第77話 雨の再会――元カノ最終兵器と、今カノ最強ヒロインが俺を奪い合っている。
その日は雨だった。
静かな夜だった。
アスファルトを叩く雨音だけが、
街に広がっている。
仕事帰り。
コンビニ袋を片手に、
成川正人はマンションへの帰り道を歩いていた。
あと百五十メートル。
信号を渡れば家だ。
その時。
街灯の下に、
一人の少女が立っていた。
透明な傘。
セーラー服。
長い黒髪。
白い肌。
見慣れた姿。
――刹那。
その姿を見た瞬間。
胸の奥が、
少しだけ温かくなった。
「……待っててくれたの?」
刹那は、
ふわりと笑う。
「うん」
たった一言。
それだけなのに。
“帰ってきた”と思えた。
「今なら、入れてあげるわよ」
傘を少し傾ける。
「……じゃあ、お邪魔します」
正人は自分の傘を閉じた。
雨音が少し遠くなる。
肩が触れる。
近い。
でも嫌じゃない。
むしろ安心する。
刹那の指が、
そっと正人の手に絡んだ。
恋人繋ぎ。
ぎゅっと。
これから起こる何かを、
振り払うみたいに。
強く。
正人も握り返す。
刹那は少しだけ目を細めた。
「今日の晩御飯、何だと思う?」
「うーん……カレー?」
「ぶー」
刹那は得意げに笑う。
「男子大好き、唐揚げです」
「あ、それ最高」
「キャベツも安かったの」
「完全に優秀な奥さんだ」
「ふふっ。ビールも冷えてるわよ?」
「最高すぎる」
「飲み過ぎないようにね?」
そのやり取りは。
まるで、
ずっと前から一緒に暮らしていた夫婦みたいだった。
穏やかで。
暖かくて。
だからこそ。
二人とも、
気づいてしまった。
数メートル先。
道の真ん中。
そこに、
一人の女が立っていた。
傘で顔は見えない。
ベージュのブレザー。
チェックのスカート。
長い黒髪。
ただ立っているだけ。
それだけなのに。
空気が変わる。
呼吸が浅くなる。
進めない。
たった数メートル先なのに、
崖の前みたいだった。
ゆっくりと。
本当にスローモーションみたいに。
女の傘が上がる。
現れた顔を見た瞬間。
正人の喉が震えた。
「……常夜」
鵺野常夜。
日本人形みたいな美貌。
白い肌。
長い黒髪。
そして。
ぞっとするほど冷たい瞳。
常夜は、
静かに笑った。
「驚いたわ」
雨より冷たい声。
「私の彼氏って、とんだ浮気者なのね」
刹那の指に、
力が入る。
常夜の視線が、
ゆっくり刹那へ向いた。
「久しぶりね」
氷みたいな微笑。
刹那は、
真正面から見返す。
「そうね」
そして。
ぎゅっと。
正人との恋人繋ぎをさらに強くした。
「今は二人の時間なの」
「邪魔しないでくれないかしら?」
一瞬。
常夜の口元が、
わずかに引きつった。
本当に、
一瞬だけ。
けれど次の瞬間には、
もう笑っている。
まるで。
最初から何も感じていなかったみたいに。
「……ここじゃ目立つわね」
常夜は隣の喫茶店を見る。
「少し話しましょうか」
◆
喫茶店。
窓際のテーブル席。
セーラー服の刹那。
その向かいに、
ブレザー姿の常夜。
そして。
立ったまま動けない正人。
常夜が、
にこりと笑った。
「それで?」
「あなたは、どちらの席に座るのかしら?」
「――っ」
空気が止まる。
刹那は何も言わない。
ただ。
じっと正人を見ている。
常夜は笑っている。
でも目が笑っていない。
逃げられない。
選ばなければならない。
正人は、
ゆっくり歩く。
そして。
刹那の隣へ座った。
「……ふぅ」
刹那が、
小さく息を吐く。
安心。
安堵。
勝利。
一方で。
常夜の口元が、
一瞬だけ歪んだ。
正人はその瞬間、
胸の奥に鈍い痛みを覚えた。
――まただ。
また自分は。
常夜を選ばなかった。
あの日。
血まみれになりながら、
自分を逃がした彼女を。
二度目に捨てた気がした。
刹那は、
そんな正人の手をそっと握る。
離さないように。
奪われないように。
「残念ね」
刹那が、
ほんの少しだけ勝ち誇った顔で言う。
常夜は窓の外を見る。
激しい雨。
「あの日も、こんな雨だったわね」
正人の脳裏に、
あの夜が蘇る。
死体。
血。
崩れ落ちる自分。
そして。
血まみれの常夜。
「君は……あの時……」
「生きてるわよ」
常夜はあっさり言った。
「肉体を完全に戻すのに時間がかかっただけ」
店員が飲み物を運んでくる。
常夜にはブラックコーヒー。
刹那と正人には紅茶。
それを見て。
常夜が、
くすりと笑った。
「飲み物までペアなの?」
刹那は平然と返す。
「食生活が一緒だと、舌も似てくるの」
ぴしり。
見えない火花が散る。
「……とんだ泥棒猫ね」
常夜は笑う。
「私の姉は」
その瞬間。
正人の思考が止まった。
姉。
つまり。
刹那と常夜は――。
だが刹那は否定しない。
ただ静かに、
常夜を睨み返していた。
「まあいいわ」
常夜は脚を組む。
「今日は取引をしに来たの」
「取引?」
「姉さんの呪いを解く」
刹那の瞳が揺れる。
「条件は?」
常夜は、
美しく微笑む。
「二本の鍵と――正人を渡しなさい」
空気が凍る。
「鍵も男も、私のもの」
その言葉に。
正人の胸が痛む。
常夜は本気だ。
本当に。
そう思っている。
「明日、ここへ来なさい」
常夜はメモを差し出す。
「傀儡化の呪いは解けるようにしてあるから」
刹那が静かに言う。
「もし行かなかったら?」
常夜は窓の外を見る。
店の中では、
常連客たちが笑っていた。
仕事帰りのサラリーマン。
高校生。
主婦たち。
なんでもない日常。
常夜は、
それを眺めながら言った。
「この辺り一帯、なくなっても別に困らないでしょう?」
世間話みたいな口調だった。
だからこそ。
怖かった。
「腹いせに、この百五十メートルの世界を壊すわ」
「見境なくね」
正人は理解する。
この女はやる。
本当に。
「九州の田舎にでも逃げなさいよ」
刹那が吐き捨てる。
「そこなら、私でも少しは手を出しにくい」
「出来るものならね」
常夜は立ち上がる。
「あ、そうそう」
最後に振り返る。
「ここの支払い、正人お願いね?」
ふわりと笑う。
「それくらいの甲斐性、見せなさいよ」
そして。
彼女は雨の中へ消えた。
残されたのは、
沈黙だけ。
雨だけが、
変わらず街を打っていた。
まるで。
最初から全部、
決まっていたみたいに。
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