は震えていた。


「そうね」


 悪びれもせず、刹那は答える。


「信じてほしいの。私は、話し合いで解決したかった」


 微笑んでいる。


 けれど、その瞳の底にはまだ消えていない殺意が揺れていた。


「警察に行こう!」


 思わず立ち上がる正人。


 すると刹那は、鼻で笑った。


「警察に、何を持っていくの?」


「え?」


「このフィギュアが人を殺しましたって?」


「うっ……」


 言葉に詰まる。


 そうだ。


 刹那は、本来“フィギュア”なのだ。


「それにね」


 刹那はコーヒーを一口飲む。


「あの女も、売店の男も、この世界の人間じゃない」


「死体も、もうないわ」


「消えてる」


「警察が介入する余地なんてないの。せいぜい、車が壊れた事故扱いよ」


 沈黙。


 正人は喉を鳴らした。


 怖い。


 知らない世界が、目の前にある。


 それでも聞かずにいられなかった。


「あのさ……そもそも刹那って、人間なの?」


 刹那は肩をすくめた。


 首を傾げる。


 口元だけが笑う。


「人間の定義によるけれど……まあ、人間ね」


「元々は、この世界の人間だし」


「だったら、なんで……フィギュアに?」


 その瞬間、空気が変わった。


 刹那の笑みが消える。


 沈黙。


「……聞かないほうがいい」



 再び沈黙。


 やがて、彼女はゆっくり口を開いた。


「罠に嵌められたの」


「人形にされた」


「傀儡使い――アルケミストって呼ばれてるやつに」


 その声は低かった。


「錬金術師なんて可愛いものじゃない」


「邪法使いよ」


「私は、そいつを探してる」


 正人は息を呑む。


「……危険な相手なんだろ?」


「死ぬかもしれない」



「そうね」


 刹那は笑った。


「でも私は、話し合いで解決したいの」


 その目には、また殺意が灯っていた。


 冗談にもなっていない。


「このまま、ここで暮らせばいいじゃないか」


 正人が絞り出すように言う。



 刹那は目を閉じた。



 長い沈黙。


 そして、重い口が開く。


「何もない」


「誰もいない」


「声すら上げられない」


「真っ暗な段ボール箱の中」


 正人の背筋が凍る。


「そこに閉じ込められて……何日耐えられる?」


 刹那は正人を見た。


「私は、一年いた」


 コーヒーの湯気だけが揺れる。


「それからショーケース」


「誰も見向きもしない」


「ある日、“特価”って貼られた」


 ふっと、乾いた息を吐く。


「千円」


「隣のビキニ女は二万だったのに」


 ちらりと部屋の棚を見る。


「その子、まだこの部屋にいるわよね?」


 少しだけ、正人を睨む。


 正人は言葉を失った。


 刹那はすぐに視線を外した。


「……まあ、いいわ」


 諦めたように呟く。


「でも、元に戻りたい」


「このままじゃ、じり貧だもの」


「なのに、手がかりは消えた」


 俯く刹那。


 その姿は、今にも壊れそうだった。


「……まだ、何か聞きたい?」


 正人は拳を握る。


 なにか隠している。


 嘘も混じっている。


 でも――これ以上踏み込めば、彼女は閉じてしまう。


「……いや、いいよ」


 刹那は顔を上げ、いつもの笑顔を作った。


「じゃあ、ご飯でも作るわ」


「お腹、空いたでしょう?」


 立ち上がり、鼻歌まじりでキッチンへ向かう。


 さっき人を斬ってきた女とは思えないほど、あっけらかんとして。


 正人は、その背中を見つめたまま動けなかった。


 この女を信じていいのか。


 それとも、もう手遅れなのか。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ