最終話 雨の終幕――奪われた初恋と、最後に選ばれた姉
窓の外は雨だった。
静かに。
冷たく。
まるで世界そのものが、泣いているみたいに。
常夜は、
大広間の窓辺に立ち、その雨を見つめていた。
黒髪が揺れる。
白い指先が、静かにガラスへ触れる。
――今でも思い出す。
血。
泥。
焼ける肉の臭い。
崩れていく身体。
遠のいていく意識。
あの日も、こんな雨だった。
視界の向こう。
暗闇の中に、
一人の少女がいた。
ゴシック調のドレス。
小さな身体。
幼い顔立ち。
なのに。
その笑みだけが、人間じゃなかった。
優しく。
甘く。
蠱惑的に。
そして、どこまでも邪悪に。
少女は、
にたりと口角を上げた。
『鍵と男は私のもの』
ぞくり、と背筋が震える。
『そうでしょう?』
それは悪意じゃない。
もっと深い。
他人の人生を壊すことすら、
心から愛しているような愉悦。
あらゆる邪心を煮詰めたみたいな笑顔だった。
――あの日から、
全部狂った。
◆
大広間。
燭台の炎が揺れる。
革張りの椅子に座った常夜は、
静かに脚を組んでいた。
ギィ……。
巨大な扉が開く。
その先にいたのは。
刹那。
そして、
正人。
常夜は、
小さく笑った。
「……来たのね」
「こんなとこに一人で住んでるの?」
刹那が鼻で笑う。
「相変わらず辛気臭い女」
「根暗って、ここまで来ると才能よね」
「そうかしら?」
常夜は動じない。
けれど。
その瞳だけは、
刹那をまっすぐ射抜いていた。
「鍵と男は、ちゃんと連れてきたみたいね」
静かな声。
だが、
そこには狂気じみた執着が滲んでいた。
「私の鍵と男」
念を押すように。
所有物を確認するみたいに。
「違うわ」
即座に刹那が返す。
「私の男と鍵よ」
そう言って。
刹那は、
正人の指へ自分の指を絡めた。
恋人繋ぎ。
ぎゅっと。
強く。
「間違えないで」
「これからも、ずっとね」
不敵な笑み。
一瞬。
常夜の表情が歪んだ。
本当に一瞬だけ。
けれど確かに、
傷ついた顔だった。
「……ふん」
常夜は立ち上がる。
ため息。
「仕方ないわね」
「そうね」
刹那も笑う。
次の瞬間。
常夜が片手をかざした。
空間が歪む。
銀色の日本刀が、
ゆっくり顕現する。
シャァァァァ――……
鞘走りの音が、広間に響いた。
冷たい。
美しい。
死そのものみたいな刀身。
常夜は、切っ先を床へ向ける。
刹那もまた、刀を抜いた。
二人は、鏡みたいだった。
「正人」
常夜が呼ぶ。
「ここまで来たら、もうあんたの気持ちなんて関係ない」
「でも、一応聞いてあげる」
その瞳が、
まっすぐ正人を見る。
「私と刹那」
「どっちを選ぶの?」
沈黙。
胸が痛む。
脳裏に浮かぶのは、
刹那との日々。
食卓。
くだらない会話。
触れた指。
雨の帰り道。
そして。
常夜。
逃避行。
血まみれの笑顔。
自分を守って死にかけた少女。
救えなかった後悔。
愛情。
罪悪感。
全部が、胸の中でぐちゃぐちゃに絡み合う。
正人は、ぎゅっと目を閉じた。
そして。
「……刹那」
刹那の肩が震える。
「残念だけど」
正人は、常夜を見た。
「今の君は、昔の……好きだった常夜じゃない」
「感情に流されないところはあった」
「でも、冷酷じゃなかった」
沈黙。
長い沈黙。
やがて。
刹那が、勝ち誇ったように笑う。
「聞いた?」
「フラレたんだから、諦めなさいよ」
常夜の眉が、ぴくりと動いた。
だが。
次の瞬間。
にやり、と笑う。
「……刹那」
「いいこと教えてあげる」
「何よ」
「正人の初めての女、私なの」
「…………は?」
刹那が凍る。
ゆっくり、正人を振り返る。
正人は、
ものすごく気まずそうに頬を掻いた。
「いや……その……」
「うっわ最低!!」
「なんで否定しないのよ!!」
常夜が、くすくす笑う。
「残念ねぇ」
「勝った気になってたのに」
「っ……!!」
刹那が顔を真っ赤にする。
「それがなんだってのよ!!」
「あんたはトロフィーよ」
刹那が正人を指差す。
「そこで大人しく見てなさい」
「私が持って帰るから」
「私でしょ」
常夜が刀を構える。
「いいわ」
刹那が笑う。
「殺りましょうか」
「セーラー服と」
「ブレザーが」
「「どっちが鍵と男を手にするかを!!」」
同時だった。
踏み込み。
斬撃。
火花。
轟音。
二振りの刀が激突する。
一閃。
二閃。
三閃。
銀光が空間を裂く。
次の瞬間。
常夜が消えた。
「っ!?」
背後。
殺気。
刹那が躱す。
肩口が裂け、血が舞った。
「遅い」
常夜の囁き。
再び激突。
鍔迫り合い。
「しつこい女は嫌われるわよ!!」
刹那が叫ぶ。
「心変わりなんて、よくあるでしょ?」
「私で童貞捨てたのよ」
「うるさいっ!!」
刹那が本気でキレた。
そして。
空間転移。
「しまっ――」
常夜が、
刹那の真正面へ強制転移。
だが。
刹那の刀は、すでに振り下ろされていた。
轟ッ!!
掌から、血の鍵が凝結する。
獄炎。
赤黒い炎が刀を包む。
常夜も炎を纏う。
紅蓮の炎。
二つの地獄が激突した。
そして。
同時に振り抜く。
静寂。
数秒後。
常夜の身体が崩れた。
「……はは」
血を吐きながら、常夜が笑う。
「最後、鍵の力とか……卑怯じゃない」
仰向けになる。
雨音だけが響く。
「……いいわ」
「あんたたち、お似合いよ」
「浮気者と泥棒猫」
「最悪……」
涙が、頬を伝う。
「私、あんなに頑張ったのに」
「命までかけたのに」
「最後、姉さんに取られちゃった」
正人の胸が、
痛いほど締め付けられる。
「あんたたち、ろくな死に方できないわよ」
少しの沈黙。
やがて。
常夜が、静かに笑った。
「刹那」
「呪いは解かない」
「せいぜい、狭い世界で生きることね」
「……いい気味」
そして。
「先に地獄で待ってる」
正人を見る。
刹那を見る。
「……幸せにね」
そのまま。
常夜は、静かに目を閉じた。
沈黙。
刹那も。
正人も。
動けなかった。
やがて。
正人は、刹那を抱き寄せる。
「……常夜」
声が震える。
「君の言う通りだ」
「俺、たぶん地獄行きだ」
刹那を強く抱き締める。
「でも」
「刹那だけは、地獄に行かせない」
その瞬間。
正人は崩れ落ちた。
「ごめん……」
「ごめん……」
顔を覆い。
震えながら。
泣き続けた。
◆
その頃。
真っ黒なドーム。
巨大な柱。
宙に浮かぶ無数のモニター。
その中央で。
ゴシックロリータの少女が、
にたりと笑う。
醜悪に。
心底嬉しそうに。
「――最高だわ」
こうして。
長い復讐劇は、終わりを告げた。




