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第78話 雨の終着点――鍵を抱く僕と、世界を壊す二人の少女

 夕食のあとだった。


 窓の外では、

 まだ雨が降っている。


 一定のリズムで、

 ぱらぱらと窓ガラスを叩いていた。


 部屋の空気は重い。


 唐揚げの匂いも、

 ビールの缶も、

 テレビの音もない。


 ただ、

 沈黙だけがそこにあった。


 その沈黙の中心で――


 パンチパーマのおばさんが、

 煙草をふかしていた。


 紫煙がゆっくり天井へ昇る。


 片手にはコップ酒。


 どこからどう見ても、

 場末のスナックのママだった。


 だが。


 この女こそが、

 成川家の“根幹”。


 戮子りくこ


 鍵を知る女。


 血と肉と骨、

 すべての始まりを知る存在だった。


「……そうかい」


 煙を吐く。


「で、どうするね」


 対面。


 正人と刹那が並んで座っていた。


 刹那は俯いている。


 ソファでは、

 ジャックとエリュアールが息を呑んでいた。


「こっちへ来るなら、

 傀儡化は完全に切れる」


 戮子が窓の外を見る。


「こっちの土地は、

 あの女も干渉しにくい」


「……でも」


 正人が言葉を詰まらせる。


「でも、それをしたら……」


「やるだろうね」


 戮子は即答した。


「見境なく」


 ぞくり、と空気が冷える。


 常夜。


 あの女なら、

 本当にやる。


 殺す。


 壊す。


 街ごとでも。


 人ごとでも。


 正人を失うくらいなら。


「でもよぉ」


 ジャックが頭を掻く。


「血の鍵が刹那にあるのは分かった」


「じゃあ肉の鍵はどこなんだ?」


「組織だって、

 ずっと探してたんだろ?」


 戮子が苦笑する。


 そして。


 刹那を見る。


「あんた、

 本当に知らなかったのかい?」


 刹那は静かに首を振る。


「……そう」


 戮子は酒を呷る。


 「肉の鍵ならあるよ」


 正人が、

 静かに掌を開いた。


 その瞬間。


「「「「……は?」」」」


 全員の声が重なった。


 赤黒い肉塊。


 脈打つ血管。


 骨のように白い突起。


 鍵だった。


 生きているみたいに、

 どくん、

 どくんと脈動している。


 禍々しい。


 なのに、

 どこか神聖だった。


 ぽろっ。


 戮子の口から、

 煙草が落ちた。


「あんた……」


「死にかけた時、

 常夜が使ったんだ」


 正人が静かに言う。


「これで、

 俺を生き返らせた」


 部屋が静まり返る。


「……なるほどね」


 戮子が額を押さえた。


「そういうことかい」


「よく適合したね」


「普通、

 男じゃ耐えられない」


「めちゃくちゃ痛かったよ」


 正人は苦笑した。


 思い出す。


 あの日。


 雨。


 血。


 崩れていく意識。


 その奥で――


 確かに聞こえた。


 産声。


 赤ん坊の泣き声。


 そして。


『大丈夫』


 母の声。


『生きなさい』


 骨が軋んだ。


 肉が裂けた。


 内側から、

 何かが作り替わっていく感覚。


「……今でも覚えてる」


 正人が、

 自分の胸を見る。


「母さんの声」


 刹那が、

 ぎゅっと拳を握った。


 痛々しいほどに。


「……私が」


 震える声。


「私が盗まなければ……」


「誰も死ななかった」


「あなたも、

 普通に生きられたのに」


「違う」


 即答だった。


 正人が、

 刹那を見る。


「君がいたから、

 俺は生きてる」


「でも――」


「違う」


 もう一度。


 強く。


「俺は、

 君がいたことを後悔したことない」


 刹那の目が揺れる。


 泣きそうだった。


 戮子は、

 そんな二人を見ながら煙を吐いた。


「……やれやれ」


「ほんと、

 因果だねぇ」


 大きく息を吐く。


「血の鍵は、

 能力を司る」


「肉の鍵は、

 身体を司る」


「そして、

 その二つは対なんだよ」


 戮子が、

 刹那を見る。


「だから、

 傀儡化が解けてた」


「互いが互いを補完してたのさ」


「じゃあ……」


 エリュアールが呟く。


「常夜は、

 それを回収したいってこと?」


「そうだろうね」


 戮子は笑った。


「鍵も」


「男も」


「全部、

 自分のものにしたいんだろ」


 沈黙。


 雨音だけが響く。


「……あの子も哀れだね」


 ぽつり。


 戮子が呟いた。


「鍵なんかに触れなきゃ、

 ただ恋したかっただけだろうに」


 正人の胸が痛む。


 常夜。


 彼女は、

 自分を救った。


 その代わりに、

 壊れてしまった。


 今でも。


 自分は、

 彼女を嫌いになれない。


 刹那が隣にいるのに。


 愛しているのに。


 それでも。


 雨の日の記憶が、

 心を離れない。


「で?」


 戮子が言う。


「どうする」


「常夜のところへ行くなら、

 私は手を貸さないよ」


「死にな」


 ぞっとするほど、

 淡々とした声だった。


「そのあと、

 鍵だけ回収する」


「厳しくねぇか……?」


 ジャックが顔をしかめる。


 エリュアールも頷いた。


 だが。


「いいんだよ」


 戮子は笑った。


「自分のケツくらい、

 自分で拭きな」


 その言葉に。


 正人は、

 小さく笑った。


「……母さんらしいね」


 そして。


 隣を見る。


 刹那。


 泣きそうな顔で、

 こちらを見ていた。


 正人は、

 そっと彼女の手を握る。


 温かい。


 震えている。


 だから。


 強く握り返した。


 ――死ぬなら。


 君と一緒がいい。


 言葉にはしなかった。


 でも。


 刹那は、

 ゆっくり頷いた。


 ――うん。


 窓の外。


 雨はまだ、

 降り続いていた。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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